戦う事。それは生きること。
殺しあう事。それはどちらが生き残るかを決める事。
それ以外の方法を知らないならば。殺し合いを禁じられた時、どうすればいいのだろうか。
息が詰まる。
理解の外にある問い。人を殺すという事を禁忌として生まれ育った者に出来る回答なんて
────欺瞞だ。
違いない。殺してはいけない理由を、教えられた理由をなぞる様に説く。
しかしその言葉は意味を持たない。
殺さねば生きていけないならば、殺さないという事は死ぬという事だ。
生命は死の上に成立する。食う事すら全ては殺戮の上にある。
そもそも殺す事を忌避するという発想そのものが狂っている。
オブラートに包んだ世界。殺す事を忌避しすぎたために食べる事にすら目隠しをする。
気味が悪い。
血に恐れ、死を厭う。
死体は触れ得ざるもの。死は恐怖の代名詞。故に己で作ってはいけないと謳う。
死は隣にある。死を見らず、感じずに何故生きれる?
何故……
死は遠くにあればいい。
死を感じずに生は感じられない。生死は対極でありながら隣人なのだから。
だからもう一度問う。
殺す事で死を感じ、生を得てきた私はどうやって『生きれば』良いのだろう。
……
……