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世界説明SS
かつての願いとかつての呪いと
(2010/09/13)

 まだ、死んでないのか。
 表層に浮かんできた意識は真っ先にそんな事を呟いた。
 右腕は熱く、自分の物でないような、手の形に痛みと不快だけを詰め込んで無理やり肩にくっつけたような不快感だけを残している。
 「ぜぇ」と情けない音が喉からこぼれた。汗が溢れるように出ているのに寒くて仕方ない。痛みと不快感意外の感覚が殆どなく、動かそうにも体の動かし方がどうにも思い出せない。
 もしかするとこれは夢の中かもしれない。自分が自由に動かせられない感覚は良く似ている気がした。
 顔面を風の流れが撫で続けている。
 体の芯を揺れが荒らし続けている。
 何もかもが遠い感覚の中で俺はすぐに沈みそうな感覚を繋ぎとめる。
「あ゛……」
 途端に肺が暴れた。喉を削るような咳に全身が引き裂かれるような痛みをぶん回す。「あ」とも「が」とも知れない呻きが自分ではない何処からか漏れて虚空に消えた。
「─────さんっ! ヤイナラハさんっ!」
 声。
 風が消えた。
「大丈夫ですか!?」
「んぁ……」
 死に掛け男が変な兜ごしにこちらを見ている。
 ……死に掛けは俺の方か。
 馬鹿馬鹿しくなって笑いたくなるが、顔は痛みに引きつったままだ。目もまともに開けてられない。
「大丈夫ですか!」
「……」
 喋らせんな馬鹿
  ────めんどくさい。さっさと殺せ。
 俺の体は死に掛けている。間違いない。体が冷えかけているのに俺をぐるぐる巻きにする毛布だかなんだかがそれを許してくれない。
  ────冷え切っちまえば、この苦しみから解放されるのにな。
 死は怖い物じゃない。戦えばどちらかに与えられる物だ。今までは俺の方に来なかった。今回は俺だった。それだけの話じゃねえか。
  ────だから、余計な事をすんな。
「余計な事じゃありません!」
 焦点が揺らぐ。
 俺、口に出してたか?
「トウコさんも、魔女の子も貴女を心配しているんです! 決して余計な事じゃないです!」
 何必死になってんだよ……
 鼻で笑いたい。でもそれをするだけの余裕が無い。ああ、苦しい。チクショウ
 けれど、あのおせっかいのトウコの事だ。死ぬと文句を言うんだろうな。……魔女の子ってルティの事か。アイツが心配してるとは思えねえけど。
「ルティさん、も僕に貴女の事をお願いされました。だからクロスロードまでは頑張ってください!」
 ……
  ……
 テメェ。
 俺の思考を読んでやがるのか?
「エル───このバイクが貴女の意識を読んで僕に伝えてくれているんです。
 ヤイナラハさん。もう半分まで来ています。もう少しだけ頑張ってください!」
 バイクが、だと?
 この乗り物になんでそんな妙な機能があるんだ。
 クソ、頭が回らねぇ。もう良いじゃねえか、俺は別に生きたいわけじゃねえ。こんな苦しい思いまでして─────
「でも─────!」
 ったく、なんでテメェが泣きそうな顔しやがる。
「貴女は生き続けるために、剣を取ったはずじゃないんですか!?」

 ───────
  ────────

 チクショウとそう呟きたかった唇が僅かに震える。
 意識が薄れ、現実とも夢ともつかない状態でそれが引っ張り出される。
 それは記憶の奥底に沈めた記憶。
 思い出す事すら拒絶して無くしてしまいたかった記憶。
 いや、現に今の今まで忘れていた記憶だ。

 背中に冷たい壁の感触。
 季節は冬、外は雪が降り積もり、寒さと静寂だけが世界を支配していた時。
 足先に真っ赤な液体が床を滑って流れてきた。素足がそれを熱いと───本来持ちえる熱以上の温度を感じる。
『───────────!!!!』
 狂った、言葉にもならない怒鳴り声。
 やせ細った体、その腕には生々しい赤を滴らせた刃がほんの僅かなともし火に照らされて輝いている。
 ──────────────
  ──────────────
 視線が揺れるように下に落ちる。
 赤の流れの先にこちらへ手を伸ばし、しかしもう動かない物体が転がっている。
 もう動かない。その全てを吐き出しながら息絶えてしまった物がある。
 
 ───明確な『死』の形。

 見開かれた目。瞳孔はゆっくりと開いていくのが何故か良く見える。
 死のカタチ。
 この女性は死んだ。そして人間から死体へと推移していく。
 赤い────女性から零れた血が足を塗らしていく。
 男が喚く声が遠い。言葉を理解できない。怒り、困惑、悔恨と、そして言い訳。
 閉じ込めていた記憶は鍵が開いた瞬間に留まる事を知らずにあふれ出す。
 女は母親で、
  男は父親のはずだ。
 季節は冬で
  田畑は魔物に荒らされ
 人々は飢餓に苦しんだ。
  だから、村は子供を殺す事を決めた。
 俺の───わたしの母はそれを最期まで拒んだ。
 わたしを殺すならば、自分が死ぬと、父にそう言った。
 父は優しい人だった。そして母を愛していた。平和な時代ならばいつまでも幸せに正しく生きていける人だった。
 だから、村で決まった決断に、真っ先に心を砕かれ狂った。
 村の決定はその村だけの狂気でない。免罪符のような言葉に縋り、母を愛するという神に誓った言葉を遵守することに心を固執させ、耳を塞いだ。
 まるで娘を───わたしをバケモノのように見つめ、巻き割りの鉈を手に、必要な事だと呪詛のように繰り返し、目をぎらつかせた。
 自らが断末魔を上げるような雄叫びがいつまでも耳に残り、そして、容赦の無い一振りは、わたしにいつまでたっても届かなかった。
 影が掛かっていた。
 ぎらついた父の目は遮られていた。止めに入った母の肩口を抉り、心臓まで達して停まっていた。
 母を愛し、母を守る事を己の正しき事だと定め心を守ろうとした男は、一番の禁忌をあっさりと自らの手で犯した。
 心は信じない事を選んだ。母は死んだ。わたしの手で死んだのだと。叫び、笑った。悪魔の子だと、罵り、己の手にある刃すらも見えないかのように、仇だと蔑んだ。
 わたしを守ろうとした母の目は私を見ている。
 死体は何も言わない。何も語らない。でも私を見ていた。段々と濁っていく目玉はただ私だけを見ている。
 わたしを守ろうとした、わたしの母は、わたしのために、死んだ。
 わたしは─────母のために死んではならない。わたしが死んだら、母は何のために死んだのか。
 ─────死ね、悪魔の子!
 絶叫に体が動いた。本能だけの回避行動。振り下ろされた鉈は床を割るように貫き、狂人と化した父は己の為せなかった事に更に憤慨する。
 割れ爆ぜた木片が手に当たる。鋭利で、ナイフのようなそれを咄嗟に握り締める。
 変に引っかかった鉈を抜こうと躍起になっている男がこちらを血走った目でぎょろりと見た。
 恐怖。
 体の内から迸るそれが脳みそを沸騰させる。死にたくないという思いが、死んではならないという願いが無我に体を動かしていた。
 衝撃。
 驚いたような父の表情が目の前にあった。
 僅かに胸元を見て、それから先ほどまでの狂った瞳を幻のように失せた彼はこう、言ったのだ。
「良かった」
 と。
 手には熱。けれども体は自分が死んでしまったかのように冷め切っていた。
 焼けるような熱。
 父は安堵するように、そして私を哀れむように倒れ、そのまま事切れた。
 胸には木片。鋭いそれは反動でわたしの手を引き裂いている。痛い。それ以上に熱い。
 二つの死が目の前にある。そして震えの停まらぬ、体の芯まで凍りつきそうなのに、手と足の熱が消えない私が居る。
 どくり、どくりと心臓が生きている事を証明するように脈打つ。
 目の前の二人にはもう無い脈動がその差を声高に主張していた。
 わたしはわたしの行為が理解できずに───理解したくないままに、視線を彷徨わせる。
 夢───間違う事なき現実が目の前にある。
 父だった物の手に鉈があった。ぬらりと母だった物の血を鈍く鮮明に輝かせるそれがわたしを誘っていた。
 死にたい────わたしが死ねば、母は父と幸せに暮らしていけたはずなのに。
 その鉈が母ではなくわたしを貫いていれば。
 だから正しい帰結のために、私はその鉈で死ななければならない。そしたら二人は幸せに暮らせるはずだ。
 幽鬼のように鉈へ手を伸ばそうとして、何かを踏んで転ぶ。手も足もガタガタ震えてまともに動いてくれない。衝撃に閉ざされ、開いた視界に母だったものの顔があった。
 わたしを見ていた。
 わたしを守った人がわたしを見ている。
 鉈には手が届く。その刃を喉元に突きこめば、わたしも同じになれる。頭も体も壊れそうなすべての感情から開放される。幸せに暮らせる。
 でも、その目は呪縛する。
 わたしの死を拒絶した人の目がわたしの行為を認めてはくれない。
 わたしは生かされた。
 父は最期に良かったと、あの優しい目で言った。
 わたしに死を迫り、でも本当に殺さなくて良かったと。
「ああ」
 声が漏れた。
「あああああああああああああああああああああ!!!」
 そこからは、良く覚えていなかった。

 記憶が飛ぶ。
 目の前には無残に死んだ何者かが居た。
 体の真ん中からくの字に折れ、体を守るはずの鎧がひしゃげていた。
 多分ハンターで、しかし魔物にやられたのだろう。
 わたしはその傍らに居た。
 この男を殺した魔物はすでにその場に無く、男の死体だけが雪に浅く埋まっていた。
 わたしは男の荷物を漁っていた。荷物の中の干し肉を齧り、水を飲む。
 男の荷物の中にナイフもあったが
 ────死ねない。
 心を縛る呪いがわたしに死を選ばせてくれない。だから男の荷物を剥ぎ取り、彷徨った。
 たどり着いたのは狩猟用の小屋だった。村の猟師は秋口に魔物に殺されたため、使う者の居ない場所だった。わたしはそこで静かに春を待ち続けた。

 雪解けの季節になった。
 狩猟小屋に隠されていた保存食と、男の死体から奪った食料で食いつないだわたしはいつの間にか生きる事だけを呪詛のように考え続けていた。死ねない。ならば生きるしかなかった。
 自分の手を見る。小さくて簡単に折れてしまいそうな腕は生きるためには余りにも頼りない。
 死ねないから生きる。生きるために死を忌避する。どうすれば生きられる?
 食べる事。それを得る手段が必要だった。
 男の持ち物の中には貨幣があったけど、それがどれほどの価値かは分からない。子供はお金に触らせてもらえず、行商人の相手は村長と村の偉そうな大人の特権だった。
 街に行けば買い物ができるのか? でも盗んだ金で、子供がお金を持っていることを不審がられないか?
 わたしは街の存在は知っているけど街に行ったことはなかった。子供の中で一番の年上のおねーさんが去年の夏に特別に連れて行ってもらったことを自慢していた。荷馬車で半日くらいかかると言っていた。
 雪が溶ければここに誰かが来るかもしれない。そうしたらわたしは殺されるかもしれなかった。
 死ねない。
 だから男の服を外套のようにしてわたしは持てるだけの物を持ってそこから立ち去った。

 二日歩いた。
 足はぼろぼろで、夜は獣に怯えて寝ているのか起きているのか分からない状態だった。逃げるために無理に歩いて、寝るに寝れない夜に怯えた。
「生きてるか?」
 声で気付く。わたしは倒れていた。そしてハンターの女がわたしを見下ろしていた。
「死ぬ前に聞きたいんだけどさ」
 死ぬという言葉に体が震える。
 朦朧とした意識の中でただ死にたくないと願った。
「あんたの着てるヤツ、どこで手に入れたんだ?」
「─────」
「あ?」
 女がわたしに顔を近づける。
「────ない」
「もうちょっとはっきり言えねえか?」
「し……ねない」
 女はきょとんとした顔をこちらに向けて。困ったように、でも楽しそうな笑みを浮かべた。

 ぱちぱちと木の爆ぜる音。瞼の向こうがオレンジ色に染まっていた。
「あ……」
「お? 起きたか?」
 女が火の向こう側に居た。枝で焚き火を弄り、こちらに視線を向けている。
 それから鍋から何かをそそぎ、わたしの横に座る。
「ほれ」
 差し出されたそれに嗅覚が先に反応する。でも手は上手く動いてくれない。
「仕方ねえなぁ」
 口元に近づけられたそれをわたしはゆっくりと喉に流し込む。塩っ辛いだけの水という感じだったと思う。でも冷え切った体に火が灯るような感じがあった。
「どうだ?」
「……」
 何と応えればいいのか。困惑するわたしに「礼くらい言えよ」と女は不満げに口を尖らせる。
「ありが……とう」
「おう、素直じゃねえか」
 がしと乱暴に頭を撫でられる。女の人にしては大きな手が─に似ていて。
 わたしは引きつるような胸の痛みを堪えきれず、ぼろぼろと涙を流した。

 夜は終わり、朝日が木々の間から差し込んでいた。
 右肩に暖かさがあり。髪が頬をくすぐった。
 寝息。
 右隣にはあの女が居て、わたしごと毛布に包まれていた。
 ゆっくりと意識を取り戻す。目がはれぼったくて、毛布から出てる膝や足先がとても冷たくて。毛布に包まれた体と触れ合う部分がとても暖かい。
「ん、お。起きたか?」
 わたしの動きに気付いたのか、女がそんな事を言って大きなあくびをした。
「まぁ、メシ食うか」
 わたしは応えるべき言葉もわからず、ただ引きつるような空腹感が反射的に頷かせた。
 昨日の塩辛いスープと固いパン。女はパンをスープにつけて齧っていた。それに習って食べると歯が立たないほどのパンもぐずぐずに溶けて食べる事ができた。
「ふう。んで、いい加減聞きたいんだがさ」
 あっという間に食べ終えた女はわたしを見据えた。
 狼みたいな人だと思った。生きていたときの猟師が言ってた言葉を思い出す。狼は獰猛で恐ろしい狩人だが、仲間を大切にする優しい動物だと。そのイメージがぴたり当てはまる人だと思う。
「その服、つーか外套みたいにしてるのは何処で拾った?」
 死んだ男から奪った物。それを正直に答えていいか数瞬悩み、まっすぐに見つめてくるその目の圧力に負けて、わたしは正直に話していた。
「そっか。まぁ、帰ってこねーから、そんなことだろうとは思ってたけどな」
 女はわたしを怒るわけでもなく、仕方ないと苦笑いを漏らすだけだった。
「まぁ、そのおかげでお前が生きられたんなら、あいつも最後にいい事をしたって事で良いんじゃねえか?」
 死を良い物と言う、それにずぐりと心臓がすくみ上がる。
『良かった』
 忘れていた。忘れようとしていた光景が目前に浮かぶ。
 手足が火にでも触れたかのように熱を帯び、呼吸ができなくなる。
 視界が揺らぐ。あの光景が混じ合う。
 熱、痛み、汗が吹き出る。内臓が暴れ回り、呪詛が世界中に響き渡る。
『良かった』
 『良かった』
  『良かった』
 優しい、父の目で、死に瀕した男が、わたしを殺そうとした男が
 母を殺した、身代わりになった、わたしの代わりに
「落ち着け」
 ぐいと首に腕を回されて引き寄せられる。
「こんな時代だ。何があったっておかしくはねえけどな。
 今、お前は生きてるんだ。だから過去を見るな。先を見ろ。
 だってお前は─────」
 女は鋭く、けれども優しい目でわたしにこういった。
「俺に、死ねないって言ったんだからな。だから生きろ」

 記憶が飛ぶ。
 わたしは、いつしか俺になり、あの人の真似をして、そして生きた。
 数年が過ぎ、俺は故郷から遠く離れた空の下にいた。
「しくじったなぁ」
 女は空を見上げて困ったように笑った。
 周囲は阿鼻叫喚の地獄と化していた。砕かれた家、転がる死体。崩れた壁の裏で魔物の大侵攻に逃げもせず戦った女は深手を追っていた。
 俺も女に手ほどきを受けて戦い方を多少は覚えていたけど、女には遠く及ばない。
「……死ぬのか?」
 いくつもの死を見てきた。だからそれは予想でなく、どうしようもない事実だと理解している。
 なのに俺はそう聞いていた。
「死にたくねーなぁ」
 茶化すように呟いて、しかし言葉尻はにごりを帯びる。
「お前に教えたい事、結構あるんだけどなぁ」
「……」
 忌まわしい赤が女の腹部を綺麗に染め上げていた。
「まぁ、仕方ない。お前は生きろ」
「仕方ない……?」
 どうしてそんな顔ができるんだ?
「生き残る事が出来たら勝ちだって、言ってたじゃないか」
「だから俺はここで負けだな。だからお前は勝て」
「意味が分からない!」
「分からなくて良いさ。できりゃ一生分からないままいてくれ」
 女はそこまで言って大きく息を吐き、それから手を伸ばして俺の頭を掴むように撫でた。
「お前は死にたくないって俺に言った。だったら生きれるさ。俺よりも立派に」
 死ぬなんて信じられないほどしっかりと俺の頭をかき混ぜ、そしてそれは不意に力を失った。
 俺はどうしようもない喪失感が錘のように背中に圧し掛かるのを感じながら、腰の剣を触れる。
 女が自分の剣に似ていると面白がって買い与えた剣。女の物はすぐそこに突き刺さっていた。
 阿鼻叫喚の地獄は続いていて、女は死んだ。
 俺に生きろと言って、
『─────』
 どいつもこいつも勝手な事を言う。
 俺は女の剣を手に取る。足音がこちらに向かってきていた。
 泣くわけにはいかない。視界が歪めば生き残れない。
 俺は、また一つ心臓に呪いの言葉を絡めて立ち上がった。


 カハと息を吐く。
 手前がなんでそれを知ってやがる。
 夢だったのか。俺の体は風と振動の中に居た。
 俺が起きた事を知ったのだろう。ユキヤが僅かにこちらに視線を向けた。
 速度が生む暴風の中で、こいつが何を言っても俺には届かないはずだ。
 だが、声が届いた。

 ごめんなさい。事情は全て、貴女が無事だったら説明します。
 
 ケと。悪態をつく。
 体を蝕む熱は大きくなるばかりだ。苦しいのはもうたくさんだ。
 だが、心臓に食い込む呪いが命を投げ捨てる事を許してくれない。
 俺は剣を捨てられなかった。
 双剣────元々はひとつずつの剣は女が俺にかけた永遠に解けない呪いだから。
 ただ生き残る事。死にたくないという願い。
 母の意志と
 父の安堵と
 女の笑みと

 剣を捨てられない理由を抱き、平和な時代を呪い。
 俺はこの世界に居る。
 それはいつか同じように誰かに呪いを掛けて死ぬためなのだろうか。

 それは、違うと思います。

 燻るような怒りが静かになろうとした心を炙る。
 じゃあ、何だって言うんだ。

 みんな、貴女に生きて欲しいんです。
 トウコさんも、魔女さんも、そして僕もです。

 本当に、心の底から思う。
 どいつもこいつも勝手だと。 


 忘れようとした記憶。
 忘れていたと思っていた記憶。

 死を前にして、忘れても失えなかった記憶の中の連中は安堵を覚えていた。
 それは死が救いであると俺に囁き続けていた。
 俺は殺す存在で、相手も俺を殺す存在だ。
 だからどちらかが生き、───苦しみを背負い。
 どちらかが死に、───安らぎを得る。

 記憶の不成立が矛盾を飲み込んで、俺という存在がある。
 死ぬな、か。
 死を前にして、どいつもこいつも、勝手にそう言う。

 畜生。

 じゃあ、こんな苦しい思いまでして生き続けなきゃならねぇ理由まで教えてくれよ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

『どういうことだい?』
 エルの問いかけに僕は暫く沈黙し、それから覚悟を決める。
「アルカさんは、ヤイナラハさんの頭────脳の形を参考に僕の治療をしたらしいんだ。
 ……それで僕は彼女の記憶の一部を共有したみたいなんだ」
『……だからユキヤに感応しているあたしはこの子にも感応できたわけね』
 多分そういうことだろう。魔法的なことは良く分からないけどその答えが一番しっくりくる。
 アルカさんにヤイナラハさんの記憶が流れ込まないようにしてもらったけど、エルを介したために彼女の夢が僕に流れ込んでしまったんだろう。
「僕を助けてくれた理由でもあるんだよね。多分」
 彼女の性格なら僕を見捨ててもおかしくは無かった。でも、彼女は僕を見捨てられない理由があった。
 彼女はきっと『女』と表した彼女の師匠みたいな人の気質を受け継いでいるんだろうと思う。
『教えるの?』
「教えるって?」
『ユキヤがこの子の記憶を覗き見たこと。この子は絶対に許さないと思うわよ?』
 多分そうだろう。でも、
「約束したし、ね?」
 故意ではないとは言え、間違いなく彼女にとって知られたくない部分だ。それを知ってしまった僕はそれなりの事をしなきゃだめだと思う。元より彼女に二度も救われた命だ。
『随分と大人に、男になったじゃない』
 そうだろうか。いざ喋ろうとすると怖くて逃げ出したくなるのは情けない事に容易に想像できるんだけど。
『無茶しろ、危険な事をしろなんて押しつけを受けなくてもいいんだけどね。
 そうやって一歩だけでも前に進めるんならそれは成長と思うわよ?』
「……勝手にアクセルを吹かそうとしてる人が何を言ってるのかな」
 冷ややかな突っ込みは無視したらしい。
 今のうちに文句を言おうかと考えた瞬間、急にドライブの回転数が上がる。
「ちょっ、エル!?」
 反撃にしては露骨だ。僕だけならまだしもヤイナラハさんが居るのに────!
『右正面っ!』
 警告の声に視線を向ければ右斜め45度くらいの先に何かが動いているのが見えた。100mくらい先にたぶん人間の子供くらいの人影が……10以上居る。
『ゴブリンみたいね』
 その名前はいくらなんでも知っている。RPGでおなじみの雑魚モンスターだ。
 とはいえ、僕は勇者でもなんでもない。一般人からすれば雑魚も脅威でしかない。それが────
『気付かれたわ。迂回するわよ!』
「っ!?」
 左へハンドルを切ると同時にクロスロード方面へ走っていた一団がこちらへと向きを変えてくる。
『しっかりつかまって!』
「え?」
 直後、正面を赤いものが走り抜ける。火?!
『ゴブリンのメイジ種だわ! 面倒な!』
 つ、つまり魔法を使うゴブリン!?
 思わず見てしまったその方向から大量の赤が飛び込んでくる!
「うわぁあああああああ!?」
『落ち着きなさい!』
 落ち着いていられるもんか! それは次々と飛来して、僕の後ろを走り抜けていく。
『とにかく斜角を取るわよ。直線に入ったら直撃するわ!』
 狙った位置よりも僕たちが前に出てるから僕の後ろを火の矢が走り抜けているってことはわかる。ゴブリンの頭が良ければすぐに修正してくるかもしれないけど、今はまだ何とかなってる。
「エル! 急いで!!」
『急ぐから捕まって喋らないのっ!』
 がつんと車体が跳ねるように跳ぶ。僕はヒィと情けない声を漏らしながら必死でハンドルにしがみついた。ガチガチと歯がぶつかってぐっと奥歯に力を込めた。
『走ってれば当たらないわよ!』
 本当に!? とその瞬間、メットの後ろがジッっと音を立て、首が衝撃で傾ぐ。
 !?!?!?
『セーフよ、セーフ』
「───────!?」
 自分で何言ってるのかわからない。頭が真っ白になり、もう自分が現実に居るのか夢の中に居るのかすら分からなくなった。
 どれだけ時間が経っただろうやがて着弾の音がなくなり、僕は恐る恐る顔を上げた。
『オッケー、撒いたわ』
「……オッケーじゃないよ……」
 胃が痛い。なんとか五体満足で潜り抜けたようだけど……。ヤイナラハさんの方も特に問題はなさそうだ。ただ顔色は相変わらず悪いし、息も荒い。
『あたしの速度があれば怪物なんてなんとでもなるのよ。信じなさい!』
 確かに。チーターなんかだと時速百キロを超えるらしいけど持久力が無い。草むらの傍ならともかく果てしなく荒野で隠れる場所のないこの世界ならバイクで振りきれない事は滅多にないんだろう。
 ないんだろうけど
「心臓が止まるかと思った……」
『情けないわねぇ』
 苦笑いの声音に「情けなくて良いよ」とホントに情けない声を出す。
『まぁ、ただのゴブリンならもっと楽だったんだけどね。……』
 軽口の後の不意の沈黙にゾワリと心が騒いだ。
「エル?」
『飛ばすわ』
 淡々とした口調。それは暗に「振り向くな」と言っているようで─────
『おかしいわね。こんなことないはずなのに……』
 聞いた事もないような焦りの声に被るように、からすの鳴き声を濁らしたような声が大音量で響き渡った。
「エル……!?」
『大丈夫。信じなさい!』
 かすかに聞こえる羽ばたきの音。空から何かが迫ってくるのがわかった。わかりたくないけど分かってしまった。
 っ!!!!!
 バックミラーに一瞬映ったその姿は牛のような巨体にそれを支える巨大な翼を持った生物だ。
 確か─────────
「グリフォン!?」
『正解っ、逃げるわよ!』
 もう一度、咆哮が耳をつんざき、心臓を竦みあがらせる。羽ばたきの音はちっとも離れず、僕達の後ろをぴたりとついてきていた。背中を掻き毟るような感覚はグリフォンの視線だと感じた。
『マンティコアじゃないだけラッキーだと思ってなさい!』
「違いが分からないよ!」
 聞いた事ないような唸りを上げ、エルは更なる加速を開始した。
piyopiyo.php
ADMIN