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世界説明SS
死の淵に至りて
(2010/10/25)
「あの一団に突っ込め!」
 ヤイナラハが指差す。その方向を見ればもぞもぞと蠢く何かの群れを視認してユキヤはメットの中で盛大に顔をしかめた。だが、自分の意見や感情を表に出して良い状況ではない。
 ハンドルを切り、彼はは破れかぶれに叫んだ。
「《ランサー》っっっ!!」
 自らが触れる物を貫く槍の穂先になって闇夜に青のラインを結ぶ。
「っかはっ」
 急加速から解き放たれた瞬間、ユキヤは肺から押し出すように息を吐いた。メットの中もライダースーツの中も、冷や汗と脂汗でぐっしょりだ。
『ヤイナ、もう連発するとまずいかも』
「気を張れ! ここで停まったら死ぬだけだぞ!」
 分かっている。けれどもすでに手足の感覚がおぼつかない。まるで2日くらい徹夜をした後のような、気を抜かなくても眠りに落ちそうな状態だ。
『衛星都市は見えてきたのにっ!』
 視界の遥か先に建物の影は確かに見えている。しかし怪物の量は加速度的に増え、迂回する事も出来なくなった一行は《ランサー》を多用せざるを得ない状況に陥っていた。
『ユキヤ、大丈夫?!』
「な、なんとか……」
 強がりに近いが緊張が意識を保たせている。まだ、大丈夫だ。いつまでかは保障できないけど。
「厄介だな」
 彼女が睨む先は衛星都市の門があるはずだ。しかし広範囲攻撃が雨霰と降り注ぎその姿を確認する事はできない。
「あの調子なら今閉めてもおかしくない」
『強引にでも行くしかないかしら』
 とは言え、《ランサー》の継続時間を考えれば途切れた瞬間に取り囲まれるのが目に見えている。
「し、信号弾は? 援護してもらえば……!」
『悪い考えじゃないけど……』
 どどどんと遠雷のような響きが木魂する。かなり派手な攻撃も混じり、こちらを見つけてもらえるかどうか。
「やらないよりマシだよ」
『それもそうね』
 マイクロミサイルのポットが開いてシュパという音。空に赤の煙が上がった。
「一気に近付くぞ。援護が届く範囲に出なければ意味が無い」
 周囲を見渡し指差す方向へとハンドルを切る。
「うぁ……」
 思わず絶句。5mはあろうかと言う巨人がぬっと正面を塞いでいるのだ。その足元にもわらわらと小型の怪物がひしめき、その巨人は気にする事無く踏み潰して進んでいる。
「おい、あの足を貫く事は可能なのか?」
『無茶言うわね。不可能じゃないけど間違いなく転倒するわよ。今はサイドカー積んでるから《ランサー》の威力が落ちてるから』
 車体を包み一定時間無敵になるようなこの技も限界がある。そして槍の穂先が広がった分、刃兼バリアの強度も落ちているのだ。
『足の間を抜けるのも辛いし、足を上げてる下を突っ切るのがベターかもね』
「スリルありすぎだよ」
 ぼやくが、二人が現実味のある方法を探してる事くらいそろそろ分かってきた。自分の体力という実感も伴って。
『っ!? 何か来るわよ!』
 いきなりの警告に身を竦めた瞬間、耳をつんざくような爆音が周囲で巻き起こる。それは情け容赦なく周囲の怪物をなぎ払い、血肉を周囲にぶちまける。
『支援砲撃ね。ユキヤ、チャンスよ!』
 でも、動くと不味いんじゃないの!?
 こういうとき思念での会話はありがたいが、そんな事を考える余裕も無い心の絶叫。レーダーがあるユキヤの世界ならまだしも、『100mの壁』を有するターミナルではこちらの位置をどれだけ正確に把握しているのか分かったものではない。
『多分大丈夫よ。特殊能力を介さない光学的な視覚は有効だもの。望遠レンズを使えば4kmくらい先までは目視可能だわ』
 確かに100mを越えて光学映像が変化するならば煙信号などは意味を無くす。
 妙なルールだよね、ほんとに!
『神様に文句言いなさい。それよりも、今しかないわよ!』
 ちらりと横を見れば耳を塞ぐヤイナラハの姿がある。視界を限定されるのを嫌ってメットを着けていない彼女だったが今だけは裏目に出た。
 巨人が戸惑うように千鳥足になっている。間違いなく難易度は跳ね上がっていた。ゲームならば気楽に見切りをつけるのにと無駄な考えが脳裏を過ぎり、差し迫るような緊迫感だけが心臓を締め付ける。
「あああああああああああっ!」
 ヤケクソとはこの事とばかりに自らハンドルを切って巨人へと直進する。見る見るその巨体が間近に迫ってくるとその威圧感だけでぺしゃんこになりそうだ。
 巨人がこちらを見た。ヒッと喉が引きつる音を漏らす。
 ガンとカウルを叩く音。ユキヤは我に返り────
「《ランサー》!!!!」
 喉から迸らせた叫びと共に青い光が車体を包み、加速。巨人の踵を抉って突き抜ける。
 背後で戸惑いを含んだ雄叫びと、続けてずしんと転倒した音が響き渡った。
『一気に行くわよ!』
 マイクロミサイルの一斉射。進路上に次々と着弾するそれが怪物を吹き飛ばし道を開ける。遠方からの第二撃が押し迫る怪物を薙ぎ払い、エルはさらに速度を上げる。
「真っ直ぐ行けっ!」
 ヤイナラハの声が耳朶に響く。見据えるのは大きな門。そして防壁の上からこちらを見守る視線だ。ノズルフラッシュが煌くたびに周囲の怪物が吹き飛び、豪快な雷撃が左方を薙ぎ払っていった。
 正面の空間をミサイルが薙ぎ払い、ガタガタになった地面を歯を食いしばりながら走り抜ける。
『っ!』
 単純な焦りの思念。右前方から何か熊サイズの物が高速で近付いてくるのを見てどっと冷や汗が溢れた。もう飛び道具は尽きているし、ここで《ランサー》を使えば到着する前に効果が切れる。そして右手側からの襲撃はヤイナラハではどうする事もできない。
 ぎゅっと巨体が小さくなる。それは間違いなく飛び掛る直前の行動。
「っ!!!」
 ハンドルを切ることすらできない。やっと空いた道を逸れれば怪物の海に沈むだけだ。

『ギャウッ!!!!』

 解き放たれようとした筋肉のばねが歪み、その怪物は無様な格好で転倒する。何が起きたのかはっきりわからなかったが、赤い血が飛び散ったのを微かに見た。
「こいつは……」
 ヤイナラハの声が微かに聞こえたが、それを問い直す余裕は無い。
『ラスト!』
 ユキヤの焦りにエルの思念が炸裂した。
『ユキヤ! 一気に行くわよ!』
「っ!! うん! 《ランサー》!!」
 光を纏った車体が最早慣れてしまった加速を繰り返す。門の隙間を走り抜けると向こう側に居た面々が慌てて道を空け、生まれたスペースにドリフトをしながら停車。それからすぐに「ずん」と門が閉ざされる音が響いた。
 壁の上からの歓声と戦闘を続行する音が盛大に背中を叩く。
「……はぁ」
 いつから息を殺していたのか。ユキヤから漏れたのは盛大な、そして心の底からの安堵のため息。その瞬間耐え難い疲れがずんと体に圧し掛かってきた。
『ちょっと、ユキヤ?!』
 なんとか到着したんだから少しくらい休ませて。
 唇を動かすのも億劫に、ユキヤの意識はずりずりと闇の中に落ちていった。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「ったく、仕方ないヤツだな」
 あっさり気を失ったユキヤを横目にヤイナラハが悪態を吐く。
『まぁ、ランサーを連発したっていう理由もあるし。大目に見て良い仕事はしたと思うけどね』
 ヤイナラハが乗っているからかエルは徐行運転でとりあえず邪魔にならない場所へと移動する。
『で、ヤイナはどうするの?』
「あいつらと合流する。まぁ合流の手間は掛からないが」
 そう言って見上げた場所に箒に跨る魔女が居た。相変わらずの無表情がそこにある。
「最後の氷、お前だろ」
「……ん」
 獣型の怪物の頭を穿った一矢。それが氷の矢であったことをヤイナラハの優れた動体視力は捕らえていた。
「トウコは?」
「医療テント」
 攻撃は主にイヌガミ任せのトウコには適任の場所だろう。
「こいつも運び込んだ方が良さそうだし行くか。案内してくれ」
 魔女はこくりと頷いて箒がエルの前を走る。
『物々しいわね』
 そりゃあそうだろうと肩を竦める。ここは謂わば篭城作戦中の城だ。声が飛び交い、人が走り、飛ぶ。怪我をした連中が道端で応急手当を受け、炊き出しや補給を受け持つ者の声が響く。
 全周から戦闘音が響き続けている。壁の向こう全てが怪物の海と化しているのだ。そう考えればさしものヤイナラハも薄ら寒い物を感じる。
「ここ」
 やがて到着したのは以前食事した巨大テントだ。その周囲では人々が慌しく動き回り、負傷者は傷の手当を受けている。
 ヤイナラハはバイクから降りると軽く体を解す。
「ヤイナラハさん!」
 トウコの声。目ざといヤツだなと嘆息吐きつつ、半歩左に逃げると「え?」と間抜けな声をあげて巫女服の娘が通り過ぎ、倒れた。
「な、何で避けるんですか!」
「鬱陶しいからだ。ったく。無駄に騒がしいヤツだな」
 起き上がりざまに怒鳴りつけるトウコにこれ見よがしのため息を暮れてやり、
「とりあえずコイツを運び込んでくれ。単なる疲労だから寝かして置けばいつかは起きる」
「え? あ、ユキヤさん?」
 バイクの上でぐったりしているユキヤにようやく目が行き、慌てて服の埃を払ったトウコは札を手にユキヤに駆け寄る。
「どんな無茶させたんですか。かなり衰弱してますよ……!」
「しゃーねぇだろうが。あのバケモノの海を突破してきたんだからよ」
 札を背に貼ると白いそれはみるみる赤に染まってぼろぼろと崩れていく。どうやら疲労回復の効能があるらしいのだが、余程の状態なのだろうユキヤはピクリともしない。
「とにかく寝かせて置くようにお願いしましょう。
 それはそうと……」
 トウコは改めてヤイナラハを見上げると、にこりと微笑んで
「無事でなによりです」
 悪態を返そうとした彼女だが、喉から中々言葉が出ずにそっぽを向く。
「で、状況はどうなってんだ?」
「こちらも状況が逐一入っているわけではありませんが……
 機動迎撃に出た方は基本的に総撤収。現在は中、遠距離攻撃を中心で応戦しています。接近戦専門の方は交代で砲撃戦をしている人のフォローと言うところでしょう」
 横を負傷者を乗せたタンカが走り抜けていく。怪物の中にも遠距離攻撃を有するモノは少なくない。負傷者はじわりじわりと増えているようだ。
「数時間もしないうちに乗り込んでくる」
 ルティがぽつりと言葉を漏らす。
「あんなに高い壁をですか?」
 衛星都市を囲む壁の高さはおおよそ10m。ビル4階分ほどもある。
「もう死体が積みあがりつつある」
 淡々と、おぞましい光景を魔女は口にする。
「小型の怪物は壁に何もできない。でもその死体が壁際で山になる」
 そんな馬鹿な、と言う言葉は飲み込まれた。敵の数は万を越えるのだ。
「密度も濃くなってる。それに……」

 一際大きな音が衛星都市を震わせる。

 誰もが顔を上げ、その方向を凝視しただろう。そしてそこにもうもうと上がる土煙を見た。
「あれ……は?」
「恐らく怪物の砲撃」
 内側から見る限りはヒビの一つもない。が、その衝撃がいかに凄まじかったかはその辺りの防壁の上に立っている者が居ない事が証明していた。あるいは何人か叩き落されたのかもしれない。
「単純に押し寄せる怪物も脅威。でも、魔法やブレスを吐く怪物も、居る」
「珍しく饒舌だな」
 ヤイナラハが挿した水を辿るように見上げ
「状況説明、必要だと」
 気を悪くした風も無く言われては彼女も「必要だ」と苦笑いをして首肯する。
「登られるか割られるかは割らねぇが、それまでは俺みたいなのは雑用ってことか」
「休んでおいた方が良い」
 魔女は告げる。
「最悪……日の出まで持たない」
 時刻は深夜3時を回ろうとしている。冬のこの時期日の出は6時前後と考えれば────
「最悪がそれなら、『良い』とどうだ」
 悪い空気を気にする事無くヤイナラハは問う。魔女は少しだけ動きを止め、それから「昼までは」と告げた。
「随分と違うな」
「怪物は組織的じゃない。運の要素が強い」
 確かに最後に襲い掛かってきた巨人は衛星都市を無視してクロスロード方面に歩いていた。衛星都市に固執しているならばもっとスムーズに近づく事は出来ただろう。無論都市に入ることは適わなかった可能性もあるが。
「怪物のヤツら、衛星都市を狙ってるわけじゃないのか?」
「わからない」
 率直な答えだが怒るわけには行かない。あの頭の中身がどうなってるかなんて誰にも分かっていないのだから。
「ただ、衛星都市の傍を通る怪物はこちらへ。通り過ぎるとクロスロードに向かっているように見える」
 結論から言うとそれは正しい見立てだった。
 結局怪物という濁流の中にぽつんと衛星都市が存在しているがため、ついでのようにこの町は襲われているのである。
「こっちに興味を持つ怪物の質と量次第か……」
 ヤイナラハはギャンブルが嫌いなタイプだ。もちろん運を天に任せる局面は山ほどあったがそこに祈りも願いも、そして結果に喜びも悲しみも覚えないようにしてきた。ただそこにある結論が全てだとして。
 ただこんな生殺しの未来にどんな感想を抱けば良いのか。
 感情の行き先を量りかねた彼女の視線は土煙の薄れつつある防壁を眺め見た。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「南西区画にて破損レベル2」
「南区画にて破損レベル3です」
 衛星都市司令部では次々と防壁の破損状況についての連絡が飛び込んできている。
「人的被害は?」
 凛とした問いに「死者2名、その他は順次治療を受けている模様です」と返答が入る。遠距離からの攻撃が運悪く直撃し、即死した場合にはどんな治癒魔法も届かない。
 このターミナルでは死者蘇生は不可能というのが一般常識だ。これは死んだ瞬間に『魂』と表すべき何かが故郷となる世界へと帰還するかららしい。
「物資はどうですか」
「目減りは激しいです。特にマジックポーション類が早々に枯渇しかねません」
「……撃てば当たる状況です。気にせず撃てるだけ撃つように指示を。
 どうせ近付かれればその手の魔術は使えなくなります。銃器系に付いても同じです」
 現在活躍しているそれらは射程や効果範囲が優れているが、いざ接近戦になれば使えない物と化す。それに遠距離攻撃はリスクが少ない。ならば可能なだけ削るに越した事はない。
「医療用の最低限は確保をしておきます」
 少女は頷いて戦況を示す大型のウィンドウを見上げる。
 逐一飛び込んで来る情報を元に更新を続けるそれの右隅。おおよそではあるが観測されている怪物の数が表示されている。
 ───15万。
 一方で衛星都市に集まった人数は援軍を含めて約3万。純粋な戦闘員は8割程度と考えればおおよそ6倍の数を相手にする事になる。
 いや、カウンタは恐ろしい速度でその数を増やしている。最終的にどこまで達するのか未だに掴めていない。
 あるいは────「達する」ことさえないかもしれない。
 大襲撃の際、更に莫大な数の怪物に襲われた扉の園はその最終局面で増援を観測したと残されている。
 これほどのバケモノが一体どこから湧いて出てくるのかを来訪者は知らないままなのだ。

 ────この衛星都市にクロスロードが本来保有する3割の戦力を集めてしまった。

 安全を期するならば、総撤退が最善だった。今更の悔やみを飲み込む。
 彼らはそれを是としない。踏み出した一歩を幻としないためにここに着たのだ。
 ならば自分は守りの要としてその任を全うしよう。
「ただの冒険者が随分な大任を得た物です」
 元の世界から共にある他の三人を思う。彼らは皆それぞれに特殊な立場を持っていた。自分だけがただの冒険者で、ただの魔術師だったはずなのに。
「防壁の破損段階が5に達した箇所を教えてください。修復を行います」
 自分以外にも精霊術師が巡回し、補修を行っているはずだが練成に特化した自分程の者は居ない。
 それは自負でもあり責任でもある。
 少女は表情に平静を、心に重圧を持ち直してスタッフの声に耳を傾けた。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 音が疲労の中から彼の意識を引きずり起こす。
 体が砂か何かになってしまったかのように重くて、思い通りに力が入らない。手足の感覚も薄く、薄く届いた光は夢の中かもしれないと思った。
 夢は───まずい。彼女の記憶を読んでしまうから。
 そう思い直したところで、意識は覚醒へと一気に向かった。

 『どん』という音が絶え間なく響く。
 駆け回る音が周囲に溢れかえっている。
 怒声が響き、焦りと緊張が空間を満たしている。
「ここは?」
 天幕。はっきりとしてきた意識の中、彼は自分がどんな状況に居るのかを取り戻す。
 体を起こそうとして、予想以上のだるさに一度断念。仕事中に数時間バイクを乗り回しているのに比べればたった3時間の運転だった。と考えるのは間違いか。あの《ランサー》とかいう機能が体験したこと無いほどの疲労を彼に与えていた。
「目が覚めました?」
 不意に覗き込んで来る顔。整った顔立ちと白い肌。零れ落ちる銀髪が薄明かりに綺麗で
「……レイリーさん?」
「はい、レイリーさんですよ。おはよーございます」
 にこりといつものほわほわ笑顔を見せる少女はネジが数本抜けた挨拶をする。
「えっと……」
 何を聞くべきか。そこから彼は迷って、やや視線を彷徨わせた後「ヤイナラハさんは?」と口にする。
「えー、まずその質問ですか? ほらほら、私に怪我はなかったですかとかあっても良いと思うんですけど?」
 ぷうと子供っぽく頬を膨らませる。断続的に大気を震わせる音がここが戦場だという事実を強く押し付けてくる。
「え、えっと。お元気そうでなによりです」
「んー。まぁ、良いですけどね。まだ戦闘らしい戦闘はしてませんし。するようになったらいよいよ末期ですしね」
 どういう意味だろうと重い頭で考える。衛星都市へ駆け込む時の光景を描き出し
「まだ、壁の上から戦ってるんですか」
「はい。まだ踏み込まれてはいませんね」
 レイリー達、接近戦を主体とする戦士の出番はまだ、ということと共に、そうなれば「末期」という意味も理解できた。
「怪物の中に射撃戦闘が可能な個体がいくつか混ざってまして、結構な被害は出始めてますが」
 言いながら彷徨わせる視線。鼻についた消毒液の香り。多少言うことを聞きそうだと感じて上半身を起こして目にした光景は、かつて何かの写真で見た野戦病院を思わせた。
「まだまだ被害は小さいですよ。死者もそんなに出てませんし。時間の問題ではあると思いますけどね」
 何でもない事のように淡々と述べる。脅かすわけでもなくただそれが決まった未来だと嫌でも理解してしまう。
「安心してください。私はユキヤくんの護衛ですから。ちゃんと守ちゃいます」
 満面の笑みを浮かべてそう宣言され、ユキヤはちょっとだけ情けなさというか、立場の無さを感じる。もちろん自分が彼女の足元にも及ばない事は良く分かって居る。
「レイリーさん、無理はしないでくださいね」
「うふふ、心配されるって良いですよね」
 少女は目を細めて笑い、視線を後ろへ。
 開けっ放しの天幕の入り口。そこから俄かに差し込むのは朝日だ。
「さて本番の始まりです。張り切っていきましょう」
 そんな明るい声では掻き消せない地獄がこの地を覆おうとしていた。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「はい、どうぞ」
 湯気を立てる椀を差し出され、ヤイナラハは自分が転寝をしていた事に気付く。別に咎められることじゃない。彼女と同じく剣や槍を友とする者はその時を待って休息をとっていた。
 つい数時間前まではそんな彼らも物資の移動や怪我人の搬送を手伝っていたのだが怪物の密度が増したために休息の指示が出たのだ。それを意味するところを察し、しかし眠れるのは流石戦士というところか。
「おう……」
 受け取った彼女の隣にトウコは腰掛けた。いつもは無駄に小奇麗な身なりもすす汚れ、自分の物ではないだろう血の染みも見て取れる。
「状況は?」
「流石に負傷者は増えつつありますが膠着を保ってます。ただ、壁の上からの光景は見たくないですね」
 ポタージュのようなスープを啜りながら、遠雷のようだった爆音がかなり近付いていることに気付く。
「出番は」
「考えたくないですけどお昼頃まで持つかどうかですね。一部の壁で亀裂が確認されて、補修に走り回ってるそうですから」
 一見堅牢な防壁もクロスロードのそれには遠く及ばない。成竜クラスの巨体が全力で突撃すればどうなるか知れたものではなかった。
「一応診療場所や貯蔵場所等は一箇所に集めてバリケードを作っています。私達はそちらの防衛に回りませんか?」
 外壁を乗り越えてくる怪物を潰し続ける仕事よりはよっぽど安全だろうが、そこが決壊すればなだれ込まれるということは子供でも理解できる。
「ルティのやつは?」
「今は休息中です。彼女超遠距離の術を持っていましたから最初の方から出ずっぱりだったもので」
 視線を投げた先にちょこんと座るイヌガミの姿を捉える。あそこに寝ているのだろう。
「ポーションなんかで精神力を回復しても脳の疲労は蓄積しますからね」
「あいつには礼を言わないとな」
 ず、とスープを啜り、それから目を丸くするトウコを睨む。
「なんだよ」
「いえ……何かありました?」
「うっせぇ」
 自分でも礼なんて言葉は似合わないとすぐに思い返したところだ。視線を逸らして具を掻き込む。
「恥ずかしがる事無いじゃないですか。良い事なんですから。
 ……恥ずかしがるような事でもあったのですか?」
「どういう意味だよ」
「どういうって……ほら、その」
 顔を赤らめて無意味に指を彷徨わす巫女をキモチワルイモノでも見るような目で睨む。
「そういうのでは?」
「意味がわからねえ」
 苛立った即断の一言にトウコはほっとしたやら残念やらわからない溜息を吐く。
「まぁ、ヤイナラハさんですものね」
「喧嘩売ってんのか、お前」
「正直、ユキヤさんの事、どう思ってるんですか?」
 視線に殺気を込め始めた瞬間に、巫女はずいと自分から顔を近づける。
「は?」
「ほら、危険な荒野を二人旅してきたわけですし……」
「二人じゃねえだろ」
「え?」
 エルの事を認知していないトウコは数秒ぽかんとし
「えええ?」
「ドコ見て驚いてるんだよ、お前は」
「い、いや、だって、ほら! そうだったら戦闘なんてもっての外ですよ!」
「そうって何だよ!!」
 目を白黒させて大声をあげるものだから、周囲が何事かと視線を向ける。しかしトウコはそれどころではなく
「いくらヤイナラハさんががさつでもそれはいけません!」
「……」
 ぐいと迫って失礼極まりない一言を放つトウコの頭を拳骨で打ち抜く。
「っ!?」
 かなり良い音がして、周囲の方が痛そうな顔をしているのをとりあえず無視。
「な、何するんですか! 私はただお腹の子供の事を心配して……」
「はぁ? なんだそれ!?」
「何だって……今そう言ったじゃないですか!」
「なんでガキなんか居るんだよ!」
「だって二人じゃないって!」
「あの乗り物だよ! 喋りやがるんだ」
 ……
 後頭部をさすりながらきょとんとする巫女。
 ヤイナラハは周囲の視線を散れ散れと手で追い散らし、柱に体重を預ける。
「妄想も大概にしておけよ」
「いや、だって、ほら。今の話の展開だと誰だってそう思いますよ」
「お前だけだ。ったく」
 何が悲しくてあんなヘタレのガキなんか孕まなきゃなんないんだ。
「……ま、まぁ。確かにヤイナラハさんから襲わない限りはありそうではないとは思いますが」
 とりあえずもう一度体を起こしたヤイナラハは全力でトウコの脳天に拳骨を振り下ろした。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「神よ、俺に─────」
 大よそ神なんて信じた事もなさそうな世紀末ファッションの男がそう呟いた。
「いや、俺達に種籾程度でもいいから加護を!」
 構えるのはガトリングガン。弾奏帯が冗談のように長く伸びている。
「悪魔でもかまわねえけどな!」
 別の同じファッションがRPGを肩に担いだ。
「いょーっし! お祈りは済んだか、野郎ども!!」

『YEAAAAAAAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 戦闘を繰り広げる壁上の面々が何事かとそちらへと視線を這わす。
 その先に十数人の世紀末ファッションに身を包んだ男達が重火器を手に雄叫びを上げていた。

「一発一発丁寧にブチ込んでやれ! 無駄弾なんて打ち込むなよ!?」
「リーダー! どこに撃っても大当たりだぜ!」
 確かに、眼下はすでに怪物でひしめいている。前面にさえ飛べば当たらないほうが奇跡という状況がそこにはあった。
「なんだ、そうかい。じゃあアレだ」
 リーダーと呼ばれた一際でかい体躯の男は両腕にロケットランチャーを担いでニィと笑った。
「ひぃひぃ言うまでブチ込んでやれ! 大盤振る舞いだ!」

『YEAAAAAAAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 鉛玉と爆炎の狂演が始まった。
 圧倒的な鉄量が怪物と大地を練り物にしていく。毎秒数十発という速度で吐き出される弾丸が一つでは食い足らず十数匹の肉をぶち抜いて血飛沫を撒き散らし、連続で放たれたロケットランチャーが華々しい爆音を立て続けに上げた。
 適当にばら撒かれた手榴弾からばら撒かれる破片という名の弾丸が纏めて命を薙ぎ払い、対空ミサイルが飛来する怪鳥を叩き落す。
 だがおぞましいのは彼らの戦力ではない。そうやって生まれた空隙がものの数秒で埋まっていく。
「何匹居やがるんだ」
 視界の端でへたり込んだ魔法使い風の男が居た。彼だけではない。この余りの光景に絶句し、立ち尽くす者は数多く居た。
「簡単な理屈を教えてやる!」
 撃ちつくしたランチャーを担ぎなおし、砲丸投げのように構えながらリーダーが叫ぶ。その声量たるや耳がバカになるほどの戦闘音すら凌駕した。
「全部倒せば俺達の勝ちだ」
 ぶんと投げられたそれが巨人の顔面にクリーンヒットし、血やら脳漿やらを撒き散らしながらぶっ倒れる。
「そうだろ? お前ら?」

『YEAAAAAAAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 より火勢を増した後も先も見ない乱射。それをぽかんと見ていた男は立ち上がり詠唱を再開する。
 絶望するためにここに来たわけではない。
 誰かが同じように声を荒げ武を示す。誰かが励ます声をあげて治癒の術を使う。
 口を開かず補給物資を運ぶ者も居る。
 夜明けの光景は地獄だった。だが、地獄の狩り手は未だその門をこじ開けるに至らない。
 新暦1年12の月24日。
 本格的な篭城戦がここより始まった。
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