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世界説明SS
あるいは嵐の前の
(2010/08/20)
衛星都市。
 クロスロードから南へ100kmの場所で発見されたオアシスを中心に建設を開始した都市で、今はまだ仮設の建物と物資集積所がぽつぽつと見えるだけだ。対怪物用の防衛施設だけが妙に物々しく見える。
 この町がどのような規模になるかはまだ判然としていない。100kmという距離がどれだけの意味を持つのかを誰もまだ知らないからだ。未だにターミナルの空は危険に満ちており、人々の目の届かない場所は余りにも多い。堅実な輸送法は自動車を初めとする地を這う物が中心となる。整備すらされていない荒野で出せる速度はせいぜい時速80kmがいいところだろう。それ以上の速度はもちろん可能だが輸送という点からすればそれ以上の速度を出すのは危険すぎる。
 約一時間の距離。
 それが遠いか近いかは、これから分かる事である。
 そう、これから。

    ◆◇◆◇◆◇◆

「殺風景だな」
 車を降りての一言目に続くトウコが苦笑を漏らす。
「クロスロードが異常だと思いますけど?」
「それもそうか」
 たかが数ヶ月なのに感覚が狂ってるなとヤイナラハは一人ごちる。故郷の視点からすれば見た目はさておき規模はすでに町のそれと変わらない。
 無言で荷台から降りようとするルティにイヌガミが背を貸す。とんと背中を踏んで無事着地。
 三人が衛星都市に訪れたのは輸送部隊の護衛のためだ。と言っても道中大した戦闘もなくただ車に揺られただけという感じである。
「帰るのは明後日だよな?」
「ええ、同じ輸送班の護衛です。
 とは言え、余り見て楽しい物は無さそうですけどね」
 現状の衛星都市は先にも述べたとおり工事現場という感じだ。人々がせわしく動き回り重機や精霊術師が作業に励んでいる。またかなりの数のセンタ君が投入されているらしくせっせとそこらへんを走り回っていた。
「どうせですしまずはオアシスでも見に行きましょうか」
 トウコの言葉を拒否する理由も無いと軽く頷く。
「そういやぁオアシスって要するに湖なんだよな?」
 不意に発せられた言葉にトウコは一瞬判断に迷うとややあって
「ええ。ただ私の感性で言えばオアシスって砂漠の中にある物なのですけどね」
 と、応じた。そして発見した人の感性だろうかと小首を傾げる。
「砂漠ねぇ。砂だらけで踏み込めば帰ってこれないって話しか聞いたことねえな」
「確かにそうでしょうね。鉄板を持ち込めばその上で卵が焼けるって言われるくらい熱いですし、水場も殆どありませんから」
 砂漠の水場のように希少だからこの湖をそう呼んだのだろうか。そんな想像をしつつ大通りを行く。
 現代的な都市計画方法は最初から使われているようで、大雑把ではあるが大きな道はそれなりに均されている。石畳を敷いていないのは重機が踏み砕かないためだろう。そして通りの両脇には飲食店がすでに目立ち始めており商魂たくましい商人達が声を挙げている。
 そんな声を聞きながら歩く事十数分ばかり。わぁとトウコは目を細めつつも歓声を挙げる。
 壮観。視界いっぱいに広がる水と言えばサンロードリバーもそうではあるが、木々がそれを守るように生い茂り、その中に静謐な水を湛えるという光景は中々に神秘的である。
 ほぼ円形でその直径はおおよそ500m。接続している河川は無いため湧き水なのだろう。
「あの河を見慣れてるからだろうが……まぁでかいな」
 やや無感動なコメントをするヤイナラハ。確かにとんでもない水量を誇り川幅3kmという大河と比較すれば小さく思えるのは仕方ない。ただあっちは雄大だとか壮大だとかそんな雄々しいコメントが似合う。
 ちなみに周辺では水路の工事が進んでおり、街に水を配給できるような施設が作られつつあった。
「ああ、それ以上は立ち入り禁止だよ」
 もう少し近づこうかとすると、人間種の作業員らしい人が声をかけてくる。
「水質調査をして居るらしい。あと飛び込もうとするやつが居て危険だからな」
「確かに、そこらで工事をしているのに飛び込まれると困りますね」
「そういうことだ。水は配給所を作ってるからそこで貰うと良い」
「金を取るのか?」
 元日本人のトウコはその質問自体に疑問を持つが、地球世界だって国が変われば水だって金がかかる。当たり前の問いだ。
「いや無料だよ。まったく管理組合様様だね」
 人間種の男は苦笑を漏らしつつ自分の作業に戻っていく。
「泳げないのはちょっと残念かもしれませんね」
「……泳ぐ? 何で?」
 今は11の月。次第に寒さも厳しくなって来た頃合だ。確かに好き好んで湖に飛び込もうと思う季節ではない。
「今の話じゃないですよ。
 そうです。夏になったらサンロードリバーの遊泳所に行きましょう?」
「ヤだよ」
 即答。何でそんな事という感じだ。恐らく────
「ちなみに泳ぎの経験は?」
「ねえよ」
 予想通りの回答。険のある回答にももう慣れたと言葉を続ける。
「何事も経験です。涼しくて楽しいですよ?」
「別に暑くもなんともねーだろうに」
 確かに今はまだ泳ぐという話題をする季節ではない。むしろ我慢大会になってしまう。
「夏になったらの話ですよ」
「夏……ねぇ?」
 ヤイナラハがこの地に訪れたのは丁度昨年の夏頃だ。少しだけ嫌そうな顔をしているところを見るとその暑さには嫌な感覚だけ刻まれているらしい。
「ちなみにルティさんもですからね」
「……」
 相変わらずの我関せずで会話に加わらない魔女は少しだけトウコを見上げ、それからやはり何も言わずに視線を戻す。どういう意図かは知れないが拒否する言葉はとりあえず無かったと思っておくことにする。
「つーか、丸一年先の話を今するもんか……?」
「良いじゃないですか。楽しみくらい持っておくものですよ」
「死にフラグ」
「ルティさんはどこで覚えたか知りませんけど、余計な事言わないで下さい」
 ついっと僅かに視線を逸らして知らん振りの魔女にため息一つ。
 ただ『来年も一緒に居る』ことは否定されませんでしたねと微笑を漏らすのだった。

    ◆◇◆◇◆◇◆

「ユキヤ君?」
「うわぁ!?」
 目の前、おでこがくっつきそうな距離に顔を出され身を反らせたユキヤはそのまま椅子を巻き込んで盛大に倒れた。
「大丈夫です?」
「てて……え、ええ、まぁ。いきなり何なんです?」
「いきなりじゃありませんよ? もう何度も声かけてますもん」
 え? と顔を挙げると可愛らしくむくれ顔を作ったレイリーがこちらに手を差し出していた。
「す、すみません」
「最近ボーっとする事増えてませんか?」
 深刻そうでないのが救いかもしれない。ユキヤは取り繕うような曖昧な笑みを作り、「気疲れしてるのかもしれません」と答えた。
 実際その傾向はあると思う。二往復衛星都市との輸送に同行したとは言え、次からは自身の運転で向かう事になるのだから気が重い。
「……」
 いつも朗らかな笑みを浮かべている少女の表情が抜け落ちている。きょろきょろと落ち着きの無い動きをする瞳はまるで別人のように澄んだ色を湛えて縫いとめるようにユキヤを見ている。
「……レイリー……さん?」
「前にお話しましたか」
 ぽつり、桜色の唇が涼やかに言葉を紡ぐ。
「私、記憶喪失で彷徨っていた事がありまして」
 聞いた事は……ある気がする。あまりにも素っ気無く言われてどう対処したらいいかと困ったような……
「で、まぁ。今は思い出してるんですけどね。
 ユキヤ君。貴方は思い出しかけの私にとっても似ています」
「……」
 心臓が跳ね上がった。
 もちろん彼は記憶喪失ではない。が、
「教えてください。このクロスロードでは大抵何とかなりますから、対処法を見つけるのも簡単ですよ?」
 知らない記憶が気を抜けば脳裏を駆け巡る。確かにそれは記憶喪失の人が自分の過去を思い出すのに近いのかもしれない。他人事の記憶。
 馬鹿馬鹿しい話。こんな事を言えば頭がおかしいと言われる。それは地球世界の日本人たるユキヤにとって考えるまでも無く至る答えだ。ただの夢、妄想。そう片付けようとしていたのだが……
 ────ここはクロスロードという別世界の町だ。
 今まで幻想でしかなかったモンスターや魔法や、SFチックな機械が当たり前のようにある世界なのだ。自分の今の症状もそういう良く分からない物が原因かもしれない。
「……実は……、気を抜くと知らない人の記憶……でしょうか。そういうものが浮かぶんです」
 レイリーはすっと身を起こして、やおらぽんと手を打つ。
「ああ、なるほど」 
 何の事はない、と言いたげな軽い調子に拍子抜けしてしまうのは仕方ない事だろう。
「なるほど……って」
「いえ、だってユキヤ君が急に剣技を覚えた理由とか納得できましたもの。
 そっくりそのまま誰かの経験を盗んでいたんですね。ああ、誰か、と言うより」
 経験を盗む? 自分にそんな妙な能力なんて無い。と、すぐに原因が思い当たる。
「ヤイナさんの剣技ですよね、やっぱり?」
 「もしかしたら」が「まず間違いなく」に変貌する。
「ちょっと行って来ます!」
 ユキヤはニュートラルロードへと飛び出すのだった。

    ◆◇◆◇◆◇◆

「あー、うん。まぁそういう事もあるにゃよ」
 とらいあんぐる・かーぺんたーずのカウンターで彫金をしていたアルカさんは僕の話を聞くなり軽い調子でそんな事を言った。
「かなりの荒療治だったからねぇ。むしろその程度で済んで良かったと思うにゃよ?」
「その程度って……」
「頭蓋骨陥没骨折、大脳に砕けた骨が刺さりまくってたんだからユキヤちんの世界の科学技術レベルじゃ良くて全身麻痺にゃよ」
 そう言われるとゾッとする。
「流石にあちしも医学、それも脳医学なんてのは専門外だからねぇ。正常な脳と負傷した脳を比較して大きな誤差を修正していくって方法を取ったにゃよ。
 そしたら記憶野の差異が引っかかったんだろーね。場合によったらどっか付随になってもおかしくなかったんだけど」
「時間操作系治癒ならまだ良かったんだけどターミナルの制限に引っかかっちゃうし、別の世界に移送するのも時間的に賭けだし」
 眩暈がしてカウンターに手を付く。
「ええと……改めてありがとうございました」
 かろうじてそう口にするとアルカさんは漸く視線をこちらに向けて口元に笑みを作る。
「まぁ、キミの文句はどっちかと言うとやっちゃんに対する引け目からでしょ?」
 言われてどきりとする。僕は今、彼女の記憶を勝手に覗き見している状態なのだ。
「アルカさん、彼女の記憶を勝手に見ないようにできませんか?」
「でもやっちゃんの経験はキミがクロスロードで生きていく上では損ではないと思うけど?」
 見透かしたような言葉に僕は息を呑む。
「そ、それでも人の過去を覗き見するなんて……」
「なにか拙い物でも見た?」
 問われて思い返すが、特にそういうことは無い……と思う。ただ過去を見られて喜ぶ人なんて余程成功した人くらいだろう。そんな人でも洗いざらい全てを見せたいとは思わないだろうし。
「にひひ。ちっと意地悪だったかにゃ。
 おーけー、封印したげるにゃよ。やっちゃんが聞いたらもう一回頭をカチ割りそうだしね」
 その未来が明確に浮かんで脂汗が背に浮かんだ。
「そこの椅子に座って。デフラグかけるよーなもんだから暫く気絶るけど、時間大丈夫にゃよね?」
 一応午後の仕事は無かったしグランドーグさんにも今日は早退すると告げてきている。
 それに、一度意識してしまった以上時間を置けば致命的な光景を見てしまうかもしれない。そうしたら僕はそれを隠してヤイナラハさんと接する事なんてできはしないだろう。
「はい、お願いします」
 言われるままに椅子に腰掛けるとアルカさんは彫金道具から手を離さないまま、中空に赤に輝く魔法陣を描く。
「んじゃ行くにゃよ」
 それは不意にくしゃりと潰れ、見る間に
「は?」
 複雑な模様を抱いたハリセンの形に変わったと思うや、豪快に僕の頭を引っぱたいたのだった。



 数日振りに戻ってきたクロスロードの町並みは現実のように思えなかった。
 ルティは相変わらずさっさとどこかに消えたし、トウコは消耗品の補充や報酬の受取りを引き受けてやはりどこかに行ってしまった。特にやる事のない俺はメシでも食って帰ろうと大通りを歩いているのだが、魔法とそうでない力による光が商店を彩り、様々な色、形を持つ来訪者が寒さから身を守るように色々な服を纏って往来を歩いている。
 比較するのは自分の世界の光景。王都は別として村では僅かな暖を逃がさないように人々は家に閉じこもって春の訪れを待つ。雪の中を歩くのは充分な蓄えを確保できなかった猟師くらいなものだ。まるで世界が死んだかのように世界は静まり返るのが冬という季節だ。
 魔王が居た時代はさらに酷かった。冒険者が逗留しない小さな村が毎日どこかで蹂躙され、その担い手は時に同じ人間だった。
 ───魔王の居なくなった今でも光景だけは変わらないだろう。全ての音と色を消し去る冬。それは人々の表情も声も同じく消し去る静寂の季節のはずだ。
「贅沢な街だよな」
 魔法技術、科学技術、他の様々な技術。その全てを使って彩られる街は間違いなく冬を打倒していた。この時期は冬眠するはずの爬虫類系の亜人種でさえその姿を確認することができる。
 商店を横目で見れば結界術を応用した携帯用の暖房器具や、特別な素材で作られた防寒具がそれほど高くない値段で並んでいる。冬に戦をするのは愚か者のすることだとは傭兵の口から良く聞く言葉だが、これらがあればそれも簡単に覆るのかもしれない。
「戦争、な」
 そうやって得た技術は人々の笑顔を産めるはずなのに、真っ先に考え付くのが冬の強襲なんて笑えない。だが同時にそんなものだとも思った。
 ここに来て早半年。気が付けば順応しつつ自分の姿がある。
 別に順応する事は悪い事じゃない。だが、今まではより酷い状況に無理やり慣れるというのが自分の『順応』だった事を思えば、随分とぬるくなった物だと要らない自嘲を浮かべる。
 こんな世界で生まれていたら、自分はどうなっていただろうか。
「くだらない」
 あえて声に出して冷えた空気の中を進む。それでも振り払えずに脳裏に浮かんだのはあのダメ男の事だ。剣を握った事も───握る必要すらない世界で生まれた男。まるで貴族の坊ちゃんのように、まさしく住む世界が違う存在。
 くだらない。今度は声に出す事も無く、ただ白い息だけを吐き出す。
 自分を不幸だとは思わない。日々を戦いに置きながら五体満足に生きているという結果は幸運と言うべき結果だ。地を這うように生まれた獣が鳥の翼を羨む必要は無い。
「お嬢さん、寒そうじゃないか。うちのコートはかなりあったかいよ、皮鎧の上からも着れるからどうだい?」
 不意にかけられた声。視線を向ければ恰幅の良いオヤジが厚手のコートを手にこちらを見ている。
 古着ではない獣の皮をなめした上等の物だ。だがオヤジは「3万Cでどうだい?」と朗らかに笑う。高いとは言えない、当初に抱いた感想からすれば詐欺を疑った方が良い値段だ。でも、これがこの世界のスタンダートだと漸く頭を切り替えられるようになってきた。
 オヤジの後ろには同じものが十数着並んでいた。世界によっては大量生産を効率よく行う事もできるそうで、必然としてその単価はかなり下がる。一着一着縫製ギルドの人間が、数日掛けた上にギルドに払う上納金を科した値段で売られる服とは全然違う。
「別に良い。動きが制限される」
「そうかい? 街の中用でも良いと思うんだがな」
 用途に合わせて服を変える。そんな発想もここに来て初めてのものだ。理由は同じ。そんなに服を買う金も、そして買った服を持ち歩く手間も俺には無かった。
「考えておくよ」
 軽くいなして歩を進める。
 買わないと断言しない自分が居る。そして一々その変化を思う自分が居る。
 緩んだ自分を忌んでいるのか、それともただの困惑なのか。
「本当に下らない」
 答えはなんとなく見えていて。その実像を結ばないように思考を散らす。
 散らしても、それは思考の隅でもう形を作っている。
 自分にイラついているのだ。平和になった世界で剣を捨てられなかった自分はただの意固地でしかなかったという結論に。
 少しだけ許容して平和になった世界で生きても行けただろう自分から目を逸らし、この世界に飛び込む事を唯一無二の解決策だと無理やり信じ込んだ、信じ込もうとした自分に。
 そして、今の自分を決して悪いと思っていない自分に。
 それらを全て纏めてしまえば、結局自分は─────
 大きく息を吸い込む。冷えた空気が肺をチリチリと刺激し、眉根を寄せる。
 早く飯を食って帰って寝る。
 無理やりの思考停止。ああ本当に─────

 チと舌打ちして石畳を軽く蹴り、俺はより一層早足になって飯屋を探した。

    ◆◇◆◇◆◇◆

 クロスロードから南に約300km
 未だ未探索地域と呼ばれる場所において一つの異常が発生しつつあった。
 【怪物】────そう呼ばれる存在がそこに居ること事態は不思議ではない。何処から現れるとも知れない来訪者の天敵はこのターミナルの至る所を闊歩し、遭遇する者を打ち砕こうとするのだから。
 問題はその数───いや、量。
 MOBと呼ばれる集団なら何度も目にした探索者は少なくないだろう。しかし今回のこれはケタ外れにその規模が大きい。しかもそれは次から次へと集い、まるで津波のように一つの塊となってある一点を目指すように進んでいく。
 それは陸だけに留まらずいつしか空を舞う者までも従えただ真っ直ぐに、地を轟かせて進んでいく。

 のちに『再来』と呼ばれる第二次大襲撃。
 それはゆっくりと猛威の矛先を磨きつつあった。
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