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世界説明SS
在るべき場所 中編
(2010/1/28)
「ヤイナラハさん、右をお願いします」
 トウコの言葉にいちいち悪態をつく事も無くなったなと苦笑っぽいものを浮かべて一気に飛び出す。左手はイヌガミが襲い掛かっていることだろう。
 いつもの巡回路に出てすぐに出くわしたのはオーガとゴブリンだった。ゴブリンの数は大したことは無く、救援を呼ばない事を決めての行動だ。
 オーガの数は2。どうやらゴブリンはその子分らしく、先鋒部隊としてこちらに押し寄せてくる。
「ふっ────!」
 鋭く息を吐いて身を屈め、頭から突っ込むような勢いでゴブリン達に肉薄する。ぎょっとして勢いを殺した先頭の脇をすり抜けるようにしながら首を掻き切り、勢い良く正面の一匹を蹴り付ける。
 その勢いを利用して反転。回転の最中に不用意に近づいた一匹の顔面を撫でるように切り裂いた。
 戦いの中で目と体は常に次のアクションを求めて動き続ける。その最中に頭はたった今犠牲となったゴブリンが苦しげにのたうつ様を確認する。
 あまり手ごたえが無く、浅かったかと危惧したがまったく持ってそんな事は無い。
 確認のための意味を含め一閃。飛び掛ってきたゴブリンの腹が綺麗に掻っ捌かれ、内臓をぶちまけるのを背にさらに目の前の一匹を殴るように切り払う。
「すっげ」
 息を吐くと同時に笑みと言葉が漏れた。ただ細工しただけに見えるこれがどれほどの物かと思っていたが予想以上だ。
「ヤイナさん。前っ!」
 別に油断していない。オーガの人間ほどもあろうかという棍棒がうなりをあげて襲い掛かってくるのを跳んで避ける。
『ギャッ!?』
 真後ろから襲い掛かってきたゴブリンがちょうどその下にプレスされていろいろなものを周囲にばら撒くのを苦笑いしながら一旦左手、戦場の中央に避難する。
「ルティさん」
 代わりに飛来するのは氷の散弾。雨あられと降り注ぐそれに次々とゴブリンたちが苦しげな声を上げて倒れていった。
「こっちは俺がやる!」
「任せます。ルティさん、左を殲滅しましょう」
 部下を全滅させられたオーガが血走った目でヤイナラハを睨みつけてくるのをむしろ心地よく睨み返す。
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!』
 腹の底が震撼するような雄叫び。ぶんと振るわれた棍棒が余裕を持って避けたはずの彼女をよろめかす。髪が暴風にあおられたように暴れるのを不快に思いながら膝を曲げ、勢いを溜める。
 大振りの代償。空いたわき腹を狙って溜めた力を一気に解き放つ。残ったゴブリンを巻き込んでの双閃。限界まで体のばねを使った斬撃二連がオーガの強靭な肉を裂き、血をしぶかせる。
 よろける体を跳んできた紙が支える。この技を使った後に彼女が転ぶのを熟知している事に若干心をチリ付かせつつオーガと再び退治する。
 傷は深い。痛みに更なる激情を込めながらもわき腹を抉られたために動きは明らかに鈍かった。猛威を振るうはずの重い棍棒が逆に枷となる。振るわれたそれをやすやすとかわしながら前へ。腕の下へもぐりこむようにして腹へ横薙ぎの一閃。すぐさま右足を踏みしめ力のベクトルを変える。伸び上がるように左の剣がオーガの喉への伸び、真下から貫いた。
 一瞬の静寂。すぐに巨体がぐらりとよろけ、ずんと倒れると残ったゴブリンは大慌てで逃げ出し始める。ふともう一方を見ると素早いイヌガミにイラついたオーガが注目すらしていなかった方向から氷の槍をまともに食らい首を引きちぎるようにしながら頭を消し飛ばされていた。
「ふぅ」
 散り散りに逃げるゴブリンを視界の端に収めつつひゅんと振って血のりを払う。
「お疲れ様です。ヤイナラハさんだけで倒してしまいましたね」
 怪我をしていないかとトウコの視線が彷徨うがそんなヘマはしてないと肩を竦める。
「剣」
 相変わらず目ざとい。魔女が特に気にした風も無く指摘すると、トウコは収められた双剣に視線を送る。
「どうしたのですか?」
「あの猫に少し弄ってもらっただけだ」
 と言っても良く考えるとこの二人は知らねーんだっけか? まぁいいけど。
「猫が弄る? ケットシーですか?」
「ああ、まぁ、そんなもんだ」
 めんどくさいのでそう答えておく。だいだいアレが何なのかと聞かれてまともに答えられる奴とか居んのか?
「魔法の武器になったということでしょうか?」
「付与魔法の固定化」
「……ずいぶんと豪勢ですね」
 すっと目が細められる。金の事にはうるさい奴じゃなかったんだが、探索用の車を買うって決めてからはやたら細かいんだよなぁ。
「ちげえよ。知り合いが礼でやってくれたんだ。別に高いもんじゃねーって話だしな」
「あら、そうなんですか?
 ……見せてもらってもいいです?」
 やれやれとため息をつきつつ剣を抜く。「あら、綺麗」と感嘆の声を漏らすのは良いとして、ルティがやたらまじめに見ているのが気にかかる。
「どうした?」
「……簡単じゃない」
「は?」
「町の相場で200万C程度」
 ……
 こいつが何言ってんのか理解するのに数秒。
「「は?」」
 俺とトウコから出てきたのはまったく同じ疑問詞だった。
 だが目を丸くする俺達を気にする素振りも無く、ルティはしげしげと剣に彫られた装飾を眺める。
「鍛冶屋は多い。けれどもこの手の処理ができる鍛冶屋は極僅か。故に相場はその程度」
 淡々と事実を述べているだけというのはわかるが、たぶんこいつから金の話が出てきた事が現実的でないって気分にさせるのかもしんねーけど……
「どんな事をして御礼を?」
「いや……」
 俺の知ってる事実としてはあの死に掛けを触ってただけだ。しかもこの加工もものの五分かそこらで終わらせてたから額面どおり大したもんじゃねーと思ってたんだが……
 いや、ンなわけねーか。あの切れ味は異常だ。つまりそれなりの魔法がかかってるってことで……
「つか、顔ちけーよ」
「むぎゅ」
 額でも突きつけんばかりに寄ってきたトウコの顔面をひっつかんで距離をとる。ったく、
「あの馬鹿が死に掛かってたから治療の手伝いしたんだよ。そんだけだ」
「あの馬鹿って誰ですか? って、あ……ユキヤさん?」
「……なんですぐ名前出てくるんだ?」
 俺なんか全然思い出せないんだが。つうか、名前っていつ聞いたっけか?
「だってヤイナラハさんの交友関係って……」
 そこで慌てて口を噤むトウコ。ここはぶん殴っていい所かもしれないが、色々と墓穴のような気もするので無視しておく。
「って、死に掛かってって……大丈夫なんですか?」
「ああ。とりあえず魔法で治療してた。死んでねーと思うぞ」
 起きてる姿を確認してるわけじゃねーから、何とも。わざわざ隣の家を覗く趣味もねーしな。
「おおかた仕事中に喧嘩でも売られたんだろ。あいつ弱そうだし」
 というか間違いなく弱い。まともに筋肉が付いてると思えないなまっちろさだしな。
「……ヤイナラハさん?」
 ん?とトウコに顔を向けると、すっげー睨まれた。
「少しは心配したらどうなんですか?
 少ないお友達なんですから大切にするべきだと思います!」
「知るかよ!」
 友達なんていう寒気がするような単語は知った事じゃない。ついでに滅茶苦茶失礼な事言ってないか、こいつ。
「だいたい何で俺があんなのを心配しなきゃなんねーんだよ。
 迷惑しか掛けられた覚えがねーぞ」
 最初に会った時もあいつ勝手に死に掛けてたし。
「袖触れ合うも他生の縁です。お見舞いに行きましょう?」
「袖がどうだか知らねーけどよ。
 つかお前なんでそこまで積極的なんだよ。男苦手じゃねーのか?」
 俺の言葉にトウコはきょとんとして「え? 私が?」とか言いやがる。
「最初にンな事言ってただろうが」
 何の事か本気でわからないらしくしばらく眉根を寄せていたトウコが不意にぽんと手を打ち「……ああ」と、声を漏らす。
「ほら、日帰りの仕事ならともかく長期にわたる探索で男性が居るといろいろ不都合じゃないですか」
「その割りにはやたら文句言ってなかったか?」
 途中から聞き流してたけどな。もちろんトウコの誇大妄想だとは言うつもりもない。
 冒険者やら探索者やらの道を選ぶ男は鼻息が荒い。で、女と見ると見境ない奴も少なくは無い。ついでに女を下に見る傾向が強いときている。力で自分を成り立たせているからそれ以外の事で上下を判断しねーんだよな、あいつら。
 神官みたいな立場でやたら潔癖なトウコの事だ。それを過剰に嫌悪してる部分もあるんだろうけど。
「文句も言いたくなります。前の……」
「もうそれはいい。で、なんでアイツは別なんだよ?」
 話が長くなるのが明確なので出鼻を挫くと、不満そうにしながらも咳払い一つ。
「別に彼だから特別と言うよりも、ヤイナラハさんの数少ないお知り合いですし、と」
「お前、さっきから俺に喧嘩売ってんだろ?」
 ったくこの女は。
 友人だかなんだかなんて俺には無縁の物だ。大体剣を手に入れてから定住した事はねーし、いつ身包みはがされるかわかったもんじゃない日常の中で良くも知らないやつと一緒に居るなんてのもありえねえ。
 子供だってナイフ一本持てば人を殺せる。殺した人間から何を奪っても文句は言われないしな。
「見舞いに行きたきゃ一人で行け」
「それはできません。男の方の所に一人で行くだなんてそんなはしたない」
「……お前の頭ン中、どうなってんのかワカンネ」
 これ以上話をしても頭痛しか産まなそうだ。ひらひらと手を振って、さっさと足を進めるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆

「ユキヤ君、具合はどうかな?」
「グランドーグさん……」
 昼も回ったころ、そう声を掛けられて顔を上げる。
 朝からアリアエル先生の医院に赴いた僕はCTスキャン装置の簡易版みたいなものに寝かされた後、いくつかの検査をして待合室に待っているように指示されていた。
 しばし呆然とその鱗に包まれた顔を見上げ、それからエンジェルウィングスに一切の連絡をしていないことに気が付いた。
「あ、す、すみません! 連絡もしないで!」
「ははは、ユキヤ君はまじめですね。そんな事よりも大丈夫なのですか?」
「ええ、とりあえずは……」
 言いながら診察室の方を見る。「今は検査の結果待ちです」と続けると竜人はうんうんと頷き、
「連絡を受けたときはびっくりしましたよ。いや大事にならなくて良かった」と安堵したように言う。
 聞いた話によると十分大事だったのだけど、今は大した痛みも無い。
「君が遭遇したのは恐らく先日賞金をかけられた人間種の方でしょう」
「賞金……」
 つまりは犯罪者ということだよね。
「とらいあんぐる・かーぺんたーずの方からも連絡をいただきました。バイク……エルフィンガントさんでしたっけ?
 彼女の認識データも提供していただき、大体の事情は把握しています。
 あのエリアの郵便物が混入していたのはこちらの落ち度だ。大変申し訳ない」
 真摯な言葉と共に深々と頭が下げられるのを見て、僕ははっとする。
「あ、いえ、謝らないでください! 僕も変な欲を出さずに持って帰ればよかったんです!」
「いえ。貴方は業務として渡された郵便物を届けようとしただけです。
 本当に無事でよかった」
 じんと胸が熱くなる。それと同時にどうしようもないほどの申し訳なさが込みあがってきた。
「ともあれ、医者の指示に従って体を休めてください。今回の件は……ろうさい、でしたでしょうか。それに該当しますから」
 労災なんて言葉が出てくるとは思っていなかった。ユキヤは思わず苦笑を零すと「慣れない言葉を使うものじゃないですね」とグランドーグも頭を掻く。
「おや、来客かな」
 カルテらしきものを片手に診察室から出てきたアリアエルは竜人を見て目を細める。
「エンジェルウィングスの支店長、グランドーグです。社員がお世話になりました」
 丁寧に挨拶をする竜人というのもなかなかに滑稽かもしれないが、真摯な言葉に笑みがこぼれる事などない。
「なるほど。ああ、ユキヤ君。とりあえず検査結果は特に異常無しだ。骨や脳にも重大な損傷は見られない。
 頭蓋骨の骨折した部分に少々違和感が見られたがこれも経過と共に元に戻るだろう」
「ありがとうございます」
 とりあえず胸を撫で下ろし、頭をさする。これと言って自分に違和感は無いからこれで一安心ってことかな。
「ただ、アルカ君の行った治癒魔法は特殊な方法を用いたと聞いているから、何か違和感を感じたら相談に来てくれ」
「……はい」
 こんな世界に居ても自分の使えない「魔法」という存在をどう捕らえていいのか未だに良く分かっていないから、言われるままに頷くしかない。
「彼は2、3日休ませた方が良いでしょうか?」
 グランドーグさんのの問いかけに先生は僕の方を見て、それから少し思案すると
「体調としては問題ないと思うが、ユキヤ君。心の方はどうかね?」
 何気なく問われ、ずぐりと胃が収縮する。
「心……?」
 グランドーグさんがは意味を図りかねたように僕の方を向き、そして小さく首をかしげる。
「君は戦闘経験が無い。そうだろう?」
「……はい」
 『戦闘』なんて仰々しい言葉はゲームか漫画の世界でしかない。あって『喧嘩』だけどそれすらも僕には無い世界の物だ。
「今回の件は確かに災難だっただろうが、幸運でもあったな。
 君は命を奪われる事なく得がたい経験をした。それをどう受け止められるかは君次第だ」
 先生が言おうとしてる事はなんとなく分かる。でも僕はそんなにポジティブに受け止められない。フラッシュバッする光景が体の芯を凍らせる。
「まぁ、2、3日くらいは休みなさい。少し落ち着けば世界も変わる」
 包容力のある笑みでさも当然のように僕に向けられた言葉は僕の心に遠い。
「……はい」
 けれども、今の僕にはそうとしか応じる言葉は無かった。
◆◇◆◇◆◇◆

 目の前に化け物が居た。
 頭は老人、体は獅子、尻尾は蛇、そして蝙蝠の羽───キマイラという単語がいきなり湧き出てきて脳裏を掠めると、引きずられるように嫌な情報が引っ張り出された。
 曰く天を舞い、魔術を使う魔法生物。
 相手はこちらに気づいている。今から背中を見せれば間違いなく死ぬ。
 戦うしか道は無く、勝つ事でしか生き残れ無い。
 ならばやるべきことは一つしかない。一気に間合いを詰める。
 おかしいと思う暇も無い。醜悪な老人の顔がぎょろりとこちらを睨む。瘴気を漏らす口腔から脳髄をかき乱すような言葉が漏れ始める。
「疾っ!」
 体の全身を使って更に加速。もはや止まることも方向転換する事もできない速度に達するタイミングでバケモノの眼前に迫る。

『UUUUUUGAAAAAAAAAA!』

 ゾクリと心臓が収縮する。勘がヤバイを連呼する。でももう止まれない。それは自分の命の停止と同意だ。

 ────ならば、その危険を速度で振り切る。

 吐き出される呪いの言葉。そこに頭から突っ込みながらイメージは切り裂く事唯一つ。見えざる呪いの言葉だろうとその意思一つで叩き切るなんて事は今まで何度もやってきた。
 失敗するだなんて考えすらも切り裂いてトンと足が地面を踏み切る。
 全身を走り抜ける怖気。命の全てを持って行きそうな冷たい手を得たスピードが突き抜けていく。薄れそうな視界に喝を入れ、醜悪な顔面を睨みつける。
 体はすでに中空。全てのスピードを威力に昇華させるために体を捻る。
 それぞれの手にあるそれぞれの刃がひゅんと空を切り、計算なんかじゃない───ただ繰り返してきた事実を突きつけるように威力を集中させる。

 風切り音も遠く、体感として減速した時間の中で刃が鼻の上に突き刺さる。
 左の手は打ち込んだ刃の柄を叩き、ごりともぞぶりともする感触が体を震わせる。
 捻った体が巨体の下にもぐりこむ。右の手には剣は無い。残った一本に双手を添えて体は限界まで縮められる。
 両の足に全ての力を。跳ね返るようにして刃が喉を切り裂いていく。醜悪にして威圧的なバケモノであっても動物を模した以上、その構造、急所は引き継がれる。
 不気味にやわらかい喉にねじ込み勢いのままに切り裂く。
 悲鳴の代わりか、血液と目にしみるような臭気が傷口から噴出した。

 離れる。
 蛇の尾が強烈に暴れるがこうなってしまっては縄に繋がれた犬だ。自分のところまで届き養い。脳をやられた魔獣はもがくように暴れ、やがてずんと地に横たわった。
 尾もくたりと地に伏せたのを見て数秒。
 痙攣すら止んだ体に近づいて顔面を蹴りつけながら剣を引き抜く。一緒にどろりと灰とピンクが混ざったような物が流れ出た。
 足も体も、じんと痺れている。
 放たれた呪詛のせいか、喉から噴出した不快な臭気のせいか。
 それとも限界を超えるような体の動きのせいか。
 そのどれでもいいと荷物を漁り、蛮刀を引き出すとその首に思いっきり振り下ろした。
 中型以上の魔獣は見入りが良いが、その証拠を持ち帰るのに苦労する。不老とも言われるヤツらでも死ねば普通に腐る。暑い時期など数日これと付き合うのは気が滅入る限りだ。
 そこまで思考が回って、俺はふと思う。

 何の夢を見て居るのだろうか、と。
◆◇◆◇◆◇◆

「ユキヤ君〜♪」
 どんどんと窓ガラスを叩く笑顔の人。僕はしばし呆然とし、それから庭に続く戸を開く。
「レイリーさん、どうしたんですか?」
「お見舞い〜♪」
 やったら上機嫌にそう言いながら果物の入ったバスケットを差し出してくる。
「あがっていい?」
「ええと、玄関からどうぞ?」
 思いっきりめんどくさそうな顔をされたので「どうぞ」と言う。
「にょわっ!?」
 ガンっけたたましい音。背負った巨大な剣がモロに窓ガラスに激突したのだ。
「ごめんごめん」
 悪びれた風もなく可愛らしく「てへへ」なんて舌を出しながらドガリと剣を地面に突き刺し、自分だけ部屋に乗り込んできた。
 ちなみに窓ガラスは無事。今更だけどどうやらただのガラスではないみたいだ。
「具合はどうですか?」
「大丈夫です。ちゃんと明日には出社しますから」
「それは良かったです」
 満面の笑み。いろいろと残念な行為が多いこの人だけど、美醜で言えば特段に秀でている。緊急回避的に視線を彷徨わせつつ「おかげさまで」と言葉を返しておく。
「もーユキヤ君が居ないとですね、支店長さんの監視が厳しいですし、書類整理助けてくれる人が居なくて……」
「あはは……」
 相変わらずだなぁと思いながら「お茶を入れますね」と台所へ。
「レイリーさんはソファーにでもどうぞ」
「はーい」
 素直な返事をしつつ、持ってきたバスケットをテーブルの上に置きつつきょろきょろと部屋を見回している。
 まぁ、見られて困る物は無いというか、ほとんど支給されたままに使っている。あえて特徴を挙げるならば壁際に雑誌が積まれてるくらいかなぁ。
「綺麗にしてるんですね」
「まぁ、それほど使っていませんしね」
 家に戻ってもすることがないし、仕事が終わった後は食事をして戻ってきて寝るって感じだ。体力的なものというより精神的な疲れが激しい。
 もちろんケイオスタウンを配達するっていうプレッシャーもあるけど、車道の概念が無いのでちょっと気を抜くと事故を起こしかねないっていうのが大きいと思う。というかエルのサポートが無きゃ絶対何度か事故ってる。気にせず飛び出してくるしなぁ。
 そんな事を考えていると湯が沸いた。いつの間にか慣れた手つきで作業を進めていると「そういえばコーヒーでも大丈夫なのかな」とぼんやり思う。
 先生に案内されて以来ちょくちょくあのカフェには顔を出している。その結果店長さんから豆をいただいたりしてるんだよね。
 コーヒーメイカー自体はそう高くない物を買えたから、なんとなしに日課になっていた。
「レイリーさん、コーヒー大丈夫ですか?」
「おさとーとミルクがあれば大丈夫です!」
 見事な子供舌ですねとはもちろん口にしない。僕も朝は甘くして飲むから一応揃ってるけど。
「どうぞ」
 コーヒーカップなんて洒落た物までは用意していないので何かの折に買ったマグカップで渡す。
「ありがとー。香りは良いんだよね〜」
 それはまぁ味が苦手と言う意味ですかね。そう思っていると早速砂糖やらの投入を開始している。
「それでユキヤ君」
「え、はい?」
「衛星都市建設計画は聞いていますよね?」
「……ええ」
 外に出れば嫌でも耳に入る。特に物流を担うエンジェルウィングスではすでにその準備が始まっている。
 うちの事務所はクロスロード内部での配達が主体だからそれほど目立った変化は無いけど、グランドーグさんがここ最近やけに忙しそうだ。
「機動力を持つユキヤ君はどうしても輸送に携わってもらいたいって上から要請が着てるらしいんです」
「え……」
 言わんとしている事はもちろん分かる。でも真っ先に脳裏に浮かんだ言葉は「無理」。
 それを察するようにちびちびと舐めるように味を確かめるレイリーさんが笑みをこぼす。
「グランドーグさんは今のところそうならないように動いてますよぉ。
 あのバイクさんはユキヤ君しか動かせないから取られる事も無いと思いますし」
「……そう、ですか」
 安堵以上に申し訳なさが胸を占めるが、所詮ただの一般人。『怪物』なんてものがうろつく土地を往けるわけがない。
「ユキヤ君は平和な人なんですよね〜」
 自分こそ平和で朗らかそうな顔をしながらほうっと息を吐く。別に揶揄するような響きはない。
「……レイリーさんは、どうして武器なんて持って戦うんですか?」
「さぁ?」
 僅かな躊躇いを引きずって口にした問い。それはちょこんと傾げた小首に粉砕される。
「んー。何と言いますか……」
 やわらかそうなほっぺたにちょこんと指を当てて考える事数秒。
「なんとなしに旅をしてたんですよ。私」
 すみません。もはやどう突っ込んで良いやら。
 僕の呆れた顔に全く気づかずに記憶を掘り返すように天井を見上げて言葉が続く。
「記憶喪失というかなんというか。何か知らないですけど剣持って歩いてたんですよね。
 そしたら悪い子が居るところに辿り着いちゃうんで、退治してまた歩いて〜と」
 見える白くて細い腕は強く握れば折れてしまいそうなほどだ。庭に突き刺さった大振りというにも大きすぎる剣を振るえるとはとても思えない。
「悪い子センサーでも付いているんでしょーか?」
「悪い子って……」
「いろいろ居ましたよ〜。なんか色々」
 明確に覚えていないらしい。話しっぷりからすると絵本の世界的と言うか牧歌的な光景が思い浮かぶんだけど。あの剣の威圧感はそれらをあっさり粉砕する妖気じみた禍々しさがある。
「でも、ほら。私がちょっとがんばると喜んでくれる人たちが居ましたし、それが私の宿命だったらしいので。
 あー、でもこの世界に来ちゃってそういうのってどうなったんでしょうかね?」
 もはやポジティブとかそういう次元でない思考に僕はただただ呆れることしかできない。
「もしかすると、私も悪い子になりかけてたから神様にお役御免ってされたんでしょーか」
 自分なりに要約してみると……レイリーさんはゲームの主人公みたいに何かをする使命を神さまから与えられた人、ってことだろうか。
 悪い子……っていうのがまぁ、敵とも言うべき存在なんだろう。
 でも悪い子になりかけるって?
「実はここに来るちょっと前の記憶もあいまいなんですよねー。
 だからここに居るのかも。悪い子になっちゃうともう戻れませんしね」
「悪い子……って言うのは……?」
「ああ、えっと。力に溺れてもっともっと力がほしーって思って暴れちゃう子ですよ〜。
 私みたいに悪い子を退治する使命を持った人もたまになっちゃうんですよね〜」
 ……それって救われない話じゃないのか……?
 悪い人を倒して救った人がやがて悪になり、そして倒される。永遠の循環。
「レイリーさんって……ここに来て良かったって思ってますか?」
「んー。どーだろね」
 カップを包むようにしてちびちびと舐める彼女はふにゃりと笑う。
「どこでも幸せに感じるのは自分の心持ち一つじゃないかなー」
 それはポジティブと感じるより、なんというか……
「そこに「めっ」しなきゃいけない人がいるなら「めっ」すればいいわけだし。
 それでみんなが嬉しいってなるなら私も嬉しいってなるんだよ」
 悲観とかそういう悪い感情だけをを全部切り捨ててしまったような、妙な薄ら寒さを覚える笑顔。
「まぁ、それはともかくですね」
 僕の問いは柔らかで、全てが些事とばかりの軽い言葉に流される。
「ユキヤ君。私と一緒にお仕事しませんか?」
「……え?」
「さいどかーというものがあるんですよ」
 発音が怪しかったので一瞬困った。
「それに私が乗ればおーるおっけーなのですよ」
「それって……」
 元よりレイリーさんは護衛としてエンジェルウィングスで働いているってことはもちろん知っている。
 うちの支店の場合は基本的にクロスロード内部のみの配達だけど、砦までの配達が回ってくる事もあるからだ。
「ユキヤ君のことはしっかり守ってあげますからやりませんか?」
 息が詰まるような完璧な笑顔。でもその理由の半分はたぶん男としてのプライドだとか、今日こうして休んで、そして心配されているという事実から来る物だと感じざるを得ない。
「僕はっ……」
 僕はただの一般人。平和ボケとまで言われる日本人。戦争どころか喧嘩すら遠ざかって久しい大学生。
 その言葉───言い訳にどれだけ価値があるんだろうか。
「表に出ましょうか?」
「うわっ!?」
 ずいっと少し前に出ただけでぶつかってしまいそうなところにレイリーさんの顔があって思わずのけぞる。
 そんな僕の行動を気にする事も無く、彼女は気ままな猫のように外に出て突き刺していた剣を拾い上げる。それから「これでいいですかね?」と腰の後ろにつるしていたらしい刃渡り50cmくらいの剣を僕の方に向けて突き出す。
「絶対大丈夫だってこと見せますから〜♪」
 それから────彼女が何をしたいかを理解し、戸惑いながら庭に出るまでたっぷり5分は必要だった。
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