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世界説明SS
クロスロード
(2009/10/4)
 目が覚めた時、そこは見知らぬ天井だった。
 ……何の小説だよ。
 僕は体を起こす。それから周囲の品物を眺めて
「病院?」
 そんな言葉を漏らす。
 白いカーテンを張った仕切りやデスクの上のレントゲンを飾る照明、荷物を入れる籠など、どう見ても病院の装いだ。
「……ああ、そっか。自転車で転倒して」
 大怪我をして、病院に運ばれたのか。
 妙な夢を見たなぁと頭を掻くと白衣を着た男がやってきた。
「おや、起きたかな」
 落ち着きと威厳のある声音。先生だろうかと視線を向けて─────
「……はぁ!?」
 30代半ばのやや厳つくも優しい笑顔。その後ろで柔らかな光を放つ大きな羽に目を剥いた。
「……僕、死んだんですか?」
「……いや、医者の前でそれはどうかと思うがね」
 男は苦笑しながら椅子に座る。どう見てもその姿は天使のコスプレだ。あと医者にしてはやたらゴツい。米国のアメフト選手と言われたら納得しそうだ。
「ん? ああ、君の世界じゃ天使族は冥府の者と同列なのかな?」
「天使なんですか!?」
「ああ、そういえば君は混入者だったね。
 私たちのような属性、形態をしている者を天使族と呼んでいるんだ。君の認識する天使そのものではないと思うよ」
 ……鶏もダチョウも鳥類……ということだろうか。いやいや、そういう話でなく。
「まぁ、詳しいことはPBに聞くといい」
 天使の医者は手首を見せてそこについている輪っかを軽く撫でた。
 視線をやると僕の手首にも同じ物が付いている。
「ともあれ、傷の方はどうだい?
 どうも回復系魔法薬を投与されたようだけど」
「え? ええ……あれ? 痛みが……」
 野原で寝てたときに感じていた痛みは全く無い。直ぐに立ち上がっても平気そうだ。
「無いならそれでいい。
 もし問題があればまた着なさい」
「え? あ……ありがとうございます」
 多分治療してくれたんだろう。天使は「どういたしまして」と笑顔で応じた。
「ああ、医療費は今回事故ということで管理組合のほうから貰ってるから気にしなくて良い。
 その辺りもPBに確認すれば分るよ。出口はそこだから」
 狐につままれたようなふわふわとした感覚で僕は頭を下げて外に出る。
 そういえば着ている服がなんか違う。量販店で変えるような安っぽい服だ。まぁ、僕が着てたのも同じようなものだけど。
 そんな事を考えているうちに外に出ていた。
 そして目を丸くする。
 目の前を路面電車が走っていった。
 そこに乗る客の中には顔がトカゲのような人が居る。その向こうには蝙蝠のような翼の生えた黒い男が居た。いわゆるエルフ耳とかいう物がついた女性が腕を組んで歩いている。
「……えーっと?」
 痛みがなくなったせいで益々夢の中のような気がしてきた。
 なんだこのファンタジー。
 しかし背景はどことなく現代的だ。片側4から5車線取れそうな大通りはアスファルトだし、その両側は寂れる前の地元商店街を思わせる。
 八百屋っぽい店には見たことあるような果物や見たこと無いような野菜が並んでいるし、ブティックっぽい店には明らかに3mくらいの人間を想定した服が飾られていた。
「……眩暈がしそうだな」
 最早これが夢である可能性は捨てた。この光景は僕の想像力を遥かに超えている。
 たっぷり4、5分は呆然としていただろうか。
 我に返った僕はきょろきょろと見回し、それから医者の言葉を思い出す。
「PBに聞けって言ってたけど……」
 言いながら腕の輪っかを撫でてた。それに視線を向けると
『簡易登録をします』
 頭の中で声がした。
 ぎょっとして、それから腕輪を見る。
「PBって……」
『パーソナルブレスレッド、略式名称PBです。
 簡易登録をします。お名前をどうぞ』
「名前? ……藍原幸弥だけど」
『アイハラ・ユキヤで登録しました。
 質問をどうぞ』
「……何をしたらいい?」
 沈黙した。……当然だよね。
「ええと、この世界のことについてざっと教えて」
『多重交錯世界《ターミナル》。あらゆる世界との扉を開き、繋がった事からその名前が付けられました。
 ここクロスロードは多重交錯世界唯一の町であり、この世界に来る者───来訪者の拠点として機能しています』
「……唯一なの?」
『肯定』
 他に街はないというのは不思議だ。こんな大都市があるのに。
「ええと、僕が自分の世界に帰る方法は?」
『貴方の世界に繋がる扉を潜れば戻れます』
 言われてセンタ君の説明を思い出す。開かない……んだよね。
「他の方法って無いのかな?」
『《世界渡り》という扉を使わずに世界を渡る能力者の存在が一部噂として流れていますが、公式に確認されていません』
 実質無いってことね。
「ええと、僕の通った扉って開いてないよね?」
『量産型全自動選択機からの入力地点の扉の開放履歴は1回のみです』
「……つまり、僕が来た時だけか……。
 もう開かないのかなぁ」
『回答不能。参考情報として扉の開閉パターンには現在3種類確認されています。
 1つは常時開放型、1つは定期開放型、最後に条件式開放型です』
 曖昧な記憶の中、センタ君がそんな事を言ってた気がする。
「特定条件式って?」
『一定条件が揃った時のみ開放される扉で、主に向こう側の条件に左右されます。
 そのため一方通行型とも言われます』
「……えーっと、条件は分らないんだよね?」
『現在特定されているパターンでは星辰の位置や、特定の物品を揃える事等。安易な物だとあちら側からしか開放出来ないタイプ等です』
 つまり……あんな山道のどこかにある扉を誰かが発見して、しかも運良く条件を満たして開けてくれるのを祈るしかないかもしれない、と。
「……そんなのありえないよ」
 学校の行き帰りで人とすれ違った覚えなんて無い。それにもし運良く誰かが開けてくれてもその人も帰れなくなるだけじゃないか?
「……扉が開いた時押さえててくれたりとかしないのかな」
『申請しますか?』
「え?」
『条件式開放型に関しては来訪者の要請がある場合、開閉を固定する申請が可能です』
「お願いします!」
『では申請します』
 申請って、どこにしてるんだろ……
 この腕輪って携帯電話みたいなものなのかな。
 ともかく……後は誰か運良く開けてくれるのを待つしかないってことかなぁ。
 定期型であればなお嬉しいんだけど。……50年に一度とか言われないなら。
「……えーっと」
 空を見上げる。いい天気だなぁ。
 そういえば少しだけ暑い気がする。
「ここって南国なの?」
『この時期の平均気温は32度前後。冬季になれば0度前後になります』
「それって四季があるってこと?」
『肯定』
 ってことは今は夏って事か。
 僕の感覚だと11月だったから、妙な気分だ。
「……ええと、ここでの生活ってどうすればいいのかな」
 途方にくれても仕方ない。
 そう言えば家を貰えるとか言ってたなぁと思い出す。
 とりあえずの目的地をそこにして、この世界の事を聞いて行くしかないかなぁと歩き始めた。
 恐る恐るだけどね。
◇◆◇◆◇◆◇

 俺は四角い箱の前で腕を組んでいた。
 PBはこの上に金を乗せろと言ってきている。それで換金をするらしい。
 試しに銅貨1枚乗っけると、それは箱の中に飲み込まれ、PBが『43C加算しました』とか言ってきた。
「金返せよ」
『43Cを換金すると手数料により1銅貨に満ちません』
「……なんだよそれ」
 PBの説明によると、この世界では硬貨を使っていないらしい。
 全てのお金はこのPBの中に入っていて、お金を使うとここから引かれるんだと。
 その時に手数料をいくらか取られる。まぁ両替屋と同じシステムだって言えばそうとも思えるんだが……
 ……信用できねぇ。
「騙してないよな?」
『設定をユーモアに変更すると嘘や冗談を返答可能ですが、慣れるまでは通常設定を推奨します』
 堅苦しすぎる。それ故に不要な嘘を付くと考えるにも無理があるか。
「俺程度を騙した所で意味も無いか」
 がしりと頭を掻いて1つ溜息。
「とりあえず半分換金するか」
 それでも警戒を全部捨ててしまうほど甘くは無いつもりだ。それを自己満足として皮袋の硬貨を数える。
『147万325Cに換金しました』
 それがどの程度かはさっぱりだが、俺の世界だったら一年くらいは楽に生きていけるはずだ。
 戦いばかりやってたから賞金だけがやたらと溜まっていたからな。
「さて、どうするかな」
 この世界には1日を24の時間に分ける決まりがあるらしい。店は殆どが10時に開店するし、大体19時前後に閉店する。
 ケイオスタウンという闇や魔に属する者が多く住む川向こうになると半日ほど時間が逆転するらしい。
 確かに大きな町では祈りの時間や開門閉門を知らせるための鐘が鳴るが、日付すらもどうでもいい俺にとって無用の長物だ。太陽が出たら起きて、沈む前にねぐらを確保する。それが出来ていれば何の問題も無い。
「……とりあえず支給された家ってやつに行ってみるか」
『案内は必要ですか?』
「頼む」
 頭の中に突然声が響いてくるのにはまだ気持ち悪さがあるものの、流石に外そうとは思えない。
 帝国の首都よりもでかいこの街をこいつ無しで迷わず歩けるとは思えないしな。
『路面電車のヘヴンズゲート方面に乗ってください』
 路面電車ってのはでかい道の真ん中を動いている車だな。道の真ん中に少し高くなっている場所があって、そこで何人かの人が乗り降りをしているのが見えた。
 荷馬車よりも早い程度か。確かにこんなに大きな町ならああいう乗り物がないと不便だろう。
「……そういえば、金とか取られるのか?」
『路面電車の利用は無料となっています』
「……無料、ねぇ」
 いや、タダで悪いとは言わないけどさ。どうしても勘ぐっちまうな。
「まぁ、いいや」
 うだうだ悩んでも仕方ない。貰える物は貰っておけばいい。そう割り切って俺は駅とか言う車の乗り場へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇

「なんて言うか、近未来的だねぇ」
 噴水脇にあるベンチに腰掛けて周囲を見渡す。
 爬虫人と表現すべき人が前を通り過ぎていく。その背には巨大な斧。ハルバードとか言ったっけか?そんなものを背負い、革鎧を纏っている。
 その少し先には携帯端末らしいものを眺めているスーツ姿の女性が気難しそうな顔で考え事をしていた。
 ファンタジーな世界だから、もうちょっと竈があったり、馬が走ってたりしてるものと思ってたけど。
 あ、馬だ……けど、上半身が馬なのは違うと思う。射手座の人だよね?
 そんなのがアイス片手にぱっぱか歩いていくのは少しシュールだ。
 さて、僕はこの街の仕組みを一通りPBに確認した所だ。
 この街には僕が知っている世界のインフラが一通り揃っている。ガスは無いけど電気みたいなものはあって、すぐ脇には街頭が立っている。
 上下水道は完備。それどころかATMみたいなものがあって、あらゆる世界の貨幣とこちらのお金───クロスロードチップという電子マネーみたいなものと交換してくれる。
 このPBははっきり言って携帯端末だ。携帯電話の機能が付いていないのが不思議なくらい。GPSっぽいものはありそうだなぁ。現在位置把握してるし。
 身分証明の他にもお財布の役目もあり、しかも個人認証機能付き。なんでも魂の波動とかいうオカルト的な物で判別しているから、他人が使うことはまず無いらしい。
 オーバーテクノロジーだなぁと思っていたらロボットみたいな人が目の前を通り過ぎて行った。
「うーん」
 頬杖をついて考える。
 思い出したかのように確認はするけど、僕の世界に繋がる扉は未だ開いていない。下手をすると年に一回とか本当にありえるかもしれない。
 そうするとそれまではここで暮らさなければならない。住居は提供してもらえるけど、遊んで暮らせば良い訳でもない。食費やその他雑費は自分で捻出する必要がある。僕の手持ちは五千円。これは一応換金しているけど、流石に切り詰めても一ヶ月生きるのは無理だろう。
「仕事かぁ」
 求人があると言っていたから確認すると確かに人の募集がいくらかあった。
 一番多いのは店番で、基本的に日給制。
 大体8千C前後。お店の商品なんかを覗いてみたけど、金銭感覚的には『円』が『C』に変わっただけと思った方が良いかも知れない。
 こちらと大学生。バイトの経験はいくらかあるけど、この珍妙な世界で上手くやれるかはかなり別問題だと思う。
「でも、やらないと生きていけないしなぁ」
 お金が尽きるまでには扉が開いて帰れるかもしれない。というのは流石に虫が良すぎる気がしてきた。
「今の時間は?」
『午後4時31分です』
 時計代わりにもなる便利なPBの回答に空を見上げると確かに日の光が僅かに翳ってきた気がする。
「今日は帰るかなぁ。家も見てみたいし」
 どうせ働くならそこから近い場所の方がいいしね。
 ぱんと膝を1つ叩いて立ち上がるとうーんと背伸びをする。
 これが夢とか幻覚でなければ、昨日危うく死に掛けた割には体はとても元気だ。右腕を見たら内出血の跡があってぎょっとしたけどね。
「案内してくれる?」
『ニュートラルロード路面電車ヘヴンズゲート方面にお乗りください』
 これに慣れちゃうと元の世界に帰った時に凄い困りそうな気がするなぁ。
 そんな事を思いつつ駅に向かう。駅と言っても脛くらいまで一段高くなった場所とその端に一本駅を示すポールが立っているだけ。
 時刻表はPBに入ってるから運行案内関係は一切無し。
 ちなみに道の真ん中を歩いている人は基本的に居ない。滅多にないけど一応自動車やバイクが存在していて、輸送関係の人が走らせる事があるからそこは歩かないようにPBから注意があった。
 あ、箒に跨る魔女って居るんだ……
 駅に着くと一昔前のメタリックな変身ヒーローぽい人が路面電車の来る方向───塔の方向を眺めていた。
 ロボットなのかなぁと眺めていると「どうかしましたか?」と比較的肉声に近い声を向けられる。
「あ、すみません」
「いえ。よくあることですから」
 確かにロボットやサイボーグみたいな人は比較的少ない気がする。
 視線をはずしつつ「実はこの人、自力で走った方が速いんじゃないか?」とか思っているとレトロな路面電車が滑り込んできた。
 ロボットな人に続いて乗り込むと、悪魔ちっくな大男がつり革を掴んで立っていた。流石に威圧感があるけど驚くのも流石に失礼……だよねぇ?
 少し離れつつ窓際に横一列に設置された長いシートに座る。座り心地は悪くないけど材質が分らない。少し光沢のある低反発マットみたいな感じだなぁ。
 ともあれ電車は動きだし、ガタンゴトンと音を奏でる。
 ロボットの人が居るような世界ならリニアレールでもありそうなものだけど……。チンチンと鐘が鳴る所を見ると誰かの趣味なのかもしれない。
 窓から町並みを見ると改めて混沌ぶりが見て取れる。
 一番多いのは僕と同じ『人間』型だ。良く見ると角が生えてたりする人も居るけど、半分くらいは僕の知っている人間の姿だ。
 ゲームなんかで見るエルフやドワーフなんていう種族も居る。
 少し離れると動物と混ぜて割りました的な種族が多い。極稀に人と呼んでいいものか悩む存在もある。顔がタコ(足付き)みたいだったり、透けてたり、手が4本だったり、頭が2つあったり。
 悪魔や天使って言うべき種族もまま見られる。電車が駅に停まり、大きな犬が乗ってきた。首についてるのは首輪じゃなくてPB?
 犬は悠然と歩くと、僕の視線に気付いて顔をあげ、ぺこりと頭を下げてうずくまった。
 ……撫でたいけど、怒られそうだから止めておこう。多分喋る。
 そうこうしていると『次の駅で降りてください』とPBからのアナウンス。
 やがて停車すると僕は電車から降りた。ちらりと運転席を見ると無人。『この電車はゴーレムです』と言う事らしい。ゴーレムと言われると石人形しか思いつかないんだけどなぁ。
 コンピュータと魔法で動く人形は仕組みが違うだけで同じなのかもしれない。原始人が自動で動く機械を見れば魔法か悪魔かって思うだろうし。
 ニュートラルロードと路面電車は街の大動脈らしい。その両側にはお店がひしめいている。
 そこからわき道に入っても暫くは小さなお店がいくつか散見できた。同時に、入れ替わるように住宅地っぽい場所が増えていく。
 たまに大きな家があって、何かと尋ねると『探索者の中にはギルドを結成している者もあり、その事務所兼拠点です』と教えてくれた。
 時刻はもう18時近くになっていた。夏とあってはまだ明るいけど、段々薄暗くなっていく時間だ。
 明かりのついている家は全体の3割程度。『未入居の家屋は多数あります』。日本のお父さん方に紹介してあげたいねぇと無駄な思考。
『到着しました』
 立ち止まって左手を見ると平屋建ての家があった。
「……家?」
 庭まであるんだけど。外から見て3LDKくらいあるんじゃないだろうか。
 周囲の家も大体同じような造りだし、ここだけが特別じゃないのは分るけど、豪華過ぎない?
 今の僕の家は1K3万円のボロアパートだ。貧乏学生ならむしろ当然だろうと言わんばかりの狭い部屋。
 広さだけだと実家よりもあるかもしれない。
「……ホントにここ?」
『肯定』
 なんか騙されてるんじゃないかって気持ちがむくむくと沸いて来た。
 この街での生活が色々と優遇されている理由はPBに確認している。とにかく人間が欲しいのだ。
 というのも、この街は常に脅威に面している。
 この世界にはこのクロスロード以外の街は無い。無いのではなく作ることに成功していない。
 その原因こそが《怪物》という脅威だ。
 古今東西と言っていいものか。とにかくありとあらゆるバケモノの連合軍がこの世界を徘徊しているらしい。
 探索者はその《怪物》退治と同時に未開の地に赴いて地図の作成を行っている。それでも未だ四方100km程度しか判明していないのが実情らしい。
 東京から名古屋までが300Kmくらいだったはずだから地球規模で考えればほんの一部分だ。しかもその地図には未だにブラックスポットが山ほどあるという。
 現在この世界での安全圏はクロスロードから50Km圏内。その端の四方には砦が立っていて未開地区探索の拠点になっているそうだ。
 もちろん万里の長城みたいなものがあるわけじゃない。《怪物》は容赦なくその中に入ってくるし、クロスロードまで到達する《怪物》も居るとか。
 クロスロードは10万人規模の街だけど、それでも戦力が足りないというのが現状なんだそうだ。
 探索者はこの街の剣と盾として、住民はそれを支える柱として、そして行者は命を繋ぐパイプラインとして。
 なにしろ怪物のせいでクロスロードでは農作業がほとんど出来ていない。初期に農耕地を作ろうとしたものの怪物の襲撃で滅茶苦茶にされてしまったそうだ。
 そのために食料自給率はほぼ0%。せいぜい家庭菜園程度らしい。
 サンロードリバーと呼ばれる馬鹿でかい河があの塔の下を流れているらしいけど、そこには魚は住んでいないそうだ。まぁ魚と言うか海獣と言うべき『怪物』は忍んでくるらしいけど。
 取水していることもあるけど、危険なので塔の東側は遊泳禁止となっている。
「……うーん」
 敷金礼金とか言われないよねぇなんて馬鹿なことを考えていると、後ろを誰かが通り過ぎる。
 家の数に対して閑散としているから久々の音にびくりとして視線を送ると
「あ」
「ぁあ?」
 僕の声に怪訝そうな声が返ってくる。綺麗な顔に似合わない悪態染みたそれも聞き覚えがあるものだ。
「……なんだ、死にかけてたヤツじゃねえか」
「……え、ええと。その節はどうも」
 とでも言えばいいのかなぁ。改めて見るとほんとに綺麗な人だ。年齢は僕と同じか少し下に見える。運動でもしてきたみたいに薄汚れているのが気になるけど、それを抜きにしても凛とした……って段々目付きが悪くなってくる。
「何ガン見してんだよ」
「あ、いや、その!?」
「チッ、はっきりしねえヤツだな」
 言葉遣いは不良級だねと冷や汗混じりに思う。
「まぁいいや。折角拾った命なんだからせいぜい大切にしろ」
「ええ、ああ、はい」
 しどろもどろに応じたのが更に癪に障ったんだろうか。
 彼女は忌々しそうに頭を掻いてあっさり背を向けて歩き去る。と思ったら隣の家に入り込んだ。
「……家、そこなの?」
「……悪いか」
「わ、悪くありません。お隣だなぁと」
「……」
 視線が怖いと思っていると、ふっと外れてばたんと扉の閉まる音。なんていうか虎みたいな子だなぁ。
 暫く呆然としていると隣の家の明かりがついた。それで我に返って僕も自宅となる家に足を踏み入れた。
 なんていうか、マンションの一室のような造りだった。
 靴を脱ごうとして段差が無い事に気付く。それから外国では靴を脱がないんだっけ?という知識を思い出してそれに倣う。確か修学旅行で泊まったホテルも靴で部屋に乗り込んだっけ。
 良く見ると備え付けのスリッパがあり、それに履き変えてから
「電気のスイッチどこだろう?」
『照明ですか?』
 PBの言葉に頷く。
『点灯します』
 その言葉に応じるように明かりがついた。どんだけ便利なんだよ、これ。
「もしかして、鍵も?」
『管理できます』
 このPBを万が一無くすと生きていけないんじゃなかろうか。
 ミサンガくらいの太さだから別に付けっぱなしで問題はないし、外さないで置こうと心に誓う。
 新築であろう家は外見の通り3LDKの広さを持っていた。なんと風呂とトイレが別に付いている。
 ……便所って概念、他の種族的にはどうなんだろうと思ったけどそこは考えないで置こう。うん。
 一通り部屋を見て回る。
 キッチンはボタンを押すと火が出る仕組みだったし、蛇口を捻れば水が出た。
 風呂は湯が出るし、いくらなんでもやりすぎじゃないかとまで思う。
「こんなことして採算取れるのかな?」
『管理組合の予算管理体制については機密事項となっているため回答できません』
 おや?と思う。
 PBが回答できないなんて言って来たのは初めてかもしれない。
「管理組合ってこの街のお役所だよね?」
『役所の意味としては否定です。
 管理組合は賞金システム及び、クロスロードのインフラ管理のみを行っており、それ以外の権利権限は基本的にありません』
 似たような話は昼間に聞いた。
 なんでもこのクロスロードには法律が無いらしい。
 管理組合からのお願いとして「クロスロード内ではなるべく平穏無事に暮らしてください」と公布しているだけなんだそうだ。
 例え殺人事件を犯してもそれを咎める法律は無い。
 じゃあ無法地帯でやりたい放題かと言えば、それを抑制するシステムはある。
 それが《賞金》だ。
 主に『怪物退治』等の依頼に対して掛けられるものだけど、迷惑行為を行った来訪者に対して賞金を賭けることもできる。
 それら賞金のシステムを管理するのが管理組合という組織……って事らしい。
 警察と違うのは管理組合自体は手を出さない事。あくまで迷惑行為を行った者に対して処罰申請があった場合、適切な賞金を賭けて捕縛、または殺害の依頼を出す。
 これを実行するのはあくまで来訪者───実力的に探索者と呼ばれる人たちだ。
 賞金を賭けられた人は一定期間内に自ら賞金額相当の罰金を支払えば賞金指定を解除される。
 それを過ぎれば正式な依頼として発令され、狙われる事になる。
 その明確なラインは明らかになっていない。
 僕からしてみれば滅茶苦茶なシステムだ。処罰申請が無ければ追われる事は無いのだから、もしここに暴漢が入り込んで殺されたらそれで終わりという意味でもある。
 なんでこんな不安定な仕組みなのか。それにはこの世界特有の困った理由が存在する。
 例えば襲い掛かって血を抜くなんて猟奇的な事は警察に捕まるべきだと僕は思う。
 しかしそうしなければ生きていけない吸血鬼なる存在もこのクロスロードには住んでいたりする。ちなみに放置するのもやっぱり問題なので血液パックとかも売ってるらしいんだけどね。
 また、深夜に大声で騒ぎ立てれば迷惑だなぁと思うけど、宗教上の理由でそうする人や、体の構造的に特定時間に音などを発してしまう人も居るんだそうだ。鯨が潮を吹くのに似ているというべきかなぁ。
 色々な種族、思想の存在のごった煮故に何か禁止してしまうと生きていけない人が出てきてしまう。
 だからあくまでお願いとして『なるべく他人に迷惑掛けずに平和に生きてください』なんてアナウンスで終わっているんだそうだ。
 なんか直ぐに破綻しそうな気もするけど、今のところ賞金システムは大きな問題を抱える事無く運営されているらしい。
 これは予想なんだけど、街中をてこてこ歩きながらゴミを拾ったりしている大量のセンタ君。あれって治安維持の一翼を担ってるんじゃないかな。
 それにPBは管理組合の支給品だ。この二重の監視があれば大抵の問題は露見するのかもなと思う。
 生活を覗き見されると考えると気持ち悪いけど、悪魔や竜人の腕っ節を恐ろしく思う我が身としては、許容すべき仕組みかもしれない。
 そもそも監視カメラやGPSを知らない世界の人にはその気持ち悪さは理解の外だろうしね。
 ……でも、仮に殺人事件が起きても賞金申請されなきゃ咎められないんだよね。うーん。
「腕輪を介して盗撮とかしてないよね?」
『撮影機能はありません』
「盗聴も?」
『個人情報の一切についての送付は行われていません。
 案内システム、クロスロードチップシステム並びに広報システムの相互通信のみです』
 全部信じて良いか分らないけど、気持ち悪いくらいにユーザーフレンドリーで無管理だ。
 話をしながら部屋を回る。
 2部屋は完全な空き部屋で、1つにはクローゼットとベッドがあった。セミダブルサイズでスプリングも充分。リサイクルショップで買った古い簡易ベッドとは雲泥の差だ。
 リビングにはテーブルと椅子。寝て起きてくらいなら全く支障は無い。
「ほんと贅沢だよ」
 そういえば日本は狭くて地価が高いって話があったなぁ。アメリカじゃ庭付きなんて当たり前なイメージがあるし。
 ここは未開の地でもあるから地価なんて無いに等しいんだろうな。
 一通り見て回るとどっと疲れが押し寄せてきた。おなかも少し空いてるけど、眠気の方が強い。半日以上寝てたはずなのになぁ。
 ふらふらとベッドのある部屋に行ってぼすりと倒れこむ。
 柔らかいベッドの感触が気持ちよすぎる。
「仕事探さないと……かな」
 それが今日最後の言葉だった。
◇◆◇◆◇◆◇

「へぇ」
 早朝。クロスロードまで出た俺はその光景に目を細める。
 朝日差す中、屋台やゴザを敷いた露天商の姿がずらり道に広がっている。
 クロスロードで商いをするには住民としての権利が必要だが、朝市に限っては特区法で自由に商売する事が許可されている。
 特区法とは特定箇所、時間に限定し試行される法律で、PBによる位置確認、情報伝達手段があるが故に成立する不思議な法律だ。
 クロスロード南部では朝5時から8時半まで、北部では17時から20時半まで、朝市(ケイオスタウンでは夜市)が開催される。
 良く見れば大きな道の左右1ラインずつと中央の路面電車ラインは避けて歩いている。そこだけは緊急車両などの通行を考慮して横断は可能だが通行に制限が掛かっているのだそうだ。
 この制限に関してはニュートラルロード特区法に入るのだそうだが、まぁその法を犯しそうになるとPBが警告してくれるので細かい事を覚えておく必要は無いか。
 俺が知っていればいいのは特定区域限定の法律があるってことと、朝市は朝飯が、夜市は晩飯が比較的安く食えると言う事くらいか。
 まぁそれだけのためにケイオスタウンまで行く気はねーんだが……
 露店を見ていくと見慣れたものから全く用途の知れない物まで色々並んでいた。
 保存食だと売っている白い箱には流石に驚いたな。なんでも紐を引っ張ると暖かくなり、しかも数ヶ月保存が効くらしい。
 保存食なんてものは一週間持てばいい物だと思っていたんだが、世界が変われば色々な技術がある。
 ともあれいくつかの買い物で支払方法も確認した俺はある屋台に辿り着く。
 白い椀の中に粥みたいなものが注がれ、その上に好きなものをトッピングしているらしい。
 美味そうだと感じて近付いてみると、二十代半ばくらいの黒髪の女が「いらっしゃい」と威勢良く声を掛けてきた。
「1つくれ」
「トッピングは?」
 ざっと見ると色々ある。が、正直何か分らないものも結構ある。
「おまかせでいいかい?」
 手馴れたもので、そう言ってきたので頷くと、ナッツの欠片や煮た魚のようなものを追加して寄越してきた。
「200Cね」
 頭の中で計算する。銅貨3枚程度、まぁ妥当な値段か。
 腕を差し出すと『200C支払いしました』とPBが伝えてくれる。
 湯気を立てる椀の中身を白いスプーンのような食器(蓮華と言うらしい)で掬って口に入れる。
「……」
 驚いた。正直に美味いと思える。ナッツの甘さと魚の塩気が絶妙で、無言で食が進む。
 ふと周囲を見ると随分といろんな連中が屋台を囲み、中には地面に座って啜ってるやつも居る。
 そこそこ人気のある屋台なんだろうか。具を変えられるから毎日来てもいいかと思えるくらいには美味い。
 気が付くと食い終わっていて、他の連中に習って詰まれた椀の上に重ねる。
「毎度」
 女が笑みを見せるのにほんの少しだけ頬を緩ませる。
 さてと。手にした荷物をちらりと見て、それから塔の方からゆっくりと近付いてくる電車を見た。
 これから向かうのはヘブンズゲートと名付けられた南の門だ。
 そこはこの電車の終着点であり、クロスロードの最南端でもある。
 電車に乗り込むと、武具を背負った連中がちらほら見えた。こいつらも俺と同じくこれから外に乗り出そうとしているのだろう。
 探索者が金を稼ぐ手段は大きく三つある。
 1つ目は討伐。怪物の脅威度を管理組合が設定しており、これを倒す事によって賞金を得る事ができる。
 これは四方の砦までの区域限定で何に遭遇するかは分らないが、強力なやつは砦よりこちら側に近付く前に迎撃されるため比較的安全と言える。
 2つ目は遠征。未開区域を探索すると、その範囲に応じて賞金を得る事ができる。
 この時倒した怪物については討伐にはカウントされないが、どうやら討伐した賞金よりも高い金を得られるらしい。
 3つ目は治安維持。クロスロード内で賞金を掛けられたヤツの捕縛や討伐。街に接近しすぎた怪物の迎撃。その他にも定期巡回として管理組合が賞金と言う名前の報酬を用意し、ぐるり規定された道を歩くだけで金をもらえるというものだ。
 大別するとこんなもので、慣れないうちは討伐か治安維持を選択するのが慣習らしい。
 遠征に行くには足やそれなりの仲間が必要だ。いくら腕に自信があっても荷が重いし、これだけの技術がありながら未だに莫大な未開区画があることがその危険性を雄弁に物語っている。
 ああ、それから第4の方法として『回収』というものがあるらしい。
 これはそれなりの大きな車を持ってる奴ら限定だから含めなかったが、要は怪物の体からいろいろと剥ぎ取って街で売りさばく方法だ。
 俺の世界でも竜の死体は宝の山だと言われていた。その鱗や骨、瞳など等、色々な魔法具の素材になり小さな国ひとつ買えるだけの金になるらしい。
 もっとも、竜一匹で小さな国が滅びるくらい脅威だったわけだが。
 竜を扱っているかは知らねえが、死体漁りを専門にしている連中が居て、契約を結ぶ事で怪物の死体を回収、得られた利益を分配するって仕事をしているらしい。
 何の危険も無く分け前を得るなんてって言うやつも居るらしいが、0よりも1の方がマシだと俺は思うね。
 物思いにふけっていると、路面電車はでかい門の前に到着した。
 その高さはざっと10m程度。その高さに倣うように巨大な城壁がずっと続いている。
 このでかい門が南門ことヘブンズゲート。白で染め上げられたそれは彫刻まで施されて見事なものだった。
 北には黒で染められたヘルズゲートという門があるらしい。
 ちなみにこの門は開いていない。開いているのはその両脇に作られた2つの門だ。
 こちらの大きさも高さ4mほどあり、脇には建物が建っている。
 片側が出口で反対側が入口。
 クロスロードに入る方には車で乗り付けている連中が近付く男達と交渉をしている。
 それにしても車って言えば馬車しか思いつかないんだが、こちらの世界では馬が引いていない。
 自分で走るから自動車と言うらしい。
 門の前はちょっとした広場になっていて、武器屋、飲食店、雑貨屋が目立つ。冒険の前に品物を揃える客を狙っているのだろう。
 一通り見渡した俺は出口の方の門へ向かう。
 入口では持ってきた物や賞金の支払いのために足を停める連中が多いけど、こちらはすんなりと通る事が出来た。
 厚さ1mほどもあろうか。
 城壁の下、石のトンネルを潜った俺はその光景を目の当たりにする。
 どこまでも広がる地平。山も何もかも見当たらない。
 とにかくどこまでも平原だった。
 特筆すべきは直ぐ先に見える巨大な穴と、やけに踏み固められた一筋の道だろう。
 この穴は二年半前にあった大襲撃という怪物の大挙の際に刻まれたらしい。
 どんなことをやればこんな穴ができるのか、ちょっと想像が付かなかった。
 一方の道については、なにやら荷物を積んだ車が颯爽と走っていくのが見えた。この先に南砦があるんだそうだ。
「さて」
 木も岩もない。申し訳程度に草が生える大地を前にして俺は少しだけ途方にくれてしまう。
 治安維持にして置けばよかったかなと少し後悔しつつ、なるようになるさと一歩を踏み出した。
◇◆◇◆◇◆◇

「……ユキヤ君だったかな」
「はい」
 ずーんと巨躯が目の前にある。
 その全ては鱗に包まれていて、顔は獰猛なトカゲ。歯と言うには鋭すぎる牙が並び、背中には翼がある。
 そして彼が着込むのはどうみてもジャンパーだ、胸に鳥の羽をデフォルメしたようなマークと『エンジェルウィングス』のロゴがある。
「君、戦闘の自信は?」
「……え?」
「いや、だから戦闘だよ。剣とか使える?」
「……ここ、運送屋ですよね?」
 『エンジェルウィングス』はクロスロードの運輸を一手に引き受ける会社だ。
 少なくともそう説明された。
 僕の質問に顔に似合わず(は、失礼か)柔らかい声のドラゴン人は少し困ったように頷く。
「そうだよ。でもこのクロスロードだと何が起きてもおかしくないしね。
 身を守るくらいできないと荷物は預けられないんだ」
 まぁ、貴方に襲われたら荷物とかほっぽりだして逃げますね。確かに。
 僕がここに来たのは郵便局のバイトをした事があるからだ。
 意外にも道を覚えたり家を覚えたりするのは得意で、同じようなものだろうと来てみたんだけど。
 いきなり戦闘力を求められるとは思わなかったです。
「んー、それじゃ乗り物は乗れる?」
「え? あ、自転車とかバイクなら」
「え? バイクいけるの?」
 元々丸い目を丸くして身を乗り出してくる。怖い。
「え、ええ。免許ありますし」
 郵便局のバイトをやってた理由がそのバイクの免許を取るためだ。
 まぁ、免許はとったんだけど、肝心のバイクは未だに買えてなかったりする。苦学生にそこまでの余裕は無いのです。
「免許ね。まぁ、ここじゃあまり関係ないけど、運転技能があれば話は早い。
 じゃあちょっと乗ってみてもらおうか」
 ばんと手を叩いて立ち上がるとドラゴン人はのっしのっしと事務所の奥に歩いていく。
 その向こう側の裏口から出ると
「うわあぁっ!」
 ぬっとでかい顔が覗きこんできた。
「こら、脅かすんじゃないよ?」
 ドラゴン人が似たような顔を軽く撫でて言う。
「こ、こ、これ!?」
「うちの乗竜だよ。こいつはデニファス。気は良いから安心して」
 無理です。
 心の中で全力即答しつつ見上げると首を揺らすデニファスなる竜がこちらを見ていた。
 ドラゴンだよ、ドラゴン。ライオンの檻に入るより危険じゃないの!?
「竜に乗れるなら即採用なんだけど」
「僕の世界に竜なんて居ません!」
「そっか」
 必死の叫びにドラゴン人さんはあっさりと頷いてすたすたと歩いていく。
 ……この人も分類上はドラゴンなんだろうか。ちょっと悪い事を言ったかもしれない。
 後ろからガブリとか無いよなぁとびくびくしながら付いていくと、倉庫らしき場所に辿り着く。
 そこにはジープを思わせる車両やトラック……にしては頭に砲台がついているものやらが並んでいる。
「こっち、こっち」
 手招きする方に行ってみると、なにやら中型バイクに夢をつぎ込みました的な一回り大きい無骨なマシンが鎮座していた。
 挑戦的と言うか、戦闘的というか、少なくとも頑丈ですとは言い張れる外見に対し、座席後ろの『エンジェルウィングス』のロゴシール付きの箱がやたらシュールだ。
「これなんだけど」
 装甲を思わせるカウル等を含めるとサイズはナナハンとかに匹敵するかもしれない。中型免許しか持ってない僕には少し荷が重い気もするけど……正直憧れはある。いずれは大型免許も取りたいという夢(まぁ、夢で終わりそうだったんだけど)はあるのである。
 そんな事を友人なんかに言うと「似合わない」と一蹴されるので口にしたことは滅多にない。
「いけるかい? 多少こけても大丈夫だから」
 良く見るとボディには無数の傷がある。どう見ても転倒では付きそうにない傷まであるのが気にかかるけど……
「これって前に誰か使ってたんですか?」
「あ、うん。まぁね」
 何ですか、そのあからさまな言葉の濁しっぷりは。
「中古品なんだよ。使い手が居なくなったから安く引き取ったんだ」
「……」
 先ほどの傷を再度見る。えぐった様なその傷は嫌な予感をさせるには充分すぎる。
「ああ、うん。キミに外への配達を依頼する積りはないから安心して」
「外……」
 もちろんあの壁の向こう。町の外って意味だろうけど……
「僕、本当に戦う力とかないですからね!」
 表情を読むには難しい顔だけど、なんとなく苦笑してるのがわかった。
 ほんの小さくうなずいて
「うちの業務の8割はクロスロード内さ。ま、あっても砦までの安全な道を走るだけ。
 キミには無理にそんな仕事は任せないよ。
 それもこれも、キミを雇うかどうか判断してからさ」
 それもそうだと僕はバイクに跨る。
『────』
 脳裏に違和感。それはPBが喋る時に似ていて、でも明確な言葉でもなく……もしかすると気のせいかもしれない。
 何か言った?と問いかけるのも変かと思って今は目の前の問題に向き直る。
 ずいぶんとカスタムしているらしい。何においても車体を傾けない事に注意してエンジンをかける。
 幸いにして僕が知っている形式と同じだ。それに─────
「あれ?」
 エンジン音がない。
 でもバイク特有の振動と『シィィイイイイン』という、F1カーが走り抜けるような音が響いてくる。
「これ、エンジンじゃないんですか?」
「エンジン? ……ごめん、工学系アーティファクトには余り詳しくないんだけど、それにはマジックドライブが搭載されてるって聞いてるよ」
 ドライブってのは駆動機って意味だろうから……マナ?
「魔法で動いてるってことですか?」
「そう言うべきかな。停止中に大気中のマナを吸収するから探索任務に重宝されているんだ」
 ソーラーバッテリーみたいなものかなと解釈してエンジン───もといドライブをふかしてみると、車体の身震いを強く感じる。
「じゃあ、やってみます」
 宣言して深呼吸。ドラゴン人が少し離れたのを確認して、覚悟を決める。
 駆動が少し緩んだ所でギアを接ぐ─────
「っ!?」
 それでも予想を超えた加速。じゃっとタイヤが地面を噛む音を置いて行くかのように周囲の景色が加速した。
 頭が真っ白になる。まずいと思った瞬間、目の前に迫る壁が見えた。
 咄嗟にハンドルを切ろうとして────ぴくりともしない!? そんなに重いのか、これ!?
 そうだ、ブレーキ!?
 直ぐに我に返った僕はブレーキを力いっぱい踏み込もうとして────これも硬い。
 けれどもそのおかげで減速は緩やかに起きた。空気の流れが緩んだせいか、ハンドルも動く。目前に迫った壁を左手に見るように旋回し、のろのろとした速度で車庫まで戻り、停車する。
「へえ。上手いもんだね」
 のほほんとドラゴン人の言葉が耳に届くけどそれどころでない。滅茶苦茶に跳ねる心臓を痛いとすら感じながら思う。
 ────ハンドルといい、ブレーキといい、運が良かった。
 もしもあの瞬間ハンドルが動いてたら間違いなく派手に転倒してただろうし、ブレーキだって同じだ。
 キッっと音がして停まると車体がぶれたので転倒しないように慌てて足を突いて垂直を保つ。
「……」
 なんというか……
 そう、なんで僕、こんなに落ち着いているんだろうか。そんな疑問が胸の中をもぞりと動く。
『───────』
 頭の中に違和感。PBの声じゃない……。さっきと同じものだ。
 なんだろう。笑ってるような、そんな気がする。
「えーっと」
 まぁ、自白するとですよ。
 僕は気に入った物に名前をつける癖がある。特に乗り物にはそうで、自転車にはクロ丸って名前をつけてた。
 そういえばクロ丸……どうなったんだろ。
 それはともかく、まぁ、イタい行動ってわかってるから人前ではやらないけど、家に帰り着いたときとかは「ご苦労様」なんて呟くこともあるわけで。
「……もしかして、喋れたりするの?」
『私の声が聞こえるんだ』
 今度は明確な言葉として脳裏に響いた。
 PBの声はどこか中性的かつ機械的だけど、これは明らかに女性の声。
『ふーん。ずいぶんとへたっぴなのに、私の声が聞こえるなんて……』
「もしかして、ハンドルをロックしたのは君?」
『沈静の魔法をかけてあげたのもね。こけられたらたまったものじゃないもの』
「大丈夫そうだね」
 近づいてきたドラゴン人に振り返ると、僕はしばし何というべきかと考えて
「これって、喋るんですけど」
「は?」
 うん。イタい言葉ですよねと思う。
「なんて言えばいいんだ?」
『インテリジェンスアイテムです』
 今度はPBの声だった。「あ、インテリジェンスアイテムってやつみたいです」とドラゴンさんに伝えてみる。
「なんだって? そんな話は聞いていないけど……」
『そりゃあ、相性が良くない相手に私の声聞こえないし』
「相性が良くないと聞こえないらしいです。声」
「ふむ・・・・・・とすると、君はこのバイクと相性がいいと」
 少し疑う響きがあるのは当然だと思う。僕がそうだったら「こいつヤバイよ」って思うし。
「でも、もし本当なら乗りこなせて当然だね」
「え? そうなんですか?」
 会話が出来たら乗りこなせるって、どういう理屈かさっぱりだ。
「だってインテリジェンスアイテムだったらある程度の自立行動ができるはずだよ。君は指示を出せるんだから乗りこなせるって事になるだろ?」
 そんな事言われても魔法なんてものに造詣のない僕にはさっぱりです。
「そうなの?」
 ダメもとでバイクに聞いてみると
『やって見せたじゃない』
 そういえばハンドルやブレーキに制限掛けたのってこれそのものだったなぁ。
『君が触ってればだけどね』
「できるそうです。僕が乗ってる事が条件らしいですけど」
 なんか延々伝言ゲームだなぁ。
「じゃあ、もう一回やってみてよ。
 本当なら即採用するよ?」
 やっぱり少し疑ってるみたい。声が聞こえるなら直ぐ信じるんだろうけど、今のところ僕の妄言ともとれるしなぁ。
「えーっと、バイクさん?」
『エルフィンガント。それが私の名前。
 要は君が私の主人になるかどうかってこと?』
 いや、バイクの所有権はこの会社にあると思うけど。
「似たようなものかも」
 いわゆる「専用装備」ってやつなんだろうな。だから僕がここで働くなら僕以外に使わない、というか使えない?
『んー……』
 考えるような思念。「迷い」がひしひしと伝わってくる。
 一分もしただろうか、
『……いいわ。このまま埃を被ってるのは、望まないだろうし』
 ちょっとした違和感。まるで他人事のような言い方に聞こえた。
「どうしたんだい?」
 僕の問いかけは声になる前にドラゴン人に止められた。
「あ、いえ。大丈夫みたいです。やってみます」
『こけそうになったらフォローはしてあげるよ』
 結果から言うと、僕はエンジェルウィングスに採用される事となった。
 主な業務は街の内部での配達。道案内はPBが出来るため乗り物さえ動かせて、横領等の不正をしない人なら猫の手でも借りたいというのが本音だったみたいだ。
 採用の決まった僕にはすぐに様々なレクチャが始まり、この時僅かに感じていたエルの発言への違和感、疑問は記憶に埋もれていったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇

「最悪だな」
 夕暮れを左手に溜息を漏らす。
 結局今日一日歩き回ってみた物の怪物とやらの姿を拝む事は出来なかった。
 横をなにやら大きな遺骸を摘んだ車が走り抜けていくのが疎ましい。
 もう一度溜息。それから何が悪かったのかを考える。
 この街には既に数千人単位の探索者が居るらしい。実際結構な範囲を歩いたつもりだけど、それでも数人の探索者に出くわした。
 近距離は管理組合から出る巡回依頼と相俟って密度がある。つまり怪物に遭遇しづらいと言う事だろうな。
 だが、出掛けに考えた通り、足を持たない俺が未探索地域へ行くのは自殺行為だ。
「……ある程度の足場が出来るまでは管理組合の依頼を受けた方が妥当ってことか」
 もしくはどこかのギルドに入るか、だが……流石に評判も分らないうちに飛び込む気にはならない。ただでさえ女の身だ。不快な嘲笑には慣れても好んで受けに行くつもりは無い。
 そうこう考えているうちに門に到着した。
 日帰りの探索者が列を為し、その暇を潰すために情報交換を行っている。
 周囲を見回しながらようやく門を抜ける頃には日は完全に沈んでいた。大抵の連中が門の脇で収穫物の査定を行っているのを横目に、電車へと向かう。
 電車に乗り込み、窓から外を見るとジョッキを片手に話をする探索者の姿がいたるところに見えた。
 門の傍には飲食店が多い。つまりそういうことだろうと思うとまた溜息が出る。
 誇る積もりはないが、俺はそれなりに名が通った戦士だった。その気概みたいなものは少なからずあったんだと思う。それがボウズともなれば気も落ち込まないわけがない。
 やがて電車が動き出す。PBに駅に着く前に教えてくれと頼み、窓の外を見る。
 まだ色々な店が閉店していない時間だ。眩いばかりの明かりが満ちるニュートラルロードの光景は余りにも現実離れしすぎていて、違う世界に来たのだなという実感を改めて押し付けてくる。
「ああ、そうだ。巡回なんかの依頼、あるか?」
『2件あります。北ルートの巡回と西砦への輸送護衛です』
「報酬が良い方を受ける」
『北ルートの巡回任務に登録しました。明日朝7時にヘルズゲートに集合となります』
 ここは異世界。俺の知っている場所とは違う。どんなに実力があったってビギナーには変わりない。
 何もかも忘れてもう一回やり直すつもりでやらないとな。
 ────そう、別に焦る必要もない。俺は剣を捨てたくなかっただけだものな……
 英雄になりたい訳じゃない。誰かに感謝されたいわけでもない。
 ただ、剣を握り、剣を振るう事しか自分らしさを証明できないからこそ、この世界を目指したんだ。
 剣で生きていけるならばそれでいい。なのに俺は──────

 もしたしたら、俺が本当に不満に思ったことは──────────

「あれ、えっと……ヤイナさん?」
 駅で乗り込んできた男に視線を向ける。
「ヤイナラハだ……」
「あ、すみません」
 しまりの無い笑みを浮かべる男にはもちろん見覚えがある。
「偶然ですね」
 俺は応えなかった。なんでこんな時にこの世界で唯一の────昨日たまたま知り合っただけのヤツに遭うんだと内心で吐き捨てる。
「……えっと、すみません。フルネームが思い出せなくて」
「別にいい。お前の名前も覚えてない」
 自分の中に湧き上がった自分への疑念が、忌々しさに変わって口から出てしまった。
 なにをやってるんだ俺は?
 失敗の原因はもう理解したし、次にやるべき事は分っている。
 八つ当たりするほどの事じゃないし、苛立ちを覚える方がおかしい。
 その全ての原因は心の中で沸き立った自分への疑念だ。そしてそれを払拭できない事に、だ。
「えっと……すみません」
 謝る言葉が癇に障る。悪いのはこちらだと言うのに
 景色が流れる。魔王が倒されても世界は直ぐに良くはならない。荒らされた田畑を必死に復興し、街を建て直す連中の顔には本当に世界は救われたのかという疑念があった。
 そんな絶望感はここには無い。もちろん怒ってるやつや不機嫌なやつが一人も居ないとは言わないが、街の雰囲気はどこまでも明るい。
 ここももしかすると俺の居場所じゃないのかもしれない。
 湧き上がった思いに胸が痛む。じゃあ、俺は何処に行けば良いんだ?
「……町の外に行ってたんですよね?」
 男の言葉に首を動かさず、視線だけを向ける。
「……ああ」
「凄いですよね。僕にはとてもできないですよ」
「……」
 男の手を見れば剣ダコどころか鍬すら持った事の無いようにも見える。まるで貴族サマの手だ。肉体労働なんてロクにした事もないんだろう。
 立ち方も、重心のありかたも何もかもが素人丸出し。そんな人間に凄いと言われても鬱陶しいだけだ……
『間もなく目的駅です』
 PBからのアナウンスは向こうにもあったのか、視線がPBへ落ちる。
 やがて電車は速度を落として駅に着く。降りようとする男が俺のほうへ不思議そうに振り返った。
「降りないんですか?」
「……用事がある」
「あ、そうですか。では、また」
 特に疑う事も無く、男は電車を降りていく。
 そうして何事も無く動き出す電車の中で、俺はシートを一度強く殴って天井を見上げる。
 つり革と言う輪っかが揺れるのを眺めながら深く、深く息を吐く。
 明日上手く行けばこの気も晴れるんだろうか。
◇◆◇◆◇◆◇

「僕、何か悪い事言ったかな……?」
 電車を降りて、去り行くそれを見送る。
 昨日の彼女はぶっきらぼうなだけだったけど、今日のはどう見ても怒っていた。
 怒られる様な事を言った覚えは無いけど……何か悪い事でもあったのかもしれない。
「……謝るよりも、ありがとうって改めて言いたかったんだけどな」
 昨日も結局まともに話はできなかった。
 偶然とは言えお隣さんだしチャンスはあると思うけど、あまり遅くなるとそれはそれで不自然になりそうな気もする。
 ニュートラルロードを横断する。通りから暫くは店の方が比率が高い。
 途中で八百屋を覗いて見たけど、用途の見えない野菜もちらほらあり断念。自炊はレベルが高そうだ。
「何の肉か見当もつかないもんなぁ」
 今朝も屋台で焼き串を買ってみたら巨大鼠の肉なんて言われて呆然としたものだ。
 いや、まぁ、美味しかったけどさ。
「鶏肉とか翼の生えてる人どう思うのかなぁ」
 それどころか豚人とも言うべきオークや馬と人間を混ぜたようなケンタウロス(昨日の射手座の人)とか居るんだからむやみに買うと軽くトラウマになりそうな気がする。
「気にしすぎるほうが拙いのかもしれないけど」
 なにはなくともここは僕の知ってる世界じゃない。そしてそんな世界に迷い込んでまだ2日目だ。
 PBのサポートと、出会う人が意外と優しいこともあって引きこもりにならなくて済んでいるけど、何が起こってもおかしくない場所のはずだ。
「……そういえば、僕ってばあっちじゃ行方不明者になってるのかなぁ」
 転倒して壊れたままのクロ号が発見されたら警察にも連絡が行くかもしれない。
 そうしたら誰か『扉』を開けてくれるのだろうか。
 あ、ちなみにクロ号は僕の自転車の名前です。
 ぽてぽてと歩いていると良い匂いが鼻腔をくすぐった。ぐうと呼応するようにおなかが鳴く。
 視線を向けるとそこはニュートラルロードにあるにもかかわらず結構な大きさを持つお店だった。
 道路にまでテーブルが置かれて酒や料理を飲み食いしている人が目に入る。
 ちょうどニュートラルロードから外れようとしていた僕は方向転換してそちらに向かった。
『純白の酒場』
 木の板に白の文字でそう刻んだ看板。
 外と内の境が無く、柱みたいなものが何本か立っているのは、多分取り外し可能な壁なんだろう。こういう時間帯には取り外してお店の外にまでテーブルを広げているみたいだ。
 つまりはそれだけ賑わう酒場ということで。うん、今日はそこに行ってみよう。
 近付くと有象無象の会話が聴覚を圧倒する。本当に多種多様な人種が飲み食いを行っている。
「こっちエール追加!」
「はぁい」
 野太い声に応じたのはやけに幼い声だ。やがてとってとってと小学生くらいの女の子がやってきて、ジョッキをテーブルに置くと腕を差し出す。
 ドワーフかな。そんなおじさんが応じるように腕を差し出す。恐らく支払いをしているんだろう。注文の度に支払いをするのはこの街ではスタンダートなスタイルのようだ。
「こっちもビール3つな」
「きゅーい」
 ……とってとってと、でかいハムスターが歩いてきてお盆をテーブルに出す。それから首に巻いてるPB?で皆支払いをして受け取っていた。
 ハムスター?
 僕が知っているハムスターは掌に乗るようなサイズだ。決して中に2人くらい人が入ってそうなサイズじゃない。
 結構狭そうな中を鼠らしくちょろちょろと器用に行き来する巨大鼠を呆然と見ている間にも客が出入りしていく。
 飲む客が大半らしく出て行く数は極端に少ない。どんどんと席は詰まり、客が勝手に折りたたみ式のテーブルを道路にまで広げている。
 我に返って店に近付く。
「空いてる席へどーぞ!」
 女性の声。二十歳には届かないくらいの赤茶色の髪の女性がお盆片手に僕に声をかけた。くるりと見渡すとカウンター席が開いていた。
 流石に一人でテーブル席を使うのも気が引けるのでそちらに座る。
「いらっしゃいませ。メニューはあそこに張ってるからどうぞ」
 カウンターの中で忙しく動いている金髪の女性が長いポニーテールを揺らしてこちらを見る。
 言われるままに見てみるとなにか凄い数のメニューが壁に並んでいた。そこだけ見るとまるで一昔前の食堂みたいな光景だ。
 大半は意味不明。その中に時々『カツ丼』だとか『レバニラ』だとか見知った単語がある。
「ふぃるぅ。エール三つとレロドロンドの混ぜ炒め〜」
 さっきの小さな女の子がとてとてと走ってくる。見てて危なっかしいけど意外とひょいひょいこの込み合った店内を走り回ってる。
「きゅーい」
「あと火酒とナッツだってー」
 ……あの子ハムスターの言葉分るんだ。
 確かこの世界の出入り口になっている『扉』を通る時に、この世界の言葉を覚えさせてくれるらしいんだけど、あのハムスターには適用外だったのかなぁ。
 ワイワイガヤガヤと騒音にしか聞こえない数多の話し声の中で、彼女達+1匹の声は良く通る。ざっと数十人は居るだろう客をたった三人+1匹で仕切っているのは見てて圧巻だ。
「注文、しないの?」
 そんな中でひたすら手を動かしているポニーテールの女性、あの女の子はフィルって言ってたっけ? その人が僕に声をかけてくる。
「あ、えっと……じゃあお茶とチャーハン下さい」
「地球世界の人ね。少々お待ちを」
 え? と思う。何気に僕のことを言い当ててきたんだけど。
「何で分るんですか?」
「こんな料理店やってるんだもの。分らないとやってられないわ。
 それに地球世界の人は意外と多いのよ。まぁ同じ地球ではないらしいんだけどね」
 確か最初に会ったセンタ君も地球世界の数は数万うんたらとか言ってた気がする。
「アルさん、5番と36番のオーダー上がったわよ」
「はーい」
 ショートの女性が戻ってきてなにやら魚の丸焼きみたいのとかサラダとかを受け取って再び雑踏に消えていく。
「ハム君、開いたお皿下げてきて」
「きゅーい」
 ハム君とは、なかなかにまんまの名前だなぁと思っているととんと目の前に皿が置かれた。
 見事すぎるほど見事なチャーハンとスープ。それからお茶はウーロン茶だった。
「はい、お待ちどう」
 差し出された手にはっとしてPBの付いた腕を差し出す。支払いを告げる声を聞いたときには彼女はもう次の作業を淡々とこなしていた。
 それにしても凄い。いろんな場所から矢継ぎ早に出される注文を作業しながら聞き分け、料理を作っては指示を出している。
 巨大ハムスターが盆に山盛りの使用済み食器を積んでカウンターに飛び込んでくる。がらがらと乱暴に流し込むが
「そういえば……これ、プラスチック?」
 殆どの食器は木かプラスチックなのである。確かにこれならあんな扱いでも割れたりする事が無い。ジョッキも木製だ。
 あまりの達人っぷりに呆然としていると、フィルという女性がこっちを見て苦笑し「冷めるわよ?」と料理に視線をやる。
 本気で忘れてた。慌てて救って口に入れる。
「うわ、美味い」
「ありがと」
 この人は聖徳太子か何かなのか。どうでもいい僕の言葉までしっかりと耳に入ってる。隣の客が追加注文するのにもしっかり応じているし。
 とりあえずこれ以上邪魔するのも悪いので食事に注文する。チャーハンなんて自分で作ればべた付くし、ラーメン屋なんかのもあまり大差ない。
 なんでも鍋を思いっきり振ってご飯粒をばらばらに炒めないといけないらしいのだけど、あれをひたすら振るうのがどれだけ大変か想像に難くない。
 まー。細腕で巨大な鍋をいくつも操ってる人が目の前に居るんですけどね。
 見た感じ僕と同じ人間に見えるんだけど、別の種族なんだろうかとすら疑ってしまう。
「やほー。こっち上がったから手伝いに来たにゃよ」
 やたら甲高いアニメ声。語尾も「にゃ」だし、見れば赤い色のネコミミと、尻尾を付けた少女がカウンターに入って来ていた。
「感謝。今日は特に酷くてね」
「ういうい」
 身長は150cmくらいかな。ウェイトレスをやってる小さい方の女の子よりも少し背が高いくらい。
 若草色の髪を後ろで縛ってエプロンを付けると、途端に恐ろしく良い手つきで材料を刻み始める。
 戦力が二倍になったカウンターの内部は観覧料を払っていいくらいの凄まじさだった。
 会話でのやり取りなんて全く無い。役割分担も明確に無い。たまにお互いの手元を見て一番必要な行動をしている。
 例えば2つの料理があれば、包丁を持った方が一緒に材料のカットをするし、調味料が必要そうなら投げて渡す。
 相手の作業が終わるタイミングを計りながら作業を進めていて、お互いがお互いを邪魔する様子が一切無い。
 作業効率は純粋に倍以上。こうなると配膳側がおおわらわだ。シンクには使用済み食器が山のように溜まっていく。
 それが不意にがくんと減る。ここからは良く見えないけど誰かもう一人居るのかな?
 ともあれ周囲には入れ替わり立ち代り客が蠢き、注文の声はひっきりなしに挙がる。
 そんな光景を20分も見ている頃には食事も終わり、僕は席を立ったけどなお客は増えていくばかりに見えた。
「にゃふ。まいどー」
 ひらひらーとネコミミの子がこちらに手を振ってくる。僕は手を振って応じると店を後にした。
 なんともいえない充足感。いろんなメニューもあるし、何も予定がなければ毎日夕飯はここでいいかなぁとか考えながら家路に着いた。
 そうして不意にぴたりと足を止めた。

 あれ? 僕、帰るつもり無くなってきてる……?
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