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世界説明SS
幕間
(2009/10/12)
 午後十時を回った頃。
 食事目的に押しかけてきていた客は引き、店先にまで進出していたテーブルは撤収されている。
 残っているのはこの店をなじみにして雑談を繰り広げている探索者達くらいだ。
「サラさん。もう上がって大丈夫だよ」
「はい、じゃあこれで終わりにしますね」
 ポニーテールの少女────この純白の酒場の店主フェルシア・フィルファフォーリウの声にサラは最後のお皿を棚に納めた。
「ヴィナももう寝る準備しなさい」
「まだ大丈夫だよぉ」
 黒髪の女の子がやや間延びした返事をする。眠そうなのが丸分りだと苦笑を浮かべた。
「じゃ〜あちしとお風呂はいろっか」
「やめい」
 磨いていたフォークが恐ろしい速度と正確性で飛翔するが、ネコミミ娘は指二本で難なく止める。
「スキンシップなのにぃ」
「アンタの場合は冗談が過剰だから困るのよ。
 だいたい、さっさと帰らなくて良いの? もう旦那さん起きてる頃じゃないの?」
「そんなのとっくにゃよ。そもそもデイウォーカーなんだから夜にこだわる必要ないし」
 二本の赤い尻尾をゆらゆらと揺らして肩を竦める。
「らぶらぶタイムは今からですよー。
 んで、まぁふぃるっちに用事があるから残ってんにゃけどね」
「用事?」
「そ」
 ネコミミ少女はうつらうつらし始めた黒髪の女の子の頭を優しく撫でながら目を細める。
「南に水源が発見されたにゃ」
「……そう」
 多重交錯世界の探索は現在1つの壁を迎えている。
 その理由は余りにも単純。無補給で探索できる限界にまで来ているのだ。
 世界によっては食事などを不要とする種族も居るものの、基本は飲み食いを必要とする生き物だ。
 特異な少数の種族だけで探索を続けられるほど『怪物』の脅威も甘くはない。
 従って、これ以上探索地域を広げるにはどうしても新たな拠点を立てる必要があった。
 だが拠点設立の計画は事実上頓挫しているのである。
 理由は「候補地が無いこと」だ。
 町を建設する場所では水と食料、それから燃料の安定供給を確立しなければならない。
 燃料については大気の魔力を吸収し動力に変えるアーティファクトやソーラーシステムでクリアできる。問題は水と食料だ。
 なにしろ『怪物』の襲撃により農耕地を作ることに成功していないクロスロードの食料自給率はほぼ0%。
 『怪物』自体を食うという発想もあるものの、やはり農作物無しにある程度の人口を養うのは難しい。
 現在多重交錯世界における最大戦力を有するクロスロードでも成功していないのだから、開拓地で試みるのは無謀と言わざるを得ない。
 輸送経路を確立し、食料を輸送するという案にしても水の運搬コストが非常に悪い。
 水源の確保は候補地選びとしては何よりも外せないポイントだ。
「東西に巣食う水魔が倒せれば話は早いんだろーけどね」
「……流石にフィールドが悪すぎるわ。アクアエリアの人たちもそんなに居るわけじゃないし」
 アクアエリアは《扉の塔》の西側、サンロードリバー河底に住む者達の居住区だ。
 主に人魚や半漁人などの水中生物で構成されており、渡し舟の管理や上流、下流から襲来する『怪物』の対応を担っている。
「で? 詰まるところ計画が持ち上がったわけ?」
「みゅ。そーいうこと。ま、当然にゃね」
 お気楽な口調に深いため息。
「いずれは為さなきゃいけない事にゃ」
「分ってるわよ。これだけ先進的な技術の流入があって遅すぎたくらいだもの」
 『開かれし日』から3年半。クロスロード設立からももう2年目を半分も過ぎている。
 たったこれだけの期間で十万人もの人々が住む町を造り上げながら、未だにその他の開拓地が1つも無い事の方が異常だ。
「ただ……よりにもよって南だわ」
 南という方角には『死を待つような七日間』を見届けた者に1つの懸念を抱かせる。
 最後の一日に現れた『怪物』の大軍勢。それは南の方角から現れた。
 そして撤退の時、その多くが南へと去ったのだ。
「それでも人は進み続ける。そういうモノにゃよ」
 したり顔ではあるものの、眠りこけたヴィナを満足そうに抱きしめながらなので説得力というか、真剣さが無い。
 それもすぐにチャシャ猫の笑みに崩してゆらゆらと尻尾をくゆらし、
「それにまだ始まったばかりにゃよ。一度や二度躓いたって命があればまた立ち向かうのが冒険者────探索者ってもんにゃよ」
 なんて事を軽く言い放つ。その細腕も小柄な体も冒険者という言葉とは程遠いが、それなりの経歴は積んでいる。
「個人的には『救世主伝説』に縋らないかだけが心配にゃね」
 絶望的な状態を最後に引っくり返した反旗の一撃。
 殿を務めた部隊でさえ撤収踏み切った後の事柄であったため、その目撃者は限りなく少ない。
 まるで神話に語られるような想像を絶する猛威が『怪物』達を薙ぎ払ったと伝えられるが、本当にそれだけの威力があったのかは疑問視されている。
 絶望を引っくり返したという事実が記憶を改ざんしたのではないかというのが冷淡な見解だ。事実大仰に語られてはいるものの、その痕跡は南門前にある大穴ひとつだ。北に巻き起こった『世界の終わりの光景』や東に発生した『巨大な火の玉』の痕跡は無い。
 故に人々は2年にもならないその事柄を「伝説」と呼ぶ。その光景を見た数十名のみが語る口伝に過ぎないのだと。
 やれやれと肩を竦める猫娘を横目に、フィルはエプロンを畳んでグラスを出す。
「まだ時間あるんでしょ?」
「じゃ、カルーアミルク〜」
 はいはいと苦笑して手早く用意しつつ、彼女は儚い祈りを胸中で呟いた。
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