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世界説明SS
災厄の前夜にて
(2010/09/25)
「大襲撃……!」
 言葉の意味は知っている。ターミナルに訪れた者で知らない者はまず居ない単語で、しかしその途方も無い数に対して実感を伴うのは難しい。
 観測されたその総数は10万以上。今も増え続けていると言う。
 トウコは管理組合からの発表に呆然とし、続いてヤイナラハを先に送り出せて良かったと安堵する。
「ここから撤退するならエンジェルウィングスが支援するそうですよ。どうします?」
「……」
 数万の敵とやりあうなんて正気の沙汰ではない。しかし怪物の中には移動速度に優れている者も多く、背後を襲われる可能性も非常に高い。幸いにもこの街の防壁はその形だけは完成させているし、防御用兵器の姿も見受けられる。
 目を閉じて深呼吸。それから傍らで本を読む魔女に視線を転じた。
「ルティさんの意見は?」
「任せる」
 予想を裏切らない率直な言葉に苦笑。
「私は残る積もりです。クロスロードまで戻るにもリスクが大きいでしょうから」
 ルティは顔を上げ、頷いてから再び本に視線を落とす。
「街は比較的そんな雰囲気だよ」
 レイリーは窓辺に座って路地を見下ろす。人々の動きは慌しいが逃げる準備でなく徹底抗戦のための準備だ。
「貴女はどうするんです?」
「待つよ?」
 何をと言わんばかりの回答にトウコは少しばかり表情を翳らせる。
「……でも、ユキヤさんは……」
 彼女は地球世界に措いて『力を持った』稀な存在という立場だった。だから一般人がどのような物かも客観的ではあるが理解している。
 ユキヤは良くも悪くも一般人だ。そんな彼が死地となりつつある場所に来る理由も、そして意味もない。
 レイリーだってエンジェルウィングスの一員なのだから優先的にクロスロードに戻る事も可能だろう。
「私のピンチに駆けつけてくれるとかドラマチックじゃないかなぁ?」
 脳に何か湧いたようなことをずけずけと言いながらも
 ────目は笑ってませんね。
 トウコはそれだけを確認して瞑目する。
 レイリーという女性は頭のネジを落としたような言動を好むが、その行動の軸は定まっている。最終的にユキヤさんを送り出したのも彼女だ。
「今、うちには前衛が欠員しています。共闘しませんか?」
 トウコの言葉にレイリーはちょこんと小首を傾げる。それからややあって「おっけー」と軽く応じるのだった。

  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ひぃっ!?」
 とんでもない圧力が背中に迫り、左肩を何かが掠めた。
『しつこいわねっ!』
 かれこれ二十分はチェイスを続けているがグリフォンはいっこうに追撃を止めようとせず、ユキヤに手を伸ばし続けていた。
「ど、どうにかならないの?!」
『ならないわね。武装を積んでないもの』
「じゃあ!?」
『逃げるしかないの! 多分そろそろ────』
 威圧感が薄れる。思わず振り返るとグリフォンの姿が背後に無い。
「助かった?」
『上よ!』
 見上げようとして風圧に胸を打たれた。慌てて体勢を戻す。
『避けるわよ!』
 刹那───急減速からのターンに僕はより一層腕に力を込める。盛大に土ぼこりをあげて車体が回転するように滑っていく。体とサイドカーとの連結部がギシギシと悲鳴を上げた。
 砂煙だらけの視界の右を巨体がすり抜け、大地を抉る鈍い音が響く。メット越しにも獣の臭いが鼻を突く。
 速度はほぼゼロにまで落ちている。翼を有しながら四足を持つ怪物は外したことに戸惑いもせず、飛び掛るための動きに移行していた。
 ドライブが唸りをあげるが、タイヤが荒野の土を噛めない。長すぎる数秒のうちに少しずつ車体が加速を得ていくが─────
『───────!!』
 どんな音で表現していいのか分からない、鼓膜を震わせる音。ぐおと太い腕が振り上げられて土煙を上に裂く。直後にゴリと洒落にならない音が車体を揺らした。
 間一髪、爪が後部のBOXを削り、

『ぎゅぐぐぐるる!?』

 中からあふれ出した液体がグリフォンの目に直撃した。
『ラッキー!』
 エルが喝采を上げて同時に速度をかっ喰らう。水の入れ物まで削ったんだと悟る頃にはグリフォンは立ち直り、ばさりとその巨体を持ち上げるために巨大な翼で空気を打った。
『ユキヤ、確認して! ここの位置は!?』
「確認!? えっと……」
『南砦より南西2kmです』
 PBからの回答に視線を転じれば正面にぽつりと建物の影が見えた。
『信号弾揚げるわよ!』
 ぱすという音と共に空に白の煙が花開く。あの砦からでも見えるはずだ。

『ぐぎゅぅううううううううあああああああ!!!』

 怒り狂った声が淡い期待を恐怖に染め上げる。
 助走をつけて飛び立ち、一直線に迫ってくるのをミラーで確認し、とにかく前へと願う。
 そんな僕の上を影が走った。
 続くのは爆発の三連打。
『ついてるわね。近くに居たみたいだわ』
 風を切る音と共に空を舞う巨体が僕らの上に影を落とす。
「大丈夫ですかー!」
 飛竜だ。そこから身を乗り出して声を掛けてくれる女の子に僕は心からの安堵を込めて手を振る。
『クロスロードの防衛圏内に入ったわ。一気に行くわよ!』
「うん!」
 どっと疲れが出て、それ以上に今更ながらに恐怖が滲み湧き、体がどうしようもなく震えるけど、ぐっと力を入れなおす。
 あと少し。
 視界を大きく埋め始めた南砦の姿を見て、僕はぐっと手足に力を込めた。
 
  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「大襲撃、ですか?」
 声が聞こえた。
 ぼんやりとした視界はどこまでも広がる空ではなく、どこかの天井を見ているのだと悟るまで数秒。
「うん。今増援部隊が絶賛募集中にゃよ」
 甲高い声に妙な語尾。意識が覚醒して俺は上体を起こす。
「うや? やっちゃんおはー」
 気楽に笑う猫耳女。つまりここは
「体の調子はどう? 多分解毒はほぼ完璧だけど」
「……生きてるのか」
 俺の呟きに猫娘は少しだけ言葉を詰まらせ、それから苦笑じみた笑みを浮かべて
「ばっちり。けっこーヤバかったけどね」
 と肩を竦めた。
 二本あるしっぽがゆらゆらと踊る。猫女の前に座るのは……
「良かったです」
 心の底から安堵の笑みを浮かべる死に掛け男の姿。
 俺は目を閉じて胸の中にある忌々しさを全部吐き出すように深く息を吐いた。それからぼすんとベッドに横たわる。
「余計な事しやがって! とか言いそうな雰囲気なのに素直ぢゃん?」
「うっせぇ」
 悪態を吐く外無い。情けなすぎるだろ、流石に。
「お茶が……あ、ヤイナラハさん。目が覚めたのですね」
 翼の女が盆を手にやってくる。それをテーブルに置いてから俺の傍らに立つと「失礼しますね」と手をとった。
「感覚はありますか?」
 ぐにぐにと握る手は折れそうなほどに細くて白い。俺のと違うと場違いな事を考えていると不安そうに俺を見つめてくる。
「感覚はある。大丈夫だ」
「そうですか」
 ユキヤのヤツと同じように他人事なのに安堵の笑みを浮かべる。俺は思わずそっぽを向いた。
「今パン粥を作りますね。かなり体力を消耗しているはずですから、少しでも良いので食べてください」
 言いながら俺の了承も聞かずに彼女は去っていってしまった。
「じゃあ、あちしもエルの補修とメンテしておくにゃ」
 湯気の立つ茶を一気に飲み干して猫女も部屋から出て行く。
「……」
 それを押し留めようと手を出しかけたユキヤはそれを自らに留め、そして俺の方を見る。
「無事でよかったです」
「さっき聞いた。それより……」
 俺の目線に怯えたように口を噤み、それから意を決して口を開こうとするのを
「大襲撃ってどういうことだ?」
 俺はそれを問う。予想していなかったからか、口をぱくぱくとさせたユキヤは一旦口を閉じ、それから少し沈黙する。
「……衛星都市に10万を越える怪物が接近しているそうです。管理組合は第二次大襲撃だと発表しました」
 意識は殆ど無かったが、大立ち回りをしているだろう気配は分かっていた。
「クロスロードから有志が順次出発し、衛星都市での抵抗を行うそうです」
「……」
 俺を傷つけた怪物といい、「前触れ」だったわけか。
「逃げてこないのか。衛星都市の連中は」
 呟き、PBに時間を問う。19時────。
「そのようです」
 ルティは何考えてるかわかんねえからトウコ次第だが……アイツ無駄に暑苦しいところがあるからな。
「援軍はいつ出発するんだ?」
「……だ、ダメですよ! ヤイナラハさんは寝てないと!」
 うっせと悪態を吐く。
「気分悪いだろうが、あいつらを放置なんてよ」
「そうかも知れませんけど……死に掛けてたんですよ!?」
「それはお前の専売特許だろうが。感覚も戻ってきてるから向こうに到着するころにゃ戦える」
「正しいですけど、ダメです」
 凛とした声が割り込んでくる。
 エプロンをつけた翼の女が手に盆を持って現れていた。
「熱で全身がまだだるいはずです。
 衛星都市の防衛戦は持久戦になりますから、貴女こそ足手まといです」
 大人しい顔して言いやがる。
 盆の上には予め作っておいたんだろう粥が乗っていた。それを俺に差し出して女は続ける。
「先ほど援軍出立を停止するように管理組合から通達がありました。
 以降の出発では怪物の本隊が衛星都市に直撃するまでに間に合いませんから」
 日はどんどんと沈んでいく。
「戦闘が始まるのは?」
 俺の問いに翼の女は「明日の朝6時ごろの見込みだそうです」と応じた。
「朝4時くらいには数千からなる怪物が衛星都市に接触見込みです。すでに先制攻撃が始まっているはずですが……」
 輸送部隊の足だとだいたい6時間。ぎりぎりまで門を開くなんてことができないのは当然だからタイムアウトと言われても仕方ない。
「ユキヤさんもどうぞ」
「……あ、はい」
 一つの皿を俺に渡し、もう一つをユキヤに渡す。
「大丈夫、なんですよね」
 受け取りながらユキヤが呟いた言葉に翼の女は何も応えなかった。

  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 僕は報告のためにとらいあんぐる・かーぺんたーずを後にし、事務所へと来ていた。
 事務所にはまだ明かりが灯っており、覗くと一人深刻そうに書類を眺める所長の姿があった。
「ユキヤ君!」
 僕の姿を見止めたグランドーグさんは椅子を弾くように立ち上がると体当たりされるような勢いで駆け寄ってくる。
「無事で何よりです! ……レイリー君は?」
 当然の問いに僕はしばし沈黙し、それから事の経緯を説明する。
 すべてを聞き終わった彼は「そうですか」と呟き、時計を見上げた。
「間もなく非戦力の方を乗せた輸送隊が到着するそうです。ですが、レイリー君は乗っていないでしょうね」
 なんとなくそれは正しい予想だと思う。あの人はかつて故郷で彷徨うように歩き、戦い続けていたと話した。そこに彼女自身の理由は無く、だから今回も戦う事を選びそうだと思った。
「彼女は君の思うよりずっと強いです。クロスロードからも大勢の援軍が出発したと聞いていますし、きっと無事に戻ってくるでしょう。
 君は立派に、それ以上の事を成し遂げました。だから今日は家に戻ってゆっくり休んでください」
「……グランドーグさんは?」
「救援物資の配達プランの検討を本部で行っています。その連絡待ちですよ」
 さっきの話からすればもうタイムアウトのはずだ。それを読み取ってか彼は苦笑じみた声で続きを話す。
「色々と奇策を練っているらしいです。砲弾で物資を叩き込むとかね」
 流石にそれは呆れるしかないが、空を使えないターミナルでは苦肉の策なんだろう。
「一番現実的なのは大きく迂回して大襲撃の流れを回避し、横合いから短距離で空輸すると言う方法です。
 視界内であれば謎の失踪をした事は無いはずですから」
 とは言え、十万を超える怪物の群れが何処まで広がって居るのか分かった物ではないし、空を飛ぶ怪物の妨害もあるだろう。
「とにかく、バイクの輸送量で出来る仕事は終わりです。君はゆっくり休んでください」
 喉元に出かかった言葉が詰まって息苦しい。
 レイリーさんやトウコさんが心配だ。それは紛れもない本音だけど、僕が行って何も出来ないのも事実だ。怪物はどんどん押し寄せてくる。今から衛星都市に向かえば物凄い数の怪物と遭遇する事は目に見えている。
 ───例え戦える力があっても、死ぬかもしれない場所に飛び込む理由は無い。
 余りにも当たり前の論が僕の弱気を後押しする。でも、同時に回答を得れない疑問が浮き上がっていた。
 どうしてトウコさんもレイリーさんも戦うのか。
 逃げるチャンスは充分にあったはずだ。それに急ごしらえの衛星都市よりも、このクロスロードで戦った方がよっぽど戦いやすいのも事実のはず。
「思いは人それぞれだと思う。
 危険に飛び込むのが好きな人、誰かが犠牲にして得た物を失いたくない人。単に雰囲気に流された人だって居るかもしれない。
 ただ来訪者の総意として衛星都市を守りきる事を選ぶ風潮に流れて居るんだ」
 まるで見えざる手でもあるかのような事を彼は口にした。
「どの世界でもそう変わらないだろう。後の歴史書に失策と非難される事を賢人と呼ばれた人たちがやってしまったと言う事実を。
 そこには彼らの知識、知恵以上に世界の風潮、流れが彼らにその道しか選択できないようにしてしまった事も多いんだ」
 ユキヤの脳裏に思い浮かぶのは第一次、第二次世界大戦だ。たった一人の王が暗殺されただけで世界を巻き込んだ戦争へと発展した。
 また日本という国は大国との戦争に勝利してしまい、しかし経済制裁を受けて国が立ち行かなくなりつつあるところに起死回生の手段として戦争を選ばざるを得なかった。
「僕達に今出来るのは、これがこの世界の歴史書に悪しく書かれない結末を望み待つ事さ」
 それはどうしようもない事実かもしれない。
 でも、本当にそうなのだろうか。
 ユキヤは自分らしくない想いに捕らわれながら事務所を後にした。

  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ほい、メンテ終了。タイヤとBOXも取り替えておいたにゃよ」
『うん……』
 返事が弱弱しい。アルカは苦笑をもらしてこつんとボディを叩いた。
『衛星都市、どうなると思う?』
「7:3で陥落にゃね」
 さらりと酷い事を言う。しかし悪びれる事無く彼女は言葉を続けた。
「そもそも衛星都市は最初っから『いつか放棄される都市』だったにゃよ」
『何よそれ』
 流石に憤慨するが、工具を片付けるアルカの言葉は淡々とした物だ。
「だって仕方ないにゃよ。なにしろクロスロードから100kmも離れて、迂回を込みでの実質の距離はざっと250km。
 『100mの壁』のあるこのターミナルではお月様くらい遠い場所にゃ。孤立していつかは消えてしまう町にゃよ」
 一番の問題であった水を解決してもその都市はやはり遠い。あらゆる物資の自給率がほぼ0%のこの世界で補給路の確保できない都市がいつまで存続できるかなんて誰にも予想がつかない。
「ある意味幸運にゃよ。下手に人が増える前に潰れるんなら」
『本気で言ってるの?』
 怒りを込めた問いに猫娘は答えない。
『あの街にはあたしやユキヤの知り合いが居るんだからね』
「逃げるだけの猶予はあったはずにゃ」
 切り捨てるような言葉にエルは沈黙する。
「探索者の性分ってことはわかるけどね。彼らの選択なんだから仕方ないにゃよ」
『……っ!』
「あちしはエルが聞いたから予想を述べただけにゃ。30%も可能性があるんだからマシと思うべき戦いにゃよ。
 幸いというか、アースちんが居るからね。もうちっと可能性を引き上げてもいいくらい」
『防壁作ったっていう娘?』
「そ。東砦管理官でゴーレム練成のエキスパート。損耗を気にしないで暴れられる兵隊を作れるんだから随分なものにゃよ」
『……それよりも!』
「ダメにゃよ。分かってるっしょ?」
 口ごもる。ややあって『納得はいかない』と搾り出すように呟いて沈黙する。
「なぁ」
 そんな二人にぶっきらぼうな声が投げかけられる。
「うん? やっちゃんどしたの? 寒くない?」
 右腕には包帯を巻いているが、汗をぐっしょりと吸った衣服は寝巻き代わりのTシャツとズボンに変えられていて、冬の夜という寒さには随分と辛いはずだ。
「寒ぃよ。
 それより、聞きたい事がある」
「なーに?」
「そいつ、俺も動かせねえか?」
 アルカは答えずにエルを見やる。それがある意味答えだ。だからヤイナラハは言葉を接いだ。
「寝覚めが悪い」
「行き倒れたらみんなが困るにゃよ」
「そんなヘマはしねぇ。それにそいつなら自分で走れるんだろ?」
『ダメよ』
 聞こえ辛いが、第三者の声を確かに聞き、ヤイナラハはバイクを見た。
『あたしのマスターはユキヤなんだもの。例えパスが繋がっても貴女を選ぶわけにはいかないわ』
「他に手段がねえんだ」
 死と静寂の季節。そんな言葉を踏みにじって今宵のクロスロードはざわめきに満ちている。路地を輸送車両が走り、連絡の声がここまで届く。
 静寂の許されぬ夜に立ち、ヤイナラハは自分の愚かさに失笑を浮かべる。
「自殺行為でも。やりてえんだから仕方ねえだろ?」
『あたしを巻き込んでも?』
 ここまで明確な意志を持っているとは正直思っていなかったため、彼女はばつの悪そうにする。
 不意にふわりと暖気がヤイナラハを包んだ。アルカが魔術で温めた空気の範囲を再調整したらしい。
『あたしはあんたの過去を見たから、不安に思うのよ。
 死を救いと思ってる。そうでしょ?』
 ぐっと呑みこんだのは否定の言葉。熱くなっても仕方ない。苛立たしいが頭の中を見られている以上中途半端な嘘を用意したって無意味だ。
 だから深くため息を吐いて、視線を上げた。
「……否定は出来ねえと思う。そんなつもり、無かったんだけどな」
 心の中核となってしまった過去と、それを妙な形に整形してしまった経験。殺す事を生業としたのだから死ぬことは仕方ないという諦観の正体に今でも彼女の胸中は得も知れぬ不快感を抱えていた。
「でさ。やっちゃんはどうして衛星都市に行きたいの?」
 何でもない様に聞いて、その口の端が堪えるように震えている。
「……さっき言っただろうが」
「えー?」
 睨み付けても何処吹く風だ。
「あちし難しい物言いわかんなーい☆」
 外見どおりの言動かもしれないが、こいつは見た目どおりじゃねえのは充分に分かってる。実際目がこちらを伺い見ている。
「やっちゃんはー、何をしたいのかなー?」
「っ……!」
 思わず力を込めた右腕が軋んだ。
『アルカ……』
「にふふ。ほら。デレかけの子って可愛くて仕方なくない?」
 自作の知性体に窘められる制作者だが、それでも自分に素直すぎる。緊張感の欠片もない物言いに俺は心底疲れて、ついでに胃の痛みを感じた。
「……正直仲間だなんだなんてのは良くわからねえ。けど、ここで待ってるなんざ気分が悪くて仕方ないんだ」
「エルを使っても、やっちゃんのほうが死亡率は高いにゃよ」
「それでも、だ」
 いやらしい笑みを消してアルカはカウルに触れる。
「おっけ、エルは流石に渡せないけどユニットを用意してあげる。
 PBに制御を委譲させればなんとかなるっしょ」
『アルカ……!』
「しゃーないじゃん。それにやっちゃんには借りもあるしね。
 ゆいちゃんに制御ユニットが無いか聞いてくるにゃよ」
「あるよ」
 地面が浮き上がった。無駄に見事に地面に偽装したハッチを開けて眠そうな目が一同を見つめる。
「……ゆいちゃん。今度は地下に何作ったの?」
「対爆実験室。放射能もバッチリ遮断」
 水色の髪の女が地面に丸くあいた穴からのそのそと出てくる。
「……核融合でもやるつもり?」
「ただの核分裂」
「やめい」
 ぴしと軽いチョップを入れる。
「なぁ、どういう意味だ?」
 言葉の意味が分からないヤイナラハの問いに『……知らない方が幸せな事もあるわ』と、どんよりとエルが応えた。
「とにかくその件は後で問い詰めるとして、自動制御ユニットは?」
「猫さんが前言ってたフライトボードに積んでる」
 ふらふらとどこかおぼつかない足取りで庭の隅まで行くと、無造作に立てかけられている板を手にする。
「ああ、それかぁ。でも今のやっちゃんにそれはきっついでしょ。
 それに高度を出すとまずいし」
 タイヤのないスケートボード。それを受け取ったアルカはそれを宙に置くとひょいと腰掛けた。
「こういう乗り方もあるけど、姿勢制御に慣れが必要だしね」
「要は空飛ぶ板か……」
「最高時速420km」
「いやいや無理だから」
 恐らく速度は出るのだろうが、当然乗ってる人が耐えられない。
「あれ……皆さん揃って何をしているんですか?」
 不思議そうに裏庭を覗き込み、ユキヤが問う。
「……ヤイナラハさん、起きて大丈夫なんですか?」
 視線を逸らす。その自身の行為にチと悪態を吐き、改めて何かを言おうとして、やめた。
「衛星都市に行くんだってさ」
「え?」
 アルカの告げ口に目を丸くし、ユキヤはヤイナラハに向き直る。
「無茶ですよ。あんなに酷い状態だったのに」
「もう治った。問題ない」
「流石にそれは無いですよ。少なくとも体力が戻っていないはずです」
 流石に庭の騒ぎが大きくなって気付いたのだろう。柔和な表情にやや咎める色を乗せてルティアがやってくる。
「アルカさんもどういうつもりですか」
「行かなくて後悔する方が辛いときもあるにゃよ。それにやっちゃんがここで行かなきゃ多分ずーっとデレるタイミングを失うにゃ」
 冗談のつもりなのか、二本の尻尾をゆらゆらとさせてアルカがそんなことを言う。
「でも……」
「体が死ぬより心が死ぬ方が辛い事もあるにゃよ。やっちゃんの場合はそれ以上に深刻だと思うけどね」
「人の事を適当にヌかすな」
 憤然と抗議するが言葉にやや覇気が無い。
「そろそろ時間まずいから纏めるにゃよ。
 今は午後八時。向こうじゃ機動力を持った人で部隊組んで削りをやってる頃にゃ。
 これの撤収が恐らく深夜2時。それ以上は数千の怪物が衛星都市に迫るから門を開いていられないにゃね」
 援軍の最終便が到着するのも丁度その頃だと付け加える。
「もしやっちゃんが衛星都市に到着するなら午前二時、つまりはあと5時間以内に到着しないといけない。
 直線ルートは使えないから片道250Km。安全な速度───時速60kmでぎりぎりにゃね」
「そいつを使えばもっと早いんじゃないのか?」
 ヤイナラハがアルカが手にしたままのフライングボードを見る。
「風防もなしに時速100km以上だすとかナイナイ。一時間滝の中で棒下がりやってるようなもんにゃよ。いくらやっちゃんが鍛えてても到着する頃には体がぼろぼろにゃよ。
 風系の魔術で防御するとかすれば別だけど、そういうの無理っしょ?」
 魔法に関してはさっぱりのヤイナラハは渋々頷くしかない。
「ドゥゲストのおっちゃんの所に何かユニットが残ってればいいんだけど、あったとして今から組み込んで制御系繋ぎ変えるのは結構骨にゃね」
「2時間」
 ふあとあくびをしてユイが応じる。
「流石にタイムアウトにゃねぇ」
「無理でもそいつを使えば良いんだろ!」
 少々イラついてきて手を伸ばすヤイナラハからアルカはフライングボートを操作しすっと逃げる。
「かっかしても仕方ないにゃよ。で、ユキヤちん?」
「え? はい?」
「やっちゃんを郵送してくれるつもりある?」
 息を呑む。それからややあってぎりと奥歯を噛んだ音がやけに響いた。
「すぐに無理ですとは言わなかったね」
「……無理、とは思ってます。でも、皆さんの事が心配なのは本心です」
 グリフォンに襲われた恐怖はまだ新しい。メットも後ろが抉れるように焦げていた。
 無理だし、自分が行っても意味が無い。覆しようの無い事実が確固として自分の中にあるのに、アルカの言う通り否定の言葉を作るのに躊躇ってしまった。
「でも、わかります。体が死ぬより辛い事があるっていう意味は」
 目も耳も塞いで家に帰りたいと思う自分が居る。でも永遠に塞いだままでは居られない。僅かにでも開いてしまえばここぞとばかりに取り戻せない悔恨が流れ込んでくるのが容易に想像できた。
「エルなら衛星都市まで二時間半くらい。残り時間でエルの武装を元通りにする事は可能にゃよ」
「武装……?」
「エルは元々未探索地域を巡る探索者のものだったにゃよ。それもたった一人で」
『二人よ』
 自分も含めるべきだと、しかしどこか悔いるような響きでバイクのAIは言葉を挟んだ。
『かつてクロスロードで一番の未探索地域踏破者だった。死んじゃったけどね』
「死んだって……」
『勘違いしないで。あいつが勝てなかったのは病気の方。どんなに傷付いても必ず生き残ってクロスロードに戻ったもの。
 ……その話はいいわ』
 一拍の間を置いてエルは向き直るように言葉を紡ぐ。
『あたしが主兵装を戻したら衛星都市まではどうにでもなるわ。
 問題はそこから。衛星都市は洒落にならない状況になる。あたしだけじゃユキヤを守りきれない』
「言って見ればあっちに着いたとたんエルとユキヤちんは足手まといになるわけにゃね」
 言いながらヤイナラハへと視線を向ける。
「やっちゃんもそうにゃよ」
「何度も言うな」
「だからベターな方法を提案するにゃよ。
 ユキヤちんはやっちゃんの記憶を開封して戦闘技術を付け焼刃でも覚える。
 エルは主兵装と副兵装を装備する。
 そしてやっちゃんは時間ぎりぎりまでるーちゃんの治療を受ける」
「開封って……!」
 そういえばまだその話をしていなかったと思い出し、盗むようにヤイナラハの訝しげな顔を見た。
「剣は用意してあげる。その代わり一つあちしからもお遣いをして欲しいものがあるにゃ」
「お遣い……ですか?」
「ちょっち重要なお遣いだったりするにゃ。
 エンジェルウィングスに公的に預けるわけにも行かなくてね〜」
「……それは?」
「ユキヤちんが行く事になったら預けるにゃ。あんまり人目に曝して良い物じゃないしね。
 ただ、それを持ち込むかどうかで─────」
「アルカさん!?」
 何かを察したらしく声を挙げるルティアにアルカはいたずらっ子の笑みを返す。
「そのくらいなら良いでしょ。アースちんは物分り良いしね。
 ともあれ、それ以外の方法は正直現実味が無いからね。改造する間に決めると良いにゃ」
 そう言ってボードからひょいと降りたアルカはそれをヤイナラハに差出す。
「やっちゃんにこれは預けておくにゃ。あちしは止めやしない。
 ただ少なくとも衛星都市まで体を持たせたかったら一時間はるーちゃんの治療を受ける事」
 ヤイナラハは僅かにユキヤを見て、それを受け取る。
「簡素でも良いなら風防は作れるからね。飛び出す前にあちしに言ってね」
 ぱんと手を打った音が冬の街に朗々と響く。
「この世界に比べてあちしらの力なんてほんの小さな物にゃよ。だからこの決断が世界を変えるなんて大それた事は無い。
 だからあくまで自分の心と相談して。絶対無理な事をわざわざやろうとするかどうか、ってね」
 何かを言いたげにしているルティアも、ただ眠そうにしているユイも何も言わない。
 ヤイナラハは真っ直ぐにアルカを見て、それからルティアの方へと歩き出す。
 ユキヤは────途方に暮れて夜の空を見上げた。
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