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世界説明SS
来訪者
(2010/3/2)
 俺は戦士だった。
 戦いに身を置き、ひたすら敵を討つ。
 戦うだけの存在。そんな戦士だった。

 ある日、全ての魔物が消え去ってしまった。
 原因は『勇者』が魔族の王────即ち『魔王』を打ち倒したから。
 世界は喜びに包まれた。自然災害のように襲い来る魔物に怯えることも無い。そんな未来が始まると誰もが喜びの中に居た。

 ────けれども。
 俺は逆だった。十数年もの間、俺の手には剣があった。
 銘があるわけでもない、決して立派でも曰くがあるわけでもない二つの小剣。
 これを手放したことなど数える程もない。寝ている時だって常に共にあった。
 これが俺だった。俺はこの双剣に自分の全てを託し、目の前に立ちふさがる魔物を打ち倒してきたのだ。
 そうすることで俺は認められ、そして俺であることが出来たというのに────
 その価値が一瞬にして消え去ってしまった。

 平和な時代に武器は不要だった。
 誰もが当然のように腰に下げていた武器は禁制となり、城に仕える僅かな兵士達だけがそれを許された。
 その装備は槍か剣。双剣なんていう特例は認められない。
 当然だ。彼らの役目はすでに戦う事に無い。こそ泥を捕まえたりする以外には精々門の前で欠伸をするくらいしかない。
 そんな時代になっても俺はこの剣を手放せない。自分自身を捨てられる人間なんて何処に居ると言うのか。
 けれども時代は許さない。
 魔物を討伐する事で俺を褒め称えていたヤツらが俺を侮蔑するように見てくる。
 まるで暗い過去を忌むように、悪夢の名残だと嫌悪された。

 世界に捨てられた俺はある日ひとつの話を耳にする。
 異世界に繋がる門が開いたのだという。
 けれども漸く平和を手に入れ、安穏に生活を始めようとするヤツらはそれを災いの元のように罵っていた。
 またそこから魔王のような存在が出てきては大変ではないか、と。

 俺は動いた。平和ボケした連中の目を掻い潜り、その門の前に居る。
 明日の昼、この門は司祭たちが集まって封印するのだという。俺はギリギリ間に合ったのだ。
 腰に下げた二振りにして一対の剣を撫でる。
「行こう」
 俺は、門を潜った。
◇◆◇◆◇◆◇

「……」
 呆然と見上げる空は吸い込まれそうな程に綺麗だった。
 恐ろしくなるくらい静かな場所。ゆるゆると流れる風が心地良い。
 芝生のような緑の上で僕は大の字になっている。

 ───が、好きで寝転んでいるわけではない。

 少しだけ視線を動かすと、ぱっくりと口を開いた扉があり、その向こうに闇を見せていた。
 『扉だけ残った廃屋』とでも言うべきか。
 野原にぽつんと扉があるのだ。どこかのネコ型ロボットの道具じゃあるまいに、その向こうは野原でなく闇。
 遥か先にぼんやり藍色の薄明かりが確認できる。
「……」
 記憶を探るとずきずきと体が痛んだ。
 僕は確か自転車で家に帰っている最中だった。ご自慢のマウンテンバイクで漸く小山を登り切り、これから爽快に下りの速度を楽しめば家に到着するはずだった。
 時刻は夜。都会とは間違っても言えない、どことなくひび割れたアスファルトの道を走っていたはずだ。
 ────いや、確か何か飛び出してきて……?
 犬猫だけでない、狐や狸も稀に見るような場所だ。動物が飛び出す可能性は否定できないし、恐らくそういうものに驚いたんだろう。
 僕は加速の付いたマウンテンバイクの操縦に失敗し、盛大に転倒した……んだと思う。
 思い出して痛みが増した。体の何処もかしこも痛すぎて自分でも部位が特定できない。
 仕方なく記憶の発掘を再開する。
 確か……よろめいた僕は努力もあえなく道からはずれ、藪に突っ込んだ。
 思わず目を閉じたからはっきりとはしないけど、体がぐるんと回転した感覚があり、次に浮遊感があった。
 あ、飛ばされてると思った瞬間、どんと体が叩きつけられて意識が飛んだ。
 真っ暗闇の中で勢いだけが意識にこびりついていた。多分勢いが消えず、転がって────
 目が覚めたらここで空を見ていた。
 明るさは早朝とも言い難い。半日くらい気を失っていたのだろうか。てか、どこまで転がったんだ、僕?
 痛みが酷い。ずきずきと蝕んでくる。
 不意にまずいと感じた。
 背中の辺りに感じるぬるりとした生暖かさ。予想したくないけど……血だろう。
 死という結末がじわり心の中に広がる。どろどろとした恐怖が広がり、涙が浮かんだ。
 死にたくない、と唇だけで呟く。急に体が冷えてきた。
 涙のせいか、それとも貧血か。視界がぼやけてくる中、ざっ、と草を踏みしめる音が耳に響く。
 久々の音に過剰に反応した聴覚に全身がびくりと動く。目を覚ましたような感覚に激痛まで再燃し、ありがたくない方法でまだ生きていると知る。
「お前、何をしているんだ?」
 訝しげでそれ以上に愛想がない、そんな声が字面通り投げつけられた。
「……ろん……」
 胸がずきりと痛む。肋骨が折れているのかもしれない。声も出せず「あ゛」と自分でも不気味と思う声が漏れた。
「酷い傷だな。イノシシにでも跳ね飛ばされたか」
 事実を淡々と確認するような、言葉と足音が接近。やがて至近距離になったところで漸く声の主を見る事ができた。
 金の髪をショートカットにした綺麗で、どこか刃物のような雰囲気のある女の子。
 厳しい顔がデフォルトに設定されていて、今は「不可解さ」のおかげで緩和しているような、そんな女の子がこちらを見下ろしている。
「立てるか?」
「……」声が出せない。辛うじて首を横に振ると「だろうな。右腕とか折れてるし、肋骨もやばそうだ」と聞きたくなかった情報をさらりと指摘してくる。
「まさか着て早々にこんなのに遭遇するとはな。まぁ、いいさ」
 彼女の顔が近付く。正確には膝をついて屈み込み、荷物を漁っているようだ。
 やがて小瓶のようなものを取り出すと、いきなり僕の口に突っ込んだ。
「げぼっ!?」
「噴出すなよ、勿体無い」
 なんとか歯を食い縛り、呼吸を確保するために喉の奥に流し込んでいく。むしろビンの口を突っ込まれているままなので噴出すことも出来ない。鼻に少し逆流して涙が出た。
 なんとも言えない味だ。これまで舌で感じた味覚を裏切る、しかし不快とも言い難い。まさに表現できないような味。そもそもこれは味なのだろうかと妙な疑問まで沸いてくる。
「どうだ?」
「どうだって……」
 応じて、気付く。痛みが嘘のように和らいでいた。もちろん痛いことには痛いけど、先ほどまでとは比べ物にならなかった。
「立てるくらいにはなったようだな」
「え、あ、ああ」
 腕を動かしてみる。「折れた」と言われた右腕も普通に動く。
「一等級のポーションだからな。まぁ、時代が変わって投売りしてたようなシロモノだが」
「ポーション?」
 思いついたのはコンビニで並んでいたあの青い液体だ。某有名ゲームの回復アイテム。
 回復アイテム?
「まぁ、代金を払えとは言わないさ。いきなり死人を看取るのも縁起が悪いしな」
 体を起こすと、背中が妙に張り付く感覚があった。振り返るとぎょっとするほどに赤黒い。素人目にも自分が生きてる事が信じられないくらいの染みが広がっていた。
「……どういうこと?」
「はぁ?」
 女の子が少しだけイラっとしたような顔をする。
「……頭でも打ったのか? お前は死に掛けてたんだよ。それを俺が助けてやった」
 俺という言葉に一瞬視線を下げる。ささやかながらにも膨らんだ胸元が女の子である事を────
「何処見てやがる?」
「え!? あ、ああ。いや!?」
「チッ、助けるんじゃなかったか……」
 悪態ひとつ吐いて女の子は立ち上がり、荷物を担ぎなおす。
 いろんなことがありすぎてまとまらない脳を動かしながら改めて女の子を見る。薄汚れた地味な色の上下は丈夫なことだけが取り得といわんばかり。それも所々がほつれ、また引っかいたように破かれては修繕しているのが見て取れた。
 化粧っ気は一つも無く、ああ、あれだ。歴史物のドラマで見た農家の娘みたいな感じだ。
 けれども『農家の娘さん』と一線を画すのがある。腰に下げてる棒────形から推測するに『剣』
「……」
 今ふと浮かんだ想像は、大学生にもなって少々幼稚すぎやしないだろうか。
 もう一度見る。
 やっぱり剣としか思えない形状をしていた。
「ったく、折角こっちの世界に来たってのに。ツイてないな」
 がしがしと荒っぽく頭を掻く女の子にはっとして、その綺麗な顔を見上げる。
「え、ええと。ありがとう……だよね」
「疑問系で言うな」
 憮然とした言葉が帰ってくる。
「じゃあ、俺はもう行くから」
「え? あ」
「何だよ?」
 僕は何と言おうとしたんだろうか。行くって?ってのは少し間抜けな気がする。
「な、名前は?」
「何だよ。礼でもしてくれるってのか?」
 面倒そうに目を細める少女に「ぼ、僕は藍原幸弥」と見当違いの言葉を発する。
「妙な響きだな。俺はヤイナラハだ。じゃあな」
 ヤイナラハ? 何処の国の人間だ?
 困惑を浮かべているうちに彼女は競歩みたいなスピードで去ってしまった。
 そうして漸く僕は周囲の光景に意識を向ける。寝ている時には見えなかった光景がそこにある。
 うねりあった蔦で作られた壁、その合間に何かのイタズラのように扉が捨てられている。
 ひとつやふたつではない。見渡す限りに腰程度の高さの蔦の迷宮と、乱立する扉があった。
 そして───────

「……は?」

 それを見上げた僕は、再び寝転がってしまった。
 それでも僕はその頂上を見る事はできない。

 少なくとも、僕の知識の中にこれほどの巨大建造物の知識は無かった。
 何かのアニメで見た軌道エレベータ。それが何となく思い出される。それほど巨大でその先は空に吸い込まれるように消えていた。
「……なんだ、これ」
 応えてくれる人は居ない。
 ぽかんと巨大すぎる塔を見上げ、先ほど脳裏に浮かんだ馬鹿馬鹿しい考えが再燃するのを感じていた。
◇◆◇◆◇◆◇

 やがて町並みが見えてきた。
 真っ先に浮かんだのは『奇妙な』という言葉だった。土壁とレンガで作られた家などどこにもない。それどころか不気味なほどに真四角な建物が王城よりも高くそびえている。
 そんな光景から視線を剥がし、目の前の行列へ視線を転じる。
 まさに多種多様。
 俺と同じ『人間』が比較的多いが、角が生えていたり羽が生えていたりするヤツが普通に混じっている。
 中には顔が動物だったり、どう見ても魔族にしか見えないメタリックブラックの皮膚の男も居たりする。
 それらが行儀よく列を作っている光景はどうしても違和感を拭えない。特に人間でない物の殆どが魔王の手先だった世界出身の俺にとってはどうも身構えてしまう。
 殺気を放っても仕方ない。警戒を解くような事はしないものの、倣って列の最後尾に付くと、直ぐ前のずんぐりとした男が振り返り、少しだけ頭を下げる。
「こんにちわ、お嬢さん」
「……ああ」
 人の良い老人とも言うべきか。誰もが明日とも知れぬ日々を送る世界で「人の良い」なんてのは騙される前兆だ。
 ついつい警戒心が浮いてしまう。それ以上に……お嬢さんなんて言われるとムズ痒い。
「探索者ですかな?」
「探索者?」
「おお、ここは初めてですかな」
 男は良い暇つぶしが出来たとばかりに微笑むと
「でしたら順番待ちのついでにお教えしましょう」と言ってくる。
 思わず「金は無いぞ」という常套句を言いかけて慌てて噤んだ。
「ここに来る人───ああ、とりあえず来訪者の総称として『人』と言っているのでドラゴンでも魔人でも人と言うのですがね。
 ここに来る人には3つの種類があるんですよ」
 小さなというより人間の尺を全体的に縮めたような老人は、目を細めながら白いひげをしごく。
「『住民』『探索者』『行者』。わしは最後の行者で、こっちの世界と自分の世界を行き来して貿易をする、まぁつまりは一時滞在者のことですな」
 そう言われれば何となく分る。
「じゃあ、俺は探索者ってやつで良いと思う」
「そうですか。随分と使い込まれた良い剣を持ってらっしゃる」
 老人が腰に下げた双剣に目を細める。
「古いだけだ」
「いや、大事になさっている。だから使うたびに強くなっていますなぁ」
 少しだけ嬉しくなる。俺はこいつとずっと生きてきたからな。
「受付で『探索者になりたい』と言えばスムーズに申請は終わるでしょうな。
 住民の場合には諸手続きが面倒ですが」
「そうなのか?」
「ええ、住民はこの世界に定住して商いをする事を望む人です。仕事の内容を確認して店の場所を指示するのだそうです」
 列が進み、俺達は数歩前に歩く。この分だとそんなに待たずに済みそうだ。
「私自身はさっきも言ったとおりここには住んでいませんがね。知り合いが店を出してるんですよ。
 そこに品物を降ろしているので、もしも御用の際にはお寄りください」
 爺さんはそこまで言ってもう一度俺の剣に視線をやる。
「研ぎ直し、打ち直しは毎回とは言いませんがプロに任せるものですよ」
「ちゃっかりしてやがるな」
 こいつは俺がこの双剣を手放すとは思っていない。そして例え目の前に伝説の剣があったって俺はこっちを選ぶ。
「私はドウランドと言います。『とらいあんぐるかーぺんたーず』という店で名前を出せば優遇してくれますぞ」
「覚えておくよ」
「次の方どうぞ」
「では、また縁がありましたら」
 俺はついつい浮かんだ笑みに少しだけ気恥ずかしさを覚えつつ、小さな小屋から顔を出した女性に呼ばれた爺さんの背中を見送った。
「次の方」
 小屋は2つある。爺さんとは別の方に進んだ俺は人が5人も入れば狭そうな小屋の前に立つ。
 小屋の中には女が一人と、一面が光る四角い箱。それからいくらかの小物が見て取れる。
「初めてですね?」
「ああ」
 茶色の髪の耳のとんがった綺麗な女はちらりちらりと光る箱を見ながら手元で何かを操作しつつ言葉を続ける。
「在住を希望しますか?」
「ああ。探索者ってヤツになりたい」
「分りました。お名前をどうぞ」
「ヤイナラハ、だ」
「はい」
 女はカタカタと音を立てながら手元を操作し続ける。やがて動きを止めるとこちらに向き直り、窓枠兼カウンターのような場所に細い輪っかを置いた。
 綺麗な白のそれはブレスレッドだろうか。材質は良く分からないが、金属とも石とも知れない輝きだ。
「ではヤイナラハさんのパーソナルブレスレッドを支給します。不都合が無ければ腕に装着してください。
 これは身分証明を初めとし、クロスロードで生活するうえで必要なものとなりますので基本的には付けっぱなしにしておいてください。
 別の形状を希望の場合にはあちらの建物に行って申請をお願いします。その他の説明についてはパーソナルブレスレッドで確認できます」
 女は自分の手首を見せる。色は薄紅色だが、彼女の手にも同じような物が付いていた。
「着ければ良いのか?」
「お願いします」
 躊躇うのも馬鹿馬鹿しい。俺は台の上のそれを手にとって左の手首に嵌めた。すると不意に輪が縮まり、締め付けない程度のサイズになった。
「外そうと思えば外れますのでご安心を。
 では、これで登録は完了です。質問などがありましたらパーソナルブレスレッド───PBにお伺いください」
「こいつにか?」
「はい。前にお進み戴いていいですか?」
 後ろを振り返り、俺は数歩前に出る。女は「次の方」と並んでいたやつを呼んだ。
「聞くって……」
『質問をどうぞ』
「うわぁっ?」
 いきなり頭に響いた声に変な声を出してしまった。後ろて手続きをしていた額に角の生えたごつい男が笑っている。
「なに、俺も最初は驚いた」
 余計なお世話だ。口内で呟いても流石に文句を言うには羞恥が過ぎる。
 なるほど、インテリジェンスアイテムとかいうやつか……それにしてもこんなもんぽんぽん配ってるのか、この世界は……
 魔法のアイテムと言うだけで屋敷が買える事もある、と言う認識の俺としては本当に拘束具とかじゃねえかと心配になったが、外そうとすればサイズが大きくなり、あっさり外れた。
 何と無い違和感を感じつつも、後ろから手続きが終わった連中が来るのを察して一歩を踏み出した。
◇◆◇◆◇◆◇

『問題ですか?』
 なにやらガガピーとした機械質な声が問いかけてくる。
 はっとして首を巡らせると目の前に青いサッカーボール程度の球体があった。
「……ナンダ、コレ」
『量産型全自動選択機。
 通称、量産型センタ君です』
「せ、センタ君?」
 どう見ても洗濯機には見えないなぁと思いつつも呆然とそれを見る。
 縦棒の目と逆U字型の模様が口に見えなくも無い。蛇腹の腕の先にはボールがついていて、足も同じようなものだ。
 天辺からはにゅっと棒が出てやはり丸い玉がぴこぴこと動いている。
『はい、量産型センタ君です。
 何か問題ですか?』
「いや……」
 問題と言えば、問題だろうか。僕が現状が全く理解できていない。こんな玉に心配される理由も。
「あー、ここはどこか分る?」
 ダメ元で聞くと
『多重交錯世界《ターミナル》 『扉の園』第三十七区画 です』
「多重交錯世界?」
 唖然に呆然が加わる。「どこかのテーマパークにでも迷い込んだのだろうか?」と惚けた頭が思い浮かべるが、近くにそんな施設は無かったはずだ。
 ついでにさっきまで死に掛けていたのも、それが魔法のように治ったのも……この痛みは夢じゃないよなぁ。
『混入者と判断。異世界の知識はありますか?』
「……異世界……」
 脳裏を過ぎりつつも一般的な大学生としては口にすることを躊躇っていた単語に言葉を詰まらせる。
 それから「うー」だか「あー」だかを30秒ほど呟き、あきらめた様に玉コロに視線を向けた。
「ここ、地球じゃないのか?」
『違います。名称《地球》を名乗る世界は現在74291登録されていますが、ここは地球世界ではありません。
 ここは多重交錯世界《ターミナル》です』
 僕は青い玉から視線を外し、空を見上げる。
 深く深呼吸。
「冗談じゃないよね?」
『冗談ではありません。自身が通った《扉》は分りますか?』
 言われて視線を転じると、いつの間にか綺麗に閉じた扉が視界に入る。
 あれってホントに某未来のロボットな扉と同じなのか?
「えっと……多分アレだと思うんだけど」
 センタ君と名乗った玉(ロボット?)はてこてこと可愛らしく歩くとにゅーんと伸びた腕でその扉の取っ手に触れた。
 それからがちゃがちゃと数度揺する。
『定時開放型もしくは条件式開放型と判断』
「……は?」
 不穏当な言葉に嫌な汗が流れる。
『一定期間、条件下でしか開放されないタイプの《扉》です。
 その期間、条件満了時のみ多重交錯世界との行き来が可能となります』
「……ええと、じゃあもしも僕がそこから来たとして。戻れないって事?」
『肯定します』
 慌てて起き上がり、全身に響く痛みにうめきを漏らす。
 それでもぐっと涙を呑んで扉に触れると思いっきり引っ張ってみた。
 しかし全く開かない。揺らしてもぴくりとも動かないのだ。
「……」
 もう一度がちゃがちゃと揺らすけど、動いてくれるのは取っ手の輪っかだけだ。
『扉の開放時期までクロスロードに滞在しますか?』
「クロスロード?」
『多重交錯世界唯一の町にして、異世界からの来訪者が集まる場所です』
 センタ君が指───は無いから玉指す?方向を見ると確かに街のような光景が見える。
 一番目立つのは市庁舎みたいな建物だ。
『この扉の位置データは認識しました。
 入市管理所でパーソナルブレスレッドに登録すれば、扉が開放された際、お知らせする事も可能です』
「ええと……いつ開くか分らないって事?」
『データがありません』
 どさりと倒れて空を見上げる。
 まるで心配するかのようにセンタ君が丸い体を傾けて覗き込んでくる。
『衛生兵が必要ですか?』
「何で衛生兵なんだよ……」
 どんな言い回しだよと突っ込みを入れつつ、実は救急車の1つでも呼んでもらわなきゃいけない大怪我じゃないかと思う。なにしろ背中のぬめりは未だに生々しい。
「この扉は異世界……地球に繋がってるって事だよね?」
『データがありませんが、貴方がこの扉から出てきたと仮定すれば、貴方の世界と繋がる扉と判断できます』
 実に機械的な回答だ。
「他にも扉があるけど、あれも別の世界に繋がってるの?」
『肯定します』
 ターミナルって駅とかで使われる言葉だよな。
 ってことは、いろんな世界と繋がっているって意味か。
「ん? ターミナルって英語……?」
『言語については扉を通る際に統一されます』
 なんてアニメ設定。
「……便利だね」
 僕は日本語喋ってるつもりなんだけど、こっちの世界の言葉になってるってことなのかな。
 とりあえず頭の中を整理する。
 僕は夜の帰り道に自転車で盛大に転倒し、気が付いたらここに居た。
 なんでもあの扉は異世界に繋がっていて、目の前のびくともしない扉が僕の世界───地球に繋がっているということだ。
 この扉はいつ開くかも不明。
「さて、どうするかな」
 泣きたくなりながらぼやくと
『扉の開放時期までクロスロードに滞在しますか?』
 再度そんな言葉を言ってくる。
「滞在させてくれるの?」
『滞在は自由です。『住民』として登録すれば住居の提供もあります』
 住居の提供って……家をくれるってこと?
「でも、そんな家賃を払うほどのお金は……」
『家賃は不要です。食費に関しては実費ですが、必要であれば職業の斡旋も行えます』
 あれ? なんか至れり尽くせりだな。
 このまま寝転んでいてもちょっと命が危なそうだし。他に選択肢も思いつかない。
「じゃあ、お願いしてもいいかな」
『では入市管理場までお越しください。この先450mです』
 センタ君の指す先を見ると、先ほどの大きな建物のある方角だった。確かヤイナ……薬をくれた子の向かった方向でもある。
「うん。あ、えっと」
『はい?』
 くいと愛嬌ある首───体の傾げ方をして疑問を示す。芸が細かい。
「御免、できれば手を貸してくれないかな」
 怪我はあの子の薬で結構治ってるみたいだけど、血が足りない。
 くにゃりと歪む視界。あ、倒れたなぁとまるで他人事のように思う。
 遠くなる意識の中『要救護者一名発見。救援求む』というセンタ君の単調な声が遠く聞こえた。
クロスロード
(2009/10/4)
 目が覚めた時、そこは見知らぬ天井だった。
 ……何の小説だよ。
 僕は体を起こす。それから周囲の品物を眺めて
「病院?」
 そんな言葉を漏らす。
 白いカーテンを張った仕切りやデスクの上のレントゲンを飾る照明、荷物を入れる籠など、どう見ても病院の装いだ。
「……ああ、そっか。自転車で転倒して」
 大怪我をして、病院に運ばれたのか。
 妙な夢を見たなぁと頭を掻くと白衣を着た男がやってきた。
「おや、起きたかな」
 落ち着きと威厳のある声音。先生だろうかと視線を向けて─────
「……はぁ!?」
 30代半ばのやや厳つくも優しい笑顔。その後ろで柔らかな光を放つ大きな羽に目を剥いた。
「……僕、死んだんですか?」
「……いや、医者の前でそれはどうかと思うがね」
 男は苦笑しながら椅子に座る。どう見てもその姿は天使のコスプレだ。あと医者にしてはやたらゴツい。米国のアメフト選手と言われたら納得しそうだ。
「ん? ああ、君の世界じゃ天使族は冥府の者と同列なのかな?」
「天使なんですか!?」
「ああ、そういえば君は混入者だったね。
 私たちのような属性、形態をしている者を天使族と呼んでいるんだ。君の認識する天使そのものではないと思うよ」
 ……鶏もダチョウも鳥類……ということだろうか。いやいや、そういう話でなく。
「まぁ、詳しいことはPBに聞くといい」
 天使の医者は手首を見せてそこについている輪っかを軽く撫でた。
 視線をやると僕の手首にも同じ物が付いている。
「ともあれ、傷の方はどうだい?
 どうも回復系魔法薬を投与されたようだけど」
「え? ええ……あれ? 痛みが……」
 野原で寝てたときに感じていた痛みは全く無い。直ぐに立ち上がっても平気そうだ。
「無いならそれでいい。
 もし問題があればまた着なさい」
「え? あ……ありがとうございます」
 多分治療してくれたんだろう。天使は「どういたしまして」と笑顔で応じた。
「ああ、医療費は今回事故ということで管理組合のほうから貰ってるから気にしなくて良い。
 その辺りもPBに確認すれば分るよ。出口はそこだから」
 狐につままれたようなふわふわとした感覚で僕は頭を下げて外に出る。
 そういえば着ている服がなんか違う。量販店で変えるような安っぽい服だ。まぁ、僕が着てたのも同じようなものだけど。
 そんな事を考えているうちに外に出ていた。
 そして目を丸くする。
 目の前を路面電車が走っていった。
 そこに乗る客の中には顔がトカゲのような人が居る。その向こうには蝙蝠のような翼の生えた黒い男が居た。いわゆるエルフ耳とかいう物がついた女性が腕を組んで歩いている。
「……えーっと?」
 痛みがなくなったせいで益々夢の中のような気がしてきた。
 なんだこのファンタジー。
 しかし背景はどことなく現代的だ。片側4から5車線取れそうな大通りはアスファルトだし、その両側は寂れる前の地元商店街を思わせる。
 八百屋っぽい店には見たことあるような果物や見たこと無いような野菜が並んでいるし、ブティックっぽい店には明らかに3mくらいの人間を想定した服が飾られていた。
「……眩暈がしそうだな」
 最早これが夢である可能性は捨てた。この光景は僕の想像力を遥かに超えている。
 たっぷり4、5分は呆然としていただろうか。
 我に返った僕はきょろきょろと見回し、それから医者の言葉を思い出す。
「PBに聞けって言ってたけど……」
 言いながら腕の輪っかを撫でてた。それに視線を向けると
『簡易登録をします』
 頭の中で声がした。
 ぎょっとして、それから腕輪を見る。
「PBって……」
『パーソナルブレスレッド、略式名称PBです。
 簡易登録をします。お名前をどうぞ』
「名前? ……藍原幸弥だけど」
『アイハラ・ユキヤで登録しました。
 質問をどうぞ』
「……何をしたらいい?」
 沈黙した。……当然だよね。
「ええと、この世界のことについてざっと教えて」
『多重交錯世界《ターミナル》。あらゆる世界との扉を開き、繋がった事からその名前が付けられました。
 ここクロスロードは多重交錯世界唯一の町であり、この世界に来る者───来訪者の拠点として機能しています』
「……唯一なの?」
『肯定』
 他に街はないというのは不思議だ。こんな大都市があるのに。
「ええと、僕が自分の世界に帰る方法は?」
『貴方の世界に繋がる扉を潜れば戻れます』
 言われてセンタ君の説明を思い出す。開かない……んだよね。
「他の方法って無いのかな?」
『《世界渡り》という扉を使わずに世界を渡る能力者の存在が一部噂として流れていますが、公式に確認されていません』
 実質無いってことね。
「ええと、僕の通った扉って開いてないよね?」
『量産型全自動選択機からの入力地点の扉の開放履歴は1回のみです』
「……つまり、僕が来た時だけか……。
 もう開かないのかなぁ」
『回答不能。参考情報として扉の開閉パターンには現在3種類確認されています。
 1つは常時開放型、1つは定期開放型、最後に条件式開放型です』
 曖昧な記憶の中、センタ君がそんな事を言ってた気がする。
「特定条件式って?」
『一定条件が揃った時のみ開放される扉で、主に向こう側の条件に左右されます。
 そのため一方通行型とも言われます』
「……えーっと、条件は分らないんだよね?」
『現在特定されているパターンでは星辰の位置や、特定の物品を揃える事等。安易な物だとあちら側からしか開放出来ないタイプ等です』
 つまり……あんな山道のどこかにある扉を誰かが発見して、しかも運良く条件を満たして開けてくれるのを祈るしかないかもしれない、と。
「……そんなのありえないよ」
 学校の行き帰りで人とすれ違った覚えなんて無い。それにもし運良く誰かが開けてくれてもその人も帰れなくなるだけじゃないか?
「……扉が開いた時押さえててくれたりとかしないのかな」
『申請しますか?』
「え?」
『条件式開放型に関しては来訪者の要請がある場合、開閉を固定する申請が可能です』
「お願いします!」
『では申請します』
 申請って、どこにしてるんだろ……
 この腕輪って携帯電話みたいなものなのかな。
 ともかく……後は誰か運良く開けてくれるのを待つしかないってことかなぁ。
 定期型であればなお嬉しいんだけど。……50年に一度とか言われないなら。
「……えーっと」
 空を見上げる。いい天気だなぁ。
 そういえば少しだけ暑い気がする。
「ここって南国なの?」
『この時期の平均気温は32度前後。冬季になれば0度前後になります』
「それって四季があるってこと?」
『肯定』
 ってことは今は夏って事か。
 僕の感覚だと11月だったから、妙な気分だ。
「……ええと、ここでの生活ってどうすればいいのかな」
 途方にくれても仕方ない。
 そう言えば家を貰えるとか言ってたなぁと思い出す。
 とりあえずの目的地をそこにして、この世界の事を聞いて行くしかないかなぁと歩き始めた。
 恐る恐るだけどね。
◇◆◇◆◇◆◇

 俺は四角い箱の前で腕を組んでいた。
 PBはこの上に金を乗せろと言ってきている。それで換金をするらしい。
 試しに銅貨1枚乗っけると、それは箱の中に飲み込まれ、PBが『43C加算しました』とか言ってきた。
「金返せよ」
『43Cを換金すると手数料により1銅貨に満ちません』
「……なんだよそれ」
 PBの説明によると、この世界では硬貨を使っていないらしい。
 全てのお金はこのPBの中に入っていて、お金を使うとここから引かれるんだと。
 その時に手数料をいくらか取られる。まぁ両替屋と同じシステムだって言えばそうとも思えるんだが……
 ……信用できねぇ。
「騙してないよな?」
『設定をユーモアに変更すると嘘や冗談を返答可能ですが、慣れるまでは通常設定を推奨します』
 堅苦しすぎる。それ故に不要な嘘を付くと考えるにも無理があるか。
「俺程度を騙した所で意味も無いか」
 がしりと頭を掻いて1つ溜息。
「とりあえず半分換金するか」
 それでも警戒を全部捨ててしまうほど甘くは無いつもりだ。それを自己満足として皮袋の硬貨を数える。
『147万325Cに換金しました』
 それがどの程度かはさっぱりだが、俺の世界だったら一年くらいは楽に生きていけるはずだ。
 戦いばかりやってたから賞金だけがやたらと溜まっていたからな。
「さて、どうするかな」
 この世界には1日を24の時間に分ける決まりがあるらしい。店は殆どが10時に開店するし、大体19時前後に閉店する。
 ケイオスタウンという闇や魔に属する者が多く住む川向こうになると半日ほど時間が逆転するらしい。
 確かに大きな町では祈りの時間や開門閉門を知らせるための鐘が鳴るが、日付すらもどうでもいい俺にとって無用の長物だ。太陽が出たら起きて、沈む前にねぐらを確保する。それが出来ていれば何の問題も無い。
「……とりあえず支給された家ってやつに行ってみるか」
『案内は必要ですか?』
「頼む」
 頭の中に突然声が響いてくるのにはまだ気持ち悪さがあるものの、流石に外そうとは思えない。
 帝国の首都よりもでかいこの街をこいつ無しで迷わず歩けるとは思えないしな。
『路面電車のヘヴンズゲート方面に乗ってください』
 路面電車ってのはでかい道の真ん中を動いている車だな。道の真ん中に少し高くなっている場所があって、そこで何人かの人が乗り降りをしているのが見えた。
 荷馬車よりも早い程度か。確かにこんなに大きな町ならああいう乗り物がないと不便だろう。
「……そういえば、金とか取られるのか?」
『路面電車の利用は無料となっています』
「……無料、ねぇ」
 いや、タダで悪いとは言わないけどさ。どうしても勘ぐっちまうな。
「まぁ、いいや」
 うだうだ悩んでも仕方ない。貰える物は貰っておけばいい。そう割り切って俺は駅とか言う車の乗り場へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇

「なんて言うか、近未来的だねぇ」
 噴水脇にあるベンチに腰掛けて周囲を見渡す。
 爬虫人と表現すべき人が前を通り過ぎていく。その背には巨大な斧。ハルバードとか言ったっけか?そんなものを背負い、革鎧を纏っている。
 その少し先には携帯端末らしいものを眺めているスーツ姿の女性が気難しそうな顔で考え事をしていた。
 ファンタジーな世界だから、もうちょっと竈があったり、馬が走ってたりしてるものと思ってたけど。
 あ、馬だ……けど、上半身が馬なのは違うと思う。射手座の人だよね?
 そんなのがアイス片手にぱっぱか歩いていくのは少しシュールだ。
 さて、僕はこの街の仕組みを一通りPBに確認した所だ。
 この街には僕が知っている世界のインフラが一通り揃っている。ガスは無いけど電気みたいなものはあって、すぐ脇には街頭が立っている。
 上下水道は完備。それどころかATMみたいなものがあって、あらゆる世界の貨幣とこちらのお金───クロスロードチップという電子マネーみたいなものと交換してくれる。
 このPBははっきり言って携帯端末だ。携帯電話の機能が付いていないのが不思議なくらい。GPSっぽいものはありそうだなぁ。現在位置把握してるし。
 身分証明の他にもお財布の役目もあり、しかも個人認証機能付き。なんでも魂の波動とかいうオカルト的な物で判別しているから、他人が使うことはまず無いらしい。
 オーバーテクノロジーだなぁと思っていたらロボットみたいな人が目の前を通り過ぎて行った。
「うーん」
 頬杖をついて考える。
 思い出したかのように確認はするけど、僕の世界に繋がる扉は未だ開いていない。下手をすると年に一回とか本当にありえるかもしれない。
 そうするとそれまではここで暮らさなければならない。住居は提供してもらえるけど、遊んで暮らせば良い訳でもない。食費やその他雑費は自分で捻出する必要がある。僕の手持ちは五千円。これは一応換金しているけど、流石に切り詰めても一ヶ月生きるのは無理だろう。
「仕事かぁ」
 求人があると言っていたから確認すると確かに人の募集がいくらかあった。
 一番多いのは店番で、基本的に日給制。
 大体8千C前後。お店の商品なんかを覗いてみたけど、金銭感覚的には『円』が『C』に変わっただけと思った方が良いかも知れない。
 こちらと大学生。バイトの経験はいくらかあるけど、この珍妙な世界で上手くやれるかはかなり別問題だと思う。
「でも、やらないと生きていけないしなぁ」
 お金が尽きるまでには扉が開いて帰れるかもしれない。というのは流石に虫が良すぎる気がしてきた。
「今の時間は?」
『午後4時31分です』
 時計代わりにもなる便利なPBの回答に空を見上げると確かに日の光が僅かに翳ってきた気がする。
「今日は帰るかなぁ。家も見てみたいし」
 どうせ働くならそこから近い場所の方がいいしね。
 ぱんと膝を1つ叩いて立ち上がるとうーんと背伸びをする。
 これが夢とか幻覚でなければ、昨日危うく死に掛けた割には体はとても元気だ。右腕を見たら内出血の跡があってぎょっとしたけどね。
「案内してくれる?」
『ニュートラルロード路面電車ヘヴンズゲート方面にお乗りください』
 これに慣れちゃうと元の世界に帰った時に凄い困りそうな気がするなぁ。
 そんな事を思いつつ駅に向かう。駅と言っても脛くらいまで一段高くなった場所とその端に一本駅を示すポールが立っているだけ。
 時刻表はPBに入ってるから運行案内関係は一切無し。
 ちなみに道の真ん中を歩いている人は基本的に居ない。滅多にないけど一応自動車やバイクが存在していて、輸送関係の人が走らせる事があるからそこは歩かないようにPBから注意があった。
 あ、箒に跨る魔女って居るんだ……
 駅に着くと一昔前のメタリックな変身ヒーローぽい人が路面電車の来る方向───塔の方向を眺めていた。
 ロボットなのかなぁと眺めていると「どうかしましたか?」と比較的肉声に近い声を向けられる。
「あ、すみません」
「いえ。よくあることですから」
 確かにロボットやサイボーグみたいな人は比較的少ない気がする。
 視線をはずしつつ「実はこの人、自力で走った方が速いんじゃないか?」とか思っているとレトロな路面電車が滑り込んできた。
 ロボットな人に続いて乗り込むと、悪魔ちっくな大男がつり革を掴んで立っていた。流石に威圧感があるけど驚くのも流石に失礼……だよねぇ?
 少し離れつつ窓際に横一列に設置された長いシートに座る。座り心地は悪くないけど材質が分らない。少し光沢のある低反発マットみたいな感じだなぁ。
 ともあれ電車は動きだし、ガタンゴトンと音を奏でる。
 ロボットの人が居るような世界ならリニアレールでもありそうなものだけど……。チンチンと鐘が鳴る所を見ると誰かの趣味なのかもしれない。
 窓から町並みを見ると改めて混沌ぶりが見て取れる。
 一番多いのは僕と同じ『人間』型だ。良く見ると角が生えてたりする人も居るけど、半分くらいは僕の知っている人間の姿だ。
 ゲームなんかで見るエルフやドワーフなんていう種族も居る。
 少し離れると動物と混ぜて割りました的な種族が多い。極稀に人と呼んでいいものか悩む存在もある。顔がタコ(足付き)みたいだったり、透けてたり、手が4本だったり、頭が2つあったり。
 悪魔や天使って言うべき種族もまま見られる。電車が駅に停まり、大きな犬が乗ってきた。首についてるのは首輪じゃなくてPB?
 犬は悠然と歩くと、僕の視線に気付いて顔をあげ、ぺこりと頭を下げてうずくまった。
 ……撫でたいけど、怒られそうだから止めておこう。多分喋る。
 そうこうしていると『次の駅で降りてください』とPBからのアナウンス。
 やがて停車すると僕は電車から降りた。ちらりと運転席を見ると無人。『この電車はゴーレムです』と言う事らしい。ゴーレムと言われると石人形しか思いつかないんだけどなぁ。
 コンピュータと魔法で動く人形は仕組みが違うだけで同じなのかもしれない。原始人が自動で動く機械を見れば魔法か悪魔かって思うだろうし。
 ニュートラルロードと路面電車は街の大動脈らしい。その両側にはお店がひしめいている。
 そこからわき道に入っても暫くは小さなお店がいくつか散見できた。同時に、入れ替わるように住宅地っぽい場所が増えていく。
 たまに大きな家があって、何かと尋ねると『探索者の中にはギルドを結成している者もあり、その事務所兼拠点です』と教えてくれた。
 時刻はもう18時近くになっていた。夏とあってはまだ明るいけど、段々薄暗くなっていく時間だ。
 明かりのついている家は全体の3割程度。『未入居の家屋は多数あります』。日本のお父さん方に紹介してあげたいねぇと無駄な思考。
『到着しました』
 立ち止まって左手を見ると平屋建ての家があった。
「……家?」
 庭まであるんだけど。外から見て3LDKくらいあるんじゃないだろうか。
 周囲の家も大体同じような造りだし、ここだけが特別じゃないのは分るけど、豪華過ぎない?
 今の僕の家は1K3万円のボロアパートだ。貧乏学生ならむしろ当然だろうと言わんばかりの狭い部屋。
 広さだけだと実家よりもあるかもしれない。
「……ホントにここ?」
『肯定』
 なんか騙されてるんじゃないかって気持ちがむくむくと沸いて来た。
 この街での生活が色々と優遇されている理由はPBに確認している。とにかく人間が欲しいのだ。
 というのも、この街は常に脅威に面している。
 この世界にはこのクロスロード以外の街は無い。無いのではなく作ることに成功していない。
 その原因こそが《怪物》という脅威だ。
 古今東西と言っていいものか。とにかくありとあらゆるバケモノの連合軍がこの世界を徘徊しているらしい。
 探索者はその《怪物》退治と同時に未開の地に赴いて地図の作成を行っている。それでも未だ四方100km程度しか判明していないのが実情らしい。
 東京から名古屋までが300Kmくらいだったはずだから地球規模で考えればほんの一部分だ。しかもその地図には未だにブラックスポットが山ほどあるという。
 現在この世界での安全圏はクロスロードから50Km圏内。その端の四方には砦が立っていて未開地区探索の拠点になっているそうだ。
 もちろん万里の長城みたいなものがあるわけじゃない。《怪物》は容赦なくその中に入ってくるし、クロスロードまで到達する《怪物》も居るとか。
 クロスロードは10万人規模の街だけど、それでも戦力が足りないというのが現状なんだそうだ。
 探索者はこの街の剣と盾として、住民はそれを支える柱として、そして行者は命を繋ぐパイプラインとして。
 なにしろ怪物のせいでクロスロードでは農作業がほとんど出来ていない。初期に農耕地を作ろうとしたものの怪物の襲撃で滅茶苦茶にされてしまったそうだ。
 そのために食料自給率はほぼ0%。せいぜい家庭菜園程度らしい。
 サンロードリバーと呼ばれる馬鹿でかい河があの塔の下を流れているらしいけど、そこには魚は住んでいないそうだ。まぁ魚と言うか海獣と言うべき『怪物』は忍んでくるらしいけど。
 取水していることもあるけど、危険なので塔の東側は遊泳禁止となっている。
「……うーん」
 敷金礼金とか言われないよねぇなんて馬鹿なことを考えていると、後ろを誰かが通り過ぎる。
 家の数に対して閑散としているから久々の音にびくりとして視線を送ると
「あ」
「ぁあ?」
 僕の声に怪訝そうな声が返ってくる。綺麗な顔に似合わない悪態染みたそれも聞き覚えがあるものだ。
「……なんだ、死にかけてたヤツじゃねえか」
「……え、ええと。その節はどうも」
 とでも言えばいいのかなぁ。改めて見るとほんとに綺麗な人だ。年齢は僕と同じか少し下に見える。運動でもしてきたみたいに薄汚れているのが気になるけど、それを抜きにしても凛とした……って段々目付きが悪くなってくる。
「何ガン見してんだよ」
「あ、いや、その!?」
「チッ、はっきりしねえヤツだな」
 言葉遣いは不良級だねと冷や汗混じりに思う。
「まぁいいや。折角拾った命なんだからせいぜい大切にしろ」
「ええ、ああ、はい」
 しどろもどろに応じたのが更に癪に障ったんだろうか。
 彼女は忌々しそうに頭を掻いてあっさり背を向けて歩き去る。と思ったら隣の家に入り込んだ。
「……家、そこなの?」
「……悪いか」
「わ、悪くありません。お隣だなぁと」
「……」
 視線が怖いと思っていると、ふっと外れてばたんと扉の閉まる音。なんていうか虎みたいな子だなぁ。
 暫く呆然としていると隣の家の明かりがついた。それで我に返って僕も自宅となる家に足を踏み入れた。
 なんていうか、マンションの一室のような造りだった。
 靴を脱ごうとして段差が無い事に気付く。それから外国では靴を脱がないんだっけ?という知識を思い出してそれに倣う。確か修学旅行で泊まったホテルも靴で部屋に乗り込んだっけ。
 良く見ると備え付けのスリッパがあり、それに履き変えてから
「電気のスイッチどこだろう?」
『照明ですか?』
 PBの言葉に頷く。
『点灯します』
 その言葉に応じるように明かりがついた。どんだけ便利なんだよ、これ。
「もしかして、鍵も?」
『管理できます』
 このPBを万が一無くすと生きていけないんじゃなかろうか。
 ミサンガくらいの太さだから別に付けっぱなしで問題はないし、外さないで置こうと心に誓う。
 新築であろう家は外見の通り3LDKの広さを持っていた。なんと風呂とトイレが別に付いている。
 ……便所って概念、他の種族的にはどうなんだろうと思ったけどそこは考えないで置こう。うん。
 一通り部屋を見て回る。
 キッチンはボタンを押すと火が出る仕組みだったし、蛇口を捻れば水が出た。
 風呂は湯が出るし、いくらなんでもやりすぎじゃないかとまで思う。
「こんなことして採算取れるのかな?」
『管理組合の予算管理体制については機密事項となっているため回答できません』
 おや?と思う。
 PBが回答できないなんて言って来たのは初めてかもしれない。
「管理組合ってこの街のお役所だよね?」
『役所の意味としては否定です。
 管理組合は賞金システム及び、クロスロードのインフラ管理のみを行っており、それ以外の権利権限は基本的にありません』
 似たような話は昼間に聞いた。
 なんでもこのクロスロードには法律が無いらしい。
 管理組合からのお願いとして「クロスロード内ではなるべく平穏無事に暮らしてください」と公布しているだけなんだそうだ。
 例え殺人事件を犯してもそれを咎める法律は無い。
 じゃあ無法地帯でやりたい放題かと言えば、それを抑制するシステムはある。
 それが《賞金》だ。
 主に『怪物退治』等の依頼に対して掛けられるものだけど、迷惑行為を行った来訪者に対して賞金を賭けることもできる。
 それら賞金のシステムを管理するのが管理組合という組織……って事らしい。
 警察と違うのは管理組合自体は手を出さない事。あくまで迷惑行為を行った者に対して処罰申請があった場合、適切な賞金を賭けて捕縛、または殺害の依頼を出す。
 これを実行するのはあくまで来訪者───実力的に探索者と呼ばれる人たちだ。
 賞金を賭けられた人は一定期間内に自ら賞金額相当の罰金を支払えば賞金指定を解除される。
 それを過ぎれば正式な依頼として発令され、狙われる事になる。
 その明確なラインは明らかになっていない。
 僕からしてみれば滅茶苦茶なシステムだ。処罰申請が無ければ追われる事は無いのだから、もしここに暴漢が入り込んで殺されたらそれで終わりという意味でもある。
 なんでこんな不安定な仕組みなのか。それにはこの世界特有の困った理由が存在する。
 例えば襲い掛かって血を抜くなんて猟奇的な事は警察に捕まるべきだと僕は思う。
 しかしそうしなければ生きていけない吸血鬼なる存在もこのクロスロードには住んでいたりする。ちなみに放置するのもやっぱり問題なので血液パックとかも売ってるらしいんだけどね。
 また、深夜に大声で騒ぎ立てれば迷惑だなぁと思うけど、宗教上の理由でそうする人や、体の構造的に特定時間に音などを発してしまう人も居るんだそうだ。鯨が潮を吹くのに似ているというべきかなぁ。
 色々な種族、思想の存在のごった煮故に何か禁止してしまうと生きていけない人が出てきてしまう。
 だからあくまでお願いとして『なるべく他人に迷惑掛けずに平和に生きてください』なんてアナウンスで終わっているんだそうだ。
 なんか直ぐに破綻しそうな気もするけど、今のところ賞金システムは大きな問題を抱える事無く運営されているらしい。
 これは予想なんだけど、街中をてこてこ歩きながらゴミを拾ったりしている大量のセンタ君。あれって治安維持の一翼を担ってるんじゃないかな。
 それにPBは管理組合の支給品だ。この二重の監視があれば大抵の問題は露見するのかもなと思う。
 生活を覗き見されると考えると気持ち悪いけど、悪魔や竜人の腕っ節を恐ろしく思う我が身としては、許容すべき仕組みかもしれない。
 そもそも監視カメラやGPSを知らない世界の人にはその気持ち悪さは理解の外だろうしね。
 ……でも、仮に殺人事件が起きても賞金申請されなきゃ咎められないんだよね。うーん。
「腕輪を介して盗撮とかしてないよね?」
『撮影機能はありません』
「盗聴も?」
『個人情報の一切についての送付は行われていません。
 案内システム、クロスロードチップシステム並びに広報システムの相互通信のみです』
 全部信じて良いか分らないけど、気持ち悪いくらいにユーザーフレンドリーで無管理だ。
 話をしながら部屋を回る。
 2部屋は完全な空き部屋で、1つにはクローゼットとベッドがあった。セミダブルサイズでスプリングも充分。リサイクルショップで買った古い簡易ベッドとは雲泥の差だ。
 リビングにはテーブルと椅子。寝て起きてくらいなら全く支障は無い。
「ほんと贅沢だよ」
 そういえば日本は狭くて地価が高いって話があったなぁ。アメリカじゃ庭付きなんて当たり前なイメージがあるし。
 ここは未開の地でもあるから地価なんて無いに等しいんだろうな。
 一通り見て回るとどっと疲れが押し寄せてきた。おなかも少し空いてるけど、眠気の方が強い。半日以上寝てたはずなのになぁ。
 ふらふらとベッドのある部屋に行ってぼすりと倒れこむ。
 柔らかいベッドの感触が気持ちよすぎる。
「仕事探さないと……かな」
 それが今日最後の言葉だった。
◇◆◇◆◇◆◇

「へぇ」
 早朝。クロスロードまで出た俺はその光景に目を細める。
 朝日差す中、屋台やゴザを敷いた露天商の姿がずらり道に広がっている。
 クロスロードで商いをするには住民としての権利が必要だが、朝市に限っては特区法で自由に商売する事が許可されている。
 特区法とは特定箇所、時間に限定し試行される法律で、PBによる位置確認、情報伝達手段があるが故に成立する不思議な法律だ。
 クロスロード南部では朝5時から8時半まで、北部では17時から20時半まで、朝市(ケイオスタウンでは夜市)が開催される。
 良く見れば大きな道の左右1ラインずつと中央の路面電車ラインは避けて歩いている。そこだけは緊急車両などの通行を考慮して横断は可能だが通行に制限が掛かっているのだそうだ。
 この制限に関してはニュートラルロード特区法に入るのだそうだが、まぁその法を犯しそうになるとPBが警告してくれるので細かい事を覚えておく必要は無いか。
 俺が知っていればいいのは特定区域限定の法律があるってことと、朝市は朝飯が、夜市は晩飯が比較的安く食えると言う事くらいか。
 まぁそれだけのためにケイオスタウンまで行く気はねーんだが……
 露店を見ていくと見慣れたものから全く用途の知れない物まで色々並んでいた。
 保存食だと売っている白い箱には流石に驚いたな。なんでも紐を引っ張ると暖かくなり、しかも数ヶ月保存が効くらしい。
 保存食なんてものは一週間持てばいい物だと思っていたんだが、世界が変われば色々な技術がある。
 ともあれいくつかの買い物で支払方法も確認した俺はある屋台に辿り着く。
 白い椀の中に粥みたいなものが注がれ、その上に好きなものをトッピングしているらしい。
 美味そうだと感じて近付いてみると、二十代半ばくらいの黒髪の女が「いらっしゃい」と威勢良く声を掛けてきた。
「1つくれ」
「トッピングは?」
 ざっと見ると色々ある。が、正直何か分らないものも結構ある。
「おまかせでいいかい?」
 手馴れたもので、そう言ってきたので頷くと、ナッツの欠片や煮た魚のようなものを追加して寄越してきた。
「200Cね」
 頭の中で計算する。銅貨3枚程度、まぁ妥当な値段か。
 腕を差し出すと『200C支払いしました』とPBが伝えてくれる。
 湯気を立てる椀の中身を白いスプーンのような食器(蓮華と言うらしい)で掬って口に入れる。
「……」
 驚いた。正直に美味いと思える。ナッツの甘さと魚の塩気が絶妙で、無言で食が進む。
 ふと周囲を見ると随分といろんな連中が屋台を囲み、中には地面に座って啜ってるやつも居る。
 そこそこ人気のある屋台なんだろうか。具を変えられるから毎日来てもいいかと思えるくらいには美味い。
 気が付くと食い終わっていて、他の連中に習って詰まれた椀の上に重ねる。
「毎度」
 女が笑みを見せるのにほんの少しだけ頬を緩ませる。
 さてと。手にした荷物をちらりと見て、それから塔の方からゆっくりと近付いてくる電車を見た。
 これから向かうのはヘブンズゲートと名付けられた南の門だ。
 そこはこの電車の終着点であり、クロスロードの最南端でもある。
 電車に乗り込むと、武具を背負った連中がちらほら見えた。こいつらも俺と同じくこれから外に乗り出そうとしているのだろう。
 探索者が金を稼ぐ手段は大きく三つある。
 1つ目は討伐。怪物の脅威度を管理組合が設定しており、これを倒す事によって賞金を得る事ができる。
 これは四方の砦までの区域限定で何に遭遇するかは分らないが、強力なやつは砦よりこちら側に近付く前に迎撃されるため比較的安全と言える。
 2つ目は遠征。未開区域を探索すると、その範囲に応じて賞金を得る事ができる。
 この時倒した怪物については討伐にはカウントされないが、どうやら討伐した賞金よりも高い金を得られるらしい。
 3つ目は治安維持。クロスロード内で賞金を掛けられたヤツの捕縛や討伐。街に接近しすぎた怪物の迎撃。その他にも定期巡回として管理組合が賞金と言う名前の報酬を用意し、ぐるり規定された道を歩くだけで金をもらえるというものだ。
 大別するとこんなもので、慣れないうちは討伐か治安維持を選択するのが慣習らしい。
 遠征に行くには足やそれなりの仲間が必要だ。いくら腕に自信があっても荷が重いし、これだけの技術がありながら未だに莫大な未開区画があることがその危険性を雄弁に物語っている。
 ああ、それから第4の方法として『回収』というものがあるらしい。
 これはそれなりの大きな車を持ってる奴ら限定だから含めなかったが、要は怪物の体からいろいろと剥ぎ取って街で売りさばく方法だ。
 俺の世界でも竜の死体は宝の山だと言われていた。その鱗や骨、瞳など等、色々な魔法具の素材になり小さな国ひとつ買えるだけの金になるらしい。
 もっとも、竜一匹で小さな国が滅びるくらい脅威だったわけだが。
 竜を扱っているかは知らねえが、死体漁りを専門にしている連中が居て、契約を結ぶ事で怪物の死体を回収、得られた利益を分配するって仕事をしているらしい。
 何の危険も無く分け前を得るなんてって言うやつも居るらしいが、0よりも1の方がマシだと俺は思うね。
 物思いにふけっていると、路面電車はでかい門の前に到着した。
 その高さはざっと10m程度。その高さに倣うように巨大な城壁がずっと続いている。
 このでかい門が南門ことヘブンズゲート。白で染め上げられたそれは彫刻まで施されて見事なものだった。
 北には黒で染められたヘルズゲートという門があるらしい。
 ちなみにこの門は開いていない。開いているのはその両脇に作られた2つの門だ。
 こちらの大きさも高さ4mほどあり、脇には建物が建っている。
 片側が出口で反対側が入口。
 クロスロードに入る方には車で乗り付けている連中が近付く男達と交渉をしている。
 それにしても車って言えば馬車しか思いつかないんだが、こちらの世界では馬が引いていない。
 自分で走るから自動車と言うらしい。
 門の前はちょっとした広場になっていて、武器屋、飲食店、雑貨屋が目立つ。冒険の前に品物を揃える客を狙っているのだろう。
 一通り見渡した俺は出口の方の門へ向かう。
 入口では持ってきた物や賞金の支払いのために足を停める連中が多いけど、こちらはすんなりと通る事が出来た。
 厚さ1mほどもあろうか。
 城壁の下、石のトンネルを潜った俺はその光景を目の当たりにする。
 どこまでも広がる地平。山も何もかも見当たらない。
 とにかくどこまでも平原だった。
 特筆すべきは直ぐ先に見える巨大な穴と、やけに踏み固められた一筋の道だろう。
 この穴は二年半前にあった大襲撃という怪物の大挙の際に刻まれたらしい。
 どんなことをやればこんな穴ができるのか、ちょっと想像が付かなかった。
 一方の道については、なにやら荷物を積んだ車が颯爽と走っていくのが見えた。この先に南砦があるんだそうだ。
「さて」
 木も岩もない。申し訳程度に草が生える大地を前にして俺は少しだけ途方にくれてしまう。
 治安維持にして置けばよかったかなと少し後悔しつつ、なるようになるさと一歩を踏み出した。
◇◆◇◆◇◆◇

「……ユキヤ君だったかな」
「はい」
 ずーんと巨躯が目の前にある。
 その全ては鱗に包まれていて、顔は獰猛なトカゲ。歯と言うには鋭すぎる牙が並び、背中には翼がある。
 そして彼が着込むのはどうみてもジャンパーだ、胸に鳥の羽をデフォルメしたようなマークと『エンジェルウィングス』のロゴがある。
「君、戦闘の自信は?」
「……え?」
「いや、だから戦闘だよ。剣とか使える?」
「……ここ、運送屋ですよね?」
 『エンジェルウィングス』はクロスロードの運輸を一手に引き受ける会社だ。
 少なくともそう説明された。
 僕の質問に顔に似合わず(は、失礼か)柔らかい声のドラゴン人は少し困ったように頷く。
「そうだよ。でもこのクロスロードだと何が起きてもおかしくないしね。
 身を守るくらいできないと荷物は預けられないんだ」
 まぁ、貴方に襲われたら荷物とかほっぽりだして逃げますね。確かに。
 僕がここに来たのは郵便局のバイトをした事があるからだ。
 意外にも道を覚えたり家を覚えたりするのは得意で、同じようなものだろうと来てみたんだけど。
 いきなり戦闘力を求められるとは思わなかったです。
「んー、それじゃ乗り物は乗れる?」
「え? あ、自転車とかバイクなら」
「え? バイクいけるの?」
 元々丸い目を丸くして身を乗り出してくる。怖い。
「え、ええ。免許ありますし」
 郵便局のバイトをやってた理由がそのバイクの免許を取るためだ。
 まぁ、免許はとったんだけど、肝心のバイクは未だに買えてなかったりする。苦学生にそこまでの余裕は無いのです。
「免許ね。まぁ、ここじゃあまり関係ないけど、運転技能があれば話は早い。
 じゃあちょっと乗ってみてもらおうか」
 ばんと手を叩いて立ち上がるとドラゴン人はのっしのっしと事務所の奥に歩いていく。
 その向こう側の裏口から出ると
「うわあぁっ!」
 ぬっとでかい顔が覗きこんできた。
「こら、脅かすんじゃないよ?」
 ドラゴン人が似たような顔を軽く撫でて言う。
「こ、こ、これ!?」
「うちの乗竜だよ。こいつはデニファス。気は良いから安心して」
 無理です。
 心の中で全力即答しつつ見上げると首を揺らすデニファスなる竜がこちらを見ていた。
 ドラゴンだよ、ドラゴン。ライオンの檻に入るより危険じゃないの!?
「竜に乗れるなら即採用なんだけど」
「僕の世界に竜なんて居ません!」
「そっか」
 必死の叫びにドラゴン人さんはあっさりと頷いてすたすたと歩いていく。
 ……この人も分類上はドラゴンなんだろうか。ちょっと悪い事を言ったかもしれない。
 後ろからガブリとか無いよなぁとびくびくしながら付いていくと、倉庫らしき場所に辿り着く。
 そこにはジープを思わせる車両やトラック……にしては頭に砲台がついているものやらが並んでいる。
「こっち、こっち」
 手招きする方に行ってみると、なにやら中型バイクに夢をつぎ込みました的な一回り大きい無骨なマシンが鎮座していた。
 挑戦的と言うか、戦闘的というか、少なくとも頑丈ですとは言い張れる外見に対し、座席後ろの『エンジェルウィングス』のロゴシール付きの箱がやたらシュールだ。
「これなんだけど」
 装甲を思わせるカウル等を含めるとサイズはナナハンとかに匹敵するかもしれない。中型免許しか持ってない僕には少し荷が重い気もするけど……正直憧れはある。いずれは大型免許も取りたいという夢(まぁ、夢で終わりそうだったんだけど)はあるのである。
 そんな事を友人なんかに言うと「似合わない」と一蹴されるので口にしたことは滅多にない。
「いけるかい? 多少こけても大丈夫だから」
 良く見るとボディには無数の傷がある。どう見ても転倒では付きそうにない傷まであるのが気にかかるけど……
「これって前に誰か使ってたんですか?」
「あ、うん。まぁね」
 何ですか、そのあからさまな言葉の濁しっぷりは。
「中古品なんだよ。使い手が居なくなったから安く引き取ったんだ」
「……」
 先ほどの傷を再度見る。えぐった様なその傷は嫌な予感をさせるには充分すぎる。
「ああ、うん。キミに外への配達を依頼する積りはないから安心して」
「外……」
 もちろんあの壁の向こう。町の外って意味だろうけど……
「僕、本当に戦う力とかないですからね!」
 表情を読むには難しい顔だけど、なんとなく苦笑してるのがわかった。
 ほんの小さくうなずいて
「うちの業務の8割はクロスロード内さ。ま、あっても砦までの安全な道を走るだけ。
 キミには無理にそんな仕事は任せないよ。
 それもこれも、キミを雇うかどうか判断してからさ」
 それもそうだと僕はバイクに跨る。
『────』
 脳裏に違和感。それはPBが喋る時に似ていて、でも明確な言葉でもなく……もしかすると気のせいかもしれない。
 何か言った?と問いかけるのも変かと思って今は目の前の問題に向き直る。
 ずいぶんとカスタムしているらしい。何においても車体を傾けない事に注意してエンジンをかける。
 幸いにして僕が知っている形式と同じだ。それに─────
「あれ?」
 エンジン音がない。
 でもバイク特有の振動と『シィィイイイイン』という、F1カーが走り抜けるような音が響いてくる。
「これ、エンジンじゃないんですか?」
「エンジン? ……ごめん、工学系アーティファクトには余り詳しくないんだけど、それにはマジックドライブが搭載されてるって聞いてるよ」
 ドライブってのは駆動機って意味だろうから……マナ?
「魔法で動いてるってことですか?」
「そう言うべきかな。停止中に大気中のマナを吸収するから探索任務に重宝されているんだ」
 ソーラーバッテリーみたいなものかなと解釈してエンジン───もといドライブをふかしてみると、車体の身震いを強く感じる。
「じゃあ、やってみます」
 宣言して深呼吸。ドラゴン人が少し離れたのを確認して、覚悟を決める。
 駆動が少し緩んだ所でギアを接ぐ─────
「っ!?」
 それでも予想を超えた加速。じゃっとタイヤが地面を噛む音を置いて行くかのように周囲の景色が加速した。
 頭が真っ白になる。まずいと思った瞬間、目の前に迫る壁が見えた。
 咄嗟にハンドルを切ろうとして────ぴくりともしない!? そんなに重いのか、これ!?
 そうだ、ブレーキ!?
 直ぐに我に返った僕はブレーキを力いっぱい踏み込もうとして────これも硬い。
 けれどもそのおかげで減速は緩やかに起きた。空気の流れが緩んだせいか、ハンドルも動く。目前に迫った壁を左手に見るように旋回し、のろのろとした速度で車庫まで戻り、停車する。
「へえ。上手いもんだね」
 のほほんとドラゴン人の言葉が耳に届くけどそれどころでない。滅茶苦茶に跳ねる心臓を痛いとすら感じながら思う。
 ────ハンドルといい、ブレーキといい、運が良かった。
 もしもあの瞬間ハンドルが動いてたら間違いなく派手に転倒してただろうし、ブレーキだって同じだ。
 キッっと音がして停まると車体がぶれたので転倒しないように慌てて足を突いて垂直を保つ。
「……」
 なんというか……
 そう、なんで僕、こんなに落ち着いているんだろうか。そんな疑問が胸の中をもぞりと動く。
『───────』
 頭の中に違和感。PBの声じゃない……。さっきと同じものだ。
 なんだろう。笑ってるような、そんな気がする。
「えーっと」
 まぁ、自白するとですよ。
 僕は気に入った物に名前をつける癖がある。特に乗り物にはそうで、自転車にはクロ丸って名前をつけてた。
 そういえばクロ丸……どうなったんだろ。
 それはともかく、まぁ、イタい行動ってわかってるから人前ではやらないけど、家に帰り着いたときとかは「ご苦労様」なんて呟くこともあるわけで。
「……もしかして、喋れたりするの?」
『私の声が聞こえるんだ』
 今度は明確な言葉として脳裏に響いた。
 PBの声はどこか中性的かつ機械的だけど、これは明らかに女性の声。
『ふーん。ずいぶんとへたっぴなのに、私の声が聞こえるなんて……』
「もしかして、ハンドルをロックしたのは君?」
『沈静の魔法をかけてあげたのもね。こけられたらたまったものじゃないもの』
「大丈夫そうだね」
 近づいてきたドラゴン人に振り返ると、僕はしばし何というべきかと考えて
「これって、喋るんですけど」
「は?」
 うん。イタい言葉ですよねと思う。
「なんて言えばいいんだ?」
『インテリジェンスアイテムです』
 今度はPBの声だった。「あ、インテリジェンスアイテムってやつみたいです」とドラゴンさんに伝えてみる。
「なんだって? そんな話は聞いていないけど……」
『そりゃあ、相性が良くない相手に私の声聞こえないし』
「相性が良くないと聞こえないらしいです。声」
「ふむ・・・・・・とすると、君はこのバイクと相性がいいと」
 少し疑う響きがあるのは当然だと思う。僕がそうだったら「こいつヤバイよ」って思うし。
「でも、もし本当なら乗りこなせて当然だね」
「え? そうなんですか?」
 会話が出来たら乗りこなせるって、どういう理屈かさっぱりだ。
「だってインテリジェンスアイテムだったらある程度の自立行動ができるはずだよ。君は指示を出せるんだから乗りこなせるって事になるだろ?」
 そんな事言われても魔法なんてものに造詣のない僕にはさっぱりです。
「そうなの?」
 ダメもとでバイクに聞いてみると
『やって見せたじゃない』
 そういえばハンドルやブレーキに制限掛けたのってこれそのものだったなぁ。
『君が触ってればだけどね』
「できるそうです。僕が乗ってる事が条件らしいですけど」
 なんか延々伝言ゲームだなぁ。
「じゃあ、もう一回やってみてよ。
 本当なら即採用するよ?」
 やっぱり少し疑ってるみたい。声が聞こえるなら直ぐ信じるんだろうけど、今のところ僕の妄言ともとれるしなぁ。
「えーっと、バイクさん?」
『エルフィンガント。それが私の名前。
 要は君が私の主人になるかどうかってこと?』
 いや、バイクの所有権はこの会社にあると思うけど。
「似たようなものかも」
 いわゆる「専用装備」ってやつなんだろうな。だから僕がここで働くなら僕以外に使わない、というか使えない?
『んー……』
 考えるような思念。「迷い」がひしひしと伝わってくる。
 一分もしただろうか、
『……いいわ。このまま埃を被ってるのは、望まないだろうし』
 ちょっとした違和感。まるで他人事のような言い方に聞こえた。
「どうしたんだい?」
 僕の問いかけは声になる前にドラゴン人に止められた。
「あ、いえ。大丈夫みたいです。やってみます」
『こけそうになったらフォローはしてあげるよ』
 結果から言うと、僕はエンジェルウィングスに採用される事となった。
 主な業務は街の内部での配達。道案内はPBが出来るため乗り物さえ動かせて、横領等の不正をしない人なら猫の手でも借りたいというのが本音だったみたいだ。
 採用の決まった僕にはすぐに様々なレクチャが始まり、この時僅かに感じていたエルの発言への違和感、疑問は記憶に埋もれていったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇

「最悪だな」
 夕暮れを左手に溜息を漏らす。
 結局今日一日歩き回ってみた物の怪物とやらの姿を拝む事は出来なかった。
 横をなにやら大きな遺骸を摘んだ車が走り抜けていくのが疎ましい。
 もう一度溜息。それから何が悪かったのかを考える。
 この街には既に数千人単位の探索者が居るらしい。実際結構な範囲を歩いたつもりだけど、それでも数人の探索者に出くわした。
 近距離は管理組合から出る巡回依頼と相俟って密度がある。つまり怪物に遭遇しづらいと言う事だろうな。
 だが、出掛けに考えた通り、足を持たない俺が未探索地域へ行くのは自殺行為だ。
「……ある程度の足場が出来るまでは管理組合の依頼を受けた方が妥当ってことか」
 もしくはどこかのギルドに入るか、だが……流石に評判も分らないうちに飛び込む気にはならない。ただでさえ女の身だ。不快な嘲笑には慣れても好んで受けに行くつもりは無い。
 そうこう考えているうちに門に到着した。
 日帰りの探索者が列を為し、その暇を潰すために情報交換を行っている。
 周囲を見回しながらようやく門を抜ける頃には日は完全に沈んでいた。大抵の連中が門の脇で収穫物の査定を行っているのを横目に、電車へと向かう。
 電車に乗り込み、窓から外を見るとジョッキを片手に話をする探索者の姿がいたるところに見えた。
 門の傍には飲食店が多い。つまりそういうことだろうと思うとまた溜息が出る。
 誇る積もりはないが、俺はそれなりに名が通った戦士だった。その気概みたいなものは少なからずあったんだと思う。それがボウズともなれば気も落ち込まないわけがない。
 やがて電車が動き出す。PBに駅に着く前に教えてくれと頼み、窓の外を見る。
 まだ色々な店が閉店していない時間だ。眩いばかりの明かりが満ちるニュートラルロードの光景は余りにも現実離れしすぎていて、違う世界に来たのだなという実感を改めて押し付けてくる。
「ああ、そうだ。巡回なんかの依頼、あるか?」
『2件あります。北ルートの巡回と西砦への輸送護衛です』
「報酬が良い方を受ける」
『北ルートの巡回任務に登録しました。明日朝7時にヘルズゲートに集合となります』
 ここは異世界。俺の知っている場所とは違う。どんなに実力があったってビギナーには変わりない。
 何もかも忘れてもう一回やり直すつもりでやらないとな。
 ────そう、別に焦る必要もない。俺は剣を捨てたくなかっただけだものな……
 英雄になりたい訳じゃない。誰かに感謝されたいわけでもない。
 ただ、剣を握り、剣を振るう事しか自分らしさを証明できないからこそ、この世界を目指したんだ。
 剣で生きていけるならばそれでいい。なのに俺は──────

 もしたしたら、俺が本当に不満に思ったことは──────────

「あれ、えっと……ヤイナさん?」
 駅で乗り込んできた男に視線を向ける。
「ヤイナラハだ……」
「あ、すみません」
 しまりの無い笑みを浮かべる男にはもちろん見覚えがある。
「偶然ですね」
 俺は応えなかった。なんでこんな時にこの世界で唯一の────昨日たまたま知り合っただけのヤツに遭うんだと内心で吐き捨てる。
「……えっと、すみません。フルネームが思い出せなくて」
「別にいい。お前の名前も覚えてない」
 自分の中に湧き上がった自分への疑念が、忌々しさに変わって口から出てしまった。
 なにをやってるんだ俺は?
 失敗の原因はもう理解したし、次にやるべき事は分っている。
 八つ当たりするほどの事じゃないし、苛立ちを覚える方がおかしい。
 その全ての原因は心の中で沸き立った自分への疑念だ。そしてそれを払拭できない事に、だ。
「えっと……すみません」
 謝る言葉が癇に障る。悪いのはこちらだと言うのに
 景色が流れる。魔王が倒されても世界は直ぐに良くはならない。荒らされた田畑を必死に復興し、街を建て直す連中の顔には本当に世界は救われたのかという疑念があった。
 そんな絶望感はここには無い。もちろん怒ってるやつや不機嫌なやつが一人も居ないとは言わないが、街の雰囲気はどこまでも明るい。
 ここももしかすると俺の居場所じゃないのかもしれない。
 湧き上がった思いに胸が痛む。じゃあ、俺は何処に行けば良いんだ?
「……町の外に行ってたんですよね?」
 男の言葉に首を動かさず、視線だけを向ける。
「……ああ」
「凄いですよね。僕にはとてもできないですよ」
「……」
 男の手を見れば剣ダコどころか鍬すら持った事の無いようにも見える。まるで貴族サマの手だ。肉体労働なんてロクにした事もないんだろう。
 立ち方も、重心のありかたも何もかもが素人丸出し。そんな人間に凄いと言われても鬱陶しいだけだ……
『間もなく目的駅です』
 PBからのアナウンスは向こうにもあったのか、視線がPBへ落ちる。
 やがて電車は速度を落として駅に着く。降りようとする男が俺のほうへ不思議そうに振り返った。
「降りないんですか?」
「……用事がある」
「あ、そうですか。では、また」
 特に疑う事も無く、男は電車を降りていく。
 そうして何事も無く動き出す電車の中で、俺はシートを一度強く殴って天井を見上げる。
 つり革と言う輪っかが揺れるのを眺めながら深く、深く息を吐く。
 明日上手く行けばこの気も晴れるんだろうか。
◇◆◇◆◇◆◇

「僕、何か悪い事言ったかな……?」
 電車を降りて、去り行くそれを見送る。
 昨日の彼女はぶっきらぼうなだけだったけど、今日のはどう見ても怒っていた。
 怒られる様な事を言った覚えは無いけど……何か悪い事でもあったのかもしれない。
「……謝るよりも、ありがとうって改めて言いたかったんだけどな」
 昨日も結局まともに話はできなかった。
 偶然とは言えお隣さんだしチャンスはあると思うけど、あまり遅くなるとそれはそれで不自然になりそうな気もする。
 ニュートラルロードを横断する。通りから暫くは店の方が比率が高い。
 途中で八百屋を覗いて見たけど、用途の見えない野菜もちらほらあり断念。自炊はレベルが高そうだ。
「何の肉か見当もつかないもんなぁ」
 今朝も屋台で焼き串を買ってみたら巨大鼠の肉なんて言われて呆然としたものだ。
 いや、まぁ、美味しかったけどさ。
「鶏肉とか翼の生えてる人どう思うのかなぁ」
 それどころか豚人とも言うべきオークや馬と人間を混ぜたようなケンタウロス(昨日の射手座の人)とか居るんだからむやみに買うと軽くトラウマになりそうな気がする。
「気にしすぎるほうが拙いのかもしれないけど」
 なにはなくともここは僕の知ってる世界じゃない。そしてそんな世界に迷い込んでまだ2日目だ。
 PBのサポートと、出会う人が意外と優しいこともあって引きこもりにならなくて済んでいるけど、何が起こってもおかしくない場所のはずだ。
「……そういえば、僕ってばあっちじゃ行方不明者になってるのかなぁ」
 転倒して壊れたままのクロ号が発見されたら警察にも連絡が行くかもしれない。
 そうしたら誰か『扉』を開けてくれるのだろうか。
 あ、ちなみにクロ号は僕の自転車の名前です。
 ぽてぽてと歩いていると良い匂いが鼻腔をくすぐった。ぐうと呼応するようにおなかが鳴く。
 視線を向けるとそこはニュートラルロードにあるにもかかわらず結構な大きさを持つお店だった。
 道路にまでテーブルが置かれて酒や料理を飲み食いしている人が目に入る。
 ちょうどニュートラルロードから外れようとしていた僕は方向転換してそちらに向かった。
『純白の酒場』
 木の板に白の文字でそう刻んだ看板。
 外と内の境が無く、柱みたいなものが何本か立っているのは、多分取り外し可能な壁なんだろう。こういう時間帯には取り外してお店の外にまでテーブルを広げているみたいだ。
 つまりはそれだけ賑わう酒場ということで。うん、今日はそこに行ってみよう。
 近付くと有象無象の会話が聴覚を圧倒する。本当に多種多様な人種が飲み食いを行っている。
「こっちエール追加!」
「はぁい」
 野太い声に応じたのはやけに幼い声だ。やがてとってとってと小学生くらいの女の子がやってきて、ジョッキをテーブルに置くと腕を差し出す。
 ドワーフかな。そんなおじさんが応じるように腕を差し出す。恐らく支払いをしているんだろう。注文の度に支払いをするのはこの街ではスタンダートなスタイルのようだ。
「こっちもビール3つな」
「きゅーい」
 ……とってとってと、でかいハムスターが歩いてきてお盆をテーブルに出す。それから首に巻いてるPB?で皆支払いをして受け取っていた。
 ハムスター?
 僕が知っているハムスターは掌に乗るようなサイズだ。決して中に2人くらい人が入ってそうなサイズじゃない。
 結構狭そうな中を鼠らしくちょろちょろと器用に行き来する巨大鼠を呆然と見ている間にも客が出入りしていく。
 飲む客が大半らしく出て行く数は極端に少ない。どんどんと席は詰まり、客が勝手に折りたたみ式のテーブルを道路にまで広げている。
 我に返って店に近付く。
「空いてる席へどーぞ!」
 女性の声。二十歳には届かないくらいの赤茶色の髪の女性がお盆片手に僕に声をかけた。くるりと見渡すとカウンター席が開いていた。
 流石に一人でテーブル席を使うのも気が引けるのでそちらに座る。
「いらっしゃいませ。メニューはあそこに張ってるからどうぞ」
 カウンターの中で忙しく動いている金髪の女性が長いポニーテールを揺らしてこちらを見る。
 言われるままに見てみるとなにか凄い数のメニューが壁に並んでいた。そこだけ見るとまるで一昔前の食堂みたいな光景だ。
 大半は意味不明。その中に時々『カツ丼』だとか『レバニラ』だとか見知った単語がある。
「ふぃるぅ。エール三つとレロドロンドの混ぜ炒め〜」
 さっきの小さな女の子がとてとてと走ってくる。見てて危なっかしいけど意外とひょいひょいこの込み合った店内を走り回ってる。
「きゅーい」
「あと火酒とナッツだってー」
 ……あの子ハムスターの言葉分るんだ。
 確かこの世界の出入り口になっている『扉』を通る時に、この世界の言葉を覚えさせてくれるらしいんだけど、あのハムスターには適用外だったのかなぁ。
 ワイワイガヤガヤと騒音にしか聞こえない数多の話し声の中で、彼女達+1匹の声は良く通る。ざっと数十人は居るだろう客をたった三人+1匹で仕切っているのは見てて圧巻だ。
「注文、しないの?」
 そんな中でひたすら手を動かしているポニーテールの女性、あの女の子はフィルって言ってたっけ? その人が僕に声をかけてくる。
「あ、えっと……じゃあお茶とチャーハン下さい」
「地球世界の人ね。少々お待ちを」
 え? と思う。何気に僕のことを言い当ててきたんだけど。
「何で分るんですか?」
「こんな料理店やってるんだもの。分らないとやってられないわ。
 それに地球世界の人は意外と多いのよ。まぁ同じ地球ではないらしいんだけどね」
 確か最初に会ったセンタ君も地球世界の数は数万うんたらとか言ってた気がする。
「アルさん、5番と36番のオーダー上がったわよ」
「はーい」
 ショートの女性が戻ってきてなにやら魚の丸焼きみたいのとかサラダとかを受け取って再び雑踏に消えていく。
「ハム君、開いたお皿下げてきて」
「きゅーい」
 ハム君とは、なかなかにまんまの名前だなぁと思っているととんと目の前に皿が置かれた。
 見事すぎるほど見事なチャーハンとスープ。それからお茶はウーロン茶だった。
「はい、お待ちどう」
 差し出された手にはっとしてPBの付いた腕を差し出す。支払いを告げる声を聞いたときには彼女はもう次の作業を淡々とこなしていた。
 それにしても凄い。いろんな場所から矢継ぎ早に出される注文を作業しながら聞き分け、料理を作っては指示を出している。
 巨大ハムスターが盆に山盛りの使用済み食器を積んでカウンターに飛び込んでくる。がらがらと乱暴に流し込むが
「そういえば……これ、プラスチック?」
 殆どの食器は木かプラスチックなのである。確かにこれならあんな扱いでも割れたりする事が無い。ジョッキも木製だ。
 あまりの達人っぷりに呆然としていると、フィルという女性がこっちを見て苦笑し「冷めるわよ?」と料理に視線をやる。
 本気で忘れてた。慌てて救って口に入れる。
「うわ、美味い」
「ありがと」
 この人は聖徳太子か何かなのか。どうでもいい僕の言葉までしっかりと耳に入ってる。隣の客が追加注文するのにもしっかり応じているし。
 とりあえずこれ以上邪魔するのも悪いので食事に注文する。チャーハンなんて自分で作ればべた付くし、ラーメン屋なんかのもあまり大差ない。
 なんでも鍋を思いっきり振ってご飯粒をばらばらに炒めないといけないらしいのだけど、あれをひたすら振るうのがどれだけ大変か想像に難くない。
 まー。細腕で巨大な鍋をいくつも操ってる人が目の前に居るんですけどね。
 見た感じ僕と同じ人間に見えるんだけど、別の種族なんだろうかとすら疑ってしまう。
「やほー。こっち上がったから手伝いに来たにゃよ」
 やたら甲高いアニメ声。語尾も「にゃ」だし、見れば赤い色のネコミミと、尻尾を付けた少女がカウンターに入って来ていた。
「感謝。今日は特に酷くてね」
「ういうい」
 身長は150cmくらいかな。ウェイトレスをやってる小さい方の女の子よりも少し背が高いくらい。
 若草色の髪を後ろで縛ってエプロンを付けると、途端に恐ろしく良い手つきで材料を刻み始める。
 戦力が二倍になったカウンターの内部は観覧料を払っていいくらいの凄まじさだった。
 会話でのやり取りなんて全く無い。役割分担も明確に無い。たまにお互いの手元を見て一番必要な行動をしている。
 例えば2つの料理があれば、包丁を持った方が一緒に材料のカットをするし、調味料が必要そうなら投げて渡す。
 相手の作業が終わるタイミングを計りながら作業を進めていて、お互いがお互いを邪魔する様子が一切無い。
 作業効率は純粋に倍以上。こうなると配膳側がおおわらわだ。シンクには使用済み食器が山のように溜まっていく。
 それが不意にがくんと減る。ここからは良く見えないけど誰かもう一人居るのかな?
 ともあれ周囲には入れ替わり立ち代り客が蠢き、注文の声はひっきりなしに挙がる。
 そんな光景を20分も見ている頃には食事も終わり、僕は席を立ったけどなお客は増えていくばかりに見えた。
「にゃふ。まいどー」
 ひらひらーとネコミミの子がこちらに手を振ってくる。僕は手を振って応じると店を後にした。
 なんともいえない充足感。いろんなメニューもあるし、何も予定がなければ毎日夕飯はここでいいかなぁとか考えながら家路に着いた。
 そうして不意にぴたりと足を止めた。

 あれ? 僕、帰るつもり無くなってきてる……?
幕間
(2009/10/12)
 午後十時を回った頃。
 食事目的に押しかけてきていた客は引き、店先にまで進出していたテーブルは撤収されている。
 残っているのはこの店をなじみにして雑談を繰り広げている探索者達くらいだ。
「サラさん。もう上がって大丈夫だよ」
「はい、じゃあこれで終わりにしますね」
 ポニーテールの少女────この純白の酒場の店主フェルシア・フィルファフォーリウの声にサラは最後のお皿を棚に納めた。
「ヴィナももう寝る準備しなさい」
「まだ大丈夫だよぉ」
 黒髪の女の子がやや間延びした返事をする。眠そうなのが丸分りだと苦笑を浮かべた。
「じゃ〜あちしとお風呂はいろっか」
「やめい」
 磨いていたフォークが恐ろしい速度と正確性で飛翔するが、ネコミミ娘は指二本で難なく止める。
「スキンシップなのにぃ」
「アンタの場合は冗談が過剰だから困るのよ。
 だいたい、さっさと帰らなくて良いの? もう旦那さん起きてる頃じゃないの?」
「そんなのとっくにゃよ。そもそもデイウォーカーなんだから夜にこだわる必要ないし」
 二本の赤い尻尾をゆらゆらと揺らして肩を竦める。
「らぶらぶタイムは今からですよー。
 んで、まぁふぃるっちに用事があるから残ってんにゃけどね」
「用事?」
「そ」
 ネコミミ少女はうつらうつらし始めた黒髪の女の子の頭を優しく撫でながら目を細める。
「南に水源が発見されたにゃ」
「……そう」
 多重交錯世界の探索は現在1つの壁を迎えている。
 その理由は余りにも単純。無補給で探索できる限界にまで来ているのだ。
 世界によっては食事などを不要とする種族も居るものの、基本は飲み食いを必要とする生き物だ。
 特異な少数の種族だけで探索を続けられるほど『怪物』の脅威も甘くはない。
 従って、これ以上探索地域を広げるにはどうしても新たな拠点を立てる必要があった。
 だが拠点設立の計画は事実上頓挫しているのである。
 理由は「候補地が無いこと」だ。
 町を建設する場所では水と食料、それから燃料の安定供給を確立しなければならない。
 燃料については大気の魔力を吸収し動力に変えるアーティファクトやソーラーシステムでクリアできる。問題は水と食料だ。
 なにしろ『怪物』の襲撃により農耕地を作ることに成功していないクロスロードの食料自給率はほぼ0%。
 『怪物』自体を食うという発想もあるものの、やはり農作物無しにある程度の人口を養うのは難しい。
 現在多重交錯世界における最大戦力を有するクロスロードでも成功していないのだから、開拓地で試みるのは無謀と言わざるを得ない。
 輸送経路を確立し、食料を輸送するという案にしても水の運搬コストが非常に悪い。
 水源の確保は候補地選びとしては何よりも外せないポイントだ。
「東西に巣食う水魔が倒せれば話は早いんだろーけどね」
「……流石にフィールドが悪すぎるわ。アクアエリアの人たちもそんなに居るわけじゃないし」
 アクアエリアは《扉の塔》の西側、サンロードリバー河底に住む者達の居住区だ。
 主に人魚や半漁人などの水中生物で構成されており、渡し舟の管理や上流、下流から襲来する『怪物』の対応を担っている。
「で? 詰まるところ計画が持ち上がったわけ?」
「みゅ。そーいうこと。ま、当然にゃね」
 お気楽な口調に深いため息。
「いずれは為さなきゃいけない事にゃ」
「分ってるわよ。これだけ先進的な技術の流入があって遅すぎたくらいだもの」
 『開かれし日』から3年半。クロスロード設立からももう2年目を半分も過ぎている。
 たったこれだけの期間で十万人もの人々が住む町を造り上げながら、未だにその他の開拓地が1つも無い事の方が異常だ。
「ただ……よりにもよって南だわ」
 南という方角には『死を待つような七日間』を見届けた者に1つの懸念を抱かせる。
 最後の一日に現れた『怪物』の大軍勢。それは南の方角から現れた。
 そして撤退の時、その多くが南へと去ったのだ。
「それでも人は進み続ける。そういうモノにゃよ」
 したり顔ではあるものの、眠りこけたヴィナを満足そうに抱きしめながらなので説得力というか、真剣さが無い。
 それもすぐにチャシャ猫の笑みに崩してゆらゆらと尻尾をくゆらし、
「それにまだ始まったばかりにゃよ。一度や二度躓いたって命があればまた立ち向かうのが冒険者────探索者ってもんにゃよ」
 なんて事を軽く言い放つ。その細腕も小柄な体も冒険者という言葉とは程遠いが、それなりの経歴は積んでいる。
「個人的には『救世主伝説』に縋らないかだけが心配にゃね」
 絶望的な状態を最後に引っくり返した反旗の一撃。
 殿を務めた部隊でさえ撤収踏み切った後の事柄であったため、その目撃者は限りなく少ない。
 まるで神話に語られるような想像を絶する猛威が『怪物』達を薙ぎ払ったと伝えられるが、本当にそれだけの威力があったのかは疑問視されている。
 絶望を引っくり返したという事実が記憶を改ざんしたのではないかというのが冷淡な見解だ。事実大仰に語られてはいるものの、その痕跡は南門前にある大穴ひとつだ。北に巻き起こった『世界の終わりの光景』や東に発生した『巨大な火の玉』の痕跡は無い。
 故に人々は2年にもならないその事柄を「伝説」と呼ぶ。その光景を見た数十名のみが語る口伝に過ぎないのだと。
 やれやれと肩を竦める猫娘を横目に、フィルはエプロンを畳んでグラスを出す。
「まだ時間あるんでしょ?」
「じゃ、カルーアミルク〜」
 はいはいと苦笑して手早く用意しつつ、彼女は儚い祈りを胸中で呟いた。
日常の種類
(2009/10/14)
「じゃあよろしくね」
 ドラゴン人改めグランドーグさんの言葉に「はい」と頷く。
 魔法駆動バイクエルフィンガントに備え付けられたBOXには大量の手紙が入っている。
 これはそれぞれ違う世界から届いた物らしくて、僕の仕事はつまるところ郵便屋さんだ。小包や書留が無い分は楽だけど、ちょっとした大都市並の広さがあるクロスロード全体が管轄と言われて一瞬眩暈がしたものの、毎日20件も無いそうだ。
 そのためバイクのように小回りが利いて速度も出る乗り物は最適なんだそうだ。
 ちなみにクロスロード内での郵便のやり取りもあるけど、それは他の人が分担しているらしい。
「ナビよろしくね」
『了解しました』
 PBの声に笑みを零し
「エルフィンガントさん、今日からよろしくお願いします」
『エルとかエルフィでいいわよ、新しいマスター』
 バイクの発する軽快な声にうなずき返す。
 それにしても、傍目に見ると二つの声は僕にしか聞こえない事もあって、とっても寂しい人っぽい。
「行ってきます」
「うん、気をつけて。問題があったら一回戻ってきてね」
「はい」
 エンジンをスタートさせ、走り出す。加減は覚えたから昨日みたいな急加速はない。
 エンジェルウィングスの敷地を出てニュートラルロードに出るとこの道の馬鹿でかさを改めて体感した。
 ちなみにこのニュートラルロードでは駆動機械系の制限速度は30km/hとなっている。
 明確に規制されているのはニュートラルロードだけなんだけど、他の道でも駆動機械への理解が無い人が多いため、それ以上の速度を出さない事が暗黙の了解なんだそうだ。
 ちなみにこの制限があるのは駆動機械系だけで、魔法や元々足の速い種族には適用されないらしい。確か人間が交通事故を起こすのは人間がその速度の世界に慣れていないからだって教習所で習ったっけ。元々その速度で生きる人たちには速度規定なんて余計なお世話という事なんだろう。
 そういえば都市の拡大、物流の増大にあわせて駆動機の専用道路の指定も検討されてるんだって言ってたなぁ。
 安全運転で巡っても規定時間には余裕で終わるはずらしい。ともあれ一日目から失望を買わないように落ち着いて行こう。
『おもいっきり飛ばしたいわ』
 ……いきなり不安な言葉を呟く知的バイクは無視。僕は一件目に向かう事にした。
◇◆◇◆◇◆◇

 巡回任務は三人一組で行われる。
 規定されたポイントを規定された時刻に回る。何も無ければそれで終わりという仕事だ。
 まず最初にチームで参加している人間は申告し、それ以外はバランスを考えて組まされる。
 怪物にはいくつかの属性が確認されている。その中でも特異なのは『世界三属性』と呼ばれるものだ。
 『物理』『魔法』『加護』と名付けられた三つの属性。俺の扱う剣なんかは物理属性に含まれるし、魔法使いの使う技は魔法属性に分類される。 
 ただ精霊使いの使う精霊魔法や神官の使う奇跡等、他者に力を借りる技は『加護』属性というものに分類されるらしい。
 そして怪物の中にはそのどれかに耐性を持つものがいくつか確認されているらしい。
 俺の世界では魔法使いは極端に少ない存在だったが、あらゆる世界から人が集まるここでは極端に偏っているほどでもないらしい。
 今回チームを組む事になったのはいかにも魔女といった格好をした女と、上半身が白、下半身が赤という極端な色の服を着た女だった。
「よろしくお願いいたします」
 紅白の女が微笑みながら頭を下げてくる。恐らく物理属性担当が俺だとすると魔女が魔法属性担当だろう。そうするとこの女が加護属性の使い手となるわけだが……
「犬神使いの大上董子と申します」
 オオガミ・トウコ? 響きがあの男の名前に似ているなとその考えを咄嗟に打ち消す。昨日の嫌な気持ちを引きずっても意味がない。
「ルティニアネス。ウィッチ」
 こっちはぼそりとそれだけを言う。青白い顔は今にも倒れそうなんだが、無事に歩ききれるのだろうか。
「……ヤイナラハだ。双剣を使う」
 戦士だと言うのもアレなのでそう言ってみる。
「では、各自出発願います」
 管理組合と書かれた腕章をした男の言葉にそれぞれのチームが動き出す。
「では私たちも参りましょうか」
 言うなり彼女の影が厚みを帯、黒い毛の四足獣が現れる。これがイヌガミというやつか。
 魔女も手にしていた箒を倒すとそれに腰掛ける。箒はふわりと浮いて彼女を支えた。
「ヤイナラハさんは歩きですか?」
「規定時間に遅れる事はない」
「乗ります?」
 犬神使いの呼んだイヌカミとやらは体長1.5mはある。確かに俺が一緒に乗ってもびくともしないだろう。
「咄嗟の時対応が遅れるからいい」
「そうですか? 巡回で怪物と遭遇するのは数回に1度ですし、そこまで強力な怪物も出ませんよ?」
 良く喋る女だと思いつつ、何度かこの任務を経験していると知る。
 彼女は無理強いする事無く微笑むと「では、参りましょうか」と俺達を促す。
 俺はおざなりに頷いて、規定のルートを歩き始めた。
◇◆◇◆◇◆◇

「ふー」
 照りつける太陽がまぶしい。
 もうそろそろ時刻はお昼だ。右手を見ると随分と塔が近い。
 くねくねとクロスロードを縫うように走ってきた僕は、すでに10件ほどの手紙を配り終えている。
 手紙と一概に言っても形は様々だ。記録チップみたいなものがあれば、巻物や、紙にしてはずっしりしたものもあった。
 それらを均一化されたポストに投げ込み続けているわけなんだけど……正しいのか少し不安になってくる。記録チップとかちゃんと気付いてくれるのかな?
 クロスロードを縫うように進み、何度目かのニュートラルロードへ出る。
 次の手紙のあて先の住所が近付き、ふと既視感。宛名を見ると
「あれ? これって……」
『アリアエル施術院は左に曲がり4つめの通りの角です』
 施術院って要は病院だよね。そんな事を思いながら見上げるとここからでもその看板が確認できた。
 そう、僕がお世話になった天使のお医者さんの所だ。
 エルを走らせて目的地に到着。間違いないなぁと見上げていると、ちょうど中から先生が現れた。
「おや、君は」
「先日はお世話になりました」
 慌てて頭を下げる。白衣のままだが、がっしりとした体は医者と言うには立派過ぎる。
 なにしろエルに跨った僕を見下ろすくらいなんだもの。身長2mあるんじゃないかなぁ。
「そうか、エンジェルウィングスで働く事にしたのかい。奇縁だね」
 先生は目を細めてボックスについているロゴを見る。
「奇縁、ですか?」
「知り合いが社長なんだよ。私と同じ出身でね」
 そういえばエンジェルウィングスはそのまま天使の羽の意味だ。
「私に届け物かい?」
「ええ、手紙が」
「手紙?」
 妙に訝しげな顔をされる。少し不安になってあて先を見るけど、間違いなくここだ。
「……どうぞ」
 受け取った先生は差出人の名前をみてはっとし、それから苦笑をする。
「なるほど……ありがとう」
「あ、いえ」
 少しその表情の移り変わりが気になったけど郵便屋さんがそこを詮索するわけにも行かない。
 先生は封を開けないまま白衣のポケットにねじ込むと、思いついたように僕を見る。
「……ユキヤ君だったかね。君、お昼はどうするんだい?」
「え? あ、適当に食べるように言われてますますけど」
「じゃあ、一緒にどうかな?」
 突然の申し出だったけど、別に行きたい店や予定があるわけじゃない。
「あ、じゃあ、ご迷惑でなければ」
「うん。それはここに停めて置いても構わないから」
 郵便物の入っているボックスには魔法で掛けられた鍵が掛かっていて、多少殴ったり蹴ったりしても開かないらしいけど。
 僕の逡巡を察した先生は不意に笑みを漏らす。
「なに、エンジェルウィングスに喧嘩を売るような物好きは居ないさ」
「え?」
 先生の物言いにどこか不穏な空気を感じて見上げると、
「クロスロードの物流を一手に引き受けているんだ。誰だって飢え死にしたくは無いよ」
 ちょっと納得したかも。そういう意味では凄いところでバイトしてるのかなぁ。
「じゃあ、エル。ちょっと行って来るよ」
『はいはい』
 別に気を悪くしたようでもない。おざなりな返事に苦笑して先生に付いて行く。
 一分も歩かないうちに着いたのはニュートラルロードから一本路地に入ったところにある小さなお店だ。
 入るとクラシックっぽい曲が煩くない程度に店内を満たしていた。
 落ち着いた洋風の間取りに座席とカウンター。まんま僕が認識する喫茶店の風貌だ。
「いらっしゃい」
 カウンターの奥でフラスコみたいな物を弄っていた、20代前半くらいに見えるお兄さんがこちらを認めて立ち上がる。
 とんがった耳がエルフ種族かなぁと思わせる。
「おや、そちらの方は?」
「元患者客だよ。そしてエンジェルウィングスの新人さんだ」
「おや、それはそれは。お好きな席へどうぞ」
 店内はがらがらだ。先生は迷う事無く一番奥のテーブル席へ向かい、背もたれのない椅子に腰を下ろした。僕も向かいに座る。
「君はコーヒーを知っているかね?」
「あ、はい」
「大丈夫かね?」
「はい」
 本当に喫茶店らしい。カウンターの方を見れば先ほど弄っていたフラスコみたいな容器を楽しそうに準備する店長の姿があった。
 確かあれって正式なコーヒーメイカーだよなぁ。前に大学の先輩に連れられて喫茶店に入ったときに見た覚えがある。
「メニューはそこにあります。先生はいつもので良いですよね?」
「ああ」
 失礼してメニューを取ると見慣れた軽食が並んでいた。ナポリタンとかあるし。
「君には見慣れている物ばかりだと思いますよ?」
 店長さんの言葉は僕の出身を見抜いたものだ。
「なんだ、君は地球世界出身かね」
 先生の問いかけの意味を探っても僕の知識でどうとなる物でないか。
「ええ、そうなります。……なにか特別なんですか?」
「特別と言えば特別ですね。このクロスロードの生活基盤は地球世界文明を基礎としています。
 詰まるところ地球世界にまつわる住人が基礎的に最も多いと言えるでしょう」
「故に、彼のようにその文化に傾倒する者も少なくない」
 先生の補足に店長さんは遺憾だとばかりにかぶりをふり、続いて両腕を広げて
「火打ち石で火を起こし、竈で煮炊きする生活から見れば夢のようじゃありませんか」
 なんて大げさに言う。
「楽は必ずしも良い物ではない」
「ですが、先生としても傾倒せざるを得ない」
 演劇のようなやり取りに眼を丸くしていると、二人はふっと笑みを零す。
「違いない。かの世界の滅菌技術は素晴らしいからな。
 薬品はおろか消毒方法1つにしても、過去の自分の教えてやりたいくらいだ」
 難しい話題だなぁと話題を右から左に流すしかない僕が居ます。
「で、ご注文は?」
 今のやり取りが幻だったかのように店長さんはくるりと視線を向けてくる。
「あ、えっと、じゃあクラブサンドを」
「セットでいいかな?」
 メニューを見るとコーヒーが付いているだけだ。というかどうしてもコーヒーを出したいらしい。
「もしかしてコーヒーが好きなだけ?」
「もしかしなくても大好きですよ?」
 呟きを聞きとがめられたとびくりとしたけど、全く躊躇のない回答。カフェイン中毒かぁと頬を掻く。
「さて、君はこちらに住む事にしたのかな?」
「え、いや……」
 どう答えていいものかと少し悩み
「僕の世界への扉はどうも開きっぱなしじゃないらしくて、帰れないんです」
「なるほど。では開いたら帰るのかな?」
「一応、その積もりです」
 特に問題なく暮らせそうな感じがあるから落ち着いていられるけど、自分はとんでもない状況に置かれている。
 先生の背後でうっすら輝く翼も店長さんの耳も、それを思い出させてくれる。
「そうか。帰る場所があるなら大切にした方が良い」
 先生はゆっくりと頷くと、肘を付き胸の前で手を組んだ。
「……君はこの世界の歴史について、聞いたかね?」
「歴史……ですか?」
 そんな事は思いつきもしなかった。
「この世界の歴史は浅い。今は新暦1年7の月。この世界がある意味始まったのが旧暦2年の1の月だから、3年と半年だな」
「ええ?」
 今日数時間走っただけでも物凄い大都市に見えたのに、……ちょっと信じられない。
 ───確かに建物は総じて新しいけど。
「クロスロードという名が付いてからと言えばまだ半年だ。今の町並みの基礎工事が始まったのが約一年前だな」
「たった一年でこんな町ができるんですか……?」
「それについては管理組合の実力だな。この町は殆ど彼らが作ったような物だ。
 魔法と科学、あらゆる種族の特性を見事に使い分けている。
 整地には土の精霊を、肉体労働には竜族や竜人族、魔族や鬼族等を起用し、細部にはエルフやホビット、ドワーフなどの手先の器用な種族を当てた。
 純粋に人手が必要なら、町を歩き回っているセンタ君が一気に投入される」
 あの丸いロボットは町の至る所で目にすることが出来る。
 いつもはゴミ拾いをしたり、ちょっとした補修作業をせっせとこなしているんだよね。
「あらゆる世界の利点を上手く活用するという点に措いて、管理組合の実力は否定できないものだよ」
「……はぁ」
 別に異を唱える点も無い。そっかー、凄いんだなぁ……くらいかな。
 というわけで、僕は曖昧に頷くに留まった。
「その前はどうだったと思う?」
「前ですか?」
「そう、クロスロードと言う名前と管理組合という組織は同時に、半年前に成立したんだ。新暦1年1の月にね」
 つまりその前には2年の期間があるということだよね。
「ええと……」
 考えるけど出てこない。正直な所、この世界はずっとこうなんだと僕は思っていた。
 十数秒もしてから、先生はゆっくりとその言葉を零す。
「戦争だよ」
 まるで周囲の空気ごと凍結するような重い響きに思わず息を呑む。
「三つの世界がこの地の支配権を得るために戦争をしていたんだ」
 異種族どころか、天使っぽい人と悪魔っぽい人が談笑しているような世界なのに?
 遠い世界に来ているのに、どこか遠い話のように先生の言葉を聞く。
「《ヴェールゴンド》、《ガイアス》、そして《永遠信教》。その三つの世界はこの土地で争っていたんだ。
 私も、エンジェルウィングスの社長も《永遠信教》世界の出身なのだよ」
 『戦争』は僕にとって遠いものだ。もちろん中東で起こった戦争の話くらいは知っているけど、所詮ニュースと言う媒体の中の物語に過ぎない。
 日本という国では戦争を実体験として語る人間が絶滅に瀕している。
「そして《ガイアス》は地球世界の1つなんだ。
 ……君の顔を見る限り、君の世界とは違う歴史を歩んだ地球世界なのだろうがね」
 コトリとテーブルに音を立てたのはコーヒーカップ。
「ちなみに私は《ヴェールゴンド》の一兵卒だったんですよ。
 先生とは敵同士だったんですね」
 お盆を片手に店長さんが気楽そうに耳を疑う事を言う。
「何が一兵卒だ。君は従軍研究者だろうに。
 私との面識はクロスロード成立後だったかね」
「何を言ってるんですか、《七日間》の時にお世話になってますよ」
「それは初耳だぞ?」
「七日間?」
 二人の表情がほんの僅かに歪む。
「『死を待つような七日間』────
 君が手紙を届ける者ならば知っていてもらいたい事だ」
 先生が呟くと、任せたとばかりに店長さんはカウンターの向こうへ引っ込んでいく。
「そして私がこの手紙を見て表情を変えた理由でもある」
 言葉を区切り、コーヒーに口をつけるのを見て、僕も倣う。
「っ!?」
 なんだこれ。コーヒー!?
 いや、不味いわけじゃない。逆に美味し過ぎて別物のように感じた。
 確かに風味というか独特の香りはまさしくコーヒーだけど、それが無茶苦茶深い。
 ……缶コーヒーとインスタントコーヒーしか飲んだ事ないんだけどさ。
「君の世界のと比べてどうかね」
 驚いた顔を悟られたのだろう。いわゆる『本物の味』を知らない僕にはなんとも答え辛く、「美味しくて驚きました」と素直に感想だけを述べる。
「そうか。さて、七日間の話だな。これは別名『大襲撃』とも呼ばれる。
 『怪物』が数十万という規模でこの地へ迫ったのだよ」
 数十万……?
 僕が住んでいた町は大学もあることもあり、ちょっとしたものだ。それに匹敵する数のバケモノが一挙に押し寄せてきたって事か?
「戦争をしていた三つの軍はその脅威に暫定的な同盟を組んだ。
 そうやって戦い続けた────絶望的な七日間を『死を待つような七日間』と言うんだ」
 怪物がどんなやつかは見たことは無いけど話を聞く限りだとゲームに出てくるようなモンスターのようだ。
 それが想像も付かない数で押し寄せてきたならば────
 気付けば震えていた。寒気が体を覆う。
「その際に私の故郷への扉は破壊されてしまったんだ」
「破壊……!? じゃあ……」
「ああ、私達は帰る術を失ってしまった」
 この手紙は別の世界からこちらに送られてきたものとグランドーグさんは言っていた。
 じゃあ、先生への手紙ってどこから?
「この手紙は『七日間』の後、別の世界に移住した友からの物だ」
 僕の考えを見越したように先生は告げてくる。
「生き残った仲間の何割かは、そうやってこの地から去っていったよ。
 異世界への扉はここだけではない。他のルートがあると信じて旅に出た者も居る」
 壮絶で、そして壮大な話だと純粋に思う。先生は僕を見て笑みをこぼした。ぽかんとしていたのかもしれない。
「ここは世界の拠点(ターミナル)でもあり、交差点(クロスロード)でもある。
 人、物、そして思いが集まっては散っていく」
「……はい」
「今の君ならば自分の世界までの距離を強く感じることができるだろう。
 そして手紙はそれを越えて今君の手にある」
 郵便局でバイトした時の事を思い出す。その時も人事担当さんに強く言われた言葉があった。
『その手紙は貴方にとってはその日配る数百のうちの1つにしか過ぎないでしょう。
 でも、送った人、受け取る人には唯一無二の、それこそ運命を左右するかもしれないものです。
 大切に扱ってください』
 その時はお正月のバイトが川に年賀状を捨てたりするニュースも頭に残っていたりしていたから、そうしないでくれという訓示だとばかり思っていた。
「あいつはどの世界に居ても手紙が届くようにしたいと言い始めてな。
 この世界は何処にでも繋がっている。ならばいずれここから旅立つ者、通り過ぎるだけの者も増えていくだろう」
 あいつ、とは多分エンジェルウィングスの社長さんのことだろう。
「そのどこへでも手紙が、思いが届くようにしたいらしい」
「凄いですね」
「他人事ではないだろ?」
 そこで働く事になったのだから、確かにそうかもしれないけど……
 海外旅行すらしたことのない僕には途方も無い事に思えて仕方ない。
「まぁ、君は根っから真面目のようだからね。不正という点では心配していないよ。
 ただ、覚悟はしておいた方がいいと思う」
「覚悟……ですか?」
「文字の力は強い。そういう事だ」
 まるでタイミングを計っていたかのように、店長さんが昼食を乗せた盆を持ってきて、話はそれで終わりとなった。
◇◆◇◆◇◆◇

「それにしても何もありませんねぇ」
 イヌガミに腰掛けたままのイヌガミ使いが気の抜けたような声で誰にと無く言う。
「見渡す限りの荒野。この先に一体何があるのでしょうか」
 まるで吟遊詩人のように飽きずに喋る。俺も魔女も真逆のように無口を貫いているため、完全に一人舞台だ。
「少しは応じてくれても良いのではないでしょうか?
 それとも歩くのに疲れたならいつでも乗ってもいいんですよ?」
 基本的に悪い人間じゃないというのはいい加減にわかったが、お節介で煩い。
「結構だ」
「本当につれないんですね」
 イヌガミの頭を撫でながらむくれた様に言って来るが、応える義理も無い。
 そもそもパーティなんて組んだのも数年ぶりだ。旅の最中に会話をした事なんて殆ど覚えが無かった。
「黙々と歩くと気が滅入りませんか?」
「……」
「……」
「えーっと、だからですねぇ?」
 魔女の方を見ると、向こうもこっちを見ていた。お互い考えた事は同じらしいので諦めて沈黙を継続するしかない。
「ああ、もう! あなた方二人はもう少しコミュニケーションと言うものをですねぇっきゃ!?」
 語尾が妙に上がる。イヌガミが不意に立ち止まり、顔を上げたせいでつんのめったらしい。
「どうしましたの?」
 吼えるような動きをするが、音は無い。しかしイヌガミ使いはそれでも意味を理解する事が出来るらしく「《怪物》ですわ」とイヌガミが睨む方向を指差す。
 確かに目を凝らせば、確かに何かがこちらに迫ってきているのが見えた。
「願っても無い」
 俺はつい、そんな事を口にして双剣を抜く。魔女が二歩ほど下がり、俺の横に主人を降ろした犬が並ぶ。
「邪魔をするなよ」
「それはこちらの台詞です! ですからぁ! チームワークと言うものをですねぇ!」
 きゃんきゃんと甲高い声を無視して間近に迫りつつあるそれを見据える。
 かなりの速度だと思ったら四足獣だ。黒い犬────隣のイヌガミと違って頭が三つある。
「ケルベロス……大物」
 魔女のぼそぼそとした声が辛うじて届いた。
 似たような名前は聞いたことがある。たしか炎を吐くバケモノだったか。見上げるような巨大なバケモノと聞いていたが精々雄牛程度に見える。それでも充分でかいが。
 それが2頭。向こうもこちらには気付いているらしく若干速度が緩んだ。だが停まる気配は無い。突撃するタイミングを計るための減速なのだろう。
「先制─────」
 魔女の口から意味不明の単語が紡がれる。俺とイヌガミの間を縫って走ったのは氷の槍。目視が困難なそれは一直線にケルベロスへと飛翔し、一匹の頭ともう一匹の背を刺し貫く。
 飛び散る黒に近い色の血。ぎゃうんと耳障りな悲鳴を挙げると目に見えて速度が落ちた。
 飛び込む────!
 即座に続いたイヌガミの方が足は早い。背を貫かれた方に踊りかかり右の首に思いっきり噛み付く。
 こちらも犬っコロに負けていられない。頭を1つ失って混乱するケルベロスの下に潜り込むようにして真ん中の首を下から突き上げる。
 黒々とした毛並みのどこもかしこも鋼のような艶を帯びているが、眺めの首、しかも喉の強度は予想通り脆い。
 暴れる足に蹴られないように注意しながら一旦離脱。今度は前足の裏筋を狙って斬りつける。
 巨大な敵で怖いのはその質量そのものだ。ここでどしんと倒れこまれたら全身の骨はあっさり砕け散るだろう。
 だからと怯えていられない。常に安全地帯を意識し、いざと言う時に巻き添えを食わないように急所になり得る部分だけを的確に突く。
 巨体を維持するにはその四肢が強固でなくてはならない。
 故に四肢の破損が酷くなれば必然的に動けなくなる。
 残る1つの首が怒りに燃える瞳をこちらに向ける。だが、畏れる気は更々無い。ヤツの前足は目に見えて震えており、満足に飛び掛ることすら困難だろう。
 ぐっと、顔が上がる。背中に走るちりちりとした何か。俺はその予兆を疑いもせずに信じる。やつのケツの方向へ走ると口から漏れた炎が吐き出す方向を見失って逡巡するのが視界の端に映った。
「がふゅう!?」
 続いてくぐもった無様な声。氷の槍がまた一本。その顔面を貫いたのだ。
 三つ目の頭を潰されてはいかに魔獣と言えども耐えられはしない。
 ぐらりとよろけた体の下から退避すると、目の前で黒の巨体がずんと地面に横たわった。
 言葉の通り『足掻くように』前足が宙を掻くが、それも直ぐに止まる。
 隣に視線をやればイヌガミが翻弄するようにケルベロスの手を牙を避けていた。
 ちょこまか動くイヌガミにいら付いたのだろうか、やはり炎を吐こうとしたところを魔女の氷の槍に頭蓋を貫かれた。これで終わりだ。
「お疲れ様ですね」
 なにやら手に紙を持ったままイヌガミ使いが声を掛けてくる。呪符だろうか。
「怪我とかないですか?」
「別に」
 あのくらい、とは言わない。冥府の守手と言われる魔犬ケルベロスは、俺の世界では一人で相手をするような敵じゃない。
 三つの頭からは火を噴くし、巨体を避けるだけでも命がけだ。
 一人で倒せないとは言わないが、二匹を相手にするならば間違いなく逃げを打つ。
 ちらりと魔女を見る。
 何のことはないようにしているがケルベロスの頭を潰せる位の魔術を使いこなしていた。イヌガミの方だってそうだ。体格差があれほどありながら一匹を充分に足止めしていた。
「それにしても、運が悪いですわね。いきなり魔犬が二匹なんて」
 イヌガミの頭をぐりぐりと撫でながらイヌガミ使いが呟く。
「珍しいのか?」
「ええ、珍しいですわ。巡回任務は十数回経験しましたけど、せいぜい防衛線で打ち漏らしたた小鬼の群れ程度でしたもの。
 砦よりも遠方に行かないと数だけの敵ばかりですわ」
「防衛線?」
 あら? という顔をする。それから気持ち悪いほどの笑顔を浮かべて
「防衛線とはクロスロードを中心とし、砦を円で結んだラインの事を指しますの。
 管理組合の依頼には巡回の他に防衛任務があって、その防衛線上で《怪物》の侵攻を防ぐお仕事がありますの」
 再びイヌガミに腰掛けながらご満悦の表情で説明を続ける。まぁ、必要な情報だから喋るに任せるとしよう。
「未探索区域に出られるほどの準備が無い人たちは防衛任務に行きますわね。
 報酬は出来高ですし、チームで参加する方も多いとか。逆にこちらに着たばかりの方は個人でも私たちのようにチームを作ってくれる巡回任務に入って品定めをするのが通例になりつつありますわ」
 ……こいつ、自分は十数回巡回任務に就いてるって言わなかったっけか?
「何ですの? ……あ、言っておきますけど、私だって別にお誘いが無いわけではないのですよ?」
 俺の視線の意味に気付いたらしく慌てて声を荒げる。
「私の犬神は優秀ですし、私自身も医療系神術のエキスパートですもの」
 回復役は重宝される。それは命をやり取りする世界では当たり前の事だ。多少性格に難があってもな。ましてや自分の身を自分で守れるならば願っても無いだろう。
 つまりは……多少以上に性格に難があるということじゃないのか?
「ただ、ほら! 防衛任務ならまだしも探索に行くのに男の方と一緒だなんて考えられませんわ」
 言いたい事は分らないでもない。が、そんなのは冒険者をやると決めた以上最初に捨てるべき事だ。
 人間を止めるわけじゃないのだから生理現象は必ずある。それをいちいち気にするなら冒険者なんてやるべきじゃない。
 要するにこいつは冒険者にあるまじき潔癖症なんだろうな。
 見ればこの女はやけに身を小奇麗にしている。冒険者というよりも神殿で偉そうにしている神官の雰囲気だ。
「私だってパーティくらい組んだ事はありますけど、もうそのときの男ときたら……!」
 以下、延々と「最悪の出来事」とやらを垂れ流しにし始めたので知覚からシャットアウトした。
 影の位置から方向を確認し防衛線へと視線を送る。
「あら、ヤイナラハさん。防衛線任務に行きたいのですか?」
 目ざとくというか、イヌガミ使いが顔を近づけてくる。
「私ならご一緒して構いませんわよ? そうですねぇ……ルティニアネスさんもご一緒なら尚更」
「別に、どうでも」
 随分と自主性の無い回答だが、意外にも不満は無いようだ。
 この妙な女は鬱陶しさはあるものの、その使い魔に関しては探知能力も含めて有能だ。魔女についてはまだ何とも言い難いが、戦術眼はそれなりにあることが覗える。
 多少我慢すれば悪い話じゃない。一人でもと粋がるには漏れ抜けたケルベロス2匹という現実が重い。
「俺は構わない」
「では決まりですね。明日はパーティを組んで防衛任務と参りましょう」
 一人だけ晴れやかに声を挙げるイヌガミ使いを横目に、俺はもう一度防衛線の方へ視線を向けた。
◇◆◇◆◇◆◇

「これで、最後だよね」
 荷箱を確認し、空である事を確認。ふぅと息をついて空を見上げるともう日が傾きかけていた。
『お疲れ様。のろのろ運転なのは気に食わないけど、久々に走り回れて楽しかったわ』
 願望を混ぜた労いの言葉に苦笑する。
「流石に町の中で飛ばすわけには行かないからね?」
『分ってるわよ。慣れたら町の直ぐ外でもいいから走りに行きましょ』
 流石に直ぐにうんとは言えなかった。町の外にはバケモノが居る上にオフロードだ。
「僕、オフロードの経験ないんだけど」
『レクチャしてあげるわよ。何だったら砦との運輸担当になっちゃえば走りたい放題よ?』
 流石にそれは遠慮したい。どんなバケモノが居るか分らないけど、アクション映画みたいな事をやってのける自信は全く無い。
「考えておくよ」
 とりあえず前向きかつ退路を確保したコメントで濁す。
「さて、戻らないと」
 振り返る。ここはもう川を渡った向こう側、ケイオスタウンだ。そんなに奥まった所まで来ているわけじゃないけど、のろのろ運転なら一時間は掛かりそうだなぁ。
『ニュートラルロードを外れたら速度制限は無いわよ』
「無理だってば」
 人が居ないわけじゃない。交通事故なんて真っ平御免だよ。
 やれやれと苦笑しつつニュートラルロードへ戻ると道に多くの露店や屋台が並んでいた。
「……夜市だっけ?」
『肯定です』
 PBのお墨付きを貰ってもう一度眺める。ケイオスシティには昼夜反転した生活を送る種族が比較的多いらしい。
 なのでロウタウンにおける朝市と同じ位置づけで夜市が開催されるんだそうだ。見ればロウタウンに比べて言い方は悪いけどバケモノっぽい人が多い。
 というか、まんま妖怪みたいのまで普通に居るんだけどなぁ。
 なんだろう。ニュースで見た外国のハロゥインパーティとか、そんな感じだろうか。
 日が昇ってる間は橋を渡って急に人通りが少なくなったと思ってたけど、こういう人たちが住んでいるのなら納得かもしれない。
 もちろん全部が全部妖怪妖魔な人じゃなく、普通(に見える)の人も居るけど、ロウタウンと違って比率は低い。
「にいちゃん、ちょっといいか?」
 不意に、やたら幼く可愛らしい声が耳元で囁かれる。
「はい? はっ!?」
 視線を向けた瞬間。大きく開けた口と鋭い牙にぎょっとする。
「こら、やめなさい」
 硬直した体と口の間ににゅっと入り込む白い手が少女の額をがっしり掴んで僕から離す。
「なにすんのさ! 邪魔するな!」
「騙すような真似は止めなさいといつも言っているでしょう?」
 小学校低学年くらいの女の子がぶんぶんと手を振って怒りの声を挙げる。その背中には真っ黒な蝙蝠の羽。あからさまに飛び出た牙に青白い肌。
 人形みたいに可愛い子だけど、顔面を掴まれたまま宙で手足を振り回す様子は滑稽の一言に尽きる。
 一方それを差し止めた男も年齢性別は違えども似たような物だ。アイドルでもやっていそうなほどの美男子。居るんだなぁこんな人。
「いいじゃんか! こいつが「はい」って応えたんだから!」
「それを騙すような真似と言うんです。
 それに彼はエンジェルウィングスの社員ですよ?」
 男の人の言葉に少女は「げげっ」と大仰に驚いて
「は、はは。じょーだんじょうだんだよ〜!」
 そんな事を言いながら逃げていってしまった。
「……えっと?」
 事態がだんだんと飲み込めてきた。あの姿は多分吸血鬼とかそういう類の存在だよね?
 詰まるところ……血を吸われかけてた?
「少年、君も夕暮れ以降のケイオスタウンではあまりぼうっとしない事ですよ。
 この街に慣れていないなら日が暮れる前に川の向こうに戻った方がいいです」
「え? あ、ありがとうございます!」
「いや、一応仕事ですから」
「仕事?」
 管理組合の人だろうか? でも管理組合の人はそういう警察的な事はしないはずだよね。
「まぁ、地域のまとめ役みたいなものですよ。代理ですけどね」
 特区法は地域、組織の法律だからそこの責任者みたいなもの、かな?
「あの子は結構な年なのに未だに見境いが無くて困りますよ」
 やれやれと肩を竦めるのを見て、ふと背筋が寒くなる。
「……もしかして、僕、吸血鬼にされかけた?」
 僕の問いに彼は少しだけ眼を見開き、それから笑みを少しだけ深くする。
「ふふふ。いえ、そんな噛んだら即吸血鬼化するような危険な同胞はここには居ませんよ。
 まぁ、魔に属する者には気まぐれな方が多い。気のいい者ばかりですが、ゆめゆめ油断しないことです」
 さらりと怖い事を言われた気がする。
「おお、喧嘩だぜ!」
「よっしゃ、でけえアンちゃんに2000Cだ!」
 ……声に釣られて見ると大男と狼男が殴りあいをしていた。それを周囲で面白そうに観戦している町の人達。
 気の良いと行った男の人も苦笑い。
「えーっと、あ、ありがとうございました」
「うん。またおいで」
 僕は礼もそこそこにバイクを加速させた。
 うん。明日からは先にケイオスタウンの配達をしようとか心に誓ったりする。
 確かに町の光景を見る限り「今から悪いことをしに行くぜぃ」とか「お前を頭からばりばり食うぜぃ」的な雰囲気の人が多いものの、実際は談笑したり買い物したりと至って朗らかな光景が広がっている。
 見た目にこだわったら失礼だとは頭では理解できるんだけど、そのあたりはじきに慣れていく方向でひとつ。
 ともあれ。
 暮れなずむ町を南へ。目前に広がる大河が三途の川に見えたのは仕方ないことだよね?
◇◆◇◆◇◆◇

 深く息を吐く。
 結局戦闘はあれだけで、時間通りにヘルズゲートに戻ってきた俺達は報酬を受け取って解散した。
 イヌガミ使いが夕飯がどうだとか言っていたが流石にそこまで馴れ合う気はまだ起きない。魔女のヤツはさっさと消えてたしな。
 ヘルズゲートの前はかなりの賑やかさだ。こちらは今からが活動時間帯のやつらが多いのだろう。元の世界で鉢合わせたら問答無用で剣を抜きそうなヤツもそこらに居たりする。
 ケルベロスの討伐はそこそこの金になった。運が良いかどうかは別としてやはり巡回任務でもバケモノに遭遇する可能性は低いらしい。
「防衛任務ねぇ」
 かつて怪物は地を埋め尽くす程押し寄せ、数多の屍を築いたと言う。
 大襲撃と呼ばれるその戦いは始まりに過ぎず、以降怪物の影はこのクロスロードを脅かしているという話だ。
 そいつらが何処から来ているかは不明。まともに会話できる個体との遭遇例は無いらしい。
 分っている事。それは「こちらへの敵意」と「《扉》を破壊できる」という事実だ。
 学者連中がどんなに頑張っても扉の塔や扉に傷付ける事すらできないのに、怪物はいとも容易く扉を破壊してしまったらしい。
 結果、故郷への道を失った者が居るのだ。
 その事実から学者連中には『怪物の目的は《扉》の破壊である』なんて唱えているヤツも少なくないってことだ。
 逆説的に怪物を吐き出し続ける《扉》があり、そいつを俺達来訪者は破壊できるのだろう。なんて考えもあるらしい。
 もっとも、その《扉》が何処にあるのかは検討もついていないらしい。あるかどうかも怪しいしな。
 ともあれ、防衛任務は重要な探索者の仕事だという理由はそこにある。
 探知能力や索敵能力に優れた探索者を常時配置し、防衛ラインの内側に怪物を入れない事が至上命題というわけだ。
 戦闘自体は戦争のような軍団の戦いじゃない。イヌガミ使いが言ってた通りパーティ毎に襲来ポイントに向かって迎撃を行う仕組みらしい。
 誰が考えても非効率だ。最悪人が集まらない場合だってあるし、それはクロスロードの危機に直結する。普通なら軍隊を組織して効率的に防衛すべきだろう。
 けれども軍隊にしてしまえば指揮官が必要だし、指揮系統を作れば権力が生まれる。それを嫌ったからという事なんだが……管理組合の権力嫌いは筋金入り過ぎて気色悪い。
 まぁ、俺がどうこうできる話じゃない。剣で飯を食っていける環境があれば良いじゃないか。
 割り切って座席の背もたれに身を任せる。がたごとと揺れる景色の中、ランタンの明かりとは比較にならない輝きに包まれるニュートラルロードを見る。
「……?」
 ふと、併走する何かに気付く。馬じゃない。何かのマジックアイテムだろうか。それに乗るやつに見覚えがあった。
 ……というか、こいつ俺に付きまとってるんじゃないだろうな?
 兜をつけてはいるが、その下の顔は間違いなくあの死にかけだ。
 なんなんだ、あれは?
 奇怪な乗り物後部に乗っかっている箱。そこに描かれた紋章に眼が留まる。
「羽の紋章?」
『エンジェルウィングスのシンボルマークです』
 PBが質問と捕らえて応じる。
『エンジェルウィングスはクロスロード内外の物流を一手に引き受ける会社です』
「……」
 つまりは運び屋の仕事を始めたと言う事か……?
「あの馬は?」
『魔道式自動二輪。通称バイクです』
 この電車を追い抜いていくのだから馬並みには速い。
「どれくらいの速度が出るんだ?」
『車種にもよりますが、あの型式から推測すると最大時速は250km程度です』
 時速なんて言われても理解できない。
「……馬よりもどれくらい早いんだ?」
『単純計算で4倍程度。距離が長くなれば長くなるほど差が出ます』
 馬は生き物なのだから当然疲れる。対するアーティファクトには当然疲れが無い。その差という事か。
 未探索地域へはどうしても乗り物が必要だと言っていたが……
「あれは難しいのか?」
『技能は必要ですが、扱いが困難な装置ではありません。
 数日の訓練で操縦を覚えることは可能なケースが多いです。個人差はありますが』
「値段は?」
『あの型式であれば大体五百万C程度と推測されます。カスタムの内容によってはもっと高額になります』
「……」
 未換金分を含めて俺の手元の金が三百万C程度か。さすがアーティファクトだ。
「あいつ、そんなに金を持ってたのか?」
『エンジェルウィングスのロゴが入っていましたので、社有車と思われます』
「借り物ってことか」
『肯定です』
 座席に座りなおして天井を見上げる。
 今日の稼ぎで一週間くらい暮らす分には何も問題は無い。討伐によるボーナスが無くたって毎日巡回任務をやっていれば自然と金が溜まっていくだろう。
 リスクの高い防衛任務や未探索地域に出向く必要性は俺には無いはずだ。
「……」
 自然と手が剣に触れる。
 俺は剣を手放したくないからここに居る。それは────別に戦いに出なくともここでは許される。
 剣で生きる。それだけが俺の道。追い詰められた俺はそう思ってここに来てるんだよな……
 酒場の前でも通ったのか、酔った笑い声が車内にまで届いてくる。
 自分が一体何をしたがっているのか。
 それがどうしても分らず、ずっと天井を見上げていた。
とらいあんぐる・かーぺんたーず
(2009/10/28)
 あれから一ヶ月が過ぎた。

「おや、早いね」
 車庫にエルを停めた僕に所長さん────ドラゴン人のグランドーグさんが声を掛けてくる。
「今日は少なかったですし、流石に慣れました」
「そうかい。
 君が着てくれてから大助かりだよ。他の支店からのヘルプに頼る必要も無くなったし」
 上機嫌で言われて少し照れる。
 エンジェルウィングスは管理組合本部傍の本店と、ここを含め5箇所の支店がある。
 本店の業務は《扉》を潜ってやってきた物資や手紙を各支店に分配すること。
 支店のうち2箇所はヘブンズゲートとヘルズゲート前にあり、主に《扉の塔》とゲート間の物流を担っている。
 たまに何かの死体みたいなのを運んでたりするトラックを目にすることがある。《怪物》の死体には自然には無い物質が形成される事があるため、とても貴重な資源でもあるそうだ。
 本店傍にある支店は商店への輸送が主で、大型のトラックや乗竜が多く所属しているらしい。
 残る2つの支店がうちともう1つ。うちは個人宛の小物配達が主要業務で、残る1つは集配、つまりは輸送品の回収業務がメインということだ。
 1つの支店が1つの部署のような扱いになっているんだよね。非効率じゃないかなぁとは最初思ったものの、種族特性や設備の問題もあって特化した方が効率が良いと判断したらしい。
 というわけで僕の担当エリアは比較的太い道が多いニュートラルロード周辺となっている。
「PBがあればこそですけどね」
 こんなに広いエリアを覚えられるほど頭が良い自信は無い。
 良く手紙が届く家は流石に覚えつつあるけど、建売住宅のように似たような家が並ぶこの街では例え地図を片手に持っていても時間内に配り終える自信は無い。
「それでもだよ。案外空からだとPBでの案内は使いづらいらしくてね」
 あー、確かにそうかもしれない。地面ならば『次の角を右に』なんてアナウンスができるけど、空では『西北西に100m』なんて言い方になりそうだ。
「速達なら空の方が絶対的に早いけど、配達は君が一番だよ」
「ありがとうございます」
 とりあえず頭を下げて車庫を出る。まだ夕方には少し早い時間だ。
 裏口から事務所に入るとパソコンの前にして難しい顔をしている女の人が居た。
 どこかほわほわした感じの人で、特に目元がとろんとしている。
 動きも緩慢で「難しい顔」をしながら「うーん」と声に出して困っている。年齢は見た目高校生くらいなんだけどその雰囲気のせいで二周りくらい幼く見える。
 そして物凄い美人だ。なんというか、オーラが違う。変な魔法が掛かってるんじゃなかろうかというくらいに彼女が歩けば男女構わず振り返って見てしまう。
 白い肌、ウェーブの掛かった銀の髪。宝石のような目……って。こほん。
「どうしたんですか?」
「うーん。あ、ユキヤくん。おかえりなさーい」
 ふにゃりと表情を笑顔に変えて、女性───レイリーさんは僕に視線を合わせた。
「あはは。計算が合わなくて〜」
 パソコンの画面を見てみると、有名な表計算ソフトが立ち上がっていた。
 若干名前やデザインが違うのは別の世界のものだからだろうか。
「……自動的に計算させればいいんじゃないんですか?」
「ええ?」
 まるでパソコンに触れたことの無いおばさんの反応だが、目をまん丸にしてきょとんとする様は可愛らしいの一言だ。
 ……ほんと、この人には変な魔法が掛かってるんじゃないだろうか。
 実際に美人だし、なにやらふわふわと良い香りがする人だけど……失礼な言い方をすれば「美人は三日で飽きる」なんてのは1つの真理だと思う。
 毎日顔を合わせているのだから、少しは慣れそうなものなんだけど……
 いや、実際事務所から出て思い返すとどうしてあそこまで自分が陶酔しているのか不思議に思う事が多々あるんだよね。
 あとなんだろう。いやらしい気持ちよりも庇護欲が勝る。抱きしめるよりも頭を撫でたいとかそんな衝動があるんだよなぁ……やらないけどね?
「自動?」
 甘い声に引き戻される。
「ええ、えーっと」
 画面を覗き込むために近付くとそれだけでも胸が高鳴る。そんなにきょとんと見上げないで下さい。
 とりあえず視線を前へ。コマンドが違う可能性もあるのでヘルプらしいところを開いて関数を調べる。
 どうやら僕の知っているのと同じらしい。ヘルプを閉じて関数を入力し結果を表示させると
「えええ?」
 ある意味予想通りの反応が横合いからあった。僕だってパソコンに詳しいわけじゃなく、情報の授業で習った程度の事なんだけど……優越感がむくむくと。
「すごーい!」
「というか、どうしてレイリーさんがこれやってるんです?」
 パソコンを普通に扱えるのは科学世界……世界の文明レベルが僕の基準で19世紀以降の人たちと魔法使いだ。
 もちろんそれ以前の人だって使う事はできるけど、基礎的な素養が足りなくて目の前で起きてる事が理解できないため、効率が悪いみたいなんだよね。
「なんとなくー」
「……さいですか」
 この人は良くわかんない。クイズ番組で珍回答をするアイドルを思い出した。
「おや、レイリーさん。西砦への輸送の報告がまだですよ?」
 車庫の方から戻ってきた所長にレイリーさんの肩がびくりと震える。
「あ、明日でいいですか?」
「ダメです。面倒がらずにやってください」
「ふぁーい」
 へにゃっとした返事をして自分の机へ向かう。
 なるほど、現実逃避か。
 この人は箸よりも重いものを持った事の無いような白くて細い手をしておきながら、自分が隠れられそうな大剣を振り回す探索者だ。
 どう見ても護衛される方だけど、基本的には輸送隊の護衛として砦とクロスロードを往復している。
 ……って、壁に掛けてあった剣を持ち上げようとしてふら付いているのを見ると、とても信じられないんだよね、毎度。
 最初に紹介されたときに「どんなにお願いされても書類仕事を肩代わりしないで下さい」と所長に言われて、思いっきり「えー」って臆面無く批難したくらい面倒がり屋である。
 断りきれなくて2回くらい手伝いましたけどね。はい。
「ユキヤ君は今日は上がって良いですよ」
 所長さんの後ろからうるうるとした視線。それに気付いた所長がすっと体をその間に割り込ませる。
「間に合わない時に手助けするのは助け合いですが、できるのに押し付けるのはサボりです。
 はい、さっさと帰ってくださいね」
 うしろで「あうー」なんて声がする。きっと机にぺしょりとつぶれている事だろう。
 このまま居座っていたらあの人の「お願い」に抗い切れる自信はないし、流石に所長さんの笑ってない視線に逆らうのも問題なのでここは素直に従う事にする。
 それにレイリーさんの場合明日には忘れてけろっとしてるしね。
「じゃあ失礼します」
「はい、おつかれ」
 事務所を逃げるように出ると後ろめたさを振り切るように十数歩は早足で。それからふと立ち止まって空を見上げる。
 夕飯を食べるにはまだ早いし少し歩いてみるかな。
 思えばこの一ヶ月、この街を色々見回ったものの実際に買い物をしたり建物の中に入った覚えはほとんど無い。
 部屋の中は最低限の着替えくらいだものなぁ。慣れるまでの一週間くらいは家に帰ればそのまま気絶するように寝てたし、休みの日はその延長で寝てたからなぁ。
「……一ヶ月かぁ」
 ここの24時間と元の世界の24時間が同じスパンなら、もう一ヶ月も行方知れずと言う事になる。
 一応普通に大学生をやってたんだから流石に未だ気付かれてないって事は無いだろう。
 ……かあさん心配してるかな。
 ホームシックというやつか、急に胸が締め上げるように辛くなる。ああ、もう子供じゃあるまいし。
 大学生になって一人暮らしを始めた頃には清々してたはずなのになぁ。
 流石にクロスロードで泣きべそかいているのは情けない。顔を俯けて歩きながら心を落ち着かせる。
「おやー?」
 聞き覚えのあるカン高いアニメ声。目の前に若草色の髪とそこから突き出した赤いネコミミがある。
「やほ、名も知らぬお客さん」
 ひらひらっと手を振ってくるのは酒場でたまに見る女の子────確か、アルカさんだ。
「あ、え、あ……こ、こんにちわ」
「ふみ? なんかあったの?」
 やばい。流石に恥ずかしい。「な、なんでもないですよ。そうそう目にゴミが入って」
「にふ。大変そーにゃね。おねーさんが見たげようか?」
 「おねーさん」という言葉からはかけ離れた見た目……どう見ても中学生がいいところだろう。
「大丈夫ですよ、もう流れました」
「そかそか」
 あれから何度も『純白の酒場』にはご飯を食べに行っているし彼女の姿は見ているけどまさか顔を覚えているとは思わなかった。
 なにしろあの店には入れ替わり立ち代り数百人の客が押し寄せるのだ。そりゃぁ常連の顔を覚えるのは飲食店では繁盛の秘訣かもしれないけど、お手伝いでしかも厨房から出ない彼女が目立たない僕なんかをと思う。
「アルカさん、お知り合いですか?」
 横合いから柔らかい声音が問いかける。視線を向けるとネコミミ少女よりも頭2つ高い女性が小首を傾げている。
 長い銀の髪に真っ白な翼。この人も天使族だろうか。整った顔立ちや清楚さが女神とかそういう言葉を連想させる。
 さらに特徴的なのは左頬の模様────刺青かな?────だ。清純そうな彼女の雰囲気にそぐわないような気がする。
「うん。酒場のお客さんにゃよ。そいやー名前は?」
「あ、藍沢幸弥です」
「ユキヤちんね。あちしはアルカにゃよ。ケルドウム・D・アルカ。こっちはるーちゃん」
「アーティルフェイム・ルティアです。よろしくおねがいしますね」
 率直的な感想は『対照的』。アルカさんは子供に混じってサッカーとかしそうな活発な雰囲気があるのに対し、ルティアさんはそれを横目に見ながら読書でもしそうな感じだ。
 体型についても
「良い度胸してるにゃね?」
「ひっ!?」
 思考が読まれた!? い、いや、そんな事は……この世界ならあるかもしれない。
「まー、いいけどさぁ……さて、るーちゃん急ごーか」
「あ、そうですね」
 猫そのものの気の変わりようで僕から視線を外した彼女はゆらゆらと赤い尻尾(2本ある?)をくゆらしながら、傍らのルティアさんを急かす。
「君も来る?」
「え?」
「うちのお店ー」
 純白の酒場……は方向が違うよなぁ。
「酒場はお手伝いにゃよ。あちしの本業は大工にゃの」
「大工……?」
 いや、うん。なんだろう、子供御輿の子供達を思い浮かべてしまう。
「アルカさん。それでは勘違いしますよ?」
「別に間違ってないもん。ま、百聞は一見にしかずにゃよ。ほら暇ならおいで」
 言うならひょこひょこと歩き出してしまう。それに追随しながらルティアさんが申し訳なさそうな笑みをこちらに向けてきた。
 まぁ、時間潰しをどうしようかと思ってたし良いかな。
 それから電車に乗って移動し、歩く事十数分。
 僕達は『とらいあんぐる・かーぺんたーず』とやたらポップでファンシーな看板を掲げた店の前に居た。
「あ」
「え?」
 アルカさんの不意の一言。
 その視線の先に────ミサイルがあった。
◇◆◇◆◇◆◇

「お疲れ様でした〜」
 相変わらずテンション高いな、コイツ。
 日が傾きかけたヘブンズゲート前。イヌガミ使いがやたら上機嫌でこちらを振り返った。
「明日はどうしますか?」
 俺は視線を魔女の方に滑らすが、それをあっさりスルーして無言。
 必要以上の事は喋らないってスタイルは俺以上に徹底している。
「俺は構わない。別に用事があるわけじゃないしな」
「同じく」
「でしたら明日もよろしくお願いしますね」
 この数週間、俺はこの二人と防衛任務に就いていた。最初は様子見のつもりだったんだが役割分担が上手く分かれている事もあって離れる理由も無く、またこのイヌガミ使いがやたら付きまとうため、なし崩しにこの関係が続いている。
 防衛任務は巡回任務とそう変わらない。
 特定のルートを回り、出くわした《怪物》と遣り合うだけだ。その頻度は巡回任務に比べると格段に多いのは間違い無いけどな。
 場合によっては3人じゃどうしようもない大軍なんかも現れる。その時は足止めに徹して援軍を待てば良い。砦にはそういう『一掃』に秀でた能力を持つ探索者が控えており、状況に応じて援軍として出てくるようになっている。
 それでもこの数週間で俺達だけでも十数匹の怪物を打ち漏らして突破されている。巡回任務はそれを迎撃するために無くてはならないものなのだろう。
「ああ、そうです。明日終わったあとにお時間ありますか?」
「……」
 直ぐに返事すべきではない気がする。とは言え無視をしても魔女が代わりに応対してくれるはずもないし、ウザい拗ね方をされるので
「ああ、あるが?」と投げやりに応じる。
「はい。でしたらお時間を下さいね」
 気付かないのか、気付かない振りをしているのか。イヌガミ使いは満面の笑みでそんな事を言ってくる。
「わーったよ、じゃあな」
 手を軽く振って別れを告げると、魔女も後ろに続いた。イヌガミ使いの家はヘブンズゲートに程近いためわざわざ電車に乗る必要がないのだ。
「……お前は良かったのかよ?」
「……何が?」
「いや、明日の予定とか」
「特に無い」
「……あ、そ」
 表情も変わらんし、何を考えているのか分りにくいヤツだ。
 ……まぁ、俺も自分の世界じゃそんな事言われてた気がするけどな。
 路面電車に乗り込み座席に腰掛ける。この時間は同じく仕事を終えた探索者が乗り込むため座席が8割以上は埋まる。
 まぁ電車の本数もこの時間は増えるのでむやみと込み合う事は無い。
「……剣」
「あ?」
 動き出した電車の音にギリギリかき消されなかった声に思わず周囲を見回してしまう。
 それからその発生源が魔女だと気付いて視線を向ける。コイツから話しかけたの初めてじゃねーか?
「危険」
「……危険?」
 いや、剣は玩具じゃねーんだから危険なのは……こいつがそんな無駄な事を言うわけがないか。
 親指で片方の剣を少しだけ鞘から引き出す。毎日結構な戦闘を繰り返しているためか、細かい刃こぼれが目立ってきている。もちろん自分の命を預ける相棒だから手入れは欠かさず行っているが……
「どういう意味だよ」
「悲鳴が聞こえる。痛いって」
「……」
 魔女の考えていることは分らないが、流石に意図は読み取れる。
 思えばここまで連続で戦闘した経験なんて数えるほども無い。刀身への蓄積は俺の予想以上なのか……?
 ふと、こいつの忠告に素直に耳を貸す自分に驚く。普段なら自分の剣にケチを着けられたのだから噛み付いて然りなのにな。
「……ちっと見てもらってくる」
「そう」
 苦笑を抑えられずに溜息で誤魔化す。まぁ、なんだかんだコイツらと組むのが当たり前になってる自分が居るんだなと思うと気恥ずかしい。
 一匹狼が当たり前。誰にも受け入れられない悲劇を気取ってた自分が脳裏を過ぎる。
 生きる為に必死だった世界を駆け抜け、戦いが当たり前になった日々を過ごし、その全てを否定されてここに来た自分は何処に行っちまったのやら。
 もう一度深く溜息。
 初めてここに着た時にドワーフのおっさんに聞いた言葉が思い出される。
「あっこに行って見るか」
 イヌガミ使いならそんな呟きにもイラナイほどに首を突っ込んでくるが、魔女はぴくりとも反応しない。
 揺れる電車の中で、俺はPBに『とらいあんぐる・かーぺんたーず』とやらの道順を聞いた。

 まさか、到着直後に目の前で爆発があるとは思わなかったけどな。
◇◆◇◆◇◆◇

「大丈夫ですか?」
 耳が若干遠い。それでも自分の身が無事であったと知る事ができた。
 目を開けると真っ白な翼が目の前にあった。
 ルティアさんが僕の前で杖を掲げている。彼女の少し先には薄い光の膜が展開していて、それが僕らの周りをぐるり囲んでいた。バリア……ってやつかな?
「もー。ユイちゃん!」
 アルカさんの怒声。彼女の方も見た目無傷だ。
 ずんずんと店の裏手に歩いて行ってしまう。
「……何だったんですか?」
「えー、まぁ、いつもの事なんですけどね」
 困ったように言いながら手にあった杖をどこかに消す。
「うちのもう一人の店員さんの仕業です」
「……はぁ?」
 彼女が張ってくれたバリアとの境界線がくっきりと分る。アスファルトが熱で溶けているし煤も凄い。
「えーっと……僕何か攻撃されるような事しました?」
「多分実験か、寝ぼけたかですね……」
 心苦しそうに凄いことを言う。寝ぼけてミサイルって何?
「ケホッ、これはどういう事なんだ……?」
 え? と振り返る。その先には爆風にやられたのか髪をかき乱された女性の姿がある。幸い酷い被害は受けてないようだけど……
「ヤイナハラさん……?」
「ヤイナラハだ」
「ご、ごめんなさい!? えっと、何でここに?」
「それはこっちの台詞だ。テメエがなんでここに居る」
 ここ暫くちらりと姿を見ても会話する事も無かった彼女がそこに居た。しかもかなり険悪な雰囲気で。まぁ……無理も無いと思う。
「ああ、すみません。お怪我はありませんか?」
 ルティアさんが間に入ってヤイナラハさんに頭を下げる。「うちの店員の事故ですので」と本当に申し訳なさそうに言われると彼女は苛立たしげに頭をひと掻きして「チッ」と舌打ちした。
「ここは鍛冶屋なんだろ?」
「え、あ、はい。それもやってます」
「打ち直しを頼みに来た。割引くらいしてくれるんだろうな?」
「……」
 ルティアさんは少しだけぽかんとしながらも、直ぐに笑みに変えて「ええ、もちろんです」と柔らかく応じる。出来た人だなぁ。
「もー! だから居眠りしながらしちゃだめにゃよっ!」
「うー……」
 と、そんな事をしていると裏手の方からアルカさんが戻ってきた。ずりずりと何かをひきずって。
 青い髪の女の子だ。ぶらんと力の入ってない手にはラジコンのコントローラー見たいのを持っている。
「アルカさん。こちらの方が打ち直しを依頼したいと」
「にゃ? あー……巻き込まれ?」
「そのようで」
「はー。御免ね。タダでやったげるから店の中においで」
 割引がタダになった。それで機嫌も直ったのか、ずりずりと女の子を引きずりながら店の中に入るアルカさんの後ろに続く。
「……えーっと」
「まぁ、気にしないで下さい」
 それはちょっと無理だと思います。
◇◆◇◆◇◆◇

 店内は大工や鍛冶屋という単語には結びつかない造りだ。商品を並べる前の小物屋さんという感じかな。
 夕日が差し込む中、小さな体には似合わない筋力で青髪の女の子を椅子に置く。そのまま女の子は机にぺしょりとつぶれて気にせず爆睡。何なんだろ、あの子。
「るーちゃん、お茶お願い。あと打ち直したいのどれ?」
「これだ」
 ヤイナラハさんが腰の双剣を鞘ごとカウンターに置く。アルカさんはひょいとそれを抜いてしげしげと見ると
「今日で良かったにゃね。明日だとちょっちやばかったかも」
 なんて事を軽く言う。
「どれくらい掛かる?」
「ん? 一瞬」
 打ち直し、って言うと真っ赤に焼けた石炭だかの前で上半身裸のおじさんがハンマー片手にがつんがつん叩くイメージがあるんだけど……一瞬?
 アルカさんは首にしている赤い首輪?に手を掛けると軽くくいっと引っ張る。それが即座に光の粒子に代わって、即座に彼女の手の中で再構成される。
 現れたのは冗談のようにでかい黄金のハンマーだ。柄の長さは彼女の身長ほどもあるし、頭の部分も色と相俟って米俵を思わせる。
「おい、何をするつもりだ?」
「何って打ち直し」
 ヤイナラハさんが止める気持ちは凄く良く分かる。さっきも言ったとおりこの部屋はどう見ても小物屋だ。
 炉も無ければ鍛治用の台も無い。
 子供のお料理じゃあるまいし、余りにも無茶が過ぎる。
「まーまー、見てなさいって。これでもクロスロード一番のマジックカーペンダーにゃんだから」
 カーペンターってさっき彼女が言ってた大工と言う意味だよね。直訳すると魔法大工?
 それは鍛冶屋とジャンルが違うのでなかろうか。
 そんな事を考えている間に、左手だけで巨大なハンマーを持ち上げて肩に担いだ彼女は右手で器用に二本の剣を持つとひょいと空中に投げた。
 腕の良いジャグラーのように綺麗な放物線を描いて宙を舞う二本の剣。それが天井間際からゆっくり下降し始めた時────

「にゃっ☆」

 黄金のハンマーが問答無用で剣をぶっ叩いた。
 誰よりも驚いたのは僕だ。ちょうど方向的にこちらに飛んでくる角度。
 だがそうはならない。剣が先ほどの首輪と同じように光の粒子になり、ふわりと宙を舞う。

「「「「にゃぁっ!!」」」」

 それは一人で発したとは思えない。まるで複数の彼女が同時に叫んだような声。
 直後にそれは起きた。
 無数の粒子が二箇所に凝縮され再び二本の剣としての姿を取り戻し、重力を無視してカウンターの上に落ちたのだ。
「ほい、出来上がり」
「……」
 背中しか見えないけどヤイナラハさんが呆然としているのが感じられる。いくら魔法でも無茶苦茶過ぎる。
「何をしたんだ……?」
「その子が最善と思う形に再構成したにゃよ。
 随分と愛着を持ってるんにゃねぇ。楽だったにゃ」
 ハンマーが光に分解されて首輪に戻る。アルカさんは楽しそうに笑いながらヤイナラハさんの反応を確かめているようだ。
「ま、気持ちは分るけど持って見るにゃよ」
 恐る恐るというべきか、やけにゆっくりと手を伸ばし、柄を握る。それから少しびくんと肩を揺らし、もう片方の剣を掴む。
「どうぞ?」
 そんなアルカさんの声にカウンターから2歩ほど離れた彼女は不意に二本の剣を躍らせる。
 それは舞いと言って差し支えないほどに洗練された美しい動きだった。荒々しく、淀みない。全てがあるべき場所に軌跡を刻んでいく。
 ほんの数秒の出来事。思わず拍手を送りたくなった手を止める。そんなことしたら彼女は絶対睨んでくるから。
「どう?」
「……悪くない」
 にふふーと満足げに笑うのに対し、やはり釈然としないのかヤイナラハさんは少し憮然としている。
「その子には明確に記憶が宿ってるにゃよ。自分が一番君に使われるべき形が刻まれてるにゃ。
 あちしの鍛治はその姿を表現する事。新たに作るわけじゃないから『打ち直し』にゃね」
 物には魂が宿る。僕の世界で言えばオカルトだけど、この多重交錯世界では確かな事実だって僕は知っている。僕の乗るエルもそうだし、憑喪神なる器物の精霊が実際に生活しているのだから信じないわけには行かない。
「まー、見た目的に別物になるイメージがあるけど、そんな事はないって一応言っておくにゃよ」
「あら、もう終わりました?」
 奥からお盆を持って現れたルティアさんが微笑みながら問いかける。
「終わったにゃよ。急がないならお茶飲んでいくにゃ」
 気さくに声を掛けられて、感触を確かめてたヤイナラハさんが思わず頷く。
 手馴れた様子で紅茶を入れる音が落ち着いた店内に響き渡る。
「ここはどういう店なんですか?」
 僕はふとそんな事を口にする。ヤイナラハさんが「何を言ってるんだ?」って顔を向けてきた。
「雑貨屋さんでしょうか?」
「まー、それがある意味一番妥当かもねー。雑貨の範囲が偏ってるけど」
 今度は店員二人に対し訝しげな表情をするヤイナラハさん。彼女にとってはここは鍛治屋だものね。
「うちらは何でも作るにゃ。あちしが魔法系でるーちゃんが神聖・祝福系。んでそこのゆいちゃんが機械系にゃ」
「じゃあさっきのミサイルは……」
「多分ゆいちゃんが寝ぼけて発射ボタンを押したにゃね」
「違う……」
 むくりと目を擦りながら起き上がる青髪の女の子。
「……自動迎撃システムの実験。店の前を通ったら迎撃」
「そーいうのはやめなさいって言ってるでしょ?!」
 ……アルカさんの本気のつっこみにも全く関せず、眠そうな雰囲気のまま「紅茶欲しい」とルティアさんに要求している。
「まぁ、こんなお店なんで用事が無い限りあまり店の前を通る人居ないんですけどね」
 ルティアさんも申し訳なさそうにフォローになってない事を言う。
「ま、基本的にはオーダーメイド専門店ってことかにゃ。他の店より少し割高にゃけどなんでも作るにゃよ」
 三人でやってるから「とらいあんぐる」なんだろうなぁ。
「君んところのエルちゃんも今度連れておいで」
「え?」
 予想外の話に間抜けな顔をしてしまう。
「あれもうちの子にゃよ。基礎設計はゆいちゃん。マジックドライブと仮想人格形成はあちしの領分にゃ」
「それってあの乗り物の事か?」
「バイクって言うにゃよ」
「あれ? ヤイナラハさん、僕と仕事中に合いましたっけ?」
 ここ暫く顔をあわせた覚えが無い。エルは支店の車庫に預けるから家まで持って帰らないし、どこかで見られたのかな?
「ちょっと見かけただけだ」
 まー、クロスロード中を走り回ってるからニアミスしてもおかしくないか。
「あの子が再起動してるとは驚きだったからさ。
 一年くらい倉庫で埃被ってたはずだから、整備しとかないとね」
「……やる。百万馬力くらいに……」
「改造は遠慮します」
 冗談と取るべきの発言もあのミサイルを目の当たりにした今では空恐ろしい。
 というか、改造で百万馬力って……
「……残念」
 眠さが勝っているからか無表情なので本気かどうか分らない。多分本気のような気がする。
「でも、再起動してるのが驚きって……?」
「んー」
 カップを揺らすと同時に、彼女の背中でも二本の尻尾がゆらゆらと揺れている。
 ルティアさんも少しだけ目を細めて、でも語るつもりは無いみたいだ。
「多分その気になったらエルちゃんが喋るにゃよ。
 ま、今度暇を見て連れてきて。ドゥゲスト爺ちゃんのトコでもいいけど、一応人格システムのチェックもしたいしね」
「……はぁ」
 気になるけど多分聞いても答えてくれないだろうなぁ。
「ときに、二人はお知り合い?」
「え? ああ、はい。こちらに来たときに助けていただいて」
「へー」
 ぴこぴことネコミミが動く。おや、髪の隙間から人間の耳が見える。じゃあアレは付け耳?
 でも尻尾とかそんな雰囲気じゃないしなぁ。
「目の前で死なれるのが寝覚めが悪かっただけだ」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
「ツンデレですにゃ」
 全くデレる気配ありませんけどね、と内心で突っ込む。言葉の意味が分らないヤイナラハさんは訝しげな顔をするばかりだ。
 そもそも僕の名前を覚えている雰囲気すらないし。まぁ僕もさっき間違えて怒られたけど。
「ふみふみ。んじゃ余興に占いでもしてみよっか〜」
 突拍子も無くカウンターの裏からタロットカードを取り出してくる。
「占いは信じないタチだ」
「ストイックにゃね。ユキヤちんは?」
「え、ああ。じゃあ折角ですから」
「ほい来た。空気読める人は大好きにゃよ〜」
 扱いにくそうなカードなのに流麗な動きでカット。それから投げるようにカウンターの上にカードをばら撒くと、魔法でも使ったのか綺麗な形に並んだ。
「みふみふ〜♪
 えーっと、突然の転機。不運な事故。生活の変化。まぁ過去はそんなところにゃね。
 もしかして偶然『扉』に入った?」
「……当たりです」
 その結果、死に掛けて彼女に助けられたからねぇ。
「帰らない……よーには見えないから不定期開放型かぁ。まー、人生そんなものにゃよ」
 占いをしている間にブン投げた発言をしてくる猫娘さん。
「んで、新たなる道、安定。まぁエンジェルウィングスで無事にがんばれてるんならこれも占うまでも無いにゃね」
「おかげさまで」
「で、わっくわくの未来〜♪」
 この人に言われると微妙に不安になるのは気のせいだろうか。
 捲ったカードを見て「おや?」と小首を傾げないでほしいなぁ。
「災厄に運命の選択」
「……」
 不吉な響きに暮れなずむ室内がしんとする。
 ルティアさんは苦笑するばかりだし、青髪の女の子は半分寝てる。
「にふ。まークロスロードにゃしね。切り開く道は……勇気。自分を信じて突っ走れば何とかなる物にゃよ」
「……はぁ」
 一番僕から遠い言葉のような気がする。
「下らないな。占うまでも無いじゃないか」
 まぁ、こんな結果を否定してくれるならありがたいんだけど……占うまでも無いって……
「にふ。やっちゃんは未来をどうこう言われる事がお嫌いみたいにゃね」
「ヤイナラハだ!」
 名前を短く言われるのが嫌いなのかな? 本気で怒声を上げる彼女にアルカさんは少しも怯まない。
「にゃー。まぁ、やっちゃんにアドバイスするとすれば。
 ツンデレはデレないと価値が─────」
 カップが飛んだ。アルカさんは何気なくそれをキャッチしつつ「冗談なのにー」と満面の笑顔。
「弱さは隠すものじゃない。認めて補うモノを見つけたときにこそ克服できるものにゃ。
 今のやっちゃんならその意味はわかるんじゃないかにゃ?」
「……余計なお世話だ」
「にふ。おねーさんからの親切なアドバイスにゃよ」
 ヤイナラハさんはすくりと立ち上がると颯爽と店を出て行ってしまう。
「またおいで。君の傍には記憶の声を聞ける人が居るみたいにゃから、時期は間違えないでしょ?」
 なんて声を掛ける。
 一瞬だけ動きが止まったのは僕の気のせいだろうか。確かめる事もできないまま彼女の姿は見えなくなった。
「アルカさん、からかいすぎですよ?」
「にふ。ああいう子はああ見えて素直にゃよ。
 無駄に見えても聞くことは聞いてるにゃ。だからツンデレ〜☆」
 投げつけられたカップをカウンターに置きながら訳知り顔で微笑む。
「あ、えっと……じゃあ僕もそろそろ」
「にふ。君もまたおいで。お茶を飲みに来るだけでもOKにゃよ」
「はい」
 とは言いつつ流石にミサイルの歓迎をどうこう出来る自信は無いなぁ。
 ともあれ、僕はこの不思議なお店を後にするのでした。っと。

 ……それにしても、アルカさんって何歳なんだろ?
日常の、その傍らに
(2009/11/24)

「来ました! 後退しますよ!」
 イヌガミ使いの声に俺は逆に前に出る。
 別に逆らっているわけではない。その間にイヌガミが後ろに突っ立っている魔女を咥えて背に放り投げ、次いでイヌガミ使いが背に乗る時間を稼ぐだけだ。
 案の定ゴブリンどもは一瞬驚いたように下がり、その困惑の間に俺も背を向けて全力疾走。
 逃げたと悟ったゴブリン達が今度は血気盛んに追いかけてくる。残虐さだけを抽出したような鳴き声を背に受け続けるのはいくら一山いくらのゴブリン相手とは言え気持ちのいいものではない。
 だが、それも三十秒足らずのことだ。不意に空に影が走ったかと思えばそこから2人の探索者が飛び降りてくる。
「え、えっと……後は任せてくださいっ!」
「そういうことじゃな」
 どっちも女でしかも片方はどう見てもガキだ。
「じゃあ行きます!」
 本当に大丈夫かと顔をしかめた瞬間─────世界が歪む。
 どこまでも広がる荒野がいきなり森に囲まれ、背後に王城を背負う風景に変貌する。
 周囲から湧き出してくるのは体がトランプという奇妙な兵士だ。手には長槍。それが一斉にゴブリン達を串刺しにしていく。
 走っているうちに草木に触れるが全てすり抜けていく事に気付いた。これは───大規模な幻覚か?
 すぅとその光景が消えたとき、大地から伸びた石の槍がゴブリン達の手足を貫き、縫いとめていた。
 百匹は居ようかという大軍があっさりと止められたのだ。そして生まれた時間でガキが魔術を完成させる。
 降り注ぐのは黄金の雪。それが触れた瞬間──────────────

 ギャァアアアアア!!!!!!

 数多の悲鳴が木霊する。
 黄金の雪が触れたところから発火し、ゴブリンを飲み込んでいく。その光景は幻想的だが余りにも悲惨だ。火柱と化したゴブリン達がのた打ち回り、やがて力尽きて倒れていく。
「凄まじいですわね」
 イヌガミ使いが尊敬というよりも畏怖を込めて呟く。
「……あ、次だそうです」
「なんじゃ? 今日はせわしないのぅ」
 大人しそうな金髪の女が耳に付けた装置に触れながら手を上げると、上空から小さなワイバーンというべき物が舞い降りる。
「じゃあ、私たちはこれで」
 わざわざ頭を下げて飛び乗る金髪と、こっちを振り返りもせずに乗竜によじ登るガキ。
 こちらが呆然と見ているうちに2人の女はあっという間に飛び去ってしまった。
「あいつらだけでなんとでもなるんじゃないのか?」
 俺は思わずそんな事を呟く。
「そうでもない」
 意外にも、反論を口にしたのは魔女だった。
「威力はそれほどでもない……」
 すっと指差す先、炎に巻かれたゴブリンの中にはまだ僅かに息のある者も確かに居る。
 全身大やけどだから放っておいてもやがて息絶えるだろうが……確かに威力という点では魔女が使う魔術の方が圧倒的に強いだろう。
「『モブ』程度なら何とかなるけど、ってトコか」
 比較的相手しやすい───弱い『怪物』には群れるという習性がある。クロスロードではこれを群体──モブと称するらしい。
 1匹や2匹なら苦も無く倒せるが、やはりそれが数十に膨れ上がればかすり傷は避けられないし、疲労も蓄積する。そしてそれは緩慢な死への道に他ならない。
 多くても5〜6人のパーティで構成される1集団では対処できない大規模なモブに対し、各砦は専門家を用意しているというわけだ。
「怪我は無いですか?」
 イヌガミ使いが確認とばかりに問いかけてくる。
「知っての通りだ」
「そうですか」
 投げやりな物言いにも笑顔を向けてくる。
 こいつはいつも後ろで状況を見ている。本当に怪我をしているならそんな事は聞きもせず、患部を指摘して見せるように言ってくる。
 『知っての通り』とはそういう意味だ。性格はどうであれ、支援系としては優秀であると俺も認めている。
「さて、では戻りましょうか。ちょうど既定の時間になるはずです」
「……ああ」
 PBに問うと確かに大体そのくらいの時間だった。
 時間という存在にも大分慣れて来たな。煩わしくも思うが行動の指針としては確かに便利だ。
「それでですね。ちゃんと約束覚えていますよね?」
 剣を納めた俺にやたら笑顔を濃くしたイヌガミ使いがずいと詰め寄ってくる。
「……ああ」
 そういえば、昨日何か言ってたっけかな。
 俺の曖昧な返事にも相変わらず何が楽しいんだか分らないような笑顔で「よろしいですわ」と頷き、イヌガミに腰を下ろす。
「ではさくっと戻りましょうね」
 俺はちらりと魔女を見るが、本当に我冠せずとばかりに箒に跨ってさっさと砦の方向に向かい始めていたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇

「おや、ご苦労様です」
 ケイオスシティのほぼど真ん中、ニュートラルロード沿いにある建物で、その人は口元に笑みを作ってそんな事を言う。
「い、いえ……」
 外にある看板は『ケイオスシティ管理分署』とある。どうやら管理組合の分署の1つであると同時に、ケイオスシティにおける特区法のとりまとめと、対応を行っているらしい。
 それにしても。
 見た目はまるで交番だ。そんな場所で黒髪に黒の服という男の人が事務仕事の手を止めてこちらを見ている。
 彼は先日、吸血少女に襲われかけたときに助けてくれた人だ。なるほど、管理組合の人だったんだなぁ……
「あ、これ手紙です」
 差出したのは丸めた羊皮紙。なんでも羊の皮を使ったものらしく、紙が普及する前には地球でも使われていたらしい。主に西洋の方だけど。
 赤い蝋で封をされているそれを手にしていると少し眩暈というか、何か不味いもののように感じてしまうのは何でだろうか……
「はい、どうも」
 細い目は何処を見ているのか判断し辛いが、口元はずっと笑み。声音も柔らかい。
 なのにこの手紙と同じで良く分からない怖さが背筋をくすぐり続けていた。
 あの夜のことを思い出すならば、彼は吸血少女の事を『同胞』と言った。つまりは彼も吸血鬼なのだろう。
 不自然に青白い肌はそれを強く物語っているように思える。
「おや、これは……
 まったくいつもの調子で書きましたね……」
 羊皮紙を受け取った彼は手紙を開けないままにそんな事を呟くと
「体調に問題はありませんか?」
 なんて事を聞いてくる。
「……た、体調って!?」
 思わず声を荒げてしまった僕に、彼は声を漏らして笑いながら
「いえ、念のためです。驚かせて申し訳ありませんね」
 なんて事を言う。
 いや、安心できる要素がないですよ、その言葉には!?
 ……からかわれてるのかなぁ……。一見真面目そうな人なんだけど。
「ああ、そうです。ついでにこちらからの郵便物もお願いしていいですか?
 全部管理組合本部宛てなんですけど」
「え……あ、はい」
 僕が応じると彼は立ち上がって隣の席の書類を弄り始める。
「ええと……これと、これ……。あれ? まだこれ仕上がってませんね。まったく」
 こうして見ると普通の人なんだけどなぁ。
「ああ、お待たせしました。これだけお願いしますね」
 結局集まったのは10数個の書類封筒だ。渡された僕は受取りの規定を思い出して、首から提げて胸ポケットに入れている社章を引っ張り出す。
「ええと、料金は管理組合からで良いんですか?」
「いえ、こちらでお支払いします」
 言いながら彼も自分のとは違うPBを書類を漁っていた机から引っ張り出して社章にかざした。
『代金の授受を確認しました』
 設定が違うためか、僕のPBとは違う声が脳裏に響く。
 個人経営のお店だと自分のPBで済ます場合が多いけど、数人単位の組織になった場合それ専用のPBを発行してもらう事ができる。
 エンジェルウィングスでは社員章兼任のカードだ。
「では、よろしくおねがいしますね」
 僕は「はい」と応じるなり、さっさと炎天下のニュートラルロードへと飛び出す。
 まだお昼前とあって8の月半ばのクロスロードは非常に暑い。
 それでもどっと胸中からあふれ出した安心感に深く息を吐く。
「なんだろ。怖いってわけじゃないのに」
『そりゃあそうでしょ』
 BOXをあけて受け取った封筒を納めていると、エルが僕の独り言に応じてきた。
「そうって?」
『だってあの人ヴァンパイアロードよ?』
「ろーど?」
 吸血鬼の道?という意味不明の単語に首をかしげていると
『高位のヴァンパイアを指します。別の言葉では始祖や盟主、ノーライフキングなどが相当します』
「は?」
 間抜けな声は仕方ないと思う。
「つまり、吸血鬼の王様?」
『そうとも言えるわねぇ。確かどっかの魔界だか冥界だかで公爵位を持ってたはずだし』
『公爵は貴族位の最上位です』
 二人(?)掛りの説明に思考停止。
「もしかして、滅茶苦茶強い人?」
『もしかしなくてもね。まぁ、温和な人だから必要以上に固くなる必要は無いと思うけど』
 けらけらと笑い飛ばしそうな感じでエルが応じる。
「……って、エル。なんか知り合いっぽい言い方だけど……」
『知り合いよ?
 というか、製作者のダンナだしねぇ』
「……」
 はて。最近妙な事を聞いた気がする。
 確かエルを作ったのは……
「ああ、ユイって人の……?」
『違うわ。もう一人の方なんだけどねって、ユイを知ってるんだ』
 意外そうに応じるエル。ってもう一方ってあれだよね。
「まさか、アルカさん……?」
『そっちも、知ってるのね?』
 ……日差しが眩しいなぁ。
 脳みそが追いつかなくて思考停止すること十数秒。
「えええええ!?」
 と声を出して思わず口を塞ぐ。まだ事務所直ぐそこだし!?
『まぁ、驚くのも無理は無いけどねえ』
 そりゃあ驚くよ。どう見ても小学生か頑張って中学生なアルカさんが結婚してるだとか。
「って、じゃああの「お姉さん」って発言は……」
『アルカは確か24か25かくらいのはずだけど?』
 ホントにお姉さんだったのか……。
 それにしても吸血鬼と夫婦だなんて、どういう経緯なんだろうなぁ。あの人も妖怪っぽいって言ったら失礼かもしれないけど、町で見る半獣人と違って尻尾が2本あったりするし。
 ともあれ、僕は「世の中色々あるんだなぁ」とか思いつつやや逃げるように次の配達先へ向かうのだった。
◇◆◇◆◇◆◇

「じゃあ乾杯です!」
 いつもながら賑やかなのはイヌガミ使いだけなんだが。
 町に帰ってきた後、俺達は酒場に連れて来られていた。
 やたら客の多い店で、店員がめまぐるしく動き回っている。ついでにデカイ鼠がうろついてんだが……盆を頭に乗っけてるのは何かの芸か?
 イヌガミのやつも器用に椅子に座っている。こういうところは何処と無く人間っぽい。
 これはどちらかというとゴーストに近いモノらしい。確かに体温や鼓動なんてものはないが、毛皮特有の手触りと暖かさは本物と遜色ない。
 主人に合わせるようにオンと一声鳴いて、そそくさと床に下りる。どうしてかこの店には動物用の皿もあるらしく、そちらを悠々と食べ始めた。
 周囲は煩いくらいに賑やかだ。探索者の姿も目立つ。俺達が一人を除いて寡黙な分、丁度良いのかも知れない。
 魔女の方に視線を転じると、フォークでちまちまと豆をつついては口に運んでいる。カラクリのような単調な動きは毎度の事ながら人間味をとことん損なっている。
「ヤイナラハさん」
 ずいとイヌガミ使いが顔を寄せてくる。
「……ずーっと思っている事があるんです」
 目にはムダに力が入っており、俺をこれでもかと睨みつけている。
「なんだよ」
「私の名前。言えますか?」
「……」
 イヌガミ使いだろ? と流すには妙に気合が入っている。三つ数えるくらいの時間が流れ、不意にイヌガミ使いが溜息を吐いた。
「やっぱりですか。この分だとるルティさんの名前も頭にありませんね?」
 赤くて長い妙なスカートを直しながら腰掛け、もう一度溜息。ルティって魔女の事か。
「ヤイナラハさん。私の事嫌いですか?」
「……いや、まぁ、悪いとは思わねぇけど」
 おべっかではなく、まぁ能力は悪くない。
 魔女の支援は的確だし、イヌガミも相手を翻弄する敏捷性を駆使してこちらが囲まれないように立ち回ってくれる。
 イヌガミ使いの方も回復術の他に簡単な攻撃魔術が使える。よほどの大軍に囲まれない限り、早々崩れる布陣ではない。
「じゃあ、どうして名前を覚えてくれないのですか?」
「いや、ほら、俺、頭よくねぇから」
「嘘です」
 即否定しやがった。
「ヤイナラハさん、元から覚える事を拒否していませんか?」
「……」
 まぁ、元より流れの賞金稼ぎだ。人と巡り合っても数日もしないうちに別れるのが常。いちいち名前を覚えるような事もなかったとは思うけど。
「そういう習慣がねーんだよ」
「じゃあ作ってください。別に皆さんの名前を覚えろなんて言いません。私とルティさんだけでも充分です」
 逃げるように、我冠せずとばかりの魔女に視線を送ると
「ちなみにルティさんは覚えていらっしゃいますよ」
「……魔女としては当然」
 ……それは呪殺とか、そっち方面の備えじゃないのか?
 聞くと頷かれそうなので過ぎった想像を払う。
「私は大上董子です。トウコで構いません。ルティニアネスさんもルティで良いと仰っています」
「えー、ああ。トウコにルティな。うん、まぁ、なんとか覚えるよ」
 そうとでも言わないと引き下がりそうにない。確かに月が一巡りするくらい一緒にやってて、少し気まずいとは流石に俺も思うし。
 ともあれ、俺がそう応じるとイヌガミ使い。もといトウコは厳しい顔を笑みに変えて引き下がってくれた。
「まったく。本当なら別の話をしたかったのですけどね」
 二本の棒を器用に操り、焼いた魚を解しながらそんな事を呟く。
「別の話?」
「はい。未探索地域へのアプローチをそろそろ考えませんか? ってコトです」
「ん……? でもよ、足が無いとどうにもなんねーんじゃなかったっけか?」
「はい。だから相談です。
 回収作業を依託し、純粋に未探索地域の調査を行うのであれば私とルティさんは問題ありません」
 ああ、と思う。い……トウコにはイヌガミがいるし、ま……ああ、面倒だな。ルティには空を飛ぶ箒がある。
 今の所足が無いのは俺だけだ。
「ヤイナラハさんを私の後ろに乗せるということもできますが、そうすると荷物の問題があります。
 今のような日帰りではなく、数日間の旅となると荷物もかさばりますし」
 話に聞く限り、周辺百キロに町の真ん中を流れる川以外の水場は無いらしい。
 無論町や村も無い。食べ物もさることながら水を以下に運搬するかが重要になるのは目に見えている。
「最悪ルティさんの魔法で水を作ることは可能です。ですがそれは我々の戦力を削ると同じこと。
 やはり万全を期すには車両が必要だと思うのです」
「それで?」
「共同で購入しませんか? というのが一点。
 それから、運転技術を学んでいただけないかというのがもう一点です」
 買う分にはまぁ、理解できる。
「俺が操縦するのか?」
「ルティさんは術の性質からか、機械系と相性が悪いらしくてダメですし。私も恥ずかしながらああいうのは全くダメなんです」
 確かに馬1つ乗れそうにないな。イヌガミに乗ってる時も細かい動きは独断に任せているみたいだし。
「馬に乗るのとは違うんだろ?」
「ええ。ただ個人的な意見としては、なまじ生物の馬よりもよっぽど楽だと思います。
 街中で走らせるのならばそれなりの技術は必要でしょうが、あくまで外で運用することが前提ですからなおさらです」
 車ってやつは外面だけなら何度も見た。南北の門に行けばいくらでも見られるからな。座席の正面に輪っかが1つと、囲むようにレバーがいくつか付いてた覚えがある。
「思考認識とか、擬似知能型とかもあるらしいのですが、特注品になって高いらしいのです」
「というか、お前馬に乗れないのか?」
 車に乗れないという事はそういうことじゃないのか? 今の発言だと。
「乗れません。というか、普通馬なんて走ってませんもの」
 馬が走っていないのが普通ってと、ここみたいに電車とかが走っている工業的な世界なんだろうか。
「つまり不器用」
「ルティさん!!」
 絶妙のタイミングでぼそり呟く魔女にトウコが立ち上がって怒鳴りつける。もちろん怒鳴られた方はどこ吹く風だが。
「ま、まぁ。今のところまだ購入の目途も立ててませんから。
 それからでも結構だと思いますよ?」
 こほんとわざとらしい咳払いをして、まとめに入る。
「まぁ、頭には入れておくよ」
「それは」
 腰掛けながらトウコが神妙な顔を作る。
「これからも一緒にやって行って下さると思って良いのですか?」
 一瞬耳がキンっとする感覚があった。
 周囲の音が薄れて、胸苦しさに顔色を崩さないように苦心する。
「……恥ずかしいヤツだな」
「な、なんですか、その言い方!!」
「同意」
「ルティさんまで!!」
 「一緒に」ねぇ……
 数年間一人で命のやり取りを続けてきた。町に入っても物取りなんか当たり前。女であるとバレたらなお危険が増す日々。
 自分を隠し、ただその腕だけを磨き続けていた。
 人の名前を覚えないのもそう。女の傭兵なんてまず居やしねぇし、居たとしても俺見たく生き残るスタンスを確立しているのが当たり前だった。
 だから一人ならばずっと一人。それが当然で、従って覚える理由も意味も無い。
 俺は一方的に吐き出される言葉を聞き流しながら腸詰を1つ口に放り込む。
 頭を切り替えなきゃいけねーのは確かだ。
 そんなことを考えながら。
◇◆◇◆◇◆◇

「ふぅむ」
 帰り際。一枚の紙を手に顎を撫でるグランドークさんが居た。
 その前にはぺしょりと潰れつつペンを握るレイリーさんが居るから、逃げないように監視してるんだろう。
「ああ、ユキヤ君お疲れ様。ちょっといいかな?」
「ええ」
 近付くとグランドークさんは手にしていた紙を差し出してきた。
 さっと目を通すとどうも大掛かりな輸送計画ということがまず読み取れた。
「南の方に水源が発見された事は聞いているかい?」
「……なんとなく噂では」
 酒場とかでは色々な話題が耳に届いてくる。その中でも最近良く耳にするのが、まさしくその話だ。
「近くそこに新たなる開拓地を建設する事になりそうでね。
 そうすると物流関係はうちに回ってくるわけだけど」
 個人単位での運び屋や商会専用の輸送部隊などは存在するものの、大規模な運搬能力でエンジェルウィングスに勝る者は無い。
「それはエンジェルウィングスが採る輸送体勢の業務指示書でね。
 うちからも人を出さざるを得ない。
 そこでユキヤ君。南砦までで良いから受け持ってはくれないかな?」
「……僕がですか?」
 南砦までは比較的安全な事は聞いている。同時に最近防衛ラインと呼ばれる四方砦を円で結んだラインを突破する怪物が増えていることも聞いていた。
「と言っても常時じゃない。臨時便としてだね」
 バイク便が僕の世界で価値を持つのは渋滞をすり抜けたり、細い小道を行ったりできるからだ。
 一度外に出ればずーっと荒野のこの世界。輸送というジャンルではどうしても四輪車の方が有効だ。
「伝令や医薬品の輸送なんかが主だね。それもクロスロードから南砦までに限るようにはするよ。
 流石にそれ以上は戦闘能力が無い者には無理だし」
「じゃあ、私が後ろに乗ればいいんですよぉ」
 レイリーさんが話に乗っ掛かってくる。
「まぁ、確かに貴女の能力はある意味有効ですが。
 ユキヤ君が持ちません」
 彼女の『能力』それから『持たない』という言葉の意味が何となく知れた。
 魔法じみたその魅力の事だろう。そんな彼女が後ろに乗るだなんて頭がどうなるかわかったものじゃない。
「えー。ユキヤ君は紳士ですよ? ね?」
 その花のような可憐な微笑に頷きたくなる。グランドークさんは『能力』って言ってたけど、やっぱり魔法的な何かなんだろうか。
「サキュバスも真っ青なんですから自重してください。まったく。
 ともあれ、人の生き死にを左右する話でもあります。空が安全と言えない以上、君のような機動力の投入は避けられません。
 考えて置いてください」
 『人の生き死に』
 さらりと出てきた言葉に体の芯がぶるりと震えた。日本でそんな言葉を告げられるのは警察や消防隊、医師なんていう特別な職業くらいだ。
「さて、レイリーさん?
 口を挟めるくらいには出来上がったんでしょうね?」
「……」
 視線をわざとらしく逸らして、ペンを動かし始める。
 種族が大きく違うとその『能力』とやらも通じないのか。人間には絶対無敵のレイリーさんは天敵グランドークさんの前でのろのろと作業を再開するのであった。
 ともあれ、ヘルプの視線を向けられても困るだけなので「失礼します」と声を掛けて支店を出る。
 日に日に配達速度が上がっているせいか、しかも今日はいつもより配達品も少なかったのでまだ夕方よりも少し前という感じだ。
「どうしようかな」
 こちらの世界に来て最初の頃は一日一日が必死だった感じもあるけど、余裕も出てくると微妙に暇な時間が増えてきた。
 日本に居た頃は友達とつるんで適当にぶらついたり、ゲームしたりしてたんだけど。
 実際見知ったようなゲーム筐体は売っていたりする。ただこんなファンタジックな世界でファンタジーなゲームをするのかと考えると手が伸びないのも事実だ。
 かといって酒を飲んで時間を潰す趣味も無い。テレビなんかがあれば良いんだけどクロスロードではテレビの放送は無いらしい。
 もちろんテレビが無いわけではない。問題は電波の方だ。
 この多重交錯世界では電波環境が非常に悪いらしい。詳しいことまでは分らないけど、テレビやラジオの放送が出来ないほどだと言う。
 ケーブルなんていう手段もアリなんだろうけど、それについては既に建設してしまったという状況が裏目に出ているらしい。
 よって視聴者の確保が大変な現状からテレビやラジオをやろうとする人は居ないみたいだ。
 そうなると強いのは紙媒体だ。どんな世界の言葉も一様に読めるという特性から本や雑誌、それから新聞なんかは良く見かける。
 類似世界からの輸入品なのか、僕の知っている物とは微妙に設定が違う漫画がちらほらある。うっかり別の店で買うと続きが微妙に違ったりして混乱する事もあって、この世界がそういう場所なんだと改めて思う事もある。
「本屋にでも行って見るかなぁ」
 よくよく考えるとエンジェルウィングスの人たち以外にあまり知り合いと呼べる人は居ない。
 ふと「とらいあんぐる・かーぺんたーず」の事が脳裏を過ぎったけど、あの『歓迎』を連想すると足は向かないよなぁ。
 エンジェルウィングスにしてもグランドークさんは上司でもあるし、増して何時も仕事が急がしそうで付き合って貰うには申し訳ないし、レイリーさんを誘う勇気は無い。
 他の配達スタッフとは顔を合わす程度でまともに会話した事もそう無いんだよね。他の支店との掛け持ちの人も多いらしいし。
 と言っても。
 本屋への道を歩きながら周囲を見る。
 僕と同じ人間種はもちろん多いけど、若い人はまず間違いなく共通して武装している。つまり『探索者』なんだよね。
 みんな各世界の『扉』を潜ってきているわけだから、どうしても冒険者や探検家なんて人種が多く、続いて学者や政府の人なんかが多いらしい。次に商人ってところだ。
 僕みたいに偶然この世界にやってくる人も居るけど、やっぱり一般人として来るケースは本当に稀みたい。そしてそういう人間は直ぐに引き返せば良いからなお少ないのが現実だ。
 詰まるところ、友達づきあいが出来そうな人ってどれくらい居るのかなぁと溜息が出る思いだ。
 もちろん探索者と友達になれないとは思わない。仕事柄そういう人たちと話をした事もあるけど、気さくな人も少なくない。
「気の持ちようかなぁ」
 平和ボケとまで言われる国だからこそ、血なまぐさいほどのファンタジーも存在していた。
 漫画やアニメに執心していないとは言え誰でも知っている週刊漫画雑誌くらいは軽く見ている。その中で、正義の味方なのに血に塗れたその姿を怯える一般人の描写は何度か見た気がする。
 そのときは「助けてもらったのに酷いやつだなぁ」と軽く考えていたけど、今ではなんとなくその反応も分る気がする。
 僕達は命を大切にするように教えられた。それ以上に死への忌避感を叩き込まれている。
 死ぬ事が怖くて、悲しくて、映画の中だろうとその死に悲しみと感動を覚えるようになっている。
 だからその手で命を刈る人たちをどう見て良いか分らなくなってるんだとこの一ヶ月で漠然と考えていた。
 あのレイリーさんに対しても、きっと実際に刃を振るい、命を刈る様を見てしまえばあの魔法は解けてしまうのではないかと考えてしまう。

 じゃあ僕も同じように殺すという行為に触れてしまったら?

 ふと脳裏を過ぎった想像に体の芯から震えが走った。
 こんな事考えるものじゃない。そうは思いつつもこの世界はその行為が限りなく近い。
 今でこそ平穏な日々が続いているけど、一年半前には酷い戦いがあったことは先生の言葉を今でも思い出す。
 もしそんな状況になれば生易しい道徳など捨て去って我が身を守らなくてはならなくなるのだろう。
 そうでなくとも、町の外は絶対に安全ではない。
「やめようやめよう。考えたって────」
 わざと声に出して気付けば目的の本屋に到着していたことに気付く。
 本屋と言っても手紙の種類が多種多様なように、その形状も様々だ。
 流石に石版ほどレトロなものは無いが、奥には巻物や竹簡なんてものがあった。
 それでもその殆どは紙。あとは電子チップも多い方だろう。
 想像を追い出すように視線を店頭に並ぶ本に向けると不意に先客にぶつかった。
「……あれ?」
 以前よりすこしだけ伸びた髪。ラフで小奇麗な服のためか、垢抜けた感じがして一瞬誰かわからなかった。
「ヤイナラハさん?」
「……なんかその驚いた顔が気に障るんだが」
 お隣さんでありながら生活時間帯が違うのか、ここ暫く会っていなかった彼女はギロリとした眼光を向けてくる。
「あ、いえ。あの、可愛らしい服だなと」
「黙れ」
 一刀両断を体現するような一言が僕の口を噤ませる。ヤバイ、なんか凄い機嫌悪くなったぞ。
 彼女の装いと言えば丈夫さだけがウリの厚ぼったい服だったのに、今日はロゴの入ったTシャツに真新しいジーンズだ。
 腰の所のふくらみから背にたどると、彼女の剣がシャツから尻尾を見せていた。
「あ、ええと」
「どうしました、ヤイナラハさん?」
 店の奥から出てきたのは……巫女さん?
 白い上着に赤の袴。あの上着って何て言うんだっけ? 胴衣で良いんだっけか?
 まぁなんというか、巫女さんである。
「お知り合いですか?」
「知らん!」
 ぷいと顔を背けてしまう。よっぽど僕の一言が腹に据えかねたらしい。
 ……忌々しさの方向がどっちかというと服に向けられている気もするけど。
「……ええと?」
 巫女さんがこちらに視線を向けてくる。僕はとりあえず頭を下げた。
「日本人ですか?」
「え?」
「いえ、黒目、黒髪かつ頭を下げる挨拶なんて日本人の典型的な特徴ですから」
 そういう彼女もどう見ても日本人だけど……漫画やアニメじゃあるまいし、平気な顔して巫女服で歩き回る人も滅多に居ないだろうし。
「私、大上董子と申します」
「藍原幸弥です」
 楚々とした大和撫子そのままの彼女の微笑みに慌てて名乗り返す。
「ヤイナラハさんとはパーティを組ませていただいています」
「……はぁ」
 へぇとは思うけど、どう返せばいいんだ? ただのお隣さんですよでいいのかなぁ。
 何を言ってもおかしな気がするので、話題を変える事にする。
「お買い物ですか?」
「ええ。ちょっと調べたい事があってここに。
 それからヤイナラハさんの服も」
 ぴくりと彼女の肩が震えた。なるほどこの人が原因らしい。
「彼女ったら着替えを殆ど持っていないとかで、外に冒険に行くような格好で出てくるものだから見繕いましたの。
 可愛らしいでしょ?」
「トウコ……!」
 ぞくっとした。本気で怒ってる。
「てめぇだって何時も同じ服だろうが!」
「私は神職ですから、当然です。
 それにちゃんとこれは普段着用ですわ」
「違いなんてねーだろ!」
 ……えーっと?
 まぁ、なんというか。言葉遣いからしても男勝りな彼女としては詰まるところ落ち着かないのだろうか。
「本当はスカートの1つでもと勧めたんですけど」
「あんなもの着れるわけねーだろ!」
 彼女が本気で怒鳴りつけてるのに大上さんとかいう巫女さんは全く動じない。
「ヤイナラハさんは可愛らしいんですから、おしゃれの一つや二つ」
「無用だ! つか、迷惑だ!
 そもそも今日の目的はちげえだろうが!」
「目的?」
 そろそろ身の置き場が無くなって来たので、当たり障りのなさそうな所に合いの手を入れてみる。
「ええ。自動車の情報を知りたくて」
「えーっと……情報と言うと?」
「最初からお話した方がいいですかね?」
「ってか、こいつには関係ねーだろ」
「いいじゃありませんか。地球世界の男の子なんですから、私たちがあれこれ調べるよりも物知りだと思いますわ」
「……」
 反論の言葉も出なかったのか、不機嫌そうに陳列棚に向き直ってしまった。
 それにしても……男の子って僕の方が年上だと思うんだけどなぁ。この世界で迂闊な事を言うのは自爆行為だけど。
「私たち未探索地域調査のために車両の購入を考えているのですが、何を基準にすればいいかなぁと思いまして」
「それで本屋に?」
「はい」
 視線を彼女の後ろにやると、雑多な書籍が並んではいる。
 ただ、本屋で売ってるようなものに載っている車はファミリーカーとかじゃないのかなぁ。
 ミリタリー専門の雑誌なら別だろうけど。
「だったら本よりも、本職に聞いた方が良いんじゃありませんか?」
「え?」
「あれ? 知りませんか? ドゥゲストモーターズ」
 ニュートラルロードから1つはずれた通りにあるそのお店はまさしく自動車修理工場的な雰囲気を持つ油くさい場所だ。
 自動車の販売だけなら異世界からの輸入品を取り扱う商家はいくつかあるけど、修理、メンテナンスから組み上げまでやってしまうのはそう居ない。
「聞いた事はありますけど……」
「そこで直接聞いた方が良いんじゃないでしょうか。
 購入後の修理やメンテナンスについて相談する事になるでしょうし」
 一応アルカさんの所も同じような事をやっていると知っているけど……ねぇ?
 それに自動車専門でやっているお店だから信頼感はあると思う。
「まぁ! では早速伺って見ることにしましょう」
 嬉しそうに微笑む巫女さん。喜んでもらえて何よりだけど、ヤイナラハさんの機嫌が悪いままだなぁ。
 もっとも……機嫌の良い彼女って見た覚えが無い気もするけど。
 暇だから付いて行ってみてもいいけど、流石にPBがあるから道案内は不自然だ。紹介するほどドゥゲストのお爺さんとなじみと言うわけでもない。
 それ以上に下手に同行なんて言い出すとヤイナラハさんに斬られそうな気がする。
「ちょいと御免よぅ」
 小さいがずんぐりとした人影がぬっと間に割ってはいる。
「ちょいとそこの雑誌を取りたくてな」
「え、あ、すみません。あ」
「ん?」
 子供のような身長ながらずんぐりむっくりの体。立派な髭は真っ白で、しかし衰えは微塵も思わせない。
「ドゥゲストさん?」
「ああ、郵便屋のボウズか。奇遇だな」
 噂をすればなんとやら。ドゥゲストモーターズの店主が雑誌を一冊手にこちらを見上げる。
「こちらが?」
「ん? べっぴんさんじゃな」
「彼女ら車両を探してるとかで、ドゥゲストさんの事を紹介してたんですよ」
「ほぅ。探索者か」
 ずんぐり押した体はしかしその殆どが岩を思わせるような筋肉だ。厳つい顔でじろりと巫女さんを見上げる。
「将来的にどういうものを購入すべきかと思いまして」
「ほほぅ。人数、期間にもよるが、積載量の多い軍用品がお勧めじゃな。
 じゃが、未探索地域に出るならメカニックが必要じゃぞ」
「メカニック?」
「うむ。わしの作ったマシンならちゃちな故障はせんと保障してやる。
 しかし怪物とやりあえばどうやっても普通でない環境に叩き込まれるじゃろう?」
 怪物が闊歩する場所を行くのだから攻撃されたりする場合もあるだろうしね。
「まぁ、専門家と言うほどの者を求めるのは無茶にしても、基本修理くらいできるのがおらんと立ち往生もありえるぞ」
「タイヤ交換とかですか?」
 僕の問いにドゥゲストさん溜息。
「そんなのは当たり前すぎる。故障箇所の特定と応急処置くらい当然じゃ。
 AIや魔法知能を積んで自己判断させる方法もあるが、ある程度経験を積ませんと役に立たんな」
 思ったよりもハードルは高いらしい。多少なりにバイクのメンテナンス知識のある僕が感じるのだから、女性二人の顔色は相当に悪い。
「言って置くが、カラクリ関係はさっぱりだぞ?」
「わ、私だってそうですよ!」
 カラクリとか言う時点で問題外だよねぇ。
「未探索地域へ繰り出す者が少なくなりつつある理由はそこじゃからな。 
 パーティに技師を抱えんと恐ろしくて出ることもできんが、当然外に出るような技師は少ない。
 技師が必要でない動物は餌という難題を抱えるからのぅ」
 そういえばエンジェルウィングスに居る乗竜も凄い量のご飯を食べるらしい。
 飼料ならば安価な物もあるらしく経済的な問題は少ないけど、倉庫にどっさり詰まれたそれは圧巻と言う言葉が相応しい。
 外に行くのにあんなに持って行くわけにはいかないからねぇ。
「一応うちで運転やメンテナンスの講習はしておるが、メンテナンスについてはやはり基礎知識が無いと覚えが悪いのぅ」
 そうでなければ僕の世界で自動車修理工なんて食っていけないとも思うけどね。
「まぁ、中には絶対の自信を以って、不要だと割り切っている連中も居る。
 あとは自分達で決めることじゃて」
「となると……専門の人を探さないといけないわけですか」
 深刻そうに巫女さんが呟く。ヤイナラハさんの方は任せたと言わんばかりの顔だ。
「女性で専門の方って居るのかしら?」
「おらんでもないじゃろうが……」
 言いよどむような物言いは明確に「居ないも同然」と物語っている。
 そもそも探索者は女性比率が低いし、僕の認識からしても女性の技術者は少ない。
 求めているのは探索者でありながら技術者というのだから確かに探すのは大変だろう。
「心当たりとかありませんか?」
「生憎のぅ。ああ、一人おらんでもないか」
 ぽんと片手の雑誌で自分の頭を叩く。
「本当ですか?」
「ああ。じゃが……うーむ」
「何か問題でもあるような感じですね」
 促すように言ってみると、ドゥゲストさんはうむと1つ頷いた。
「相当の変わり者ではある」
「そんなのばっかだな」
 ヤイナラハさんの突っ込みにすっと巫女さんが視線を返す。「なんだよ?」と険を込めた言葉に「ふぅ、何でもないです」と物凄く残念というか悲しいというか、そんな響きを漏らした。
 ともあれ、気を取り直したかのように彼女はドワーフの老人に向き直る。
「紹介していただけませんか?」
「……話だけはしておこう」
 頭をごりごりと掻く顔はあまり期待できそうに無い。
「そんなに変な人なんですか?」
「……まぁ、正直な。姉よりはよっぽど真っ当なんじゃが」
「姉?」
「郵便屋なら知っておるじゃろ。『とらいあんぐるかーぺんたーず』のところの青いの」
 青いのと言われても……ってユイさんのことか?
「あの爆弾ばら撒くヤツの妹か?
 やめとけ。殺されるぞ」
 もちろん一緒にあの店に行ったヤイナラハさんも気付いて物凄いしかめっ面をする。
「あそこまで非常識ではないんじゃがなぁ」
 フォローのような事を言われても、基準点が余りにも過ぎた場所にあるのでコメントに困る事この上ない。
「まぁ、相談には乗ろう。習うにせよ決めたら店に来るんじゃな」
 のっしのっしという感じで店の奥に行ってしまったドゥゲストさん見送る。
「どうすんだ?」
 溜息交じりの放り投げるような問い。
「どうすると言われましても……」
「急に決めなきゃいけない事でもないなら、状況を整理しなおしてから考えればいいんじゃないかと」
 巫女さんの困ったような視線を受けたので、とりあえず助言らしき事は口にしてみる。
「そうですね。急いては事を仕損じるとも言いますし」
「ったく、俺が来る必要なんかねーじゃねえか……」
「あら、ヤイナラハさんはオフくらいもっと可愛らしい服を着るべきですわ。
 そういう点では有意義だと思いますけど。そう思いません?」
 つい頷きそうになって─────背筋を凍らす凶悪な殺意が僕を襲う。
 必死に首へブレーキを命じる。そのまま頭が地面にまで落ちてしまう未来が幻視できた。
「折角いろんな世界の服があるんです。楽しいじゃないですか」
「手前が着てろ」
「残念ながら私は神職ですから」
 あ、コスプレじゃなくて本職だったんだ。とはもちろん口に出さない。
 ともあれ、そこで始まった不毛な会話には付いていけないと判断して僕は挨拶もそこそこに離脱する。
 それにしても、と思うことは2つ。
 やっぱりああやって会話できる人の一人や二人は作るべきだなぁって事と、予想以上にヤイナラハさん可愛かったなぁって事かな。
 ……あ、本買うのすっかり忘れてた。
在るべき場所 前編
(2009/12/10)
「賞金首?」
 おにぎりとか言う食い物を片手に胡乱気な視線を向ける。
 ちなみにこれを作ったのはトウコ。こいつってなんで探索者なんかやってんのか謎な程に器用で律儀に昼飯を作ってくる。美味いから拒否することじゃないがな。
 繕い物とかも上手い。でも少しほつれた所があると脱げだの修繕するだの煩いのは敵わない。
「はい。今朝手配されたばかりの話なんですけどね。
 なんでも住民の方を誘拐して逃亡しているらしいんです」
「へぇ」
 町の中が平和そのもの。なんて事になってないのはもちろん知ってる。
 同じ種族の人間同士でだって戦争をするんだ。種族のごった煮となったクロスロードでは問題が当然湧いて出てくる。
 路上での喧嘩なんてのはたまに見かける。荒っぽいやつらは石を投げれば当たるくらいにそこいらに居るから当然だな。
 ついでに大犯罪者だろうが殺人鬼だろうが、この世界にやってきた直後に大暴れでもしない限りPBが支給されるんだそうだ。だからこの世界を逃げ場にしてやってきたガラの悪い連中も少なくない。噂によるとケイオスタウンでは日に数人の死体が転がっているんだとか。
「ってもよ。賞金が掛かってるんじゃ、もう捕まってるんじゃねーのか?」
「かもしれませんが……ほら、誘拐された方って『住民』らしいですから心配じゃないですか」
「見ず知らずの人間心配するほど俺は聖人君子じゃねーよ」
 残ったおにぎりを口に放り込んで茶で流し込む。普段は薄いワインなんかを飲むんだがトウコの作る料理にはひたすら相性が悪い。
 茶なんて飲むガラじゃねーんだが、ここは流儀に従っておいたほうが自分にとっても良い。
「まったく。もう少し心を広くですね」
「広すぎてもしかたねーよ。取捨選択できねーような前衛はあっさり死ぬ。
 ぐだぐだ考えるのは流儀じゃねぇさ」
 詰まるところ、目の前にも居ない人質さんとやらを心配する理由は俺には無い。
「それとも、今から賞金首を狩りに行くつもりなのか?」
「いえ、流石に任務放棄するつもりはありませんが……」
 俺達は防衛任務の真っ最中。その休憩時間だ。最近『怪物』の出現数が増えているものの今日はまだ一度も出くわしては居ない。
「だったらどうでも良い話さ」
 肩を竦める俺にトウコは諦めたような深い溜息を吐く。
 こいつの人間味が有りすぎる思考は「人間」として悪かない。
 だが俺達は探索者で、そして殺戮者でもある。ただひたすら効率的に相手を殺し、それで糧を得る身だ。似合わないとかいうレベルの話じゃねーだろ?
 ……ま、一人くらい人間くさいことを考えるヤツが居るのも悪くは無いか。
 会話に参加しよう灯せず黙々と食事を続けるルティを横目で見つつ、おにぎりをもうひとつ手に取った。
◆◇◆◇◆◇◆

「えーっと?」
 停めていたエルまで戻ると次の郵便物を確かめる。
 大体の地名を覚えてきた僕だけど、手に取ったそれの住所に首を傾げた。
 血を吸われそうになった一件以来、僕の配達コースはケイオスタウンを先にしている。その届け先はこれまでニュートラルロードからそう離れていない地域に限られていたんだけど……
「これって?」
『ここから直進方向に約1kmです』
 ニュートラルロードからそんなに離れていないこの場所から外縁部へ向けて1Kmも行けばけっこうな外郭部だ。
『治安が悪く、瘴気が発生する可能性のあるエリアです』
「デスヨネー」
 とにかくケイオスタウンは気を抜けない。性質的にイタズラを好んだり、力加減や道徳観を誤ってる人がわんさか居る。
 ニュートラルロードに近い所ではこの前助けてくれた人のような常識的かつ力の強い人が見張っているらしく、大きな問題にはなってないみたいだけど外縁部に行くほど容赦が無い。
 悪意ではなく本能に近い行動なのがなおさら恐ろしい。瘴気は人間にとって毒以外の何者でもないけど、呼吸をするようにそれを放出する人も居るのだそうだ。
 ……まぁ、対称となるロウタウンの外縁部についても余りにも『聖域』過ぎて人間には害になる事もあるらしいけどね。薬も過ぎればってやつなのかな。
「どうしようかな」
 普通に考えると持ち帰って別の人に託すべきだろう。エンジェルウィングスには瘴気に耐性がある人も当然居る。これまではそういう人が受け持ってくれてたんだろうけど……
 とりあえず次の手紙を手に取ると、前の手紙よりはニュートラルロード寄りだった。
「……まぁ、近くまで行って、ダメだったら諦めるか」
 それでも毎日町中を走り回っているという慣れがそんな決断を下させた。
 慣れた頃が一番危険だ。何かの漫画で読んだような台詞を残念ながら僕は思い出すことができなかった。
 そうして訪れた区画。
 見た目は他の場所とさほど変わらない。建築そのものは管理組合の施工なんだから当然かな。周囲を見れば他の地域と同じでゴミ拾いをしているセンタ君も見つけられる。
 どこかのスラムみたいに怪しい物影や、やたら暗い場所も特には無い。気になるのは……
「天気悪いね。さっきまで晴れてたのに」
『この区画は日中、常時雲りまたは雨が設定されています』
「え?」
『光に弱い種族に対する配慮です』
 ……っていうか、天気なんか操れるの?
 昔、台風を爆弾で吹き飛ばそうとしたとか、そんな話をテレビで見た覚えがあるけど、あれってトンデモネタだったはずだし。……魔法って凄いなぁ。
 というわけで、日中にも拘らず薄暗い道を見渡す。人通りは全く無い。
『瘴気の発生は確認されません』
「じゃぁさっと行こうか」
『気をつけなよ。この前の吸血鬼娘みたいのが普通に居る区画だから』
 アクセルを回そうとした瞬間にエルが苦笑気味に言ってくる。
 そう言われると怖気づくんですけど。
 ともあれここからすぐ近くという感覚と、予想(某世紀末な風景)外に綺麗な風景にエルを走らせようとした矢先
『右っ!』
 エルの叫びに身が竦んだ。慌ててぎゅんと向いた右側。そこに真っ黒な穴があった。
 最初それがなんだか分らず、辿るようにその向こうに視線を送ると、お近づきにはなりたくないような強面がこちらを睨んでいる。
「下手な真似をするな。そこから降りろ」
「……へ?」
 我ながら間抜けな声が漏れた。そうしてようやくそれが銃口であることに気付く。
「き……聞こえないのか?」
 落ち着いたとはとても言い難い、焦りを存分に含ませた声に、麻痺した脳は手足を上手く動かせてはくれない。
「急げっ!!」
「は、ひゃい!?」
『ちょっと、ユキヤ!?』
 エルの焦った声がさらに焦りを加速させる。転がるようにエルから降りると、自分を追いかけてくる銃口に凄まじい脂汗をかいていることに気付く。
「変な気起こすなよ」
 はい、もちろんです。
 隙を見て反撃なんて欠片も考えていない。心臓が縮みあがり、足腰が動かない。腰が抜けたってこういう事なんだなぁと間抜けなくらいに冷静な感情がひとりごちた。
 眩暈にも似た混乱の中、男は俺を睨みながらエルに跨る。
「は! 良い足が手に入ったぜ!」
「……あ」
『……良い度胸してんじゃない』
 もちろんエルの声はマヂ切れしていた。男の人にその声は届かない。エルがただのバイクでないことは普通分らないものなぁ。
 そう思った瞬間、いきなりエンジンが唸りを上げる。突然の衝撃に片手に銃を握った不安定な体勢の男は反射でハンドルを握り締めていた。
『後でタイヤ替えなさいよ!』
 キュルキュルと突然響き渡る擦過音。尻尾を振るように後輪が滑り、男をぽんと投げ飛ばす。
「うぉっ!?」
 突然の事にまともに受身も取れない男はどすっと痛そうな音を響かせ地面に叩きつけられた。
『ったく。汚い手で触るんじゃないわよ』
「……あはは」
 同情すべきではないんだろうけど……死んで無いよね?
「警察に電話しないと?」
『警察って何よ?』
「……あ、えっと……」
 そうでした。このクロスロードに警察やそれに類する機構は存在しない。
 犯罪者に相当する存在には迷惑料や被害額から算出される『賞金』が掛けられ、探索者は賞金首を追うってシステムらしい。
「……で、この場合はどうすればいいんだ?」
『逃亡をお勧めします』
『ひっ捕まえればいいじゃない? 銃もあるし』
 真逆の回答に状況に反して苦笑が漏れた。もちろん引きつった情けないものだけどね。
 銃は確かに手元に転がっていた。でも触る勇気はとてもじゃないけど無い。
「って……畜生っ……」
 まずい、起きた……!
 立ち上がろうとしてすっ転ぶ。未だに腰が抜けたままでどうにもならない。
「てめぇ……良い度胸してんじゃねえか……!」
 派手に転がったせいか、服の数箇所に穴を開け、血を滲ませた男が凄まじい眼光をこちらに向けて立ち上がる。
「え、えっとですね……」
「ブッ殺してやる……!」
「ちょっ、まっ!?」
 逃げようにも……どうしたらいいんですか!?
 言う事を聞かない足腰に泣きそうになりながら、それでもと手を後ろに伸ばす。暴れる指先が何かに触れた。
 慌てて握ったそれは拳銃。そういえばさっき傍に転がっていたのを見たっけ!?
 藁にも縋る思いでそれを引き寄せて胸の前に持ってくる。思ったよりも重い。
 それでもそれを不恰好にも構え────
「舐めるなよガキがぁ!!!!」
 男が目前に迫っていた────!?
『世話が焼けるわねっ!』
 再び跳ね上がるエンジン音に男の注意が逸れる。
「うわぁっ!?」

 どん、と。

 予想を遥かに超える音が耳朶を叩き、そしてこれまた予想を遥かに超えた衝撃が上半身を思いっきり突き飛ばす。
 跳ね上がった銃を維持できず、人差し指をねじり取る勢いで転がり、僕は後頭部をしたたかに打つ。目の中で星が散った。
 衝撃からの復帰は早い。それと同時にさーっと血の気が引いた。
 もしかして人を撃った?
 男は目の前に居た。あんな距離では外そうと思っても外れやしない。
 ……茫然自失。そういう状態でゆっくりと体を起こそうとして
「クソがぁあああああ!?」
 顔面を靴底が踏み抜いた。
「が」
 もはや痛みすら感じる余裕も無く、僕の意識がどこかへと旅立って行った。
◆◇◆◇◆◇◆

「おい、居るか?」
 夕暮れ時。俺はとらいあんぐる・かーぺんたーずを訪れていた。
 ……多少なりに抵抗はあったが、ここ最近は連戦に次ぐ連戦だし、腕は確かなんだからと自分に言い聞かせて。
 店には誰も居ない。無用心だなと肩を竦めると、奥で物音がする。
「いんのか?」
「……ふぁ」
 小さな声。ふと横を見るとテーブルにつっぷして寝てる青髪の女が居た。
 それがもぞりと動く。焦点の定まらない瞳が俺のほうにぼんやり数秒向けられた後、
「……猫さんたちなら……奥」
 顔を上げずにぼそぼそとそんな事を呟く。
「……怪我人で大騒ぎ」
「怪我?」
 またコイツが妙な兵器でやらかしたんだろうか?
 それにしてはのんびり昼寝してやがんけど。
「にゃ? お客さん? 今日はちょ……あ、やっちゃん」
「それは止めろ」
 奥から顔を出して、妙な呼び方をする女を睨む。
「ちょうどよかったにゃ。ちょいこっち来て」
「ぁあ?」
 ちょうど良い? むしろ嫌な予感しかしねーんだが。
 こちらの回答も待たずにまた引っ込んでしまった猫女の方向をしばし見て、頭をひと掻き。
 帰ろうかとも思ったが……それは据わりが悪い。お人よしになったつもりはねーんだけどなぁ……
 カウンターの横を通って奥を覗く。
 状況を確認し、どっと溢れ出した疲れというか徒労感?を溜息と共に吐いて猫女に問う。
「……なにやってんだ、こいつ?」
 その光景は多分神聖とか超常的とかそんなものなのだろう。
 背に羽を生やした女が青白い光を身に纏わせ厳粛な表情で呟いている。
 その傍らでは猫女が次から次に掌大の魔方陣を作っては空中に留めていた。
 その中央に居るのは……あの男だ。
「道端で倒れてたにゃよ。頭打って」
「はぁ?」
 バイクとか言うやつでコケたんだろうか? そう思いながら良く見てみると顔面に酷いあざがある。こいつは……
「こいつは……暴漢にでもやられたか?」
 打撲……いや、スタンピングだな。顔面を酷く蹴り潰されたんだろう。鼻が折れてやがるな。
「多分ねー」
 猫女の方は喋りながら次々と魔方陣を書き上げていく。魔法使いなんてシロモノは俺の世界にも居たが、魔法を使いながら会話ができるやつなんて初めて見た。
 ……ルティのやつは喋らないからできるかわかんねーけど。
「ケイオスタウンでぶっ倒れてたのを見つけたにゃよ。脳挫傷起こしてるからちょっちやばいかも」
「脳……?」
 頭の中身だよな。もちろん頭が洒落にならない急所だってことは分る。
 顔面を踏まれて何度も後頭部を打ち付けたってところか。
「ある意味運が良いな」
「後頭部だしねぇ」
 ボールみたいに首を蹴られていたらそれだけで首が破壊される。そうなったら即死したっておかしくない。
 執拗に踏まれた事を幸運と言うにはその悲惨な形相にいささか気が引けるが、死ななかっただけマシとも言える。
「んで? 俺に何をしろって?」
「心配」
「……忙しいなら出直すが?」
「友達がいの無い子にゃねぇ……
 ちょっち、ユキヤちんの体押さえて置いて」
「……押さえる?」
 意味がわかんねー。俺がやる理由もな。だが怪我の具合はヤバイレベルだってことは残念ながら分っちまったから知らぬ存ぜぬを決め込むには気持ちが悪い。
「触っても大丈夫なのか?」
 ヤツの体は魔法の光に包まれている。結界ってやつに近いかな。触ったら悪影響のひとつも出そうだ。
「うん。むしろぎゅっと」
「断る」
「アルカさん。今は冗談はやめにしておいてください……!」
 鋭い怒声。小さな声にとんでもない迫力が秘められていた。
 前のお茶を運んでいた時のほがらかな空気は全く無い。それは大司教の荘厳な威厳に良く似ていた。
 光に包まれた表情が猫女からこちらへと移り、俺は小さく喉を鳴らす。
「何処でもいいので触って下さい」
「ああ」
 その妙な迫力に毒気を抜かれたように俺は従う。何処でも良いってもな。とりあえず腹辺りに触れた。
「アルカさん。良いですか?」
「うん。成功率は上がったと思うにゃよ」
 疑問符を浮かべる前に突然俺の周りに魔方陣が出現する。
「おい、これは何だ!?」
「大丈夫。スキャニングしてるだけにゃ。ほい、るーちゃんよろ」
「はい」
 刹那────光が無音で爆発する。
「っ!?」
 咄嗟に目を閉じても、瞼の向こうで膨大な光が瞳を焼いた。
「ふぃ……おっけ。あとは寝かしておくしかないにゃね」
「……っ……なんだってんだ、おい」
 まだ視界が白い。畜生……
「やっちゃんのおかげで術式の難易度が下がったにゃよ。さんきゅ〜」
「わけがわかんねえ! つうか、何だよ今の!?」
 ぼんやりとだが視力が戻ってくる。青い顔したままのヤツが床に転がってるのは変わらない。
「ちょっとした復元魔術なんにゃけどね。
 ほら、あちしもるーちゃんも人間種じゃないじゃない?」
 ……まぁ、片一方は耳やら尻尾やら生えてるし、もう片方は鳥の羽がついてはいるな。
「普通なら自分の体をサンプリングするように術式に組み込まれてるんだけど、場所が場所だけにそうも行かなくてね〜。
 だからデータを術式に変換して強行しようとしてたんにゃよ」
「表で寝てるやつでいいじゃねーか」
 あの青髪にはそういう妙な特徴は無い。
「あー、うん。別の部位ならいいんにゃけどね。ゆいちゃんは脳だけは特別製だから」
「はぁ?」
 脳みそが特別?
「まぁ、細かい話はあちしも理解し切れてない部分だからおいといて。
 設計図代わりにさせてもらったってところにゃね」
 ……正直、良く分からん。
「……で、そいつは大丈夫なのか?」
「多分。ただ損傷具合がどれほどだったか……
 記憶障害くらいならまだマシだけど身体障害が出ると普通の手段じゃどうにもならないにゃね」
「まぁ下手に動かすのも問題だし、あとは本職を呼ぶしかないにゃね。
 さて、やっちゃんは剣の手入れ?」
「……だからその略称はやめろ……」
「いいぢゃん、かーいんだし。
 ほい、見せて」
 嘆息1つ。俺は鞘のついたベルトごと猫女に渡す。っと、こいつはアルカとか言う名前だったか。と今更ながらに思い出す。
 それにしても死に掛けてたヤツをあっさりと放置するもんだな。
 ……ん? 人の事は言えないか。それにしてもやたら死に掛けるやつだと呆れ顔を向けてやる。
「んじゃ特別サービスでちょっとエンチャントでもしたげよっか?」
「エンチャント?」
「あちしってばマジックカーペンターだからそういうのが本職にゃのです」
「あー、魔剣化ってやつか?」
「まぁ、そうとも言うにゃね。今回の場合は魔化、もしくは付与ってことになるけど」
 魔剣ってのは最初っから魔剣として作られるもんとばかり思っていたんだが、どうやら違うらしい。
「ま、大した効果じゃないにゃよ。ちょっと軽くしたり鋭くしたり。
 んー、全体のバランスを変えるのは好きじゃないって子も多いから属性付加とかでも良いけど」
 なんかあっさり色々言ってるが、俺は憮然と口を噤むばかりだ。
 もちろん不満があるわけではない。逆だ。たかだか人間一人を押さえつけた報酬にしてはでかすぎる。
 魔法の武器なんてもんは安くても家一軒くらい買えちまうもんだろ? そんなのをぽんぽんと……
「そんなに見つめちゃいやん☆」
 両頬を手で包んで恥らうように首を振る。やべぇ、殴りてぇな。
 そんな俺にやたら楽しげな笑みを見せて
「字面どーり、大したことじゃ無いにゃよ」とか言ってくる。
 こいつの魔法技術が優れている事は知識が皆無の俺にだってもちろん分る。
 ただ魔法使いってヤツらは鼻持ちなら無いと言うか、戦士をバカにする風潮があるというのが俺の認識だった。
 でなきゃ……まぁルティみたいな奇妙なヤツってところか。
 そう言うとこいつは後者だよな。
「何か失礼ちっくな事を考えてる匂いがするにゃよ?」
「気のせいだろ」
 匂いって何だよというツッコミをしても余計な回答しか期待できないので溜息1つで誤魔化す。
「んじゃま、切れ味を増す術式でも刻もうか?」
「……形と重さが変わんなきゃ頼む」
「ういうい」
 戦士には2パターンある。武器を変えるヤツと変えないヤツだ。
 戦場をころころと変える傭兵には武器に拘らないスタイルが多い。何人殺せば終わるというものでもない。時には殺した相手の武器をぶん取って戦闘を続けなければならない。
 俺は後者だ。忌々しいが俺の体じゃ大剣や斧などの重量武器は扱いづらい。盾を主軸にしたスタイルも人間相手ならまだしも、無尽蔵の体力を持つバケモノ相手では押し負けると思い知らされた。
 選択の幅が狭まったが故に1つに特化した。だからこの双剣は自身の手足のように思い、把握している。
「まだ若いんだからあんまりカタにはめないほうがいいにゃよ?」
「知ったように言うんだな」
 少しイラっときて毒を吐くが、アルカは気にした様子も無く
「知ってるもん。あちしは元々冒険者にゃからね」
 なんて事を言ってくる。確かに魔法使いとしては格段の能力を持っているとは思うがそれなら戦士とは領分が違う。
「エンチャンターとしてならしたものですにゃ」
「付与魔術師……? 後衛じゃないか」
「んーん? 付与するのは自分の体ににゃよ。
 これでも騎士の称号やら持ってたりするわけですよ」
 カウンターの棚から小さなノミのような工具と木槌を取り出し、テーブルに置いた双剣の片方を抜く。
 大工道具というには小さいので細工用なのだろう。ろくに固定もしていない剣を相手におもむろに刃を突き立てる。
 図面も寸法取りも無い。だが迷う事無く剣の表面に図柄を刻んでいく。
 怒っても良いやり方なんだろうが、一度あのふざけた打ち直しを見ているからか、文句は言葉にならなかった。
「まぁ今のスタイルになったのは冒険者辞めた後だけどね〜」
「……獲物は?」
「別に何でもいいにゃよ。基本はハンマーにゃけど」
 あの馬鹿でかいハンマーは鍛治打ちにしては異様だと思っていたが、ウォーハンマーの類らしい。
「あんなの当たんのかよ」
「やり方次第にゃね。でなければ戦鎚なんて武器、とうに無くなってるにゃよ」
 それは極論過ぎる。あれはそれに見合う巨漢が持てばこそ盾も鎧も無意味にする必殺の武器となる。
「あちしの場合は体にエンチャントした上でやってるけど、基本の型はそれも必要ないにゃよ」
「……あんなもんぶん回すだけだろうに」
 とにかく打撃武器は当たれば命取りだ。鎧を着こんでも防ぎきれぬその衝撃は掠っただけでも体勢を崩し、あっさり骨を砕く。
 これを巨漢が振るおうものなら近付くことさえ困難な武器となる。
「そんな事ないにゃよ? にふ、まぁ一般的なやりかたじゃないのは確かにゃけどね」
 そうこう言ってるうちに剣の表面には精緻な文様が広がり始めていた。それは神殿に描かれたレリーフのような荘厳な趣がある。
「やっちゃんの戦い方は1つの正解にゃ。後ろを振り向かずただ前の敵を打ち倒せば勝利のやり方。
 でも軽量級武器による重量級攻撃という相反するやり方でもあるにゃね」
「どういう意味だよ」
「長時間の戦闘で関節が悲鳴を挙げた事無い?」
 ぎくりとする。心当たりはありすぎるほどにある。
「スピードを旋回に、そしてそれを打撃力に。相手の攻撃をいなしながら加速し、勢い全てを収束させる。
 我流にしては見事にゃけど今までよくもまぁ剣と体が壊れなかったものにゃね」
 片方の剣が俺に差し出される。
 どうやって手に入れたかも覚えていない安物の剣に無学な俺でも凄いと感じる細工が描かれていた。砂に絵を描くのとはわけが違う。失敗の許されないはずのそれをこいつは雑談交じりにこなしていく。
「ただの鋼なのに。無機物が成長する世界とかだったりする?」
「むきぶつ?」
「ああ、えっと鉄とか命を持たない物の総称って思えばはずれじゃないにゃ」
「……そんな話は聞いた事が無い」
 言いながら返された剣を握る。削った分軽くなっているのではないかと思ったが分る範囲の差ではなかった。
「ふみ。まぁ、自ら魔剣化しかけてるのかもね」
 意味は分かるが理解はできない事を呟きながら次の剣によどみ無い動きで刻んでいく。
「アルカさん」
「んー? なに〜?」
 会話も無くなりやや息苦しくなりかけた所で奥から羽の女が出てきた。
「とりあえず安定はしました」
「そ。センセは?」
「使いを出してますけど、川の向こうですから」
「まぁ往復で一時間くらいかかるかにゃね。寝かしとけばいいにゃよ」
 ようやくその会話があの男の容態に関することだと思い出し、しかしだからどうだという感情もわきあがらず視線を剣に戻す。
「そうしますね。……刻んでいるのですか?」
「うん。お手伝いのお礼〜」
「そうでしたね。助かりました、ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げられて俺は暫くきょとんとしてしまった。
「お前に言われる事じゃないだろ」
「助けたいと思ったのは私です。その手伝いをしてくださったのですから」
 柔らかい笑顔で迷い無く、俺には絶対に口にできないような事を言う。根っからの善人。それがありありと感じられて思わず視線を逸らす。
「眩しい物はつい直視できなくなるものにゃよね」
「……つか、てめーがなんであんなのと一緒に居られるのかが疑問だ」
「あちしはピュアですから」
 しれっと言い放つが純粋は純粋でも純粋に真っ黒だろうが。
「まぁ、アルカさんはアルカさんですからね」
 どうやら羽もそう違わない意見らしい。
「るーちゃん。それどーいう意味にゃよ?」
 唯我独尊。こいつを表す言葉はそれ一つだろう事は容易に知れた。
 だが、ある意味自分の道を純粋に進めるという事でもあるのかもしれない。
「まぶしい?」
「ウゼエ」
 クソ。たまにこっちの感情を読んでくるのが一層ウザい。
「まぁ、デレたツンデレに価値は無いという名言もあるけどさ。
 一番心労が溜まるの自分にゃからほどほどにね?」
「……名言……なのですか?」
 羽がやや呆れた風に問い返すと
「違うっけ?」
 と真顔で返す猫女。意味が分らん。
「ほい。終わり」
 そんな下らない会話の間にまるで落書きでも仕上げたかのように安易に言ってのける。
 二つ揃ってそれが一つの紋様だと初めて分った。同じではないが1つであるその模様はいつしか遺跡で見たような原初の絵を思わせる。
 目で見たものじゃない。フィーリングをそのまま焼き付けたような言葉にすべきでない荒々しさがある。
「ついでに若干強度を上げておいたにゃ。
 重さとかは誤差の範囲だから直ぐなじむと思うにゃよ」
「……ああ」
 感謝の言葉を吐くべきか。一応これは手伝いの礼って事らしいんだが……
「ありがとよ」
「いえいえ〜」
 特に何をしたという感覚も無い以上、言葉なんて安いもんだ。
 そう思って口にしたそれに猫女は妙に嬉しそうに応じた。
 ……言うんじゃなかったと思わせるような笑顔は、わざとなんだろうな。
◆◇◆◇◆◇◆

「なんだ? 女じゃねえか」
 筋肉を鎧のようにつけた男が赤ら顔を近づけてくる。
「娼館はこんなところまで出張してくるようになったのか?」
 そうでない事くらい自分の身なりを見れば一目瞭然だろう。男は周囲の粗野な連中と共にバカ笑いを挙げた。
「いいぜ! 買ってやるよ? まぁ、ガキは趣味じゃねーがな!」
 これが初めてじゃない。こんな扱いはいつもの事だ。だから反論も何もしない。
「俺の息子はでけぇからな! 一晩でぶっ壊れちまうかもしれねーがなぁ」
「良く言うぜ!」
「ぎゃはははは」
 ここは町の酒場。と言っても明るさや華やかさは微塵も無い。荒くれ者が我が物顔で陣取り、酒を煽るだけの場所だ。
「オラ、何か言えよ!」
 男が伸ばす手とすれ違うように歩を進め、カウンターへ。
「魔物の出現情報をくれ。あと賞金額もだ」
 頬杖ついて店内の様子を見もしなかった店主が面倒そうに目を開ける。
「ぎゃははは、何してんだよぉ!」
「避けられてやんの!」
 後ろが煩い。そして厄介だ。
「てめぇ。甘い顔してりゃぁつけあがりやがって……」
 どうしてこういう連中は同じことしか言わないのだろうか。
 そして、どうして同じ行動しかしないのだろうか。
 伸ばされた手を避けながら反転。引き抜いた剣を男の首筋に当てる。
「黙れ。寂しいなら家に帰ってママにでも甘えて来い」
「……」
 同じだから対応も覚えてしまった。
 実力差を見せ付ければ良い。そして情報を得たらさっさと引き上げる。弱いくせに要らないプライドだけは高く、そして執念深い。
 ここで殺せればすっきりもするのだが、こんなクズのために貴重な換金場所を失うのはまっぴら御免だ。
「う……あ……」
「街道周辺をねぐらにするオーガが200G、取り巻きにゴブリンが確認されている。
 廃砦に魔王の手下を名乗る人間型の魔物が居ついている。これが2500Gだ」
「そうか」
 剣を納めて直ぐに店を出る。
 追いかけてくるのは暫く経ってからだが、待ってやる義理は無い。
 町、とは言うもののそこは惨状と呼ぶに相応しい景色だった。半壊している家は少なくなく、路地からは蛆のたかる手が伸びていた。
 道を歩く者などまず居ないし、居たとしても決して顔をあげることなく早足で歩き去ってしまう。
 世界は緩やかに滅亡へと進んでいた。魔物に田畑を焼かれ、家畜を殺され。そうして生きる術を失った人々は他者から奪う事で命を繋ぐ事を選んだ。
 男は殺され、女は犯される。食い物は奪われ、そしてその全てを魔物が蹂躙する。
 辛うじて首都だけを維持するような国は賞金を出して魔物の討伐を推奨しているが、これは纏まった軍隊も養えなくなったための苦肉の策だった。
 男がよろりと近付いてくる。まるで病か酒に酔ったようだが、見えないようにしている手には刃が握られている事だろう。旅人を殺して身ぐるみを剥ぐなど何処の町でも毎日起きている事だ。
 俺はタイミングを崩すようにぐんと近付き、顔面を殴打する。
「ぶひゃぇ!?」
 案の定と言うべきか。手にしていた錆びたナイフが宙を舞い。地面にすら刺されずに転がった。
 貨幣の価値などなくなろうという物だが、これが未だに意味を持っている理由はある。一定額の金を支払う事で首都の、高い塀の中に逃げ込む事ができるのだ。
 俺は魔物を刈り続けている。
 金を得て壁の中に入ろうなんてことはさらさら考えていなかった。ただその恩恵にあずかろうと食料と金を交換する連中がいるから、それが生きる手段となっているだけだ。
 田畑を失い、家を失った女が生きる為には男に買われるか盗みをするかくらいなものだ。そのどちらも半分くらいの確率で翌日無残な死体に成り果てるような行為だ。
 俺はそのどちらも選ばなかった。
 いや、選ぼうとして、偶然違う道に転がり込んだ。
 この剣を手に入れて。

 
「……」
「ふむ、目が覚めたかね?」
 視界がぼやける。ピントが合わないカメラのように物の輪郭がうまく結べない。
 あれ? 俺は……一体……違う。僕は……
「……先生?」
「意識ははっきりしているかね?」
 夢の中に居るような曖昧さが音を手がかりに現実に引き上げられていく。
 間違いない。アリアエル先生だ。
「……ここは?」
「とらいあんぐる・かーぺんたーずだ。アルカ君に助けられたんだが、覚えているかね?」
「あるかくん……とらいあんぐる……。え? アルカさん?」
「にゃ? お呼び?」
 少し離れた所からの声。ようやく目が本来の機能を思い出す。
「どう? 吐き気とかしない?」
「……え、ええ。ええと……」
 思い出そうとして、先ほどの光景? 夢? がフラッシュバックする。
 荒れ果てた町。見たことの無い風景だ。いや、そうじゃない。僕は確か────
「変な男の人に……」
「うん、顔面めっちゃ蹴られて倒れてたにゃ」
 言われてようやく記憶が明確になる。襲われて、エルが反撃して……銃を手にした僕は……
「エルは?」
「無傷にゃよ。っていうかバイクの心配が先って面白いにゃね」
「バイクのと言いますか……」
 一応人格がある存在だし、思いっきり反撃してたから何かされてるかもしれないし。
「死に掛けてたのに、けっこー余裕にゃね」
「……え?」
 死ぬ。その言葉が余りにも遠くて呆然とする。
 いや、確かに顔面を思いっきり蹴られて意識が飛んだけど……
「幸い魔術治療が的確に行われてはいるが、レントゲンを撮って確認はした方がいいだろうな」
「頭蓋骨の破片とか治癒し切れなかった血管とかあると怖いしね」
「……あれ? 凄くおおごとだったりしますか?」
 頭蓋骨の破片とか、なんか心臓が冷える発言があるんだけど。
「まだ記憶の混乱があるようだな。だから死に掛けていたのだよ。もう少し治療が遅ければよくても全身麻痺だ」
「……」
 深く深呼吸。言われて頭がずきずきしてきた。
「だ、大丈夫なんでしょうか」
「とりあえずはな。会話も普通に出来ているし。
 手足は動かせるかね?」
 もしかしてという恐怖に苛まれながらもまず指が動く事を確認し、続いて腕を動かす。
 足も膝を曲げてみて……良かった。動きます。
「障害とかもないみたいにゃね」
「アルカ君とルティア君に感謝したまえよ」
 先生も安堵したようにふぅと息を吐く。
「え、あ……ありがとうございます」
「いえいえ〜♪
 あとやっちゃんにもお礼言っときにゃよ?」
「やっちゃん? ……ヤイナラハさんですか?」
 一瞬視界がぶれる。あれ、眩暈じゃないけどそれに似たような、何だ、これ?
「やっちゃんに治療を手伝って貰ったにゃけど……だいじょぶ?」
 僕の不調に気付いたのだろう。アルカさんが覗き込んでくる。
「あ、はい。ちょっと気分が……」
「うみゅ。とりあえずあとはセンセの診察受けてからでないとなんともね。
 大脳生理学は門外漢にゃし」
「……アルカさんってファンタジーな人なのにやたら現代用語使いますよね」
「にふ。敬え若人〜♪」
 薄い胸を張って威張るネコミミ少女。いや、既婚者で僕よりも年上だそうですけどね。
「ともあれ、検査を直ぐにというわけにもいかんからな」
「今日は泊まっていくと良いにゃよ。明日センセのところに行けばいいにゃ」
「え、でも悪いですよ……」
「構わないにゃよ。ついでに久々に娘の様子も見るしね」
「娘?」
 まぁ結婚してるんだから子供が居てもおかしくないんだろうけど。
 と、僕の考えていることに気付いたのか手をひらひらさせて
「エルのことにゃよ。今ゆいちゃんが弄ってるけど魔道回路系のチェックとかね」と笑った。
「あ、そういう意味ですか」
 そういえばメンテナンスに来いって言われたの忘れてたっけ。
「では私も今日は引き上げるとしよう」
「わざわざすみません」
 立ち上がった先生に僕は頷くように頭を下げる。
「医者の務めだ。知らない仲でもないのだしな」
「あれ? そっちフラグ?」
 ……この人って現代用語だけじゃなくて、やたら腐った発言するよね?
「まー、後で軽い物でも持ってくるにゃよ」
 先生の見送りも兼ねてか、二人して部屋を出て行くのを見送り、それから恐る恐る動かした手で鼻を撫でる。
 触れた感じでは痛みも腫れも無い。鏡を見たら酷い事になってるかもとは思っていたけど、そんな事は無いらしい。
「死に掛けた……か」
 自分で口にして、ぞわりと悪寒が背中からせり上がってきた。
「……」
 道端で襲われるだなんて考えもしなかった、といえば嘘だ。初めてじゃないし、その時は幸運にもあの人が助けてくれただけ。
 そういう意味では今回も、いや、一番最初の時だって運良く助けられただけで……そのほんの僅かな幸運がなければ僕はとうに死んでいた。
「運が良いのか悪いのか」
 茶化すように呟いても全然気は晴れない。心臓を鷲掴みにする恐怖がきりきりとした痛みを与えてくる。
「なんで……」
 何で僕はここに居るのだろう。つい数ヶ月前まではただの大学生だったはずなのに。何の特別持たない、平凡以下の何でもない一般人だったのに。
 運動が出来るわけでもない、頭が良いわけでもない。特殊な才能があるわけでもない。物語ならば名前すら付かないような一般人なのに。
 申し訳程度の大学を出て、就職し、なんとなく生きていくだけの人間なのに。
 涙を流しはしないけど、どうしようもない心の底からの疲労が溜息となって漏れた。
 そして、ただ帰りたいと思った。平穏な日々へ。

 ─────それは、贅沢な望みなんだろうか?
 どうしてか、そんな疑問が胸の奥に湧き、消えていった。
幕間
(2010/1/2)
『ねぇ』
「んに?」
 制御ユニットからの思念波に猫娘は展開している魔法陣の数増やしながら応じる。
『あの子、心が折れちゃったかしら』
 ここはとらいあんぐる・かーぺんたーずの裏庭。サンロードリバーの沿岸に面しており、潮風ではないものの空気は絶えず流れ、冷たい。が、彼女の居る一角についてはまったくもって気温が違った。というのもヒトガタの炎がすぐ近くで暇そうに座り込んでいるのである。
 エフリート───イフリートとも呼ばれる炎の魔人だ。暖房のためだけに呼ばれるなど名折れも良いところだが、何時もの事とあきらめて胡坐に頬杖をついている。
「ばっきばきじゃない? 喧嘩もしたことありませんって感じだし。すっごいなよなよにゃよ」
『オーソドックスな地球世界人なのよ。
 ……もう乗ってくれないのかも』
 悲しげな声にアルカは肩を軽く竦めると「なるようにしかならないにゃよ」とまるで適当に応じる。
「自分でこの世界に来たわけじゃないし、意志もそんなに強くない。そこから立ち直れるかなんて本人以外の誰にも扱えないにゃよ」
『わかるけどね。せっかくあの子以外に私と感応できるのが現れたのよ?』
「それはあちしの仕様じゃないでしょーに」
 呆れたように言い放ち、宙で光を放つ全ての魔法陣を消去。一気に薄暗くなったのも気にせずに制御ユニットを車体へ戻す。
「元々は汎用型だったのをエルが勝手に最適化という名前の区別をしたんじゃない。
 あちしでさえマスター権限での干渉じゃないと念話できないなんて、どーよ?」
『そんなの知らないわよ。そうなっちゃったんだから』
 不貞腐れるような声に「はふ」と腰に手を当てため息。
「まぁそれだけ相性が良かったとも言えるけどさー。それを押し付けるのは酷過ぎるにゃよ?」
 自分が被れそうなカウルを持ち上げて制御ユニットを覆い隠す。
「あの子はこの世界に向いてない。それはエルだって充分わかってるっしょ?
 今は扉が開かないから帰れないだけ。もし開いたときにエルの都合だけで引き止めたりなんてできないにゃよ?」
『……それもわかってるわよ』
「ま、」
 手際よくカウルを固定し、苦笑。
「エルがユキヤちんの世界に行くのはアリだと思うけどね。ガソリン車に改造するのはわけないし」
『……』
 迷いを含む言葉にならない念にやれやれとつぶやいてレンチを置く。
「少なくともユキヤちんにはランサーの才能は皆無。あの子みたいな事を求めるのは傲慢と言うより絵空事にゃよ」
 ぽんと座席を叩き「最低でもあの子が望まない限り、どんな教師が居たって身につく技術なんて無いにゃよ」と言いながら店に戻っていってしまった。
 気まぐれかつ無責任な主人が去って気まずい雰囲気の裏庭からこっそり去るイフリート。
 そうして訪れた静寂の中、会話する相手も居なくなったインテリジェンスバイクはまるで夢でも見るかのように、かつての主人の事を思い出していた。
在るべき場所 中編
(2010/1/28)
「ヤイナラハさん、右をお願いします」
 トウコの言葉にいちいち悪態をつく事も無くなったなと苦笑っぽいものを浮かべて一気に飛び出す。左手はイヌガミが襲い掛かっていることだろう。
 いつもの巡回路に出てすぐに出くわしたのはオーガとゴブリンだった。ゴブリンの数は大したことは無く、救援を呼ばない事を決めての行動だ。
 オーガの数は2。どうやらゴブリンはその子分らしく、先鋒部隊としてこちらに押し寄せてくる。
「ふっ────!」
 鋭く息を吐いて身を屈め、頭から突っ込むような勢いでゴブリン達に肉薄する。ぎょっとして勢いを殺した先頭の脇をすり抜けるようにしながら首を掻き切り、勢い良く正面の一匹を蹴り付ける。
 その勢いを利用して反転。回転の最中に不用意に近づいた一匹の顔面を撫でるように切り裂いた。
 戦いの中で目と体は常に次のアクションを求めて動き続ける。その最中に頭はたった今犠牲となったゴブリンが苦しげにのたうつ様を確認する。
 あまり手ごたえが無く、浅かったかと危惧したがまったく持ってそんな事は無い。
 確認のための意味を含め一閃。飛び掛ってきたゴブリンの腹が綺麗に掻っ捌かれ、内臓をぶちまけるのを背にさらに目の前の一匹を殴るように切り払う。
「すっげ」
 息を吐くと同時に笑みと言葉が漏れた。ただ細工しただけに見えるこれがどれほどの物かと思っていたが予想以上だ。
「ヤイナさん。前っ!」
 別に油断していない。オーガの人間ほどもあろうかという棍棒がうなりをあげて襲い掛かってくるのを跳んで避ける。
『ギャッ!?』
 真後ろから襲い掛かってきたゴブリンがちょうどその下にプレスされていろいろなものを周囲にばら撒くのを苦笑いしながら一旦左手、戦場の中央に避難する。
「ルティさん」
 代わりに飛来するのは氷の散弾。雨あられと降り注ぐそれに次々とゴブリンたちが苦しげな声を上げて倒れていった。
「こっちは俺がやる!」
「任せます。ルティさん、左を殲滅しましょう」
 部下を全滅させられたオーガが血走った目でヤイナラハを睨みつけてくるのをむしろ心地よく睨み返す。
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!』
 腹の底が震撼するような雄叫び。ぶんと振るわれた棍棒が余裕を持って避けたはずの彼女をよろめかす。髪が暴風にあおられたように暴れるのを不快に思いながら膝を曲げ、勢いを溜める。
 大振りの代償。空いたわき腹を狙って溜めた力を一気に解き放つ。残ったゴブリンを巻き込んでの双閃。限界まで体のばねを使った斬撃二連がオーガの強靭な肉を裂き、血をしぶかせる。
 よろける体を跳んできた紙が支える。この技を使った後に彼女が転ぶのを熟知している事に若干心をチリ付かせつつオーガと再び退治する。
 傷は深い。痛みに更なる激情を込めながらもわき腹を抉られたために動きは明らかに鈍かった。猛威を振るうはずの重い棍棒が逆に枷となる。振るわれたそれをやすやすとかわしながら前へ。腕の下へもぐりこむようにして腹へ横薙ぎの一閃。すぐさま右足を踏みしめ力のベクトルを変える。伸び上がるように左の剣がオーガの喉への伸び、真下から貫いた。
 一瞬の静寂。すぐに巨体がぐらりとよろけ、ずんと倒れると残ったゴブリンは大慌てで逃げ出し始める。ふともう一方を見ると素早いイヌガミにイラついたオーガが注目すらしていなかった方向から氷の槍をまともに食らい首を引きちぎるようにしながら頭を消し飛ばされていた。
「ふぅ」
 散り散りに逃げるゴブリンを視界の端に収めつつひゅんと振って血のりを払う。
「お疲れ様です。ヤイナラハさんだけで倒してしまいましたね」
 怪我をしていないかとトウコの視線が彷徨うがそんなヘマはしてないと肩を竦める。
「剣」
 相変わらず目ざとい。魔女が特に気にした風も無く指摘すると、トウコは収められた双剣に視線を送る。
「どうしたのですか?」
「あの猫に少し弄ってもらっただけだ」
 と言っても良く考えるとこの二人は知らねーんだっけか? まぁいいけど。
「猫が弄る? ケットシーですか?」
「ああ、まぁ、そんなもんだ」
 めんどくさいのでそう答えておく。だいだいアレが何なのかと聞かれてまともに答えられる奴とか居んのか?
「魔法の武器になったということでしょうか?」
「付与魔法の固定化」
「……ずいぶんと豪勢ですね」
 すっと目が細められる。金の事にはうるさい奴じゃなかったんだが、探索用の車を買うって決めてからはやたら細かいんだよなぁ。
「ちげえよ。知り合いが礼でやってくれたんだ。別に高いもんじゃねーって話だしな」
「あら、そうなんですか?
 ……見せてもらってもいいです?」
 やれやれとため息をつきつつ剣を抜く。「あら、綺麗」と感嘆の声を漏らすのは良いとして、ルティがやたらまじめに見ているのが気にかかる。
「どうした?」
「……簡単じゃない」
「は?」
「町の相場で200万C程度」
 ……
 こいつが何言ってんのか理解するのに数秒。
「「は?」」
 俺とトウコから出てきたのはまったく同じ疑問詞だった。
 だが目を丸くする俺達を気にする素振りも無く、ルティはしげしげと剣に彫られた装飾を眺める。
「鍛冶屋は多い。けれどもこの手の処理ができる鍛冶屋は極僅か。故に相場はその程度」
 淡々と事実を述べているだけというのはわかるが、たぶんこいつから金の話が出てきた事が現実的でないって気分にさせるのかもしんねーけど……
「どんな事をして御礼を?」
「いや……」
 俺の知ってる事実としてはあの死に掛けを触ってただけだ。しかもこの加工もものの五分かそこらで終わらせてたから額面どおり大したもんじゃねーと思ってたんだが……
 いや、ンなわけねーか。あの切れ味は異常だ。つまりそれなりの魔法がかかってるってことで……
「つか、顔ちけーよ」
「むぎゅ」
 額でも突きつけんばかりに寄ってきたトウコの顔面をひっつかんで距離をとる。ったく、
「あの馬鹿が死に掛かってたから治療の手伝いしたんだよ。そんだけだ」
「あの馬鹿って誰ですか? って、あ……ユキヤさん?」
「……なんですぐ名前出てくるんだ?」
 俺なんか全然思い出せないんだが。つうか、名前っていつ聞いたっけか?
「だってヤイナラハさんの交友関係って……」
 そこで慌てて口を噤むトウコ。ここはぶん殴っていい所かもしれないが、色々と墓穴のような気もするので無視しておく。
「って、死に掛かってって……大丈夫なんですか?」
「ああ。とりあえず魔法で治療してた。死んでねーと思うぞ」
 起きてる姿を確認してるわけじゃねーから、何とも。わざわざ隣の家を覗く趣味もねーしな。
「おおかた仕事中に喧嘩でも売られたんだろ。あいつ弱そうだし」
 というか間違いなく弱い。まともに筋肉が付いてると思えないなまっちろさだしな。
「……ヤイナラハさん?」
 ん?とトウコに顔を向けると、すっげー睨まれた。
「少しは心配したらどうなんですか?
 少ないお友達なんですから大切にするべきだと思います!」
「知るかよ!」
 友達なんていう寒気がするような単語は知った事じゃない。ついでに滅茶苦茶失礼な事言ってないか、こいつ。
「だいたい何で俺があんなのを心配しなきゃなんねーんだよ。
 迷惑しか掛けられた覚えがねーぞ」
 最初に会った時もあいつ勝手に死に掛けてたし。
「袖触れ合うも他生の縁です。お見舞いに行きましょう?」
「袖がどうだか知らねーけどよ。
 つかお前なんでそこまで積極的なんだよ。男苦手じゃねーのか?」
 俺の言葉にトウコはきょとんとして「え? 私が?」とか言いやがる。
「最初にンな事言ってただろうが」
 何の事か本気でわからないらしくしばらく眉根を寄せていたトウコが不意にぽんと手を打ち「……ああ」と、声を漏らす。
「ほら、日帰りの仕事ならともかく長期にわたる探索で男性が居るといろいろ不都合じゃないですか」
「その割りにはやたら文句言ってなかったか?」
 途中から聞き流してたけどな。もちろんトウコの誇大妄想だとは言うつもりもない。
 冒険者やら探索者やらの道を選ぶ男は鼻息が荒い。で、女と見ると見境ない奴も少なくは無い。ついでに女を下に見る傾向が強いときている。力で自分を成り立たせているからそれ以外の事で上下を判断しねーんだよな、あいつら。
 神官みたいな立場でやたら潔癖なトウコの事だ。それを過剰に嫌悪してる部分もあるんだろうけど。
「文句も言いたくなります。前の……」
「もうそれはいい。で、なんでアイツは別なんだよ?」
 話が長くなるのが明確なので出鼻を挫くと、不満そうにしながらも咳払い一つ。
「別に彼だから特別と言うよりも、ヤイナラハさんの数少ないお知り合いですし、と」
「お前、さっきから俺に喧嘩売ってんだろ?」
 ったくこの女は。
 友人だかなんだかなんて俺には無縁の物だ。大体剣を手に入れてから定住した事はねーし、いつ身包みはがされるかわかったもんじゃない日常の中で良くも知らないやつと一緒に居るなんてのもありえねえ。
 子供だってナイフ一本持てば人を殺せる。殺した人間から何を奪っても文句は言われないしな。
「見舞いに行きたきゃ一人で行け」
「それはできません。男の方の所に一人で行くだなんてそんなはしたない」
「……お前の頭ン中、どうなってんのかワカンネ」
 これ以上話をしても頭痛しか産まなそうだ。ひらひらと手を振って、さっさと足を進めるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆

「ユキヤ君、具合はどうかな?」
「グランドーグさん……」
 昼も回ったころ、そう声を掛けられて顔を上げる。
 朝からアリアエル先生の医院に赴いた僕はCTスキャン装置の簡易版みたいなものに寝かされた後、いくつかの検査をして待合室に待っているように指示されていた。
 しばし呆然とその鱗に包まれた顔を見上げ、それからエンジェルウィングスに一切の連絡をしていないことに気が付いた。
「あ、す、すみません! 連絡もしないで!」
「ははは、ユキヤ君はまじめですね。そんな事よりも大丈夫なのですか?」
「ええ、とりあえずは……」
 言いながら診察室の方を見る。「今は検査の結果待ちです」と続けると竜人はうんうんと頷き、
「連絡を受けたときはびっくりしましたよ。いや大事にならなくて良かった」と安堵したように言う。
 聞いた話によると十分大事だったのだけど、今は大した痛みも無い。
「君が遭遇したのは恐らく先日賞金をかけられた人間種の方でしょう」
「賞金……」
 つまりは犯罪者ということだよね。
「とらいあんぐる・かーぺんたーずの方からも連絡をいただきました。バイク……エルフィンガントさんでしたっけ?
 彼女の認識データも提供していただき、大体の事情は把握しています。
 あのエリアの郵便物が混入していたのはこちらの落ち度だ。大変申し訳ない」
 真摯な言葉と共に深々と頭が下げられるのを見て、僕ははっとする。
「あ、いえ、謝らないでください! 僕も変な欲を出さずに持って帰ればよかったんです!」
「いえ。貴方は業務として渡された郵便物を届けようとしただけです。
 本当に無事でよかった」
 じんと胸が熱くなる。それと同時にどうしようもないほどの申し訳なさが込みあがってきた。
「ともあれ、医者の指示に従って体を休めてください。今回の件は……ろうさい、でしたでしょうか。それに該当しますから」
 労災なんて言葉が出てくるとは思っていなかった。ユキヤは思わず苦笑を零すと「慣れない言葉を使うものじゃないですね」とグランドーグも頭を掻く。
「おや、来客かな」
 カルテらしきものを片手に診察室から出てきたアリアエルは竜人を見て目を細める。
「エンジェルウィングスの支店長、グランドーグです。社員がお世話になりました」
 丁寧に挨拶をする竜人というのもなかなかに滑稽かもしれないが、真摯な言葉に笑みがこぼれる事などない。
「なるほど。ああ、ユキヤ君。とりあえず検査結果は特に異常無しだ。骨や脳にも重大な損傷は見られない。
 頭蓋骨の骨折した部分に少々違和感が見られたがこれも経過と共に元に戻るだろう」
「ありがとうございます」
 とりあえず胸を撫で下ろし、頭をさする。これと言って自分に違和感は無いからこれで一安心ってことかな。
「ただ、アルカ君の行った治癒魔法は特殊な方法を用いたと聞いているから、何か違和感を感じたら相談に来てくれ」
「……はい」
 こんな世界に居ても自分の使えない「魔法」という存在をどう捕らえていいのか未だに良く分かっていないから、言われるままに頷くしかない。
「彼は2、3日休ませた方が良いでしょうか?」
 グランドーグさんのの問いかけに先生は僕の方を見て、それから少し思案すると
「体調としては問題ないと思うが、ユキヤ君。心の方はどうかね?」
 何気なく問われ、ずぐりと胃が収縮する。
「心……?」
 グランドーグさんがは意味を図りかねたように僕の方を向き、そして小さく首をかしげる。
「君は戦闘経験が無い。そうだろう?」
「……はい」
 『戦闘』なんて仰々しい言葉はゲームか漫画の世界でしかない。あって『喧嘩』だけどそれすらも僕には無い世界の物だ。
「今回の件は確かに災難だっただろうが、幸運でもあったな。
 君は命を奪われる事なく得がたい経験をした。それをどう受け止められるかは君次第だ」
 先生が言おうとしてる事はなんとなく分かる。でも僕はそんなにポジティブに受け止められない。フラッシュバッする光景が体の芯を凍らせる。
「まぁ、2、3日くらいは休みなさい。少し落ち着けば世界も変わる」
 包容力のある笑みでさも当然のように僕に向けられた言葉は僕の心に遠い。
「……はい」
 けれども、今の僕にはそうとしか応じる言葉は無かった。
◆◇◆◇◆◇◆

 目の前に化け物が居た。
 頭は老人、体は獅子、尻尾は蛇、そして蝙蝠の羽───キマイラという単語がいきなり湧き出てきて脳裏を掠めると、引きずられるように嫌な情報が引っ張り出された。
 曰く天を舞い、魔術を使う魔法生物。
 相手はこちらに気づいている。今から背中を見せれば間違いなく死ぬ。
 戦うしか道は無く、勝つ事でしか生き残れ無い。
 ならばやるべきことは一つしかない。一気に間合いを詰める。
 おかしいと思う暇も無い。醜悪な老人の顔がぎょろりとこちらを睨む。瘴気を漏らす口腔から脳髄をかき乱すような言葉が漏れ始める。
「疾っ!」
 体の全身を使って更に加速。もはや止まることも方向転換する事もできない速度に達するタイミングでバケモノの眼前に迫る。

『UUUUUUGAAAAAAAAAA!』

 ゾクリと心臓が収縮する。勘がヤバイを連呼する。でももう止まれない。それは自分の命の停止と同意だ。

 ────ならば、その危険を速度で振り切る。

 吐き出される呪いの言葉。そこに頭から突っ込みながらイメージは切り裂く事唯一つ。見えざる呪いの言葉だろうとその意思一つで叩き切るなんて事は今まで何度もやってきた。
 失敗するだなんて考えすらも切り裂いてトンと足が地面を踏み切る。
 全身を走り抜ける怖気。命の全てを持って行きそうな冷たい手を得たスピードが突き抜けていく。薄れそうな視界に喝を入れ、醜悪な顔面を睨みつける。
 体はすでに中空。全てのスピードを威力に昇華させるために体を捻る。
 それぞれの手にあるそれぞれの刃がひゅんと空を切り、計算なんかじゃない───ただ繰り返してきた事実を突きつけるように威力を集中させる。

 風切り音も遠く、体感として減速した時間の中で刃が鼻の上に突き刺さる。
 左の手は打ち込んだ刃の柄を叩き、ごりともぞぶりともする感触が体を震わせる。
 捻った体が巨体の下にもぐりこむ。右の手には剣は無い。残った一本に双手を添えて体は限界まで縮められる。
 両の足に全ての力を。跳ね返るようにして刃が喉を切り裂いていく。醜悪にして威圧的なバケモノであっても動物を模した以上、その構造、急所は引き継がれる。
 不気味にやわらかい喉にねじ込み勢いのままに切り裂く。
 悲鳴の代わりか、血液と目にしみるような臭気が傷口から噴出した。

 離れる。
 蛇の尾が強烈に暴れるがこうなってしまっては縄に繋がれた犬だ。自分のところまで届き養い。脳をやられた魔獣はもがくように暴れ、やがてずんと地に横たわった。
 尾もくたりと地に伏せたのを見て数秒。
 痙攣すら止んだ体に近づいて顔面を蹴りつけながら剣を引き抜く。一緒にどろりと灰とピンクが混ざったような物が流れ出た。
 足も体も、じんと痺れている。
 放たれた呪詛のせいか、喉から噴出した不快な臭気のせいか。
 それとも限界を超えるような体の動きのせいか。
 そのどれでもいいと荷物を漁り、蛮刀を引き出すとその首に思いっきり振り下ろした。
 中型以上の魔獣は見入りが良いが、その証拠を持ち帰るのに苦労する。不老とも言われるヤツらでも死ねば普通に腐る。暑い時期など数日これと付き合うのは気が滅入る限りだ。
 そこまで思考が回って、俺はふと思う。

 何の夢を見て居るのだろうか、と。
◆◇◆◇◆◇◆

「ユキヤ君〜♪」
 どんどんと窓ガラスを叩く笑顔の人。僕はしばし呆然とし、それから庭に続く戸を開く。
「レイリーさん、どうしたんですか?」
「お見舞い〜♪」
 やったら上機嫌にそう言いながら果物の入ったバスケットを差し出してくる。
「あがっていい?」
「ええと、玄関からどうぞ?」
 思いっきりめんどくさそうな顔をされたので「どうぞ」と言う。
「にょわっ!?」
 ガンっけたたましい音。背負った巨大な剣がモロに窓ガラスに激突したのだ。
「ごめんごめん」
 悪びれた風もなく可愛らしく「てへへ」なんて舌を出しながらドガリと剣を地面に突き刺し、自分だけ部屋に乗り込んできた。
 ちなみに窓ガラスは無事。今更だけどどうやらただのガラスではないみたいだ。
「具合はどうですか?」
「大丈夫です。ちゃんと明日には出社しますから」
「それは良かったです」
 満面の笑み。いろいろと残念な行為が多いこの人だけど、美醜で言えば特段に秀でている。緊急回避的に視線を彷徨わせつつ「おかげさまで」と言葉を返しておく。
「もーユキヤ君が居ないとですね、支店長さんの監視が厳しいですし、書類整理助けてくれる人が居なくて……」
「あはは……」
 相変わらずだなぁと思いながら「お茶を入れますね」と台所へ。
「レイリーさんはソファーにでもどうぞ」
「はーい」
 素直な返事をしつつ、持ってきたバスケットをテーブルの上に置きつつきょろきょろと部屋を見回している。
 まぁ、見られて困る物は無いというか、ほとんど支給されたままに使っている。あえて特徴を挙げるならば壁際に雑誌が積まれてるくらいかなぁ。
「綺麗にしてるんですね」
「まぁ、それほど使っていませんしね」
 家に戻ってもすることがないし、仕事が終わった後は食事をして戻ってきて寝るって感じだ。体力的なものというより精神的な疲れが激しい。
 もちろんケイオスタウンを配達するっていうプレッシャーもあるけど、車道の概念が無いのでちょっと気を抜くと事故を起こしかねないっていうのが大きいと思う。というかエルのサポートが無きゃ絶対何度か事故ってる。気にせず飛び出してくるしなぁ。
 そんな事を考えていると湯が沸いた。いつの間にか慣れた手つきで作業を進めていると「そういえばコーヒーでも大丈夫なのかな」とぼんやり思う。
 先生に案内されて以来ちょくちょくあのカフェには顔を出している。その結果店長さんから豆をいただいたりしてるんだよね。
 コーヒーメイカー自体はそう高くない物を買えたから、なんとなしに日課になっていた。
「レイリーさん、コーヒー大丈夫ですか?」
「おさとーとミルクがあれば大丈夫です!」
 見事な子供舌ですねとはもちろん口にしない。僕も朝は甘くして飲むから一応揃ってるけど。
「どうぞ」
 コーヒーカップなんて洒落た物までは用意していないので何かの折に買ったマグカップで渡す。
「ありがとー。香りは良いんだよね〜」
 それはまぁ味が苦手と言う意味ですかね。そう思っていると早速砂糖やらの投入を開始している。
「それでユキヤ君」
「え、はい?」
「衛星都市建設計画は聞いていますよね?」
「……ええ」
 外に出れば嫌でも耳に入る。特に物流を担うエンジェルウィングスではすでにその準備が始まっている。
 うちの事務所はクロスロード内部での配達が主体だからそれほど目立った変化は無いけど、グランドーグさんがここ最近やけに忙しそうだ。
「機動力を持つユキヤ君はどうしても輸送に携わってもらいたいって上から要請が着てるらしいんです」
「え……」
 言わんとしている事はもちろん分かる。でも真っ先に脳裏に浮かんだ言葉は「無理」。
 それを察するようにちびちびと舐めるように味を確かめるレイリーさんが笑みをこぼす。
「グランドーグさんは今のところそうならないように動いてますよぉ。
 あのバイクさんはユキヤ君しか動かせないから取られる事も無いと思いますし」
「……そう、ですか」
 安堵以上に申し訳なさが胸を占めるが、所詮ただの一般人。『怪物』なんてものがうろつく土地を往けるわけがない。
「ユキヤ君は平和な人なんですよね〜」
 自分こそ平和で朗らかそうな顔をしながらほうっと息を吐く。別に揶揄するような響きはない。
「……レイリーさんは、どうして武器なんて持って戦うんですか?」
「さぁ?」
 僅かな躊躇いを引きずって口にした問い。それはちょこんと傾げた小首に粉砕される。
「んー。何と言いますか……」
 やわらかそうなほっぺたにちょこんと指を当てて考える事数秒。
「なんとなしに旅をしてたんですよ。私」
 すみません。もはやどう突っ込んで良いやら。
 僕の呆れた顔に全く気づかずに記憶を掘り返すように天井を見上げて言葉が続く。
「記憶喪失というかなんというか。何か知らないですけど剣持って歩いてたんですよね。
 そしたら悪い子が居るところに辿り着いちゃうんで、退治してまた歩いて〜と」
 見える白くて細い腕は強く握れば折れてしまいそうなほどだ。庭に突き刺さった大振りというにも大きすぎる剣を振るえるとはとても思えない。
「悪い子センサーでも付いているんでしょーか?」
「悪い子って……」
「いろいろ居ましたよ〜。なんか色々」
 明確に覚えていないらしい。話しっぷりからすると絵本の世界的と言うか牧歌的な光景が思い浮かぶんだけど。あの剣の威圧感はそれらをあっさり粉砕する妖気じみた禍々しさがある。
「でも、ほら。私がちょっとがんばると喜んでくれる人たちが居ましたし、それが私の宿命だったらしいので。
 あー、でもこの世界に来ちゃってそういうのってどうなったんでしょうかね?」
 もはやポジティブとかそういう次元でない思考に僕はただただ呆れることしかできない。
「もしかすると、私も悪い子になりかけてたから神様にお役御免ってされたんでしょーか」
 自分なりに要約してみると……レイリーさんはゲームの主人公みたいに何かをする使命を神さまから与えられた人、ってことだろうか。
 悪い子……っていうのがまぁ、敵とも言うべき存在なんだろう。
 でも悪い子になりかけるって?
「実はここに来るちょっと前の記憶もあいまいなんですよねー。
 だからここに居るのかも。悪い子になっちゃうともう戻れませんしね」
「悪い子……って言うのは……?」
「ああ、えっと。力に溺れてもっともっと力がほしーって思って暴れちゃう子ですよ〜。
 私みたいに悪い子を退治する使命を持った人もたまになっちゃうんですよね〜」
 ……それって救われない話じゃないのか……?
 悪い人を倒して救った人がやがて悪になり、そして倒される。永遠の循環。
「レイリーさんって……ここに来て良かったって思ってますか?」
「んー。どーだろね」
 カップを包むようにしてちびちびと舐める彼女はふにゃりと笑う。
「どこでも幸せに感じるのは自分の心持ち一つじゃないかなー」
 それはポジティブと感じるより、なんというか……
「そこに「めっ」しなきゃいけない人がいるなら「めっ」すればいいわけだし。
 それでみんなが嬉しいってなるなら私も嬉しいってなるんだよ」
 悲観とかそういう悪い感情だけをを全部切り捨ててしまったような、妙な薄ら寒さを覚える笑顔。
「まぁ、それはともかくですね」
 僕の問いは柔らかで、全てが些事とばかりの軽い言葉に流される。
「ユキヤ君。私と一緒にお仕事しませんか?」
「……え?」
「さいどかーというものがあるんですよ」
 発音が怪しかったので一瞬困った。
「それに私が乗ればおーるおっけーなのですよ」
「それって……」
 元よりレイリーさんは護衛としてエンジェルウィングスで働いているってことはもちろん知っている。
 うちの支店の場合は基本的にクロスロード内部のみの配達だけど、砦までの配達が回ってくる事もあるからだ。
「ユキヤ君のことはしっかり守ってあげますからやりませんか?」
 息が詰まるような完璧な笑顔。でもその理由の半分はたぶん男としてのプライドだとか、今日こうして休んで、そして心配されているという事実から来る物だと感じざるを得ない。
「僕はっ……」
 僕はただの一般人。平和ボケとまで言われる日本人。戦争どころか喧嘩すら遠ざかって久しい大学生。
 その言葉───言い訳にどれだけ価値があるんだろうか。
「表に出ましょうか?」
「うわっ!?」
 ずいっと少し前に出ただけでぶつかってしまいそうなところにレイリーさんの顔があって思わずのけぞる。
 そんな僕の行動を気にする事も無く、彼女は気ままな猫のように外に出て突き刺していた剣を拾い上げる。それから「これでいいですかね?」と腰の後ろにつるしていたらしい刃渡り50cmくらいの剣を僕の方に向けて突き出す。
「絶対大丈夫だってこと見せますから〜♪」
 それから────彼女が何をしたいかを理解し、戸惑いながら庭に出るまでたっぷり5分は必要だった。
在るべき場所 後編
(2010/5/13)
「おまえ、本当に怪我が好きだな」
「そんなつもりは無いんですが……」
 したたかに腰を打って立てないのだろう。ユキヤとか言ったか、例の死に掛けが壁に寄りかかったままこちらに視線を向けてくる。
 バカみたいにでかい剣をぶん回した女がやたら笑顔でその光景を見ているという状況にでくわして、トウコが目くじら立てて批難している最中だ。
「んで、お前何やってるんだ?」
「……いや、えー……」
 けが人に何をするんだとかそういう内容っぽいことを繰り返し、しかし相手の女は聞いているのか疑わしい笑顔のままだ。
 狙ったかのようなタイミングで俺達がここに来た時、こいつは派手な音と共に壁に叩きつけられていた。でかい剣でぶん殴られ、手にしたショートソードで受けたはいいがそのまま吹き飛ばされたという感じだ。
 ここに来たのも俺はその気がないとはいえ見舞いが名目だ。その目前で新しく怪我されて何と言えば良いんだか。
「よくよく怪我するヤツだな、お前」
「……すみません」
 申し訳なさそうに謝られると逆にむかっ腹も立つが、二度も死に掛けたんだから開き直られてもそれはそれでむかつくな。
 ともあれ───俺は視線を前方に転じる。単なる騒音と化しているトウコは気が済むまで放っておくのが一番なんだが・・・・・大剣女の態度からして何時もの倍の時間は必要そうだ。
 俺はガタ落ちするテンションの中で盛大にため息を吐く。
 ……誰かあいつ止めてくんねーかな……
◆◇◆◇◆◇◆

「どうぞ」
「お構いなく」
 差し出された茶にトウコは見向きもせず応じる。視線は未だにレイリーとか言う女に向けられたままだ。ちなみに説明だと運び屋の仲間って事らしい。
「……トウコ、お前何しに来たんだよ」
「お見舞いです!」
 当然のように言うが語気はムダに荒い。そんな風には見えないっていう皮肉だったんだが、聞いちゃいねえな。一方の大剣女は気にした風もない。何が楽しいんだかニコニコして茶を飲んでいる。
「ええと、わざわざありがとうございます」
 茶を配り終わったユウヤが所在なさげに視線を彷徨わせ、開いたところに座る。
「……」
「……」
「……」
 トウコは敵意丸出しだし、大剣女はそれをガン無視して茶を啜りだす。その光景に完全に気圧されて口が開けないヘタレ一匹。
 当然俺は場をとりなすなんて真似をする気はない。もう帰ってもいいと思うんだが……ここで席を立つと間違いなくトウコに噛み付かれるよなぁ。さも当然のようにさっさと離脱したルティのヤツが羨ましくて仕方ない。
「あ、ええと。こちらは職場の先輩のレイリーさんです」
「よろしくー」
 周囲にお花畑を浮かべた笑顔。こいつトウコに怒鳴られてた事すらすでに頭にない気がする。
「その職場の先達さんがどうして怪我人に怪我をさせているのですか?」
「ん〜? 私が強いんだよ〜って見せてたの」
「無茶苦茶です!」
「うん。無茶苦茶強いよ。えへん」
 俺は慌て始めるバカに目線で訴える。なんとかしろ。「あ、あの、いや、落ち着いてください」ダメだ。どうせトウコは
「落ち着いています! ユキヤさんだってしっかり言うべきです!」
 すげえでけえ声で怒鳴る。まぁ、こうなるわな。
「え、ああ。ええと。それでこちらが大上さんとヤイナラハさんです」
 強引に紹介を進めたものの、すぐに言葉に詰まる。こっち見んなと追い払うように手を振る。
「とにかくです。怪我人に怪我をさせるなんてですね……!」
 何度目かの言葉に俺は盛大にため息を吐く。
「トウコ、いい加減にしろ。それ続けんなら俺は帰るぞ」
「ですが!」
「ですがじゃねえ。つーか、それに説教垂れて意味あんのかよ」
 気にするどころか逆にほめられてるのと勘違いしてねえかと思えるほどの笑顔のままだ。
「……」
 結局トウコは「ぅう」と小さく唸り、姿勢を正す。やれやれ。
「ユキヤさん、どうしてあんな事を?」
 矛先を変えたらしい。まぁ言葉が通じる分マシだろ。
「衛星都市建設にあたってうちも輸送を行うんですが……衛星都市との往復輸送をやらないかって言われているんです」
「……それが?」
 どうしてあの騒動になるのかと大剣女をチラ見。
「レイリーさんは護衛役なんです。今回の件について僕の輸送護衛をやるからと」
「実力を知ってもらいたかったのですよ」
 しれっと口出ししてくる大剣女。
「ユキヤ君と一緒にお仕事したいのです」
 何かを含むような言い方に、「へ?」と間抜け面を晒す。
 その顔を笑顔のまま見つめて彼女は続ける。
「だって、そうしたら報告書はユキヤ君が書いてくれるんですよ?」
 トウコが助けを求めるような視線をこちらに向けてくるが、俺にどうしろと言うんだ? その女がおかしいのは最初から分かってるだろうに。
「まぁ、分かってましたけどね」
 こっちはこっちで黄昏てるし、めんどくさい奴らだな。
「やたら元気そうだしもういいだろ? 俺は帰る」
「あ、ちょっと、ヤイナラハさん!?」
 これ以上付き合ってもくだらない事で時間が潰れそうな気しかしない。
「じゃあ、私も帰りますね〜。ユキヤ君、ちゃーんと考えておっけーしてくださいね」
「え? ええ?」
 おろおろしているトウコはこの際無視。どうせすぐに走って出てくるだろうけどな。
「今日はありがとうございました」
 苦笑半分の言葉に俺は応じる事無くその場を後にしたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆

「ユキヤ君助けて〜〜〜!」
 休み明け、ぐずる体をなんとか引き起こし事務所に顔を出した僕はその瞬間レイリーさんに抱きつかれ(泣きつかれ?)て目を白黒させた。
「ちょっ、レイリーさん!?」
 繰り返しになるけど、彼女はテレビや雑誌でも見ることのできないような美少女だ。無防備に抱きつかれては声が上ずっても仕方ない。……よね?
「早速何をやってるんですか。さっさと片付けなさい。昼から護衛任務でしょうに」
 呆れた声でグランドーグさんが奥からやってくる。
「ユキヤ君おはよう。具合はいかがですか?」
「え、あ、ああ。おかげ様でっ!?」
 その返事にうっすら笑み───最近なんとなく表情の変化もわかるようになってきた───を浮かべた彼は大きな手でレイリーさんの襟を掴むとぐいと持ち上げる。
「じゃあ早速で悪いですが配達をお願いします。
 今日はロウタウンだけで大丈夫ですので」
「え? ……でも……!」
 正直怖い。けれどもそれに甘え続けてたらいつまでも僕は……
 だけどグランドーグさんはうっすらと目を細め「今日までケイオスタウン分は応援を依頼しているんですよ。明日からお願いします」と言ってくれた。
「……はい! ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「そう言われると責任者として心苦しいですね。ともかくお願いしますよ。どうもバイク君からは不機嫌なオーラが出まくってますしね」
 そういえばエルの事すっかり頭の外だった。へるぷー。後慈悲を〜とか叫ぶレイリーさんに構ってると色々時間を潰されそうなので「ごめんなさい」と断って裏口へ。ぽつんと置かれているエルに近づくと
『おっそい!!! 何してるのよっ!』
 耳を塞いでもムダだとは知ってるけど、ついそうしたくなるほどの怒声が脳天に響いた。
「ごめん、その……」
『……配達行くんでしょ? さっさとしなさいよ』
 まるで口を尖らせるような言い方に僕はきょとんとして、それから笑みを零して「そうする」と応じる。
「心配かけてごめん」
『謝らなくてもいいから外で思いっきり走らせて』
「……そ、それはまた今度で」
 苦笑いでごまかしながら、脳裏に過ぎるのは衛星都市への輸送という依頼。結局ごたごたしてレイリーさんには返事をしないままになっていた。
 ずぐりと怪我をしていないはずの胸が痛む。それは……やっぱり恐怖に起因するものだろうし、僕がこの街では間違いなく弱いということはなんら変わらない。無理だという言葉がすぐに浮かんで消えていく。
『……ほら! さっさと乗りなさいよ!
 いい加減体が錆びそうだわっ!!!!!!』
 思念にも大声という物があるらしい。眩暈がしそうなほどの一喝に本当によろけて尻餅をついてしまう。
『返事は?』
「はい」
 僕は慌てて配達物を事務所へ取りに向かうのだった。
◆◇◆◇◆◇◆

「めふぅうううう」
 報告書にぐりぐりと意味のない図形を描きながら溶ける美少女。その姿に盛大にため息付きつつグランドーグは目の前の書類を処理していく。
「時間切れはないと思ってください。お昼までに終わらなければ仕事は別の人に行って貰います」
「えええ。別の人とか居ないじゃないですか!」
 思いっきり時間切れを狙っていたレイリーはがばりと起き上がって竜人を睨みつける。
「比較的安全なルートですから別支局の新人を研修代わりに起用したいという要請がありましたからね」
「あうあうあう」
 くしゃりと再び潰れてぐりぐりと報告書を無駄にする。
 そのまま十数秒。
「ねー」
「免除はしませんよ?」
「そうじゃなくてー」
 ほっぺたを机にあずけたまま目線だけで竜人を見上げる。
「ユキヤ君って全然戦闘だめだったんだよねぇ?」
「……ええ、そう聞いていますが」
 平均的な地球世界の非武装地域出身。戦闘の必要の無い場所からの来訪者だから無理もないと内心で呟く。実際今回の負傷だってある程度の格闘技術があればもう少しマシな結果に終わっていただろう。
「それが何か?」
「んー……」
 唸り声なんだかなんだかを漏らし続けること数秒。
「昨日ですね。ユキヤ君に斬りかかったのですよ」
「………は?」
 きょとんとして、それから「何やってるんですか貴女は!!」と珍しく怒鳴りつける。
「いやぁ、いろいろあったのらよー」
 と、まぁ全く意に介せずに話を続ける。
「そのときさー、ユキヤ君、ふたつめまでいなしちゃったのですよー」
「……?」
 言葉の意味を推し量り、僅かな沈黙の後で先を言えと目で告げる。
「もちろん当てるつもりのない攻撃でしたけどね〜。短剣で私の攻撃を受け流して、しかも追撃してなかったら踏み込めるような足裁きしてたんですよ」
「そんな馬鹿な。彼を襲った賞金首は殆ど戦闘能力のない人間種と聞いています。レイリーさん相手にそこまで出来るのならそんな無様な負け方はしないはずです」
「でしょー? だから聞いたんだけど」
 すでに彼を襲った賞金首は探索者の手により捕まっている。その情報を仕入れていたグランドーグは顎に手を当てる。
「一撃ならまぐれだけど二撃までいなして、だからついやっちゃった☆」
 『つい』であんな大剣をぶん回さないで頂きたい。運と感性だけで一流の戦士と同等の戦いをする少女に頭痛を感じつつ今の内容を再検討する。
 先ほどのユキヤにはたいした怪我は見受けられなかった。レイリーを恐れている様子もない。つまり『つい』の攻撃もどうにか退けたのだろう。それはこれまでの情報からすれば確かにおかしい。
「うーん、やっぱりあの子かなぁ?」
 独り言だろうが、何時もと変わらぬ調子で呟くので嫌でも耳に入る。
「あの子と言いますと?」
「ユキヤ君の所にね、なんと二人もお見舞いがきたんですよ。それも女の子」
「……はぁ」
 全然関係ない話に飛んだか?と訝しがるのを気にせず彼女は続ける。
「そしたらね、ユキヤ君と足運びが似てる子が居まして。
 そういえばユキヤ君急にあの足運びになったよね?」
「あしはこび?」
「歩き方だよー。流派とかによって顕著に変わるから分かりやすいの」
 グランドーグもそれなりに戦えるが彼のように生まれながらに硬い鱗や爪、翼を持つ種族には武術という概念が生まれにくい。武術というのは爪も牙も持たないひ弱な人間種が力に勝るために生み出した技術だ。
「つまり武術を習い始めたと?」
 どう言っても無法の街。いつどんな事に巻き込まれてもおかしくはないのだから身の安全くらい自分で守れるに越した事はない。
「そうだとしてもおかしいんですよ」
 気がつけば報告書がわけのわからない落書きだらけになっている。それに対する文句は後回しにして言葉を待つ。
「歩き方なんてそー変わるもんじゃないもん。それこそ一日二日習ったからって変化するものじゃないんだよね」
「……そういうものだとすると、確かにおかしいですね」
 現に彼はありえない期間で武人のそれに近い歩き方に変わってしまった。だが性格はあの通りだし雰囲気も変わった様子がない。
「元々そういう才能があった、ということは?」
「覚醒する人に関してはありえるかもしれないけどー。それにしては変わってなすぎだし。すっごい中途半端なんだよね」
 世界によってはある一定の条件を満たすと急に力が増えたりする者も居るが、ユキヤに関してはそれらに共通する雰囲気の変化が見られない。
「んー。よし」
「……何がよしですか?」
「やっぱり衛星都市間輸送に一緒に行くべきだと思うのです」
 その件についてはグランドーグも悪い話ではないと考えて居る。彼に足りないのは自信であり、バイクという機動力の生かし方とそのノウハウだ。実際あのバイクは────
「話は分かりました。
 とりあえず次、紙をムダにしたら倍書かせますからね?」
「ひぅっ!? 鬼、悪魔!」
「残念ながら私は竜族です」
 子供じみた罵倒を切って捨てたグランドーグは新しい用紙を机に置いて、外を眺めるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆

 そして、時間はその時へと進んでいく。
 遥か彼方。未だ来訪者の耳に届かぬほど遠くで。
 それは確実に近づいていた。
幕間
(2010/6/1)
 戦う事。それは生きること。
 殺しあう事。それはどちらが生き残るかを決める事。
 それ以外の方法を知らないならば。殺し合いを禁じられた時、どうすればいいのだろうか。

 息が詰まる。
 理解の外にある問い。人を殺すという事を禁忌として生まれ育った者に出来る回答なんて

 ────欺瞞だ。

 違いない。殺してはいけない理由を、教えられた理由をなぞる様に説く。
 しかしその言葉は意味を持たない。

 殺さねば生きていけないならば、殺さないという事は死ぬという事だ。
 生命は死の上に成立する。食う事すら全ては殺戮の上にある。
 そもそも殺す事を忌避するという発想そのものが狂っている。

 オブラートに包んだ世界。殺す事を忌避しすぎたために食べる事にすら目隠しをする。

 気味が悪い。

 血に恐れ、死を厭う。
 死体は触れ得ざるもの。死は恐怖の代名詞。故に己で作ってはいけないと謳う。

 死は隣にある。死を見らず、感じずに何故生きれる?

 何故……
 死は遠くにあればいい。

 死を感じずに生は感じられない。生死は対極でありながら隣人なのだから。
 だからもう一度問う。
 殺す事で死を感じ、生を得てきた私はどうやって『生きれば』良いのだろう。

 ……
  ……
踏みだす心と
(2010/6/1)
「凄い活気ですね」
 ヘブンズゲートの周辺は普段から人通りが多いが、今日はいつもの倍近い。加えてエンジェルウィングスのロゴを付けた車両が何台も見て取れた。
「ある意味クロスロード初の大作戦ですからね」
 その一角、エンジェルウィングスの仮設事務所前で会話を交わすのはグランドーグとユキヤだ。
「エンジェルウィングスも殆どの輸送車両を出します。物資運搬量は凄まじいですよ」
 木材や石材だけでなく、大量のセンタ君を積んだ車両もある。予め加工しプレハブ素材となって積載されているものもあった。
「さて、ユキヤ君。君の今回のお仕事は見学です」
 その言葉に少しだけ体を硬くして、それから重々しく頷く。今初めて聞いたわけではない言葉だが彼にとってはやはり重い。
「輸送班に付いていくだけ……では心苦しいでしょうから荷卸くらいは手伝ってください。
 『見学』は戦闘についてです」
「はい」
 第一次輸送部隊の規模は千人を超す。無論それには護衛の探索者も大勢付き従って居るし、用意された車両の中には明らかに戦闘に特化した物もちらほら見られた。
「まあ。そう硬くならずに。もし途中で怪物に出くわしてもその姿を見る前に探索者が撃退してくれます。
 君の目的は空気に慣れることです。慌てなければ君が単独で外を移動するとしても大抵対処できるでしょうから」
 そこを期待されての事、というのももちろん認識している。ダメ元とばかりにこの『見学』の話を切り出してきたグランドークにユキヤは若干の沈黙のあと了承を継げた。その時は分かりにくい竜人の表情にも明確な驚きが見て取れたのも無理は無いだろう。ユキヤ自身その心境の変化に戸惑って居るのだから。
「一つアドバイスです」
 沈黙は良くないと思ったのかグランドーグはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「怖いと思う事はとても良い事です。怖いという感覚を克服するのではなく、怖い事から逃げる術を学んでください」
 不思議な言葉だと思考の先端が感じ、しかしすんなりと身に染みて理解する。
 気がつけば、彼の視線はじっとユキヤを見つめていた。
「……ユキヤ君。私は君が最初から了解したとしても……少なくともレイリー君と組ませるつもりはありませんでした」
 何のことだろうと小さく首を傾げる。
「彼女は例外です。天才では無く異常なのです。
 ……恐らく彼女は恐怖を感じていません。天性の勘と運が彼女をずっと恐怖から遠ざけた結果なのでしょう。
 彼女の傍に長く居るとそれに感染してしまう。戦いを身近にしない君のような人にはなおさらです」
 どう応じていいものか。口ごもったユキヤに彼は穏やかに笑む。
「……どういう理由かは分かりませんが、今の君であれば大丈夫だとは思っていますけどね」
 不明確なフラッシュバック。今、どんな言葉を返してもまるで自分の意志からのもので無いという錯覚に眩暈すら覚える。
「君の事情も、いつか自分の世界に帰りたいと願っている事も知っています。
 そんな君をより危険な場所に送り出そうという私の行為は間違っているのでしょう」
「……それは……」
 いつ扉が再び開くのか。それすらも分からない中でその『甘え』はどこまで許されていいのだろうか。
 ユキヤは軽く首を振り、「そんな重い話じゃないですよね。まずは見学ですから」と軽い調子で言葉を紡ぐ。
「聞くつもりは本当に無かったのですが。
 変わりましたね。一体何があったのですか?」
「何……って」
 言われても───フラッシュバック───分からない。ユキヤの心臓には賞金首に襲われたあの数分間が鉛のようにべっとりとまとわり付き、苛んで居る。それでも彼がここに立っている事実がある。
「正直分かりません。ただ……」
 唇が意味の無い動きをする。それは僕の言葉なのか? 自問。
「ユキヤ君?」
「あ、いえ」
 慌てて思考を取り戻す。
「僕もずっと甘えているわけにはいかないですから。
 骨をうずめる覚悟……まではできませんけど、ここでちゃんと暮らしているて胸を晴れる事はしたいんです」
「……そうですか」
 流石にその態度を訝しく思ったのだろうが、グランドーグは何も問わずに大きく頷いた。
 先頭となる集団の方が慌しくなった。排気音などが高く上がる。
「そろそろ行きますね」
「はい、気をつけて」
 何時もの配達に出るかのように。二人は言葉を交わした。
◆◇◆◇◆◇◆

 正午を間近に控えた路地は晴天だが冷たい空気が流れている。住宅地の路地には人影は殆ど無い。大通りにかやや離れた場所では住民のっほとんどが探索者のためだ。
 彼女がそんな時間にぶらぶらと歩いているのは衛星都市建設に伴い管理組合から出されたいくつかの依頼を確認しに行くという理由でいつもの防衛任務をキャンセルしたためだ。トウコ一人で向かっているためヤイナラハは特にすることも定めずに歩いていた。
 足を止める。
 人の気配。別にそれはどうでもいい。だが視線を感じるのはいただけない。殺気や敵意ではないと思うが────
「隠れてる……のはどういう了見だ?」
 一瞬言葉に詰まったのは体だけは隠れてるものの、大剣があからさまに飛び出しているから。
「なんとなくですよー」
 そして隠れてると認めながらもあっさりした顔で出てくるレイリーにヤイナラハは眩暈に似た疲れを覚える。
「テメェに用はねえ」
「私にはあるんですよね。
 1つだけ教えてほしいんですけど」
 チと舌打ちして見据える。彼女のレイリーに対する評価は筋金入りのバカである。こういうバカは威嚇も皮肉も通じないから困る。
「何だよ」
「ユキヤ君とラブラブですか?」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 一ミクロンたりとも予想していなかった問いに珍しいまでの呆然とした顔を見せてしまったヤイナラハは、頭痛を堪えるようにしてこの場を去る算段を始める。
「深夜のドキドキレッスンとかやってるんじゃないかなー?って思ったんですけど。
 違うんですか?」
「意味がわかんねえ。つーか、あのヘタレに関わる理由が無い」
「え? でも」
「この前のはトウコに引っ張られただけだ」
「いえ。そっちでなく」
 じゃあどっちだよと悪態を吐くと
「あなたがユキヤ君に剣術を教えてるんじゃないんですか?」
「……はぁ?」
 身に覚えの無い話だ。何が悲しくてあんな毎度死に掛けて迷惑を掛け捲るヤツに教えなきゃならない。
「だって、さっきから見てたんですけど。
 歩く時のクセがユキヤ君、あなたと同じになってるんですよね」
 もちろんヤイナラハも武を糧に生きる者だ。その言葉が意図するところは推し知れる。
「んなワケねーだろ。だいたい俺のは人に教えるようなもんじゃない」
「そうっぽいですよね。経験則から型にした荒削りな感じですし。
 でもそうなるとますますあなた以外に教えられる人もいないわけでして〜」
 ぎゅっと眉根を寄せて数秒。結論、バカの言う事に付き合ってられない。
「知らねえもんは知らねえ。
 ンな事する義理も理由もねえし、あのヘタレを教えるほど俺は忍耐強くねえ」
 どこの貴族の坊ちゃんだよと呆れるほどの体付きだ。仮に教えたとしても数分で根をあげる姿が想像できる。
「ん〜。おかしいですねぇ」
 いい加減イラ付いてきた。
「もう良いだろ。ったく」
「……あ、はーい」
 悪態にふにゃふにゃした笑顔を見せてくる。胸糞悪い。
 昼飯時だ。どうせこの後も用事はねえし、適当に散策してみよう。気晴らしだと巡らす思考に違和感が混ざる。
『歩き方のクセ』
 クソくだらない色恋の話ならまだしもあの女はそこを理由に挙げてきた。俺だってそいつが戦えるかどうかを仕草で判断するが、特に足の動きは重視すべき点だと知っている。
「あ」
 遠くで微かにあの女の声がした。
「やっぱり双剣使いなんですね」
 『やっぱり』の意味するところ。それを全力で振り払って俺は歩調を速めた。
◆◇◆◇◆◇◆

 道行は順調だった。
 時々周囲から激しい音が響いてくることもあったが、それも数百メートル先の事。後続が止まる必要も無いくらいにスムーズに片付いているようだ。
「あんた日本人なんだってな」
 助手席に座りついさっき音のした方向を眺めていた僕に運転手が声をかけてくる。
 サングラスを掛けたワイルドな人でタバコなんかが似合いそうだというのが第一印象。
「あ、はい」
「まぁ、厳密には世界は違うんだろうが俺の出身は合衆国でな、長距離トラックの運転手をやってたんだ」
 ルートなんちゃらとかいう荒野をずーっと走る道の風景、いつかテレビで見たそれを思い出す。
「お前さんの世界も異能ってやつが無い世界なのか?」
「はい」
 僕が漫画やアニメの世界……と言うのもあれだけど、僕から見れば『特殊な』力がある世界の地球人も少なくない。
「そうか。平和ボケにゃ辛いだろ」
 揶揄する言葉だけど見下した感じはしない。むしろ『平和ボケ』という言葉に羨ましさが滲んでいた。
「正直、今も怖いです」
 グランドーグさんの言葉のおかげか、すんなり出てきたその答えに男は少しだけ意外そうな顔をして、ニイと口の端を吊り上げた。
「いいな。そういう事を素直に言えるのは」
 彼の名前は、アダムスだったかと思い返す。
「兵役に出たことはあるのか?」
「え?」
「……そうか、そっちの世界の日本も軍を持ってないのか」
 どうやらかなり似ている世界だと再認識しつつ、改めて軍役の意味を理解する。
「俺は戦争にも行った事がある。戦争と言っても相手はゲリラに近いような相手だった」
「……中東ですか?」
「なんだ、本当に類似した世界のようだな」
 少しだけ驚いた素振りを見せ「ああ、そうだ。戦争と言っても一方的に攻撃を仕掛けるだけの戦争だ」と言葉を続け、少しだけ言葉を区切る。
「でもな、頭がおかしくなりそうだった」
「……」
 きっとこの世界に来る前の僕なら意味が分からずに聞き返していただろう。
「だから思ったよ。人種が、宗教が、国が違うってだけで殺しあう……違うな。一方的に殺戮を繰り返す狂った行為を俺はやっていたってな」
「神は人が天に至ろうとするその傲慢な行為に怒り、人々の言語をばらばらにした。
 でもそいつは全知全能の神がしでかした痛恨のミステイクじゃないかと考えるようになった」
 それは確か────
「バベルの塔の伝承でしたよね?」
「そうだ。そしてクロスロードにそびえる塔の俗称でもある」
 塔が僕らの言葉を共通にさせて居るかどうかは分からない。でもこの世界に初めて訪れた地球世界の人はきっとこの伝承を思い出し、そう呼んだのだろう。
「確かに神様のところまで行こうだなんて傲慢だったのかもしれないけどな。だが裏を返せば違う人種でも協力して立って事だ。
 今でも思い出すよ。血走った目で何かを叫びながら突っ込んでくる連中の顔を。その時は罵詈雑言か、自分のところの神様を賛美してるもんだと思ってたんだけどな……
 家族の仇、なんて言ってたかも知れないと考えると手が震えちまう」
 つい先日の事を思い出す。もしかするとこの人も急に襲われてがむしゃらに銃弾を放ったのだろうか。そして、僕と違ってそれは─────
「それまでは日本なんて金を出しても手を汚さない国だって罵ってたさ。
 けど、考えが変わった。金出せば許してくれるんならあんな事は二度とやりたくない」
 銃声が響いた。視線を転じれば土煙が上がり、戦いを繰り広げていることが察せられる。

 キモチワルイ

 さげすむ声が脳裏を掠めた。戦いを忌避し、それを良い事だと流布する事に対する嫌悪感。
 死は自分に襲い掛かる。
 死を担うと言う事は、死を間近で見るということ。人間に備わった想像力は如何なくそれを自分に投射する。人が生存本能という基本プログラムに措いて最も避けるべき死を目の前にする。
 死を隔離する。誰かが始めた奇行はやがて装飾を纏わせて君臨していた。
 魚は魚。お刺身はお刺身。
 お刺身はあの姿で海を泳いでいる。
 肉はあの形で生えてくる。
 本気でそう信じている子供が現実に居るとテレビで見た覚えがある。
 でも、笑えない。自分だってスーパーで見る肉と牛やブタが一直線に繋がらない。きっと屠殺や解体のシーンを目の当たりにすれば目を背けるのだろう。
「おい、大丈夫か?」
 心配そうな声に我に返る。
「車酔いか? 荒地だからな」
「え、いや、その……大丈夫です」
 慌てて応じて────よく分からない不安に苛まれる。おぼろげな記憶が言葉を反芻する。いつ聞いた言葉だ? 誰の言葉だ?
 キモチワルイ。リカイデキナイ。リカイシタクナイ。ソンナユガンダカンガエカタ。
 自分の言葉じゃない。自分の考えじゃない。確信を持って言えるほど僕とは異質の感覚。
「酔い止めなんて気の利いたもんはないからな。ヤバかったら早めに言えよ」
「はい……!」
 車酔いの気持ち悪さじゃ無い。でも、だったら何なのかが説明できない僕は必死に取り繕いながら長いドライブを続けるのだった。
あるいは嵐の前の
(2010/08/20)
衛星都市。
 クロスロードから南へ100kmの場所で発見されたオアシスを中心に建設を開始した都市で、今はまだ仮設の建物と物資集積所がぽつぽつと見えるだけだ。対怪物用の防衛施設だけが妙に物々しく見える。
 この町がどのような規模になるかはまだ判然としていない。100kmという距離がどれだけの意味を持つのかを誰もまだ知らないからだ。未だにターミナルの空は危険に満ちており、人々の目の届かない場所は余りにも多い。堅実な輸送法は自動車を初めとする地を這う物が中心となる。整備すらされていない荒野で出せる速度はせいぜい時速80kmがいいところだろう。それ以上の速度はもちろん可能だが輸送という点からすればそれ以上の速度を出すのは危険すぎる。
 約一時間の距離。
 それが遠いか近いかは、これから分かる事である。
 そう、これから。

    ◆◇◆◇◆◇◆

「殺風景だな」
 車を降りての一言目に続くトウコが苦笑を漏らす。
「クロスロードが異常だと思いますけど?」
「それもそうか」
 たかが数ヶ月なのに感覚が狂ってるなとヤイナラハは一人ごちる。故郷の視点からすれば見た目はさておき規模はすでに町のそれと変わらない。
 無言で荷台から降りようとするルティにイヌガミが背を貸す。とんと背中を踏んで無事着地。
 三人が衛星都市に訪れたのは輸送部隊の護衛のためだ。と言っても道中大した戦闘もなくただ車に揺られただけという感じである。
「帰るのは明後日だよな?」
「ええ、同じ輸送班の護衛です。
 とは言え、余り見て楽しい物は無さそうですけどね」
 現状の衛星都市は先にも述べたとおり工事現場という感じだ。人々がせわしく動き回り重機や精霊術師が作業に励んでいる。またかなりの数のセンタ君が投入されているらしくせっせとそこらへんを走り回っていた。
「どうせですしまずはオアシスでも見に行きましょうか」
 トウコの言葉を拒否する理由も無いと軽く頷く。
「そういやぁオアシスって要するに湖なんだよな?」
 不意に発せられた言葉にトウコは一瞬判断に迷うとややあって
「ええ。ただ私の感性で言えばオアシスって砂漠の中にある物なのですけどね」
 と、応じた。そして発見した人の感性だろうかと小首を傾げる。
「砂漠ねぇ。砂だらけで踏み込めば帰ってこれないって話しか聞いたことねえな」
「確かにそうでしょうね。鉄板を持ち込めばその上で卵が焼けるって言われるくらい熱いですし、水場も殆どありませんから」
 砂漠の水場のように希少だからこの湖をそう呼んだのだろうか。そんな想像をしつつ大通りを行く。
 現代的な都市計画方法は最初から使われているようで、大雑把ではあるが大きな道はそれなりに均されている。石畳を敷いていないのは重機が踏み砕かないためだろう。そして通りの両脇には飲食店がすでに目立ち始めており商魂たくましい商人達が声を挙げている。
 そんな声を聞きながら歩く事十数分ばかり。わぁとトウコは目を細めつつも歓声を挙げる。
 壮観。視界いっぱいに広がる水と言えばサンロードリバーもそうではあるが、木々がそれを守るように生い茂り、その中に静謐な水を湛えるという光景は中々に神秘的である。
 ほぼ円形でその直径はおおよそ500m。接続している河川は無いため湧き水なのだろう。
「あの河を見慣れてるからだろうが……まぁでかいな」
 やや無感動なコメントをするヤイナラハ。確かにとんでもない水量を誇り川幅3kmという大河と比較すれば小さく思えるのは仕方ない。ただあっちは雄大だとか壮大だとかそんな雄々しいコメントが似合う。
 ちなみに周辺では水路の工事が進んでおり、街に水を配給できるような施設が作られつつあった。
「ああ、それ以上は立ち入り禁止だよ」
 もう少し近づこうかとすると、人間種の作業員らしい人が声をかけてくる。
「水質調査をして居るらしい。あと飛び込もうとするやつが居て危険だからな」
「確かに、そこらで工事をしているのに飛び込まれると困りますね」
「そういうことだ。水は配給所を作ってるからそこで貰うと良い」
「金を取るのか?」
 元日本人のトウコはその質問自体に疑問を持つが、地球世界だって国が変われば水だって金がかかる。当たり前の問いだ。
「いや無料だよ。まったく管理組合様様だね」
 人間種の男は苦笑を漏らしつつ自分の作業に戻っていく。
「泳げないのはちょっと残念かもしれませんね」
「……泳ぐ? 何で?」
 今は11の月。次第に寒さも厳しくなって来た頃合だ。確かに好き好んで湖に飛び込もうと思う季節ではない。
「今の話じゃないですよ。
 そうです。夏になったらサンロードリバーの遊泳所に行きましょう?」
「ヤだよ」
 即答。何でそんな事という感じだ。恐らく────
「ちなみに泳ぎの経験は?」
「ねえよ」
 予想通りの回答。険のある回答にももう慣れたと言葉を続ける。
「何事も経験です。涼しくて楽しいですよ?」
「別に暑くもなんともねーだろうに」
 確かに今はまだ泳ぐという話題をする季節ではない。むしろ我慢大会になってしまう。
「夏になったらの話ですよ」
「夏……ねぇ?」
 ヤイナラハがこの地に訪れたのは丁度昨年の夏頃だ。少しだけ嫌そうな顔をしているところを見るとその暑さには嫌な感覚だけ刻まれているらしい。
「ちなみにルティさんもですからね」
「……」
 相変わらずの我関せずで会話に加わらない魔女は少しだけトウコを見上げ、それからやはり何も言わずに視線を戻す。どういう意図かは知れないが拒否する言葉はとりあえず無かったと思っておくことにする。
「つーか、丸一年先の話を今するもんか……?」
「良いじゃないですか。楽しみくらい持っておくものですよ」
「死にフラグ」
「ルティさんはどこで覚えたか知りませんけど、余計な事言わないで下さい」
 ついっと僅かに視線を逸らして知らん振りの魔女にため息一つ。
 ただ『来年も一緒に居る』ことは否定されませんでしたねと微笑を漏らすのだった。

    ◆◇◆◇◆◇◆

「ユキヤ君?」
「うわぁ!?」
 目の前、おでこがくっつきそうな距離に顔を出され身を反らせたユキヤはそのまま椅子を巻き込んで盛大に倒れた。
「大丈夫です?」
「てて……え、ええ、まぁ。いきなり何なんです?」
「いきなりじゃありませんよ? もう何度も声かけてますもん」
 え? と顔を挙げると可愛らしくむくれ顔を作ったレイリーがこちらに手を差し出していた。
「す、すみません」
「最近ボーっとする事増えてませんか?」
 深刻そうでないのが救いかもしれない。ユキヤは取り繕うような曖昧な笑みを作り、「気疲れしてるのかもしれません」と答えた。
 実際その傾向はあると思う。二往復衛星都市との輸送に同行したとは言え、次からは自身の運転で向かう事になるのだから気が重い。
「……」
 いつも朗らかな笑みを浮かべている少女の表情が抜け落ちている。きょろきょろと落ち着きの無い動きをする瞳はまるで別人のように澄んだ色を湛えて縫いとめるようにユキヤを見ている。
「……レイリー……さん?」
「前にお話しましたか」
 ぽつり、桜色の唇が涼やかに言葉を紡ぐ。
「私、記憶喪失で彷徨っていた事がありまして」
 聞いた事は……ある気がする。あまりにも素っ気無く言われてどう対処したらいいかと困ったような……
「で、まぁ。今は思い出してるんですけどね。
 ユキヤ君。貴方は思い出しかけの私にとっても似ています」
「……」
 心臓が跳ね上がった。
 もちろん彼は記憶喪失ではない。が、
「教えてください。このクロスロードでは大抵何とかなりますから、対処法を見つけるのも簡単ですよ?」
 知らない記憶が気を抜けば脳裏を駆け巡る。確かにそれは記憶喪失の人が自分の過去を思い出すのに近いのかもしれない。他人事の記憶。
 馬鹿馬鹿しい話。こんな事を言えば頭がおかしいと言われる。それは地球世界の日本人たるユキヤにとって考えるまでも無く至る答えだ。ただの夢、妄想。そう片付けようとしていたのだが……
 ────ここはクロスロードという別世界の町だ。
 今まで幻想でしかなかったモンスターや魔法や、SFチックな機械が当たり前のようにある世界なのだ。自分の今の症状もそういう良く分からない物が原因かもしれない。
「……実は……、気を抜くと知らない人の記憶……でしょうか。そういうものが浮かぶんです」
 レイリーはすっと身を起こして、やおらぽんと手を打つ。
「ああ、なるほど」 
 何の事はない、と言いたげな軽い調子に拍子抜けしてしまうのは仕方ない事だろう。
「なるほど……って」
「いえ、だってユキヤ君が急に剣技を覚えた理由とか納得できましたもの。
 そっくりそのまま誰かの経験を盗んでいたんですね。ああ、誰か、と言うより」
 経験を盗む? 自分にそんな妙な能力なんて無い。と、すぐに原因が思い当たる。
「ヤイナさんの剣技ですよね、やっぱり?」
 「もしかしたら」が「まず間違いなく」に変貌する。
「ちょっと行って来ます!」
 ユキヤはニュートラルロードへと飛び出すのだった。

    ◆◇◆◇◆◇◆

「あー、うん。まぁそういう事もあるにゃよ」
 とらいあんぐる・かーぺんたーずのカウンターで彫金をしていたアルカさんは僕の話を聞くなり軽い調子でそんな事を言った。
「かなりの荒療治だったからねぇ。むしろその程度で済んで良かったと思うにゃよ?」
「その程度って……」
「頭蓋骨陥没骨折、大脳に砕けた骨が刺さりまくってたんだからユキヤちんの世界の科学技術レベルじゃ良くて全身麻痺にゃよ」
 そう言われるとゾッとする。
「流石にあちしも医学、それも脳医学なんてのは専門外だからねぇ。正常な脳と負傷した脳を比較して大きな誤差を修正していくって方法を取ったにゃよ。
 そしたら記憶野の差異が引っかかったんだろーね。場合によったらどっか付随になってもおかしくなかったんだけど」
「時間操作系治癒ならまだ良かったんだけどターミナルの制限に引っかかっちゃうし、別の世界に移送するのも時間的に賭けだし」
 眩暈がしてカウンターに手を付く。
「ええと……改めてありがとうございました」
 かろうじてそう口にするとアルカさんは漸く視線をこちらに向けて口元に笑みを作る。
「まぁ、キミの文句はどっちかと言うとやっちゃんに対する引け目からでしょ?」
 言われてどきりとする。僕は今、彼女の記憶を勝手に覗き見している状態なのだ。
「アルカさん、彼女の記憶を勝手に見ないようにできませんか?」
「でもやっちゃんの経験はキミがクロスロードで生きていく上では損ではないと思うけど?」
 見透かしたような言葉に僕は息を呑む。
「そ、それでも人の過去を覗き見するなんて……」
「なにか拙い物でも見た?」
 問われて思い返すが、特にそういうことは無い……と思う。ただ過去を見られて喜ぶ人なんて余程成功した人くらいだろう。そんな人でも洗いざらい全てを見せたいとは思わないだろうし。
「にひひ。ちっと意地悪だったかにゃ。
 おーけー、封印したげるにゃよ。やっちゃんが聞いたらもう一回頭をカチ割りそうだしね」
 その未来が明確に浮かんで脂汗が背に浮かんだ。
「そこの椅子に座って。デフラグかけるよーなもんだから暫く気絶るけど、時間大丈夫にゃよね?」
 一応午後の仕事は無かったしグランドーグさんにも今日は早退すると告げてきている。
 それに、一度意識してしまった以上時間を置けば致命的な光景を見てしまうかもしれない。そうしたら僕はそれを隠してヤイナラハさんと接する事なんてできはしないだろう。
「はい、お願いします」
 言われるままに椅子に腰掛けるとアルカさんは彫金道具から手を離さないまま、中空に赤に輝く魔法陣を描く。
「んじゃ行くにゃよ」
 それは不意にくしゃりと潰れ、見る間に
「は?」
 複雑な模様を抱いたハリセンの形に変わったと思うや、豪快に僕の頭を引っぱたいたのだった。



 数日振りに戻ってきたクロスロードの町並みは現実のように思えなかった。
 ルティは相変わらずさっさとどこかに消えたし、トウコは消耗品の補充や報酬の受取りを引き受けてやはりどこかに行ってしまった。特にやる事のない俺はメシでも食って帰ろうと大通りを歩いているのだが、魔法とそうでない力による光が商店を彩り、様々な色、形を持つ来訪者が寒さから身を守るように色々な服を纏って往来を歩いている。
 比較するのは自分の世界の光景。王都は別として村では僅かな暖を逃がさないように人々は家に閉じこもって春の訪れを待つ。雪の中を歩くのは充分な蓄えを確保できなかった猟師くらいなものだ。まるで世界が死んだかのように世界は静まり返るのが冬という季節だ。
 魔王が居た時代はさらに酷かった。冒険者が逗留しない小さな村が毎日どこかで蹂躙され、その担い手は時に同じ人間だった。
 ───魔王の居なくなった今でも光景だけは変わらないだろう。全ての音と色を消し去る冬。それは人々の表情も声も同じく消し去る静寂の季節のはずだ。
「贅沢な街だよな」
 魔法技術、科学技術、他の様々な技術。その全てを使って彩られる街は間違いなく冬を打倒していた。この時期は冬眠するはずの爬虫類系の亜人種でさえその姿を確認することができる。
 商店を横目で見れば結界術を応用した携帯用の暖房器具や、特別な素材で作られた防寒具がそれほど高くない値段で並んでいる。冬に戦をするのは愚か者のすることだとは傭兵の口から良く聞く言葉だが、これらがあればそれも簡単に覆るのかもしれない。
「戦争、な」
 そうやって得た技術は人々の笑顔を産めるはずなのに、真っ先に考え付くのが冬の強襲なんて笑えない。だが同時にそんなものだとも思った。
 ここに来て早半年。気が付けば順応しつつ自分の姿がある。
 別に順応する事は悪い事じゃない。だが、今まではより酷い状況に無理やり慣れるというのが自分の『順応』だった事を思えば、随分とぬるくなった物だと要らない自嘲を浮かべる。
 こんな世界で生まれていたら、自分はどうなっていただろうか。
「くだらない」
 あえて声に出して冷えた空気の中を進む。それでも振り払えずに脳裏に浮かんだのはあのダメ男の事だ。剣を握った事も───握る必要すらない世界で生まれた男。まるで貴族の坊ちゃんのように、まさしく住む世界が違う存在。
 くだらない。今度は声に出す事も無く、ただ白い息だけを吐き出す。
 自分を不幸だとは思わない。日々を戦いに置きながら五体満足に生きているという結果は幸運と言うべき結果だ。地を這うように生まれた獣が鳥の翼を羨む必要は無い。
「お嬢さん、寒そうじゃないか。うちのコートはかなりあったかいよ、皮鎧の上からも着れるからどうだい?」
 不意にかけられた声。視線を向ければ恰幅の良いオヤジが厚手のコートを手にこちらを見ている。
 古着ではない獣の皮をなめした上等の物だ。だがオヤジは「3万Cでどうだい?」と朗らかに笑う。高いとは言えない、当初に抱いた感想からすれば詐欺を疑った方が良い値段だ。でも、これがこの世界のスタンダートだと漸く頭を切り替えられるようになってきた。
 オヤジの後ろには同じものが十数着並んでいた。世界によっては大量生産を効率よく行う事もできるそうで、必然としてその単価はかなり下がる。一着一着縫製ギルドの人間が、数日掛けた上にギルドに払う上納金を科した値段で売られる服とは全然違う。
「別に良い。動きが制限される」
「そうかい? 街の中用でも良いと思うんだがな」
 用途に合わせて服を変える。そんな発想もここに来て初めてのものだ。理由は同じ。そんなに服を買う金も、そして買った服を持ち歩く手間も俺には無かった。
「考えておくよ」
 軽くいなして歩を進める。
 買わないと断言しない自分が居る。そして一々その変化を思う自分が居る。
 緩んだ自分を忌んでいるのか、それともただの困惑なのか。
「本当に下らない」
 答えはなんとなく見えていて。その実像を結ばないように思考を散らす。
 散らしても、それは思考の隅でもう形を作っている。
 自分にイラついているのだ。平和になった世界で剣を捨てられなかった自分はただの意固地でしかなかったという結論に。
 少しだけ許容して平和になった世界で生きても行けただろう自分から目を逸らし、この世界に飛び込む事を唯一無二の解決策だと無理やり信じ込んだ、信じ込もうとした自分に。
 そして、今の自分を決して悪いと思っていない自分に。
 それらを全て纏めてしまえば、結局自分は─────
 大きく息を吸い込む。冷えた空気が肺をチリチリと刺激し、眉根を寄せる。
 早く飯を食って帰って寝る。
 無理やりの思考停止。ああ本当に─────

 チと舌打ちして石畳を軽く蹴り、俺はより一層早足になって飯屋を探した。

    ◆◇◆◇◆◇◆

 クロスロードから南に約300km
 未だ未探索地域と呼ばれる場所において一つの異常が発生しつつあった。
 【怪物】────そう呼ばれる存在がそこに居ること事態は不思議ではない。何処から現れるとも知れない来訪者の天敵はこのターミナルの至る所を闊歩し、遭遇する者を打ち砕こうとするのだから。
 問題はその数───いや、量。
 MOBと呼ばれる集団なら何度も目にした探索者は少なくないだろう。しかし今回のこれはケタ外れにその規模が大きい。しかもそれは次から次へと集い、まるで津波のように一つの塊となってある一点を目指すように進んでいく。
 それは陸だけに留まらずいつしか空を舞う者までも従えただ真っ直ぐに、地を轟かせて進んでいく。

 のちに『再来』と呼ばれる第二次大襲撃。
 それはゆっくりと猛威の矛先を磨きつつあった。
先駆けの抱く毒
(2010/09/09)
 新暦1年12の月。
 衛星都市の開発は順調に進んでいる。ようやく踏み出せる第一歩はこの世界での行動が無為ではない事を知らしめるようだった。
 季節は冬。有機生命にとって死の季節だ。誰も彼も息を潜めるようにその終焉を待ち続ける季節。それが当たり前の時期にクロスロードは熱を帯びて活動をしている。
「本当に冬なのかねぇ」
 配達先、薬屋のおばちゃんが達磨ストーブの横でそんな事を呟く。色々重ね着して3回りほど大きくなっている彼女は、しみじみと外に行き交う人々を見て呟く。
「あたしの集落じゃあ、冬なんて季節は無いも同じだったよ。なにせ秋の終わりには皆寝てしまうんだからね」
 リザードマン種の彼女はカンカンと音を立てるストーブと化学繊維の恩恵を受けながら視線をユキヤに転じる。
「だから冬って季節は色も音も凍りついたような季節と思っていたよ。人間も冬にはやってこないしね」
 通りはいつも通りとは行かないまでも冬の装いをした来訪者がそれなりの数、楽しげに歩いている。
「冬眠ってしなくても良い物なんですか?」
 興味本位の言葉に「あたしも初めて知ったよ」とおばちゃんはカラカラと喉を鳴らす。
「冬を見てみたいって思ったことはあったねぇ。けど叶ってしまうと味気ないものだよ」
 消失する季節。四季を当たり前のように生きていたユキヤには何とも応えようのない言葉だ。
 例えばロシアでは毎日数人の凍死体が転がると聞くし、北欧の国では雪に閉ざされて冬の間は一歩も出ないこともある、と大学の講義か何かで聞いた覚えがある。
「人間は冬の間はどう暮らしてるんだい?」
 ひとくくりにされても文化風習の差がある。ユキヤは少しだけ考えて「あったかくして家に閉じこもってます」と返すと「なんだ、あたしらと一緒かい」とおばちゃんは楽しげに笑った。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 衛星都市に到着すると見覚えの無い外壁がそびえていた。魔法使いが見る間に作り上げてしまったらしい。
「多分ゴーレム練成」
 壁を触ったルティが珍しく自分から喋る。
「ゴーレムって土人形のですよね?」
「じゃねえか。どう見ても壁だが」
「ゴーレムで土を移動させて壁の形に作りなおしてる」
 ルティの視線を辿れば確かに壁の前に堀まで出来ている。ここの土がゴーレムになって壁になったと言う意味だろうが……
「どんな大魔術だよ、それ」
「式神にも似たような術はありますけど宗主様でも無理なレベルですよ」
 トウコの言葉にルティはゆっくり頷き「異様」とだけ呟く。
「術式特化……地属性、あるいはゴーレム練成にのみ特化した魔術師かもしれませんね」
「ンな事はどうでも良いけどな。別にそいつとやりあうわけでなし」
 このまま付き合うと魔術談義が始まりそうなのでヤイナラハはさっさと興味を無くしたふりをして視線を転じる。
「それはそうですけど……。まぁ、いいです。帰りの護衛の時間を決めてしまいましょう」
 物資の輸送量が多くなり、護衛も頻繁に行き来するようになっている。遭遇率は30%程度で苦戦するほどの敵が出ることは稀な仕事なので人気も徐々に高くなっているようだ。無論絶対安全というわけでなくこれまでに2度輸送隊が全滅しているらしい。なんでも自爆する怪物が居るそうで、どちらもそれの接近を許してしまったかららしい。
 それはともかく、よっぽどの事が無い限り楽のできるこの仕事は人気で、早めに次の護衛の時間を決めないとどんどん埋まってしまうのである。
 というわけで一行がやってきた管理組合の派出所はかなりの賑わいを見せていた。管理組合やエンジェルウィングス以外の輸送部隊もここで護衛を募集したり物資のやり取りをしているのでちょっとした市場の様相だ。
 賑わっていると言っても順番待ちをするようなことは無い。衛星都市に関する依頼はクロスロードと同じくPBで受注する事が可能なためだが、クロスロードと違い派出所の近くまで行かないと受注できないのが違いと言えば違いか。
「明日の午前中の出発で確保できました」
 PBとやり取りをしていたトウコが振り返りながら言う。ほぼ同時に依頼を受けた事を自身のPBがもう少し詳しく通達してきた。
「まだ日が高いですけど、どうします?」
 宿の方は既に確保できているから完全に暇だ。クロスロードでの時間の潰し方はなんとなく身に付いてきたがこちらではやる事に困る。昼から酒をかっ喰らってる連中も居るがトウコはそういうのに顔を顰めるタイプだしな。暇つぶし用の賭場なんてのもあるらしいが同じくNG。俺も賭け事はそんなに好きじゃない。
「俺はちょっと体動かしてくるさ。トウコ、犬貸してくれ」
「良いですけど」
 許可が出るなりイヌガミが俺の足元に来て待機する。ホント聞き分けの良いヤツだよな。
「ご飯の前にお風呂に入るくらいの余裕見てくださいね。泥だらけでお店に入るの嫌ですから」
「わーってるよ」
 探索者だらけの街でイチイチ気にするのも珍しい。なんて言葉を最後に吐いたのはいつの事やら。俺は適当に返事をすると適当な広場を探して街をぶらつき始めた。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「いい天気ですねーーーーー!」
 と、レイリーさんはヤケクソのように言った。
「速度、落としましょうか?」
「大丈夫ですよ。うん」
 とは言えいつも桜色の唇が目に見えて青い。冬の何も無い荒野をバイクで突っ切ろうとするならこの身に染みる寒さというものが本当に厳しいと感じる。
『そろそろ休憩時間でいいんじゃないかしら?』
 エルの苦笑じみた提案に頷き、速度を落とす。
「ユキヤ君、大丈夫ですって」
「お昼の時間ですから」
 レイリーさんって自分がダメな時は真っ先にギブアップするタイプと思ってたけど、意外に頑固だ。お姉さんぶってるという感じもするけど。
 ……いや、僕の方が年上のはずなんだけどね?
 ともあれ、メットを取ると途端に冷気が顔を覆った。
「レイリーさん、やっぱり毛布着てた方が良いですよ」
「うう」
 サイドカーから降りながら情けなく唸る。いざという時に動きにくいからと拒否してたけどそんなに厚着もしていないからかなり辛いはずだ。
「敵が着たら距離を取りますし、大丈夫ですよ」
 保温箱からお弁当を取り出して渡し、お茶を注ぐ。両手で包み込むようにしてカップを持ち、幸せそうにするレイリーさんに思わず笑みを零し、視線を彼方に転じた。
 前後左右何も無い荒野。目に付く物が何も無いというのは自分が何処に居るか分からなくなってくる。木の姿も無く、草も僅かにしか見られない。
「何か居ました?」
「あ、いえ……何も無いなって」
「そうですねー」
 なんでもないように同意される。よくよく考えると日本が特殊なのかもしれない。元より山がちでここまでの平原は北海道くらいだって聞くし。
「こんな道をずーっと歩いてると自分がどこに行こうとしてるのか分からなくなりますよね」
 お茶を飲んでひと段落したレイリーさんが白い息を零しながら目を細める。
「何日も何日も。足元にある道が本当に何処に続いてるのか分からないままに歩き続けるのってすっごく辛いんですよ」
 その言葉は今の僕には良く分かった。今ここにはレイリーさんやエルが居るけど。一人でこんなところに放り出されたら気が狂ってしまうかもしれない。
「レイリーさんは旅をしてたんですよね」
「はい。悪い子退治の旅ですね」
 前にも聞いた話だ。気が抜けそうな言い様だけど、彼女の愛剣がそんな生易しい物ではなかったと無言の主張をしているようだった。
「寂しくなかったですか?」
 この風景が寂寥感を容赦なくかき立ててくる。だからそんな事を聞いたのだろうか。
「寂しいというか、怖くなるときはありますよ。多分今ユキヤ君が感じてるのと同じ感覚です。
 この世界の何処にもゴールはないのかもしれないって」
 携帯電話を持ち、音と光に溢れた世界。闇は無く光が夜を照らす日本。隣に誰が住んでいるのかすら知ろうとしないのは『孤独』を感じる暇が無いからかもしれない。
 ヤマアラシのジレンマなんて言葉を聞くけど、逆の事が起きてるのかもなぁと何となく思う。
「それよりご飯ですよー。冷めたら残念です」
「そうですね」
 現実に引き戻されて僕は苦笑を零す。
 この分だと予定通りに衛星都市には到着しそうだ。明日クロスロードまで戻ればひと段落。
 頭の中で簡単に予定を確認し、昼食にありつくのだった。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ん?」
 夕暮れ時。宿で汗を流して外に出るとトウコの話声が届いてきた。そこまでは良い。その相手は
「何であいつが居んだよ」
 大目に見てだが、曖昧な笑みを浮かべてる死に掛け男は良い。問題はトウコと談笑している女だ。
「ヤイナさんやほー」
 世界が滅亡しても笑ってそうなノー天気女が何が楽しいのか理解に苦しむ笑顔でこちらに手を振る。
 全力で回れ右をしたい所なんだが。
「じゃあヤイナラハさんも来ましたし、行きましょうか」
「断る。つーか、トウコ。お前この前のあの敵意は何処へやったんだよ」
「まぁ、勘違いというか、理由があったと分かりましたし」
 それにしたって物分りが良すぎるだろ。
「それに折角ユキヤさんも居ますし、ここは不案内らしいですから」
 こいつの頭の中、どーなってんだろうなぁ。
「旅は道連れ世は情けですよー」
 気楽過ぎる言葉に俺は盛大なため息を吐くしかない。どうせルティは不干渉を貫くんだろうしな。
 連れだって向かった先はサーカスのテントみたいな場所だった。殆どの建物はまだ建設途中のため、ここで店を開こうと画策している商人連中が屋台をその中で開き、中央にテーブルを用意している。客は好きな屋台から食い物や飲み物を買ってきて食うというシステムになっている。
 夕暮れ時とあってすでに出来上がってるヤツも山ほど居た。少し大きな声でなければ声が届かない事もあるくらいだ。
「凄いですね」
 ユキヤがありきたりな感想を述べる。ニュートラルロードの方がよっぽどにぎやかなはずだが、これはこれで趣が違うからだろうか。
「あそこが空いてますからこの子に確保してもらいましょう」
 イヌガミが従順に空いているテーブルに向かい、椅子の一つにちょこんと座る。
 壁際には50を越える屋台が色々な香りをばら撒いている。店の前には世界コードが記されていて種族的に食べるとマズい物にはPBからの警告が出る仕組みだ。
「縁日みたいですね」
 何故か俺の後ろに付いてきたユキヤがきょろきょろと見回しながらそんな事を言う。
「そうだと言えば良いのか?」
「え、いや、その」
 はっきりしないやつだ。というか、さっきからやたら顔色を伺ってる気がするんだが。
「あ、焼きソバだ。買ってきますね」
 訝しがっているとそんな事を言いながら離れて行ってしまった。何なんだアイツは。
 俺も適当に買って五分程度で全員が戻って来ると、テーブルの上には様々な料理が並ぶ事になった。
「ユキヤさんのは縁日っぽい取り合わせですね」
 また『縁日』とかいう言葉が出てくる。祭りのようなものだと認識はしてるんだが……そういえばトウコと似たような世界の出身だったな。
 ソバとかいうのに丸いパンみたいな物にたれをかけたもの、それから芋を棒状に切って揚げたものが並んでいる。あとおにぎりもだ。
「そんな雰囲気だったんで」
 ちなみにトウコとルティの持ってくる物は野菜が多い。俺が肉系を持ってくるからだろうけどな。
 トウコの方は煮たりと色々と調理したもので、ルティのは生野菜という違いはある。
「まぁ、それはそうとして」
 視線を転じると、極端に配色の違う区画がある。
「えーっと、夕飯ですよね?」
「そうですよ?」
 ユキヤの問いにさも当然と頷く天然女の前にはどう見ても菓子としか思えない物が並んでいる。
「デザートでなく?」
「ですよー」
 普通にケーキに手を伸ばし始める。ちなみにトウコもこの手の食べ物は好きらしいが、俺としてはにおいだけで胸焼けがする物だ。今はいろんな食い物のにおいでここまで届かないがな。
「いつもこんなのを?」
「んー。お昼とかは所長が煩いからパンとかにしてますけど」
「……そういえばいつも菓子パンですよね」
 胃がもたれそうだ。俺はさっさと視線を外して自分の飯に集中する。
「……なんで、これで」
 不意に横合いからの恨みがましい声。ちらりと見ればトウコが天然女の方を凝視している。
「……」
 声は掛けない方が良いなと判断。ルティは黙々と草を食ってるし。
「お前、実はヤギとか羊とかだったりしないか?」
「……違う」
 いや、分かってるけどさ。トウコの弁当でもいつも延々野菜ばっかり食ってる。
「宗教的な何かか?」
「近いかも」
 そう続けてスティック状にカットした野菜をぽりぽりと齧る。
「そういう物か?」
 魔女なんてのは生き血くらい啜るもんだと思ってた。
「よかったらこれもどうぞ」
 不意にユキヤから差し出されたのは丸っこい食べ物だ。
「なんだこれ」
「タコヤキですよ」
 香る匂いは悪くない。別に遠慮する理由もないかと取ろうとすると「そこに楊枝を使うんですよ」とトウコがようやくこちらに視線を向けた。相変わらずこういうことばっかりには目が行く。
 楊枝とは棒のことらしい。刺さってるのを取って口に運ぶと、ちょっとぐにぐにしてる感覚はあるが悪くは無い。
「タコ以外にも色々入れてたみたいですね」
「そういうのもあるんですか」
 興味を持ったらしいトウコが手を伸ばす。それから少しだけ顔をしかめて
「何の味か判断するのは難しいですね」
 と苦笑する。見た目は似ていても全く違う可能性もあるしな。まぁ、美味けりゃいいや。
「ユキヤ君。私にもくださいー」
 賑やか女がぱたぱたと暴れる。その甘いのとこれを一緒に食いたがる感性がさっぱりわからん。
「そういえばユキヤさんはいつ戻るのですか?」
「明日一番に」
「お二人だけで?」
「そうなります」
 トウコがこっちを見て、それから視線を戻す。無視して俺は自分の手前にある食べ物に手を伸ばした。
 仕方ないと言う風なため息を吐かれても相手にする気はない。
「どれくらいかかるんですか?」
「こっちに来るまでは3時間程度でしたね」
 直線距離では100kmほどだが、通るのは危険と言われてるポイントを避けて通らなければならないのでそれくらいかかってしまう。
「輸送隊の護衛は倍くらいかかりますから、かなり早いですね」
「その分運べる量は少ないですけどね。僕も輸送隊には参加しましたけど、あっちは急ブレーキで追突しないように速度を落とさなきゃいけないらしいです」
「ああ、それもそうですね」
 結局というか、予想通りというか、トウコとユキヤが会話する感じになってるなと他人事のように聞き流していると、不意に周囲のざわめきに気付く。
 全員がと言うわけではない。いくつかのテーブル、つまりはパーティ単位だ。
「何か起きたんですかねぇ」
 天然女が先に気付いた。感性だけは相変わらず鋭いらしい。
「え? 何かって?」
 一方で全く分かってないユキヤが間抜けな声を漏らす先で10には満たないテーブルで忙しくなり、早々に立ち去って行った。
「怪物が出たんでしょうか」
「……衛星都市の防衛任務って事か」
 そういう仕事もあったことを思い出す。襲撃を感知して連絡が入ったんだろう。係りの連中に召集が掛かった程度の話らしい。
 結局その騒ぎで話の流れが断ち切られたためか、飯の時間は自然と終わりとなった。今回ばかりは怪物様だったなと、そんな単純な話になれば良かったんだがな……

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「では、私達はここで」
 エンジェルウィングスの社員には社員用の宿が用意されているので、別の宿に戻るトウコさんはそう礼儀正しく頭を下げる。
「では夜道をお気をつけて」
「そちらも」
 魔女っぽい子は結局ずーっと無口だったし、ヤイナラハさんは相変わらず不機嫌そうではあるけど、そこまでぎすぎすした感じではなくなってたと思う。
「じゃあユキヤ君行きましょうか」
「ええ」
 分かれて歩き始めた瞬間、レイリーさんが不意に倒れるように体を前へ。
 え?と思う暇もなく、背中の大剣が唸りを上げて目の前の地面を叩いた。
 ガズンと石畳を砕く音に金属同士がぶつかり合う音が混じる。
「ユキヤ君、しゃがんで!」
 声よりも、こちらを確認せずに動く巨大な質量に恐怖を感じて地面に張り付く勢いで伏せる。
 上空から何かが迫り来る感覚。それを寒気と共に感じ、しかしそれを薙ぎ払う更に恐ろしい暴風が髪の毛を数本巻き込みながら走りぬける。上空からの圧迫感が「ぎゃぎぃ」と引きつった音を奏で、僕の頭上を跳ねるように舞った。
「なっ、何なんですか!?」
「怪物ですよ。街まで入り込んだみたいですねぇ」
 声はおっとりしているけど動きはいつもの何倍も素早い。あんな巨大な剣を持っていても、むしろその重さを加速につかうように僕の前へと走り込み、怪物をにらみつけた。
 その姿は蟷螂に似ている。暗闇の中で色ははっきりしないけど、赤黒い色で、足の一本が引きちぎれていた。
 怪物はこちらの動きを伺うように、じりと動くが、レイリーさんを警戒してか近付こうとはしない。やがて背を向けて逃げの体勢に入るとレイリーさんが一気に踏み込んだ。
 石畳を砕くほどの剣が風に舞うようにふわりと踊る。だがいかんせん距離があった。虫の怪物は本当に蟷螂のようにばっと薄い翼を広げて飛び去ろうとする。その加速の差でレイリーさんの剣は宙を薙ぐに終わる。
「逃げられましたねぇ」
「って、そっちは!」
 三人が行った方だ。そうでなくても街中をあんなバケモノに徘徊させておく訳には行かないだろう。
「ええと、非常連絡とかできないの?」
『派出所、あるいは管理組合の仮設事務所まで行けば通達を依頼することが出来ます』
 PBが親切に応えてくれるけど、クロスロードと違ってそんなに数は無いはずだ。
「怪物が居るぞ! って叫んだら良いんじゃないですか?」
 そうこう言っている間に、レイリーさんが響かせた音に何事だと野次馬が集まっていた。
「怪物だと?」
「さっきの召集の時のヤツか?」
 伝言ゲームで広がっていく。多分これが一番早いんだろう。
「レイリーさん!」
「はーい?」
 振り返るとぺたんと石畳に座り込んでいるレイリーさんの姿。
「え? 怪我をしたんですか?」
「疲れましたぁ」
 へにょっとしながらそんな事言われても。
「ええと、冗談でなく?」
「冗談じゃないですよぉ。あの怪物けっこー強いですよ。最初っから全力全開でないと危なかったんですから」
 確かに、あの大剣を手に異様に素早い動きをしていた。100m走を全力で走った後みたいな感じなんだろうか。
「えっと、立てます?」
「……立てませんよぉ。おぶってください〜」
「その剣コミは無理です」
 明らかに目が悪戯の色に染まったのを見逃さない。そうこうしていると遠くから犬の声が響いてくる。あれはトウコさんの犬?
「あっちで交戦してるみたいですねぇ。まぁ、大丈夫ですよ。一人じゃ厳しいかもしれませんけど、あの三人は結構できますよ?」
 弱いとは思わないけど、心配は心配だ。
「もー、わかりましたよ。見に行きましょ?」
 よっこいしょーと気楽に言って立ち上がったレイリーさんが剣を背負い直す。その頃には人が集まりだしたらしく、派手な光が迸るのも見えた。
「どうやら袋叩き状態みたいですねー」
 そう言えばこの街も探索者だらけなんだっけと苦笑。飛んで火に居る夏の虫ってやつなのかなぁとやや気分を落ち着けて虫の逃げた方へ向かう。
 騒ぎはより一層大きくなっていたようで、人も30人ほど集まっており半分くらいが戦闘体勢にある。その囲みの真ん中で先ほどの虫が無残な姿で崩れ落ちていた。どうやら無事退治されたらしい。
 管理組合の人らしき数人が状況確認と連絡をしている。他にも街に入り込んでいないか確認が行われるんだろうか。
 見回してみたけどすでにトウコさんたちの姿は無かった。
「帰りましょーか」
「……そうですね」
 特に怪我人も出ていないみたいだしこれ以上心配しても仕方ない。僕と違ってみんな探索者なんだし。
 その時はそう思って、その場を後にしたのだった。
踏み切られた二つの幕開け
(2010/09/10)

 夢を見ていた。
 思い出すことなんて二度とない。
 そう思っていた夢を。
 俺が俺でない時の夢。俺が俺になることなど考えもしなかった頃の夢。
 世界は荒れ果てていた時代の、それでも小さな村にあった、小さな幸せの夢。

 それは間違いなく、熱に浮かされた、見るべきでない夢だった。

  ◆◇◆◇◆◇◆

「ヤイナラハさん?」
 声を掛けても返事は無い。ルティさんもヤイナラハさんも寝起きは悪くないはずなのに……
「起きて下さい。朝ごはんに行きますよ?」
 軽く揺すってみるけど変事は無い。と、いきなりルティさんが横に並ぶと強引に毛布を剥ぎ取りました。
「……」
 ルティさんの行動も驚きですが、それ以上に────
「ヤイナラハさん!?」
 水でも被ったようにシーツも下着然とした彼女の夜着も濡れ、それでも足りないと赤くほてった体からは汗が噴出しています。
「風邪……?」
「違う。これ」
 ルティさんが彼女の左腕を指し示すと、そこがうっ血したように紫色に染まっていた。
「これは……!」
「毒、恐らく昨日の」
 昨日────ユキヤさん達と別れた私達は街に入り込んだ怪物と戦いました。
「怪我をしていたなんて言ってなかったのに」
「最初の不意打ち。掠ってたのかも」
 確かに、ヤイナラハさんへの不意打ちを彼女は間一髪避けたように見えましたが、その可能性はあります。恐らく爪に毒を持っていたのでしょう。
 私は急いで禊の札を用意して解毒を試みますが─────
「祓えない……?」
「薬草を煎じて見る……。医者、連れてきて」
 私の術は一度通じなかった以上決定的になりえません。しかし、それほど強い毒で一晩苦しんでいただなんて……
「急いで」
 ポーチから薬草を取り出し並べ始めたルティさんの声は今までに無いほど強い意志を含んでいました。私はそれに背中を押され、慌てて外へと飛び出したのでした。

  ◆◇◆◇◆◇◆

「じゃあ、これを宜しくね」
「ええ。受領しました」
 帰りの便で運ぶのは管理組合とエンジェルウィングスの活動報告だ。100mの壁がある以上、これだけのことでも人が運ばなくてはならない。
「あと、ついでにこれもお願い。管理組合でいいはずだから」
「これは?」
 渡されたのはケースだ。
「オアシスの水だよ。一応検査はしてるけど大図書館の方でもっと精密な検査をすることにしたらしい」
「……えっと、飲んでも大丈夫なんですよね?」
「問題ないよ。むしろ微生物すら存在していない水だから」
 そういえばサンロードリバーにも魚は居ないとか言ってたっけ。
「純水ではないし、炭酸が入ってるわけでもない。飲料水として成立するレベルだよ」
「はぁ」
 純水だと確か胃に穴が開くんだっけ? そんな事を思い起こしながら「これ、ガラスとかじゃないですよね?」と問うと「プラスチックだから叩きつけなきゃ平気だよ」とのこと。
「じゃあ、確かに。行ってきますね」
「うん。次ぎ着たときは夜にでも食べに行こう」
 僕ははいと頷いて管理組合の仮設事務所を後にする。ここにエンジェルウィングスの窓口を併設されているのだ。
「ユキヤ君。準備オッケーですか?」
「ええ。荷物は受け取りました」
 今日のレイリーさんはエスキモーみたいな厚手のコートを上に一枚着ていた。何だかんだ言ってやっぱり昨日の寒さが随分と堪えていたらしい。
『出発かい?』
「うん。エルもよろしく」
『じゃあ飛ばそうかね。お嬢ちゃんも防寒しっかりしてるみたいだし』
「……お手柔らかに」
 エルは勝手にドライブの出力を上げる事ができるから、怖い。
 荷物をBOXに仕舞い込み、動かないようにバンドで固定しているうちにレイリーさんはサイドカーに乗り込む。
「じゃあ、行きましょうか」
「はーい」
 今日も天気は良く、吹き抜ける風は痛いほどに冷たい。メットを被った僕は寒さからシャットアウトするようにバイザーを降ろした。

 ばうっ!!

 犬の声。
 聞き覚えのあるそれに首を巡らせるとエルの前にトウコさんの犬が走りこみこちらを威嚇するように吼えた。
「え? どうしたんですか?」
 と言っても、犬語は分からない。ただこの犬が僕を出発させないようにしているのは何となく分かる。
「犬さん、邪魔ですよー。今度遊んであげますからー」
 レイリーさんの気楽な声に否定するようにもう一度吼え、お座りのポーズで僕を見上げる。
「トウコさんと一緒じゃないんですか?」
 返事は無い。ただじっとこちらを見上げている。
「もー、出発できないですよ!」
「……何かあったんですか?」
 ばうと一つ吼えると、流石にレイリーさんも不思議そうに首を傾げて僕を見上げた。
「少し、寄り道しても良いですか?」
「……仕方ないですねー。行きましょうか」
 レイリーさんもこの犬が何かを訴えている事は察したのだろう。基本的に悪い人じゃないのだから無視していくなんて考えにはならなかったらしい。
 犬はすくっと立ち上がると僕達を誘導するように走り始める。
「エル、街の中だからサポートお願い」
『分かったよ。お人よしだねぇ』
 随分な速度で走るが、まだ朝早く、そして人もまばらな衛星都市とあって人通りはそんなにない。やがてある宿の前に来ると何度か犬は吼えた。
「ここって、泊まってるところかな?」
 呟くと同時に窓が開き、トウコさんがこちらを見て手を振る。
「すみません、ユキヤさん。火急のお願いがあるんです!」
 朝の澄んだ空気にトウコさんの声が響く。それに焦りと困惑を感じて僕は嫌な予感を覚えつつ、バイクから降りた。

  ◆◇◆◇◆◇◆

「随分と酷いな」
 40がらみのドワーフっぽい医者が難しい顔で呟く。
「解毒の魔法は効かなかったと言ったな?」
「ええ」
 トウコは符を握り締めて無念そうに頷く。
「お嬢ちゃん、何を処方した?」
「ウェバンドとレクィヂア」
「解熱と強心か。妥当だな」
「解毒の種類が分からなかった」
「複合毒だよ。下手に一部だけ解毒すると酷い事になる」
 薬剤かばんからいくつもの薬品を取り出し、調合を始める。
「術の種類は?」
「え? えっと……《禊》と言って分かりますか?」
「穢れ払いか。ならそれを可能な限り連続で掛けてくれ。祝福の術があればそれもだ」
「はい!」
 不安を打ち払うように次から次に術を掛ける。
「ウェバンドとレクィヂアと言ったな。ならばローデンなんとかという風土病の薬は持ってないか?」
「……ある」
 ポーチから乾燥して黒くなった実を4つ取り出して渡す。
「詳しい」
「これでも医者だ」
 受け取った実をすり鉢に入れて別の薬草と一緒に磨り合わせつつ、ヤイナラハの容態を見る。
 右腕は目を背けたくなるほどドス紫に染まり、それは肩口にまで広がっている。
「左腕でなくて良かったな。心臓に毒が溜まったら死んでたかもしれん」
 トウコが何度も術を掛けるが変色部分が小さくなる様子は無い。医者は「もう良い。水を用意してくれ」とトウコに指示を出し、すりつぶした薬品を薬包紙に注いだ。
「お水です」
「じゃあ、お嬢さんを起こして」
 壊れ物を触るような手でヤイナラハの上体をゆっくりと起こさせると、医者は薬を水に溶かし、混ぜてから少しずつ口に流し込む。
「っく!」
「聞こえているか? 無理にでも飲め!」
 大き目の声で叫ぶ。ぜぇぜぇと荒い息を吐くヤイナラハはほんの僅かに目を開いて医師の姿をぼんやりと見た。
「……」
「大人しく飲め」
 何かを言おうとしたのか、しかしそれもすぐに諦めて彼女はゆっくりと注がれる水を喉に流し込んでいく。
「先生……」
「とりあえず応急処置だ。傷の手当に関しては準備もあるが、毒、それもここまで進行すると流石に準備が足らん」
 もっと早く気付けば手段はあったのだろう。ヤイナラハの意地っ張りな部分が災いとなっていた。
「方法は無いんですか!?」
「クロスロードまで運ぶしかあるまい。あっちなら高位の神官も、施設もある。
 とは言え、一秒でも早く処置をせんとどうなるか分かった物ではない」
「今の時間は!?」
『8時23分です』
 確か朝の輸送隊は8時には出発しているはずだ。これには間に合わない。
「エンジェルウィングスに……っ、ユキヤさんは!?」
「探しに行った」
 ルティの言葉に「え?」と言う顔をし、そこでようやく自分の式神がいない事に気付く。
「あの子が?」
 影から生み出す式とは言え、犬神は死んだ犬の魂を有している。自立行動が可能な事は自分が一番承知しているが、他人の依頼に勝手に応じるなんて始めてのことだ。

 ばうっ! ばうっ!!

 外からの聞きなれた声。
 慌てて窓を開けるとそこにはバイクに乗ったユキヤとそれを引き連れてきた己の式神の姿があった。

  ◆◇◆◇◆◇◆

 頭が回らない。
 呼吸をするのが精一杯で、自分がヤバイ状態だということだけは分かった。
 病気や毒にやられたら手持ちの薬で何とかするしかなかった。昨日も妙に腫れたから軟膏を塗っておいたはずだが。
 思った以上に酷い毒だったらしい。『死』が脳裏を過ぎり、いつかは訪れる物だと飲み込む。
 魔王が滅びるまで、戦いの中で死ななかった俺は運が良かったのだろう。
 そこれ降りる事ができた。でも俺は戦いを選んだ。選んだ以上、その幸運が尽きれば死ぬのは当たり前の事だ。
 わがままを言うなら、苦しいのは勘弁してもらいたい。
 どうせ死ぬのなら、さっさと死にたい。そう、思った。

  ◆◇◆◇◆◇◆

「ユキヤさん、お願いです。ヤイナラハさんをクロスロードまで届けてください!」
 ベッドには酷い汗を掻き、苦しげな呼気を漏らすヤイナラハさんの姿があった。昨日僕達を襲った化け物は思ったとおり三人の所に現れたらしい。そして無事撃退したはずだったけど、ヤイナラハさんは小さな傷を負っていた。
 問題はその傷で、あのバケモノは爪に毒を持っていたらしく。それを受けたヤイナラハさんは……多分我慢しちゃったんだろう。
「クロスロードに行けば何とか────」
 問いかけて、気付く。何とかなるはずだ。脳の損傷すら治すような人が居る。
「ターミナルでは空輸は危険だからな。車かバイクが好ましい」
 医者の言葉は理解している。空を単独で行く者は帰ってこない。クロスロード成立前、地球世界系の《ガイアス》がターミナルに戦闘機や調査機を持ち込んだそうだけど、そのどれもが100mの壁を越え、視界から消えた時点で消息不明になったらしい。
「でも、ユキヤ君のバイクは2人乗りですよね?」
 サイドカーがついているので3人まではいけるけど、レイリーさんの剣が1人分の重量がある。だからレイリーさんとヤイナラハさんを乗せて走るのはちょっと厳しい。
 ヤイナラハさんを運ぶのが目的なら二人で行けば良い。けれども────荒野には怪物が居る。
 昨日の空から襲い掛かろうとしたあの威圧感を思い出す。
 死が鎖のように心臓に掛かり、内臓を押しつぶしていく。二人で行けば、動けない彼女を、そして自身を守るのは自分だけだ。
 視線がヤイナラハさんへと動き、直前で止まる。
 見れないと思った。その苦しい顔を見て僕は決断を強いられるのが怖かった。
「ユキヤさん! 時間が無いんです!」
 トウコさんが僕の手を取る。痛いほどに握り締められた手には不安が、そして僕を見上げる目には自分には出来ないという苦痛が揺れ動く。
「私からも、お願い」
 誰の声かと思った。反対を見れば、あの魔女の格好をした子が僕を見上げていた。
「ヤイナラハを助けて」
 息を呑む。自分には手段があるということが心臓を縛り付ける。不安と恐怖が肺を締め上げる。
 ここからクロスロードまで約3時間。多分レイリーさんの剣がない分、飛ばせばもっと早くなる。
 頭の計算が不安に揺らぐ。もし怪物に出会ってしまったら? もし転倒してしまったら。もし、もし、もし、
 IFの嵐が濁流となり視界が傾いだ。眩暈がしても現実が逃がしてくれない。
 僕はただの学生だ。医者でも消防士でも警察でもない。誰かの命を預かるなんて、そして危険な場所に飛び込むなんて僕のすることじゃない。
「ユキヤ君」
 レイリーさんが目の前に立っていた。
 僕の不安なんて知ったことではないと言わんばかりのとても気楽な微笑みで。
 そのまま半身を後ろに引く。
 え? と思ったときには白くて細い指を固めたそれが目前にあった。

 火花が散る。

「なっ! 貴女一体何を!!」
 トウコさんの素っ頓狂な声。遅れて左目の辺りに鈍痛が響き、眩暈が吐き気を催すのを必死に飲み込む。
 そうしてはじめて殴られたと悟った。尻餅を突いて、僕は信じられない物を見るように彼女を見上げていた。
「おはようございます」
 にっこりと笑顔。花の様に可憐で数瞬前の凶行、その影も見せないような綺麗な笑顔で僕を見ている。
「目が覚めましたか?」
「レイリー……さん?」
「起きたらやることがあります。エンジェルウィングスの駆動機の中でユキヤ君のエルちゃんが一番早いのは明白です。
 わかりますよね?」
 ずきずきと痛む。きっと青あざになると暢気な考えがレイリーさんの言葉、その意味にシフトする。
「このままだと彼女、死にます」
 分かっている。
 反射的に喉元に登ってきた声は再び飲み込んだ。
 分かってない。僕は今、僕の事だけを考えていた。
 それの何が悪いと思う。
 でも、僕は
「……レイリーさん、痛いです」
「痛くしましたもの」
 悪びれもせずに差し出してくる手を取り立ち上がる。
「僕はヤイナラハさんに二度も命を救われていますから、やります」
「じゃあ、私は待ってますね。あ、所長にはサボりじゃないって伝えてくださいよ?」
 いつものほわほわした感じのまま、彼女は可愛らしく首を傾げる。
 お姉さんぶってるといつも思ってたけど、違う。彼女は年齢を抜きにして僕よりもよっぽど大人なのだと実感する。
「トウコさん。ヤイナラハさんに厚着をさせてください。先生、何か注意事項はありますか?」
「今更ちょっとやそっとの振動なんて言ってられない。とにかく一秒でも早く到着して施術院に飛び込め」
「『とらいあんぐる・かーぺんたーず』でも大丈夫ですか?」
 僕の問いに先生は少しだけ驚いた顔をし、「あそこの顔なじみか。くれぐれもミサイルだけには気をつけろ」と笑みを浮かべる。
「ユキヤさん」
 トウコさんが僕の左目の辺りに触れる。
「青あざだけは治しておきます。目が腫れて事故をしたら大変だから」
 言いながらどこか苦しげなのは、多分だけどその術でヤイナラハさんを治せないからかもしれない。
「ありがとうございます」
「じゃー私からも〜」
 再びレイリーさんが目の前に来て思わず腰が引ける。それよりも早くぐっと近付いてきて、閉じた目に柔らかい感触。
「え?」
「おまじないですよ〜。こうするとピンチの時に生き残れるって漫画に描いてました」
 相変わらずツッコミどころ満載の発言をする人だけど、僕はただただ苦笑して、「ありがとうございます」としか言う事ができなかった。

  ◆◇◆◇◆◇◆

『あら、随分とドラマチックなシチュエーションじゃない?』
 エルが楽しそうに茶化してくる。サイドカーにはヤイナラハさんが乗せられ、隙間に毛布を詰め込まれている。呼吸を阻害するためにメットはつけておらず、代わりに防寒具のフードを被っている。
 ガラじゃないよ。
 口に出さずに応じると
『誰もが主役になれるのよ。たった一度でも勇気を見せればね』
 勇気。その言葉がとても重い。今だって心臓が破裂しそうなほど高鳴ってるし、できるなら誰かと変わってほしい。でもエルを動かせるのは僕だけだし今からエンジェルウィングスの支店に行き、足を確保する時間は余りにも勿体無い。
 僕の逡巡だけでも時間を食ってしまったしね。
 深く、深呼吸をする。
「エル、飛ばすからサポートお願い」
『言われなくても。その代わり振り落とされないでね』
「病人が乗ってるんだからそれを考慮して下さい」
 予想を遥かに上回りそうな応答に思わず前言撤回で窘める。
『分かってるわよ』
 ホントかなぁ……
「じゃあ、行ってきます」
 僕は視線を上げる。居並ぶ面々は一名を除き不安を抱いていた。僕にではなく、ヤイナラハさんの症状にだ。僕は届けて当たり前だと改めて心に刻む。それまでヤイナラハさんが持ちこたえてくれないと……
「お気をつけて」
 トウコさんが祈るような面持ちで僕に継げる。魔女の女の子もじっとヤイナラハさんを見つめている。
「おいしい物見つけておきますから早く戻ってきてくださいね」
 自分のスタンスを崩さない人だ。僕は笑みを作って「はい」と応じる。
「行こう」
『OK』
 いつもは電気自動車のように静かなマジックドライブが鋭い唸りを挙げる、決して大きな音じゃないけれど、エルの思考はやる気そのもののようだ。
 躊躇う時間は不要だ。飛び出してしまえば僕は戻るなんて事をしない。彼女の命を抱えたまま右往左往する方がよっぽど怖いから。
 情けない理由かもしれないけど、結果オーライなら、それで救えるなら何だっていいじゃないかと自分に言い聞かせる。
 気付けば周囲には風があった。メーターは60Km。舗装されていない路面を走るには実はかなり厳しい速度だ。サイドカーがついている分転倒の畏れは少ないが、地面を上手に噛めないために下手に曲がろうとするとそのままドリフトしてしまい僕は投げ出される事になる。
「エル、飛ばせるところは飛ばして」
『OK。久々に本気出すわ』
 けれども真っ直ぐ走る分には気にする必要もない。この荒野はひたすら何も無い。避けるべき障害物すらも。あるのは探索地域の中にある未探索地域のみだ。そこを迂回するカーブだけ気をつければいい。
 メーターがぐんぐんと跳ね上がり肩に掛かる風が、背を流れていく力がぐっと重くなる。メーターが100を越えるとエルが加速を落とした。たまに踏む石が車体を揺らし、腕を苛むのを感じる。今はまだ余裕だ。でもずっと続くと相当のダメージになる気がする。
 休みなしで約3時間。途中で休憩を入れた方が早いのではないかという思考が流れるが十分やそこら休んだだけでどうとなるとは思えない。むしろカーブを強いられる場所でエルにハンドルを預けた方が良いだろう。
 割り切る。僕さえ乗っていればエルは一人でも走れる。僕に要求されているのはテクニックではなくただこの3時間足らずしがみついていることだけだ。
『情けなくなんて無いわよ』
 僕の思考を読んでエルが楽しそうな声を放つ。
『あんたはこうしてここで走ってる。それだけでも誇れるじゃない』
 ありがとうと、声にできない声で応じる。
 車体が揺れる。タイヤは容赦なく石を食んでは体全体を揺さぶってくる。ヤイナラハさんはバンドで体を固定しているけどその分衝撃も逃がせないはずだ。僅かに視線を向けると力なくうつむいたまま振動に踊っている。
『大丈夫、ちゃんと生きてるわよ』
 エルの言葉に安堵と、そして焦りが心に生まれる。彼女の状態は『まだ』生きてるようなものだ。
『気合を入れて。そろそろ迂回エリアよ』
 僕は頷き、正面を見据えた。停まれない。戻れない。誰かが死ぬのは怖いから。誰かを救えないのは怖いから。
 唯一の手段─────彼女も、僕の弱い心も救えるのはこの道を走りきることだけだと信じて、必死にエルにしがみつく。それだけをただ必死に続けていく。

  ◆◇◆◇◆◇◆

 防護壁を完全に設置し終えた衛星都市はちょっとしたお祭りムードであった。
 クロスロードと比べれば貧弱に過ぎるが高さ3mもある壁がぐるり町を取り囲めばその安堵感は大きい。
 誰からとなく酒を飲み、それが伝播してちょっとした騒ぎになっても仕方の無い話なのだろう。
 そんな中、その光景をうらやましく思いながらも流石に仕事を放り出せず頬杖付いた管理組合組員が居る。
「むくれ顔しないの」
「だって非常コールの番なんて退屈ですよ」
 同僚の諌めに口を尖らせて返答。この数週間、周囲に設置した探査機が反応を返した事など殆ど無いし、あっても大した問題では無かった。
「外は祭り騒ぎだって言うのに」
「そういう時の慢心が一番危険です」
 一際澄んだ声音に二人の組員がびくりとして背筋を正す。
「お気持ちは分かりますがお仕事はきちんとお願いしますね」
「「は、はいっ!」」
 声の主────メルキド・ラ・アースという名の女性はくすりと笑って空いている椅子に腰掛ける。
 管理組合の中には一応階級のようなものがある。どちらかと言うと会社の役割のようなもので『主任』や『課長』といった肩書きだ。
 彼女は東砦管理官という肩書きが主で、部長職よりももう一つ上の役職である。
 見た目は若い女性だが、その実力は昼間に誰もが見たとおり。たった一人で防壁を作り上げるほどの土使いである。
「来週には補強建材も届きますから、そうすればひと段落です。よろしくお願いしますね?」
「はいっ!」
 物腰穏やかなお嬢様に微笑まれては頑張らざるを得ない。そんな感じの朗らかさが広がりかけたとき、けたたましい音と赤い光が仮設事務所を満たした。
「なっ!?」
「状況報告を!」
 鋭い声に次々とスクロールする画面に目を走らせる。音に驚いて駆け込んできた他の組合員も状況を確認するために自分の席に着く。
「かっ! 怪物です。南方よりその数……計測不能っ!?」
「西方からも大群が接近しています。距離4000っ!」
「進軍速度から明朝には先鋒が衛星都市に到達しますっ!」
 アースは次々と送られてくる言葉に顔色を変えつつも「伝令を飛ばしなさい!」と声を発する。
「緊急警報を発令。事態を知らせ、戦闘能力を持った人には協力要請を」
 こういう時、強権を発行できないのが辛い。彼らは今すぐ尻尾を巻いて逃げ出す事も選択できるのだ。
 一人でも逃げ出せばそれに続く者は一気に増える。警報を発した瞬間にそれが起こると分かっていても管理組合の立場として秘匿する事はできない。
 次々と組合員が走りだし、報告は矢継ぎ早に繰り出されていく。
 その全てを聞き分け、応じながら背中の冷や汗を気持ち悪く思う。
 ここがクロスロードであればここまで焦りはしないだろう。信頼できる仲間も居るし強固な防衛線はあの悪夢を乗り切った実績を持つ。
「エンジェルウィングスに協力要請を。敵数の確認と空爆を行います!」
「飛行能力を持つ組員を終結させます」
 遠くからざわめきが聞こえ始める。事態が知れ渡り始めて居るのだろう。
 幸いとも言うべきは彼らが無力な一般人で無いことだ。混乱が小さいというだけでもありがたい。
「……」
 一通りの指示を終えて彼女はゆっくりと立ち上がる。
 自惚れるつもりは無いが自分はこの衛星都市でも上位の戦力を有するはずだ。ここで座しているわけには行かない。その上彼女の扱うゴーレムは損耗しても痛くない兵力である。
「防壁が出来た後でよかったと言うべきでしょうかね」
 ぽつりと零して仮設事務所を出る。
 月が変わらぬ夜だと言わんばかりに静かに輝いていた。それを様々な思いを秘めて、されどただ見上げ、彼女は荒野へと赴く。
かつての願いとかつての呪いと
(2010/09/13)

 まだ、死んでないのか。
 表層に浮かんできた意識は真っ先にそんな事を呟いた。
 右腕は熱く、自分の物でないような、手の形に痛みと不快だけを詰め込んで無理やり肩にくっつけたような不快感だけを残している。
 「ぜぇ」と情けない音が喉からこぼれた。汗が溢れるように出ているのに寒くて仕方ない。痛みと不快感意外の感覚が殆どなく、動かそうにも体の動かし方がどうにも思い出せない。
 もしかするとこれは夢の中かもしれない。自分が自由に動かせられない感覚は良く似ている気がした。
 顔面を風の流れが撫で続けている。
 体の芯を揺れが荒らし続けている。
 何もかもが遠い感覚の中で俺はすぐに沈みそうな感覚を繋ぎとめる。
「あ゛……」
 途端に肺が暴れた。喉を削るような咳に全身が引き裂かれるような痛みをぶん回す。「あ」とも「が」とも知れない呻きが自分ではない何処からか漏れて虚空に消えた。
「─────さんっ! ヤイナラハさんっ!」
 声。
 風が消えた。
「大丈夫ですか!?」
「んぁ……」
 死に掛け男が変な兜ごしにこちらを見ている。
 ……死に掛けは俺の方か。
 馬鹿馬鹿しくなって笑いたくなるが、顔は痛みに引きつったままだ。目もまともに開けてられない。
「大丈夫ですか!」
「……」
 喋らせんな馬鹿
  ────めんどくさい。さっさと殺せ。
 俺の体は死に掛けている。間違いない。体が冷えかけているのに俺をぐるぐる巻きにする毛布だかなんだかがそれを許してくれない。
  ────冷え切っちまえば、この苦しみから解放されるのにな。
 死は怖い物じゃない。戦えばどちらかに与えられる物だ。今までは俺の方に来なかった。今回は俺だった。それだけの話じゃねえか。
  ────だから、余計な事をすんな。
「余計な事じゃありません!」
 焦点が揺らぐ。
 俺、口に出してたか?
「トウコさんも、魔女の子も貴女を心配しているんです! 決して余計な事じゃないです!」
 何必死になってんだよ……
 鼻で笑いたい。でもそれをするだけの余裕が無い。ああ、苦しい。チクショウ
 けれど、あのおせっかいのトウコの事だ。死ぬと文句を言うんだろうな。……魔女の子ってルティの事か。アイツが心配してるとは思えねえけど。
「ルティさん、も僕に貴女の事をお願いされました。だからクロスロードまでは頑張ってください!」
 ……
  ……
 テメェ。
 俺の思考を読んでやがるのか?
「エル───このバイクが貴女の意識を読んで僕に伝えてくれているんです。
 ヤイナラハさん。もう半分まで来ています。もう少しだけ頑張ってください!」
 バイクが、だと?
 この乗り物になんでそんな妙な機能があるんだ。
 クソ、頭が回らねぇ。もう良いじゃねえか、俺は別に生きたいわけじゃねえ。こんな苦しい思いまでして─────
「でも─────!」
 ったく、なんでテメェが泣きそうな顔しやがる。
「貴女は生き続けるために、剣を取ったはずじゃないんですか!?」

 ───────
  ────────

 チクショウとそう呟きたかった唇が僅かに震える。
 意識が薄れ、現実とも夢ともつかない状態でそれが引っ張り出される。
 それは記憶の奥底に沈めた記憶。
 思い出す事すら拒絶して無くしてしまいたかった記憶。
 いや、現に今の今まで忘れていた記憶だ。

 背中に冷たい壁の感触。
 季節は冬、外は雪が降り積もり、寒さと静寂だけが世界を支配していた時。
 足先に真っ赤な液体が床を滑って流れてきた。素足がそれを熱いと───本来持ちえる熱以上の温度を感じる。
『───────────!!!!』
 狂った、言葉にもならない怒鳴り声。
 やせ細った体、その腕には生々しい赤を滴らせた刃がほんの僅かなともし火に照らされて輝いている。
 ──────────────
  ──────────────
 視線が揺れるように下に落ちる。
 赤の流れの先にこちらへ手を伸ばし、しかしもう動かない物体が転がっている。
 もう動かない。その全てを吐き出しながら息絶えてしまった物がある。
 
 ───明確な『死』の形。

 見開かれた目。瞳孔はゆっくりと開いていくのが何故か良く見える。
 死のカタチ。
 この女性は死んだ。そして人間から死体へと推移していく。
 赤い────女性から零れた血が足を塗らしていく。
 男が喚く声が遠い。言葉を理解できない。怒り、困惑、悔恨と、そして言い訳。
 閉じ込めていた記憶は鍵が開いた瞬間に留まる事を知らずにあふれ出す。
 女は母親で、
  男は父親のはずだ。
 季節は冬で
  田畑は魔物に荒らされ
 人々は飢餓に苦しんだ。
  だから、村は子供を殺す事を決めた。
 俺の───わたしの母はそれを最期まで拒んだ。
 わたしを殺すならば、自分が死ぬと、父にそう言った。
 父は優しい人だった。そして母を愛していた。平和な時代ならばいつまでも幸せに正しく生きていける人だった。
 だから、村で決まった決断に、真っ先に心を砕かれ狂った。
 村の決定はその村だけの狂気でない。免罪符のような言葉に縋り、母を愛するという神に誓った言葉を遵守することに心を固執させ、耳を塞いだ。
 まるで娘を───わたしをバケモノのように見つめ、巻き割りの鉈を手に、必要な事だと呪詛のように繰り返し、目をぎらつかせた。
 自らが断末魔を上げるような雄叫びがいつまでも耳に残り、そして、容赦の無い一振りは、わたしにいつまでたっても届かなかった。
 影が掛かっていた。
 ぎらついた父の目は遮られていた。止めに入った母の肩口を抉り、心臓まで達して停まっていた。
 母を愛し、母を守る事を己の正しき事だと定め心を守ろうとした男は、一番の禁忌をあっさりと自らの手で犯した。
 心は信じない事を選んだ。母は死んだ。わたしの手で死んだのだと。叫び、笑った。悪魔の子だと、罵り、己の手にある刃すらも見えないかのように、仇だと蔑んだ。
 わたしを守ろうとした母の目は私を見ている。
 死体は何も言わない。何も語らない。でも私を見ていた。段々と濁っていく目玉はただ私だけを見ている。
 わたしを守ろうとした、わたしの母は、わたしのために、死んだ。
 わたしは─────母のために死んではならない。わたしが死んだら、母は何のために死んだのか。
 ─────死ね、悪魔の子!
 絶叫に体が動いた。本能だけの回避行動。振り下ろされた鉈は床を割るように貫き、狂人と化した父は己の為せなかった事に更に憤慨する。
 割れ爆ぜた木片が手に当たる。鋭利で、ナイフのようなそれを咄嗟に握り締める。
 変に引っかかった鉈を抜こうと躍起になっている男がこちらを血走った目でぎょろりと見た。
 恐怖。
 体の内から迸るそれが脳みそを沸騰させる。死にたくないという思いが、死んではならないという願いが無我に体を動かしていた。
 衝撃。
 驚いたような父の表情が目の前にあった。
 僅かに胸元を見て、それから先ほどまでの狂った瞳を幻のように失せた彼はこう、言ったのだ。
「良かった」
 と。
 手には熱。けれども体は自分が死んでしまったかのように冷め切っていた。
 焼けるような熱。
 父は安堵するように、そして私を哀れむように倒れ、そのまま事切れた。
 胸には木片。鋭いそれは反動でわたしの手を引き裂いている。痛い。それ以上に熱い。
 二つの死が目の前にある。そして震えの停まらぬ、体の芯まで凍りつきそうなのに、手と足の熱が消えない私が居る。
 どくり、どくりと心臓が生きている事を証明するように脈打つ。
 目の前の二人にはもう無い脈動がその差を声高に主張していた。
 わたしはわたしの行為が理解できずに───理解したくないままに、視線を彷徨わせる。
 夢───間違う事なき現実が目の前にある。
 父だった物の手に鉈があった。ぬらりと母だった物の血を鈍く鮮明に輝かせるそれがわたしを誘っていた。
 死にたい────わたしが死ねば、母は父と幸せに暮らしていけたはずなのに。
 その鉈が母ではなくわたしを貫いていれば。
 だから正しい帰結のために、私はその鉈で死ななければならない。そしたら二人は幸せに暮らせるはずだ。
 幽鬼のように鉈へ手を伸ばそうとして、何かを踏んで転ぶ。手も足もガタガタ震えてまともに動いてくれない。衝撃に閉ざされ、開いた視界に母だったものの顔があった。
 わたしを見ていた。
 わたしを守った人がわたしを見ている。
 鉈には手が届く。その刃を喉元に突きこめば、わたしも同じになれる。頭も体も壊れそうなすべての感情から開放される。幸せに暮らせる。
 でも、その目は呪縛する。
 わたしの死を拒絶した人の目がわたしの行為を認めてはくれない。
 わたしは生かされた。
 父は最期に良かったと、あの優しい目で言った。
 わたしに死を迫り、でも本当に殺さなくて良かったと。
「ああ」
 声が漏れた。
「あああああああああああああああああああああ!!!」
 そこからは、良く覚えていなかった。

 記憶が飛ぶ。
 目の前には無残に死んだ何者かが居た。
 体の真ん中からくの字に折れ、体を守るはずの鎧がひしゃげていた。
 多分ハンターで、しかし魔物にやられたのだろう。
 わたしはその傍らに居た。
 この男を殺した魔物はすでにその場に無く、男の死体だけが雪に浅く埋まっていた。
 わたしは男の荷物を漁っていた。荷物の中の干し肉を齧り、水を飲む。
 男の荷物の中にナイフもあったが
 ────死ねない。
 心を縛る呪いがわたしに死を選ばせてくれない。だから男の荷物を剥ぎ取り、彷徨った。
 たどり着いたのは狩猟用の小屋だった。村の猟師は秋口に魔物に殺されたため、使う者の居ない場所だった。わたしはそこで静かに春を待ち続けた。

 雪解けの季節になった。
 狩猟小屋に隠されていた保存食と、男の死体から奪った食料で食いつないだわたしはいつの間にか生きる事だけを呪詛のように考え続けていた。死ねない。ならば生きるしかなかった。
 自分の手を見る。小さくて簡単に折れてしまいそうな腕は生きるためには余りにも頼りない。
 死ねないから生きる。生きるために死を忌避する。どうすれば生きられる?
 食べる事。それを得る手段が必要だった。
 男の持ち物の中には貨幣があったけど、それがどれほどの価値かは分からない。子供はお金に触らせてもらえず、行商人の相手は村長と村の偉そうな大人の特権だった。
 街に行けば買い物ができるのか? でも盗んだ金で、子供がお金を持っていることを不審がられないか?
 わたしは街の存在は知っているけど街に行ったことはなかった。子供の中で一番の年上のおねーさんが去年の夏に特別に連れて行ってもらったことを自慢していた。荷馬車で半日くらいかかると言っていた。
 雪が溶ければここに誰かが来るかもしれない。そうしたらわたしは殺されるかもしれなかった。
 死ねない。
 だから男の服を外套のようにしてわたしは持てるだけの物を持ってそこから立ち去った。

 二日歩いた。
 足はぼろぼろで、夜は獣に怯えて寝ているのか起きているのか分からない状態だった。逃げるために無理に歩いて、寝るに寝れない夜に怯えた。
「生きてるか?」
 声で気付く。わたしは倒れていた。そしてハンターの女がわたしを見下ろしていた。
「死ぬ前に聞きたいんだけどさ」
 死ぬという言葉に体が震える。
 朦朧とした意識の中でただ死にたくないと願った。
「あんたの着てるヤツ、どこで手に入れたんだ?」
「─────」
「あ?」
 女がわたしに顔を近づける。
「────ない」
「もうちょっとはっきり言えねえか?」
「し……ねない」
 女はきょとんとした顔をこちらに向けて。困ったように、でも楽しそうな笑みを浮かべた。

 ぱちぱちと木の爆ぜる音。瞼の向こうがオレンジ色に染まっていた。
「あ……」
「お? 起きたか?」
 女が火の向こう側に居た。枝で焚き火を弄り、こちらに視線を向けている。
 それから鍋から何かをそそぎ、わたしの横に座る。
「ほれ」
 差し出されたそれに嗅覚が先に反応する。でも手は上手く動いてくれない。
「仕方ねえなぁ」
 口元に近づけられたそれをわたしはゆっくりと喉に流し込む。塩っ辛いだけの水という感じだったと思う。でも冷え切った体に火が灯るような感じがあった。
「どうだ?」
「……」
 何と応えればいいのか。困惑するわたしに「礼くらい言えよ」と女は不満げに口を尖らせる。
「ありが……とう」
「おう、素直じゃねえか」
 がしと乱暴に頭を撫でられる。女の人にしては大きな手が─に似ていて。
 わたしは引きつるような胸の痛みを堪えきれず、ぼろぼろと涙を流した。

 夜は終わり、朝日が木々の間から差し込んでいた。
 右肩に暖かさがあり。髪が頬をくすぐった。
 寝息。
 右隣にはあの女が居て、わたしごと毛布に包まれていた。
 ゆっくりと意識を取り戻す。目がはれぼったくて、毛布から出てる膝や足先がとても冷たくて。毛布に包まれた体と触れ合う部分がとても暖かい。
「ん、お。起きたか?」
 わたしの動きに気付いたのか、女がそんな事を言って大きなあくびをした。
「まぁ、メシ食うか」
 わたしは応えるべき言葉もわからず、ただ引きつるような空腹感が反射的に頷かせた。
 昨日の塩辛いスープと固いパン。女はパンをスープにつけて齧っていた。それに習って食べると歯が立たないほどのパンもぐずぐずに溶けて食べる事ができた。
「ふう。んで、いい加減聞きたいんだがさ」
 あっという間に食べ終えた女はわたしを見据えた。
 狼みたいな人だと思った。生きていたときの猟師が言ってた言葉を思い出す。狼は獰猛で恐ろしい狩人だが、仲間を大切にする優しい動物だと。そのイメージがぴたり当てはまる人だと思う。
「その服、つーか外套みたいにしてるのは何処で拾った?」
 死んだ男から奪った物。それを正直に答えていいか数瞬悩み、まっすぐに見つめてくるその目の圧力に負けて、わたしは正直に話していた。
「そっか。まぁ、帰ってこねーから、そんなことだろうとは思ってたけどな」
 女はわたしを怒るわけでもなく、仕方ないと苦笑いを漏らすだけだった。
「まぁ、そのおかげでお前が生きられたんなら、あいつも最後にいい事をしたって事で良いんじゃねえか?」
 死を良い物と言う、それにずぐりと心臓がすくみ上がる。
『良かった』
 忘れていた。忘れようとしていた光景が目前に浮かぶ。
 手足が火にでも触れたかのように熱を帯び、呼吸ができなくなる。
 視界が揺らぐ。あの光景が混じ合う。
 熱、痛み、汗が吹き出る。内臓が暴れ回り、呪詛が世界中に響き渡る。
『良かった』
 『良かった』
  『良かった』
 優しい、父の目で、死に瀕した男が、わたしを殺そうとした男が
 母を殺した、身代わりになった、わたしの代わりに
「落ち着け」
 ぐいと首に腕を回されて引き寄せられる。
「こんな時代だ。何があったっておかしくはねえけどな。
 今、お前は生きてるんだ。だから過去を見るな。先を見ろ。
 だってお前は─────」
 女は鋭く、けれども優しい目でわたしにこういった。
「俺に、死ねないって言ったんだからな。だから生きろ」

 記憶が飛ぶ。
 わたしは、いつしか俺になり、あの人の真似をして、そして生きた。
 数年が過ぎ、俺は故郷から遠く離れた空の下にいた。
「しくじったなぁ」
 女は空を見上げて困ったように笑った。
 周囲は阿鼻叫喚の地獄と化していた。砕かれた家、転がる死体。崩れた壁の裏で魔物の大侵攻に逃げもせず戦った女は深手を追っていた。
 俺も女に手ほどきを受けて戦い方を多少は覚えていたけど、女には遠く及ばない。
「……死ぬのか?」
 いくつもの死を見てきた。だからそれは予想でなく、どうしようもない事実だと理解している。
 なのに俺はそう聞いていた。
「死にたくねーなぁ」
 茶化すように呟いて、しかし言葉尻はにごりを帯びる。
「お前に教えたい事、結構あるんだけどなぁ」
「……」
 忌まわしい赤が女の腹部を綺麗に染め上げていた。
「まぁ、仕方ない。お前は生きろ」
「仕方ない……?」
 どうしてそんな顔ができるんだ?
「生き残る事が出来たら勝ちだって、言ってたじゃないか」
「だから俺はここで負けだな。だからお前は勝て」
「意味が分からない!」
「分からなくて良いさ。できりゃ一生分からないままいてくれ」
 女はそこまで言って大きく息を吐き、それから手を伸ばして俺の頭を掴むように撫でた。
「お前は死にたくないって俺に言った。だったら生きれるさ。俺よりも立派に」
 死ぬなんて信じられないほどしっかりと俺の頭をかき混ぜ、そしてそれは不意に力を失った。
 俺はどうしようもない喪失感が錘のように背中に圧し掛かるのを感じながら、腰の剣を触れる。
 女が自分の剣に似ていると面白がって買い与えた剣。女の物はすぐそこに突き刺さっていた。
 阿鼻叫喚の地獄は続いていて、女は死んだ。
 俺に生きろと言って、
『─────』
 どいつもこいつも勝手な事を言う。
 俺は女の剣を手に取る。足音がこちらに向かってきていた。
 泣くわけにはいかない。視界が歪めば生き残れない。
 俺は、また一つ心臓に呪いの言葉を絡めて立ち上がった。


 カハと息を吐く。
 手前がなんでそれを知ってやがる。
 夢だったのか。俺の体は風と振動の中に居た。
 俺が起きた事を知ったのだろう。ユキヤが僅かにこちらに視線を向けた。
 速度が生む暴風の中で、こいつが何を言っても俺には届かないはずだ。
 だが、声が届いた。

 ごめんなさい。事情は全て、貴女が無事だったら説明します。
 
 ケと。悪態をつく。
 体を蝕む熱は大きくなるばかりだ。苦しいのはもうたくさんだ。
 だが、心臓に食い込む呪いが命を投げ捨てる事を許してくれない。
 俺は剣を捨てられなかった。
 双剣────元々はひとつずつの剣は女が俺にかけた永遠に解けない呪いだから。
 ただ生き残る事。死にたくないという願い。
 母の意志と
 父の安堵と
 女の笑みと

 剣を捨てられない理由を抱き、平和な時代を呪い。
 俺はこの世界に居る。
 それはいつか同じように誰かに呪いを掛けて死ぬためなのだろうか。

 それは、違うと思います。

 燻るような怒りが静かになろうとした心を炙る。
 じゃあ、何だって言うんだ。

 みんな、貴女に生きて欲しいんです。
 トウコさんも、魔女さんも、そして僕もです。

 本当に、心の底から思う。
 どいつもこいつも勝手だと。 


 忘れようとした記憶。
 忘れていたと思っていた記憶。

 死を前にして、忘れても失えなかった記憶の中の連中は安堵を覚えていた。
 それは死が救いであると俺に囁き続けていた。
 俺は殺す存在で、相手も俺を殺す存在だ。
 だからどちらかが生き、───苦しみを背負い。
 どちらかが死に、───安らぎを得る。

 記憶の不成立が矛盾を飲み込んで、俺という存在がある。
 死ぬな、か。
 死を前にして、どいつもこいつも、勝手にそう言う。

 畜生。

 じゃあ、こんな苦しい思いまでして生き続けなきゃならねぇ理由まで教えてくれよ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

『どういうことだい?』
 エルの問いかけに僕は暫く沈黙し、それから覚悟を決める。
「アルカさんは、ヤイナラハさんの頭────脳の形を参考に僕の治療をしたらしいんだ。
 ……それで僕は彼女の記憶の一部を共有したみたいなんだ」
『……だからユキヤに感応しているあたしはこの子にも感応できたわけね』
 多分そういうことだろう。魔法的なことは良く分からないけどその答えが一番しっくりくる。
 アルカさんにヤイナラハさんの記憶が流れ込まないようにしてもらったけど、エルを介したために彼女の夢が僕に流れ込んでしまったんだろう。
「僕を助けてくれた理由でもあるんだよね。多分」
 彼女の性格なら僕を見捨ててもおかしくは無かった。でも、彼女は僕を見捨てられない理由があった。
 彼女はきっと『女』と表した彼女の師匠みたいな人の気質を受け継いでいるんだろうと思う。
『教えるの?』
「教えるって?」
『ユキヤがこの子の記憶を覗き見たこと。この子は絶対に許さないと思うわよ?』
 多分そうだろう。でも、
「約束したし、ね?」
 故意ではないとは言え、間違いなく彼女にとって知られたくない部分だ。それを知ってしまった僕はそれなりの事をしなきゃだめだと思う。元より彼女に二度も救われた命だ。
『随分と大人に、男になったじゃない』
 そうだろうか。いざ喋ろうとすると怖くて逃げ出したくなるのは情けない事に容易に想像できるんだけど。
『無茶しろ、危険な事をしろなんて押しつけを受けなくてもいいんだけどね。
 そうやって一歩だけでも前に進めるんならそれは成長と思うわよ?』
「……勝手にアクセルを吹かそうとしてる人が何を言ってるのかな」
 冷ややかな突っ込みは無視したらしい。
 今のうちに文句を言おうかと考えた瞬間、急にドライブの回転数が上がる。
「ちょっ、エル!?」
 反撃にしては露骨だ。僕だけならまだしもヤイナラハさんが居るのに────!
『右正面っ!』
 警告の声に視線を向ければ右斜め45度くらいの先に何かが動いているのが見えた。100mくらい先にたぶん人間の子供くらいの人影が……10以上居る。
『ゴブリンみたいね』
 その名前はいくらなんでも知っている。RPGでおなじみの雑魚モンスターだ。
 とはいえ、僕は勇者でもなんでもない。一般人からすれば雑魚も脅威でしかない。それが────
『気付かれたわ。迂回するわよ!』
「っ!?」
 左へハンドルを切ると同時にクロスロード方面へ走っていた一団がこちらへと向きを変えてくる。
『しっかりつかまって!』
「え?」
 直後、正面を赤いものが走り抜ける。火?!
『ゴブリンのメイジ種だわ! 面倒な!』
 つ、つまり魔法を使うゴブリン!?
 思わず見てしまったその方向から大量の赤が飛び込んでくる!
「うわぁあああああああ!?」
『落ち着きなさい!』
 落ち着いていられるもんか! それは次々と飛来して、僕の後ろを走り抜けていく。
『とにかく斜角を取るわよ。直線に入ったら直撃するわ!』
 狙った位置よりも僕たちが前に出てるから僕の後ろを火の矢が走り抜けているってことはわかる。ゴブリンの頭が良ければすぐに修正してくるかもしれないけど、今はまだ何とかなってる。
「エル! 急いで!!」
『急ぐから捕まって喋らないのっ!』
 がつんと車体が跳ねるように跳ぶ。僕はヒィと情けない声を漏らしながら必死でハンドルにしがみついた。ガチガチと歯がぶつかってぐっと奥歯に力を込めた。
『走ってれば当たらないわよ!』
 本当に!? とその瞬間、メットの後ろがジッっと音を立て、首が衝撃で傾ぐ。
 !?!?!?
『セーフよ、セーフ』
「───────!?」
 自分で何言ってるのかわからない。頭が真っ白になり、もう自分が現実に居るのか夢の中に居るのかすら分からなくなった。
 どれだけ時間が経っただろうやがて着弾の音がなくなり、僕は恐る恐る顔を上げた。
『オッケー、撒いたわ』
「……オッケーじゃないよ……」
 胃が痛い。なんとか五体満足で潜り抜けたようだけど……。ヤイナラハさんの方も特に問題はなさそうだ。ただ顔色は相変わらず悪いし、息も荒い。
『あたしの速度があれば怪物なんてなんとでもなるのよ。信じなさい!』
 確かに。チーターなんかだと時速百キロを超えるらしいけど持久力が無い。草むらの傍ならともかく果てしなく荒野で隠れる場所のないこの世界ならバイクで振りきれない事は滅多にないんだろう。
 ないんだろうけど
「心臓が止まるかと思った……」
『情けないわねぇ』
 苦笑いの声音に「情けなくて良いよ」とホントに情けない声を出す。
『まぁ、ただのゴブリンならもっと楽だったんだけどね。……』
 軽口の後の不意の沈黙にゾワリと心が騒いだ。
「エル?」
『飛ばすわ』
 淡々とした口調。それは暗に「振り向くな」と言っているようで─────
『おかしいわね。こんなことないはずなのに……』
 聞いた事もないような焦りの声に被るように、からすの鳴き声を濁らしたような声が大音量で響き渡った。
「エル……!?」
『大丈夫。信じなさい!』
 かすかに聞こえる羽ばたきの音。空から何かが迫ってくるのがわかった。わかりたくないけど分かってしまった。
 っ!!!!!
 バックミラーに一瞬映ったその姿は牛のような巨体にそれを支える巨大な翼を持った生物だ。
 確か─────────
「グリフォン!?」
『正解っ、逃げるわよ!』
 もう一度、咆哮が耳をつんざき、心臓を竦みあがらせる。羽ばたきの音はちっとも離れず、僕達の後ろをぴたりとついてきていた。背中を掻き毟るような感覚はグリフォンの視線だと感じた。
『マンティコアじゃないだけラッキーだと思ってなさい!』
「違いが分からないよ!」
 聞いた事ないような唸りを上げ、エルは更なる加速を開始した。
災厄の前夜にて
(2010/09/25)
「大襲撃……!」
 言葉の意味は知っている。ターミナルに訪れた者で知らない者はまず居ない単語で、しかしその途方も無い数に対して実感を伴うのは難しい。
 観測されたその総数は10万以上。今も増え続けていると言う。
 トウコは管理組合からの発表に呆然とし、続いてヤイナラハを先に送り出せて良かったと安堵する。
「ここから撤退するならエンジェルウィングスが支援するそうですよ。どうします?」
「……」
 数万の敵とやりあうなんて正気の沙汰ではない。しかし怪物の中には移動速度に優れている者も多く、背後を襲われる可能性も非常に高い。幸いにもこの街の防壁はその形だけは完成させているし、防御用兵器の姿も見受けられる。
 目を閉じて深呼吸。それから傍らで本を読む魔女に視線を転じた。
「ルティさんの意見は?」
「任せる」
 予想を裏切らない率直な言葉に苦笑。
「私は残る積もりです。クロスロードまで戻るにもリスクが大きいでしょうから」
 ルティは顔を上げ、頷いてから再び本に視線を落とす。
「街は比較的そんな雰囲気だよ」
 レイリーは窓辺に座って路地を見下ろす。人々の動きは慌しいが逃げる準備でなく徹底抗戦のための準備だ。
「貴女はどうするんです?」
「待つよ?」
 何をと言わんばかりの回答にトウコは少しばかり表情を翳らせる。
「……でも、ユキヤさんは……」
 彼女は地球世界に措いて『力を持った』稀な存在という立場だった。だから一般人がどのような物かも客観的ではあるが理解している。
 ユキヤは良くも悪くも一般人だ。そんな彼が死地となりつつある場所に来る理由も、そして意味もない。
 レイリーだってエンジェルウィングスの一員なのだから優先的にクロスロードに戻る事も可能だろう。
「私のピンチに駆けつけてくれるとかドラマチックじゃないかなぁ?」
 脳に何か湧いたようなことをずけずけと言いながらも
 ────目は笑ってませんね。
 トウコはそれだけを確認して瞑目する。
 レイリーという女性は頭のネジを落としたような言動を好むが、その行動の軸は定まっている。最終的にユキヤさんを送り出したのも彼女だ。
「今、うちには前衛が欠員しています。共闘しませんか?」
 トウコの言葉にレイリーはちょこんと小首を傾げる。それからややあって「おっけー」と軽く応じるのだった。

  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ひぃっ!?」
 とんでもない圧力が背中に迫り、左肩を何かが掠めた。
『しつこいわねっ!』
 かれこれ二十分はチェイスを続けているがグリフォンはいっこうに追撃を止めようとせず、ユキヤに手を伸ばし続けていた。
「ど、どうにかならないの?!」
『ならないわね。武装を積んでないもの』
「じゃあ!?」
『逃げるしかないの! 多分そろそろ────』
 威圧感が薄れる。思わず振り返るとグリフォンの姿が背後に無い。
「助かった?」
『上よ!』
 見上げようとして風圧に胸を打たれた。慌てて体勢を戻す。
『避けるわよ!』
 刹那───急減速からのターンに僕はより一層腕に力を込める。盛大に土ぼこりをあげて車体が回転するように滑っていく。体とサイドカーとの連結部がギシギシと悲鳴を上げた。
 砂煙だらけの視界の右を巨体がすり抜け、大地を抉る鈍い音が響く。メット越しにも獣の臭いが鼻を突く。
 速度はほぼゼロにまで落ちている。翼を有しながら四足を持つ怪物は外したことに戸惑いもせず、飛び掛るための動きに移行していた。
 ドライブが唸りをあげるが、タイヤが荒野の土を噛めない。長すぎる数秒のうちに少しずつ車体が加速を得ていくが─────
『───────!!』
 どんな音で表現していいのか分からない、鼓膜を震わせる音。ぐおと太い腕が振り上げられて土煙を上に裂く。直後にゴリと洒落にならない音が車体を揺らした。
 間一髪、爪が後部のBOXを削り、

『ぎゅぐぐぐるる!?』

 中からあふれ出した液体がグリフォンの目に直撃した。
『ラッキー!』
 エルが喝采を上げて同時に速度をかっ喰らう。水の入れ物まで削ったんだと悟る頃にはグリフォンは立ち直り、ばさりとその巨体を持ち上げるために巨大な翼で空気を打った。
『ユキヤ、確認して! ここの位置は!?』
「確認!? えっと……」
『南砦より南西2kmです』
 PBからの回答に視線を転じれば正面にぽつりと建物の影が見えた。
『信号弾揚げるわよ!』
 ぱすという音と共に空に白の煙が花開く。あの砦からでも見えるはずだ。

『ぐぎゅぅううううううううあああああああ!!!』

 怒り狂った声が淡い期待を恐怖に染め上げる。
 助走をつけて飛び立ち、一直線に迫ってくるのをミラーで確認し、とにかく前へと願う。
 そんな僕の上を影が走った。
 続くのは爆発の三連打。
『ついてるわね。近くに居たみたいだわ』
 風を切る音と共に空を舞う巨体が僕らの上に影を落とす。
「大丈夫ですかー!」
 飛竜だ。そこから身を乗り出して声を掛けてくれる女の子に僕は心からの安堵を込めて手を振る。
『クロスロードの防衛圏内に入ったわ。一気に行くわよ!』
「うん!」
 どっと疲れが出て、それ以上に今更ながらに恐怖が滲み湧き、体がどうしようもなく震えるけど、ぐっと力を入れなおす。
 あと少し。
 視界を大きく埋め始めた南砦の姿を見て、僕はぐっと手足に力を込めた。
 
  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「大襲撃、ですか?」
 声が聞こえた。
 ぼんやりとした視界はどこまでも広がる空ではなく、どこかの天井を見ているのだと悟るまで数秒。
「うん。今増援部隊が絶賛募集中にゃよ」
 甲高い声に妙な語尾。意識が覚醒して俺は上体を起こす。
「うや? やっちゃんおはー」
 気楽に笑う猫耳女。つまりここは
「体の調子はどう? 多分解毒はほぼ完璧だけど」
「……生きてるのか」
 俺の呟きに猫娘は少しだけ言葉を詰まらせ、それから苦笑じみた笑みを浮かべて
「ばっちり。けっこーヤバかったけどね」
 と肩を竦めた。
 二本あるしっぽがゆらゆらと踊る。猫女の前に座るのは……
「良かったです」
 心の底から安堵の笑みを浮かべる死に掛け男の姿。
 俺は目を閉じて胸の中にある忌々しさを全部吐き出すように深く息を吐いた。それからぼすんとベッドに横たわる。
「余計な事しやがって! とか言いそうな雰囲気なのに素直ぢゃん?」
「うっせぇ」
 悪態を吐く外無い。情けなすぎるだろ、流石に。
「お茶が……あ、ヤイナラハさん。目が覚めたのですね」
 翼の女が盆を手にやってくる。それをテーブルに置いてから俺の傍らに立つと「失礼しますね」と手をとった。
「感覚はありますか?」
 ぐにぐにと握る手は折れそうなほどに細くて白い。俺のと違うと場違いな事を考えていると不安そうに俺を見つめてくる。
「感覚はある。大丈夫だ」
「そうですか」
 ユキヤのヤツと同じように他人事なのに安堵の笑みを浮かべる。俺は思わずそっぽを向いた。
「今パン粥を作りますね。かなり体力を消耗しているはずですから、少しでも良いので食べてください」
 言いながら俺の了承も聞かずに彼女は去っていってしまった。
「じゃあ、あちしもエルの補修とメンテしておくにゃ」
 湯気の立つ茶を一気に飲み干して猫女も部屋から出て行く。
「……」
 それを押し留めようと手を出しかけたユキヤはそれを自らに留め、そして俺の方を見る。
「無事でよかったです」
「さっき聞いた。それより……」
 俺の目線に怯えたように口を噤み、それから意を決して口を開こうとするのを
「大襲撃ってどういうことだ?」
 俺はそれを問う。予想していなかったからか、口をぱくぱくとさせたユキヤは一旦口を閉じ、それから少し沈黙する。
「……衛星都市に10万を越える怪物が接近しているそうです。管理組合は第二次大襲撃だと発表しました」
 意識は殆ど無かったが、大立ち回りをしているだろう気配は分かっていた。
「クロスロードから有志が順次出発し、衛星都市での抵抗を行うそうです」
「……」
 俺を傷つけた怪物といい、「前触れ」だったわけか。
「逃げてこないのか。衛星都市の連中は」
 呟き、PBに時間を問う。19時────。
「そのようです」
 ルティは何考えてるかわかんねえからトウコ次第だが……アイツ無駄に暑苦しいところがあるからな。
「援軍はいつ出発するんだ?」
「……だ、ダメですよ! ヤイナラハさんは寝てないと!」
 うっせと悪態を吐く。
「気分悪いだろうが、あいつらを放置なんてよ」
「そうかも知れませんけど……死に掛けてたんですよ!?」
「それはお前の専売特許だろうが。感覚も戻ってきてるから向こうに到着するころにゃ戦える」
「正しいですけど、ダメです」
 凛とした声が割り込んでくる。
 エプロンをつけた翼の女が手に盆を持って現れていた。
「熱で全身がまだだるいはずです。
 衛星都市の防衛戦は持久戦になりますから、貴女こそ足手まといです」
 大人しい顔して言いやがる。
 盆の上には予め作っておいたんだろう粥が乗っていた。それを俺に差し出して女は続ける。
「先ほど援軍出立を停止するように管理組合から通達がありました。
 以降の出発では怪物の本隊が衛星都市に直撃するまでに間に合いませんから」
 日はどんどんと沈んでいく。
「戦闘が始まるのは?」
 俺の問いに翼の女は「明日の朝6時ごろの見込みだそうです」と応じた。
「朝4時くらいには数千からなる怪物が衛星都市に接触見込みです。すでに先制攻撃が始まっているはずですが……」
 輸送部隊の足だとだいたい6時間。ぎりぎりまで門を開くなんてことができないのは当然だからタイムアウトと言われても仕方ない。
「ユキヤさんもどうぞ」
「……あ、はい」
 一つの皿を俺に渡し、もう一つをユキヤに渡す。
「大丈夫、なんですよね」
 受け取りながらユキヤが呟いた言葉に翼の女は何も応えなかった。

  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 僕は報告のためにとらいあんぐる・かーぺんたーずを後にし、事務所へと来ていた。
 事務所にはまだ明かりが灯っており、覗くと一人深刻そうに書類を眺める所長の姿があった。
「ユキヤ君!」
 僕の姿を見止めたグランドーグさんは椅子を弾くように立ち上がると体当たりされるような勢いで駆け寄ってくる。
「無事で何よりです! ……レイリー君は?」
 当然の問いに僕はしばし沈黙し、それから事の経緯を説明する。
 すべてを聞き終わった彼は「そうですか」と呟き、時計を見上げた。
「間もなく非戦力の方を乗せた輸送隊が到着するそうです。ですが、レイリー君は乗っていないでしょうね」
 なんとなくそれは正しい予想だと思う。あの人はかつて故郷で彷徨うように歩き、戦い続けていたと話した。そこに彼女自身の理由は無く、だから今回も戦う事を選びそうだと思った。
「彼女は君の思うよりずっと強いです。クロスロードからも大勢の援軍が出発したと聞いていますし、きっと無事に戻ってくるでしょう。
 君は立派に、それ以上の事を成し遂げました。だから今日は家に戻ってゆっくり休んでください」
「……グランドーグさんは?」
「救援物資の配達プランの検討を本部で行っています。その連絡待ちですよ」
 さっきの話からすればもうタイムアウトのはずだ。それを読み取ってか彼は苦笑じみた声で続きを話す。
「色々と奇策を練っているらしいです。砲弾で物資を叩き込むとかね」
 流石にそれは呆れるしかないが、空を使えないターミナルでは苦肉の策なんだろう。
「一番現実的なのは大きく迂回して大襲撃の流れを回避し、横合いから短距離で空輸すると言う方法です。
 視界内であれば謎の失踪をした事は無いはずですから」
 とは言え、十万を超える怪物の群れが何処まで広がって居るのか分かった物ではないし、空を飛ぶ怪物の妨害もあるだろう。
「とにかく、バイクの輸送量で出来る仕事は終わりです。君はゆっくり休んでください」
 喉元に出かかった言葉が詰まって息苦しい。
 レイリーさんやトウコさんが心配だ。それは紛れもない本音だけど、僕が行って何も出来ないのも事実だ。怪物はどんどん押し寄せてくる。今から衛星都市に向かえば物凄い数の怪物と遭遇する事は目に見えている。
 ───例え戦える力があっても、死ぬかもしれない場所に飛び込む理由は無い。
 余りにも当たり前の論が僕の弱気を後押しする。でも、同時に回答を得れない疑問が浮き上がっていた。
 どうしてトウコさんもレイリーさんも戦うのか。
 逃げるチャンスは充分にあったはずだ。それに急ごしらえの衛星都市よりも、このクロスロードで戦った方がよっぽど戦いやすいのも事実のはず。
「思いは人それぞれだと思う。
 危険に飛び込むのが好きな人、誰かが犠牲にして得た物を失いたくない人。単に雰囲気に流された人だって居るかもしれない。
 ただ来訪者の総意として衛星都市を守りきる事を選ぶ風潮に流れて居るんだ」
 まるで見えざる手でもあるかのような事を彼は口にした。
「どの世界でもそう変わらないだろう。後の歴史書に失策と非難される事を賢人と呼ばれた人たちがやってしまったと言う事実を。
 そこには彼らの知識、知恵以上に世界の風潮、流れが彼らにその道しか選択できないようにしてしまった事も多いんだ」
 ユキヤの脳裏に思い浮かぶのは第一次、第二次世界大戦だ。たった一人の王が暗殺されただけで世界を巻き込んだ戦争へと発展した。
 また日本という国は大国との戦争に勝利してしまい、しかし経済制裁を受けて国が立ち行かなくなりつつあるところに起死回生の手段として戦争を選ばざるを得なかった。
「僕達に今出来るのは、これがこの世界の歴史書に悪しく書かれない結末を望み待つ事さ」
 それはどうしようもない事実かもしれない。
 でも、本当にそうなのだろうか。
 ユキヤは自分らしくない想いに捕らわれながら事務所を後にした。

  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ほい、メンテ終了。タイヤとBOXも取り替えておいたにゃよ」
『うん……』
 返事が弱弱しい。アルカは苦笑をもらしてこつんとボディを叩いた。
『衛星都市、どうなると思う?』
「7:3で陥落にゃね」
 さらりと酷い事を言う。しかし悪びれる事無く彼女は言葉を続けた。
「そもそも衛星都市は最初っから『いつか放棄される都市』だったにゃよ」
『何よそれ』
 流石に憤慨するが、工具を片付けるアルカの言葉は淡々とした物だ。
「だって仕方ないにゃよ。なにしろクロスロードから100kmも離れて、迂回を込みでの実質の距離はざっと250km。
 『100mの壁』のあるこのターミナルではお月様くらい遠い場所にゃ。孤立していつかは消えてしまう町にゃよ」
 一番の問題であった水を解決してもその都市はやはり遠い。あらゆる物資の自給率がほぼ0%のこの世界で補給路の確保できない都市がいつまで存続できるかなんて誰にも予想がつかない。
「ある意味幸運にゃよ。下手に人が増える前に潰れるんなら」
『本気で言ってるの?』
 怒りを込めた問いに猫娘は答えない。
『あの街にはあたしやユキヤの知り合いが居るんだからね』
「逃げるだけの猶予はあったはずにゃ」
 切り捨てるような言葉にエルは沈黙する。
「探索者の性分ってことはわかるけどね。彼らの選択なんだから仕方ないにゃよ」
『……っ!』
「あちしはエルが聞いたから予想を述べただけにゃ。30%も可能性があるんだからマシと思うべき戦いにゃよ。
 幸いというか、アースちんが居るからね。もうちっと可能性を引き上げてもいいくらい」
『防壁作ったっていう娘?』
「そ。東砦管理官でゴーレム練成のエキスパート。損耗を気にしないで暴れられる兵隊を作れるんだから随分なものにゃよ」
『……それよりも!』
「ダメにゃよ。分かってるっしょ?」
 口ごもる。ややあって『納得はいかない』と搾り出すように呟いて沈黙する。
「なぁ」
 そんな二人にぶっきらぼうな声が投げかけられる。
「うん? やっちゃんどしたの? 寒くない?」
 右腕には包帯を巻いているが、汗をぐっしょりと吸った衣服は寝巻き代わりのTシャツとズボンに変えられていて、冬の夜という寒さには随分と辛いはずだ。
「寒ぃよ。
 それより、聞きたい事がある」
「なーに?」
「そいつ、俺も動かせねえか?」
 アルカは答えずにエルを見やる。それがある意味答えだ。だからヤイナラハは言葉を接いだ。
「寝覚めが悪い」
「行き倒れたらみんなが困るにゃよ」
「そんなヘマはしねぇ。それにそいつなら自分で走れるんだろ?」
『ダメよ』
 聞こえ辛いが、第三者の声を確かに聞き、ヤイナラハはバイクを見た。
『あたしのマスターはユキヤなんだもの。例えパスが繋がっても貴女を選ぶわけにはいかないわ』
「他に手段がねえんだ」
 死と静寂の季節。そんな言葉を踏みにじって今宵のクロスロードはざわめきに満ちている。路地を輸送車両が走り、連絡の声がここまで届く。
 静寂の許されぬ夜に立ち、ヤイナラハは自分の愚かさに失笑を浮かべる。
「自殺行為でも。やりてえんだから仕方ねえだろ?」
『あたしを巻き込んでも?』
 ここまで明確な意志を持っているとは正直思っていなかったため、彼女はばつの悪そうにする。
 不意にふわりと暖気がヤイナラハを包んだ。アルカが魔術で温めた空気の範囲を再調整したらしい。
『あたしはあんたの過去を見たから、不安に思うのよ。
 死を救いと思ってる。そうでしょ?』
 ぐっと呑みこんだのは否定の言葉。熱くなっても仕方ない。苛立たしいが頭の中を見られている以上中途半端な嘘を用意したって無意味だ。
 だから深くため息を吐いて、視線を上げた。
「……否定は出来ねえと思う。そんなつもり、無かったんだけどな」
 心の中核となってしまった過去と、それを妙な形に整形してしまった経験。殺す事を生業としたのだから死ぬことは仕方ないという諦観の正体に今でも彼女の胸中は得も知れぬ不快感を抱えていた。
「でさ。やっちゃんはどうして衛星都市に行きたいの?」
 何でもない様に聞いて、その口の端が堪えるように震えている。
「……さっき言っただろうが」
「えー?」
 睨み付けても何処吹く風だ。
「あちし難しい物言いわかんなーい☆」
 外見どおりの言動かもしれないが、こいつは見た目どおりじゃねえのは充分に分かってる。実際目がこちらを伺い見ている。
「やっちゃんはー、何をしたいのかなー?」
「っ……!」
 思わず力を込めた右腕が軋んだ。
『アルカ……』
「にふふ。ほら。デレかけの子って可愛くて仕方なくない?」
 自作の知性体に窘められる制作者だが、それでも自分に素直すぎる。緊張感の欠片もない物言いに俺は心底疲れて、ついでに胃の痛みを感じた。
「……正直仲間だなんだなんてのは良くわからねえ。けど、ここで待ってるなんざ気分が悪くて仕方ないんだ」
「エルを使っても、やっちゃんのほうが死亡率は高いにゃよ」
「それでも、だ」
 いやらしい笑みを消してアルカはカウルに触れる。
「おっけ、エルは流石に渡せないけどユニットを用意してあげる。
 PBに制御を委譲させればなんとかなるっしょ」
『アルカ……!』
「しゃーないじゃん。それにやっちゃんには借りもあるしね。
 ゆいちゃんに制御ユニットが無いか聞いてくるにゃよ」
「あるよ」
 地面が浮き上がった。無駄に見事に地面に偽装したハッチを開けて眠そうな目が一同を見つめる。
「……ゆいちゃん。今度は地下に何作ったの?」
「対爆実験室。放射能もバッチリ遮断」
 水色の髪の女が地面に丸くあいた穴からのそのそと出てくる。
「……核融合でもやるつもり?」
「ただの核分裂」
「やめい」
 ぴしと軽いチョップを入れる。
「なぁ、どういう意味だ?」
 言葉の意味が分からないヤイナラハの問いに『……知らない方が幸せな事もあるわ』と、どんよりとエルが応えた。
「とにかくその件は後で問い詰めるとして、自動制御ユニットは?」
「猫さんが前言ってたフライトボードに積んでる」
 ふらふらとどこかおぼつかない足取りで庭の隅まで行くと、無造作に立てかけられている板を手にする。
「ああ、それかぁ。でも今のやっちゃんにそれはきっついでしょ。
 それに高度を出すとまずいし」
 タイヤのないスケートボード。それを受け取ったアルカはそれを宙に置くとひょいと腰掛けた。
「こういう乗り方もあるけど、姿勢制御に慣れが必要だしね」
「要は空飛ぶ板か……」
「最高時速420km」
「いやいや無理だから」
 恐らく速度は出るのだろうが、当然乗ってる人が耐えられない。
「あれ……皆さん揃って何をしているんですか?」
 不思議そうに裏庭を覗き込み、ユキヤが問う。
「……ヤイナラハさん、起きて大丈夫なんですか?」
 視線を逸らす。その自身の行為にチと悪態を吐き、改めて何かを言おうとして、やめた。
「衛星都市に行くんだってさ」
「え?」
 アルカの告げ口に目を丸くし、ユキヤはヤイナラハに向き直る。
「無茶ですよ。あんなに酷い状態だったのに」
「もう治った。問題ない」
「流石にそれは無いですよ。少なくとも体力が戻っていないはずです」
 流石に庭の騒ぎが大きくなって気付いたのだろう。柔和な表情にやや咎める色を乗せてルティアがやってくる。
「アルカさんもどういうつもりですか」
「行かなくて後悔する方が辛いときもあるにゃよ。それにやっちゃんがここで行かなきゃ多分ずーっとデレるタイミングを失うにゃ」
 冗談のつもりなのか、二本の尻尾をゆらゆらとさせてアルカがそんなことを言う。
「でも……」
「体が死ぬより心が死ぬ方が辛い事もあるにゃよ。やっちゃんの場合はそれ以上に深刻だと思うけどね」
「人の事を適当にヌかすな」
 憤然と抗議するが言葉にやや覇気が無い。
「そろそろ時間まずいから纏めるにゃよ。
 今は午後八時。向こうじゃ機動力を持った人で部隊組んで削りをやってる頃にゃ。
 これの撤収が恐らく深夜2時。それ以上は数千の怪物が衛星都市に迫るから門を開いていられないにゃね」
 援軍の最終便が到着するのも丁度その頃だと付け加える。
「もしやっちゃんが衛星都市に到着するなら午前二時、つまりはあと5時間以内に到着しないといけない。
 直線ルートは使えないから片道250Km。安全な速度───時速60kmでぎりぎりにゃね」
「そいつを使えばもっと早いんじゃないのか?」
 ヤイナラハがアルカが手にしたままのフライングボードを見る。
「風防もなしに時速100km以上だすとかナイナイ。一時間滝の中で棒下がりやってるようなもんにゃよ。いくらやっちゃんが鍛えてても到着する頃には体がぼろぼろにゃよ。
 風系の魔術で防御するとかすれば別だけど、そういうの無理っしょ?」
 魔法に関してはさっぱりのヤイナラハは渋々頷くしかない。
「ドゥゲストのおっちゃんの所に何かユニットが残ってればいいんだけど、あったとして今から組み込んで制御系繋ぎ変えるのは結構骨にゃね」
「2時間」
 ふあとあくびをしてユイが応じる。
「流石にタイムアウトにゃねぇ」
「無理でもそいつを使えば良いんだろ!」
 少々イラついてきて手を伸ばすヤイナラハからアルカはフライングボートを操作しすっと逃げる。
「かっかしても仕方ないにゃよ。で、ユキヤちん?」
「え? はい?」
「やっちゃんを郵送してくれるつもりある?」
 息を呑む。それからややあってぎりと奥歯を噛んだ音がやけに響いた。
「すぐに無理ですとは言わなかったね」
「……無理、とは思ってます。でも、皆さんの事が心配なのは本心です」
 グリフォンに襲われた恐怖はまだ新しい。メットも後ろが抉れるように焦げていた。
 無理だし、自分が行っても意味が無い。覆しようの無い事実が確固として自分の中にあるのに、アルカの言う通り否定の言葉を作るのに躊躇ってしまった。
「でも、わかります。体が死ぬより辛い事があるっていう意味は」
 目も耳も塞いで家に帰りたいと思う自分が居る。でも永遠に塞いだままでは居られない。僅かにでも開いてしまえばここぞとばかりに取り戻せない悔恨が流れ込んでくるのが容易に想像できた。
「エルなら衛星都市まで二時間半くらい。残り時間でエルの武装を元通りにする事は可能にゃよ」
「武装……?」
「エルは元々未探索地域を巡る探索者のものだったにゃよ。それもたった一人で」
『二人よ』
 自分も含めるべきだと、しかしどこか悔いるような響きでバイクのAIは言葉を挟んだ。
『かつてクロスロードで一番の未探索地域踏破者だった。死んじゃったけどね』
「死んだって……」
『勘違いしないで。あいつが勝てなかったのは病気の方。どんなに傷付いても必ず生き残ってクロスロードに戻ったもの。
 ……その話はいいわ』
 一拍の間を置いてエルは向き直るように言葉を紡ぐ。
『あたしが主兵装を戻したら衛星都市まではどうにでもなるわ。
 問題はそこから。衛星都市は洒落にならない状況になる。あたしだけじゃユキヤを守りきれない』
「言って見ればあっちに着いたとたんエルとユキヤちんは足手まといになるわけにゃね」
 言いながらヤイナラハへと視線を向ける。
「やっちゃんもそうにゃよ」
「何度も言うな」
「だからベターな方法を提案するにゃよ。
 ユキヤちんはやっちゃんの記憶を開封して戦闘技術を付け焼刃でも覚える。
 エルは主兵装と副兵装を装備する。
 そしてやっちゃんは時間ぎりぎりまでるーちゃんの治療を受ける」
「開封って……!」
 そういえばまだその話をしていなかったと思い出し、盗むようにヤイナラハの訝しげな顔を見た。
「剣は用意してあげる。その代わり一つあちしからもお遣いをして欲しいものがあるにゃ」
「お遣い……ですか?」
「ちょっち重要なお遣いだったりするにゃ。
 エンジェルウィングスに公的に預けるわけにも行かなくてね〜」
「……それは?」
「ユキヤちんが行く事になったら預けるにゃ。あんまり人目に曝して良い物じゃないしね。
 ただ、それを持ち込むかどうかで─────」
「アルカさん!?」
 何かを察したらしく声を挙げるルティアにアルカはいたずらっ子の笑みを返す。
「そのくらいなら良いでしょ。アースちんは物分り良いしね。
 ともあれ、それ以外の方法は正直現実味が無いからね。改造する間に決めると良いにゃ」
 そう言ってボードからひょいと降りたアルカはそれをヤイナラハに差出す。
「やっちゃんにこれは預けておくにゃ。あちしは止めやしない。
 ただ少なくとも衛星都市まで体を持たせたかったら一時間はるーちゃんの治療を受ける事」
 ヤイナラハは僅かにユキヤを見て、それを受け取る。
「簡素でも良いなら風防は作れるからね。飛び出す前にあちしに言ってね」
 ぱんと手を打った音が冬の街に朗々と響く。
「この世界に比べてあちしらの力なんてほんの小さな物にゃよ。だからこの決断が世界を変えるなんて大それた事は無い。
 だからあくまで自分の心と相談して。絶対無理な事をわざわざやろうとするかどうか、ってね」
 何かを言いたげにしているルティアも、ただ眠そうにしているユイも何も言わない。
 ヤイナラハは真っ直ぐにアルカを見て、それからルティアの方へと歩き出す。
 ユキヤは────途方に暮れて夜の空を見上げた。
絶望へと放たれた一矢
(2010/10/17)
 壁の上で一人の女性が遠くを見守る。
 遥か彼方で光が踊っていた。この衛星都市を守ると決めた探索者達が少しでも怪物達を削り取ろうと奮戦しているはずだ。
 身を切るような寒さの中、振り返れば人々の息遣いがある。
 防衛設備に即席のバリケードを増設し、矢弾を壁の上へと引き上げる作業がすぐ傍で行われている。
 炊き出しの煙が上がり、手の空いた者が駆け込んで胃の中に流し込んでいる。
 医療スタッフが施術院の旗を掲げたテントを建てて準備を行い、リーダーシップの強い探索者達が防衛のための作戦とその役割について議論をしている。
 今は自分の出る幕ではないと眠りに就いている者も居るだろう。夜明けになれば眼下は怪物で埋まる。それまで休めるだけ休むという判断ができるのは戦い慣れている証拠だ。
 一方で不安げに仲間と寄り添う者も居る。逃げるという選択をしそこない、祈るように体を縮こまらせている。
「アース様」
 管理組合のスタッフが駆け込んでくる。
「報告します。迎撃部隊の被害はほぼゼロ。撃破数はおおよそ2000」
「二千ですか」
 迎撃部隊は百人程度なのだから間違いなく大戦果だろう。しかし、最新の情報で怪物の総数は二十万を越える。わずか1%しか削る事ができていないという事になる。
「各砦のMOB迎撃隊が居ればもっと見込めるのですが」
「それは出来ません。怪物の最終目標は間違いなくクロスロードです。ここを守りきってもクロスロードに進入されては我々は敗北したも同じです」
 言われなくても分かっているだろう。しかし自らに甘えが許される状況でないと教え込むように彼女は言い放つ。
「ここにある戦力だけで我々は戦わざるを得ません」
 組合員は小さく頷いて場を辞した。
 間もなく絶望的な戦いが始まる。
 二年前の悪夢のような光景が再び繰り返される。
 けれども────
「士気は高く、そしてこの場に集ったのは同じ思いを抱いた者達です」
 いがみ合い殺しあった三世界に頼らざるを得なかった大襲撃は多くの犠牲者を強いた。昨日まで殺しあってた者と幾ら非常事態だとしても割り切って共闘できるものではない。例えできたとしても、連絡のミス、指示系統の混乱、そして元々の不和により小さな同士討ちがいくつも発生していた。大襲撃の死者はもしかすると怪物によるものより来訪者同士の殺し合いの方が被害が大きかったと嘯く者もいるくらいの酷い有様だった。
「勝てないでしょう。しかし負けません」
 この戦い、目指すべきは衛星都市が陥落しない事。次いで可能な限り怪物を削る事だ。そうする事でクロスロードへの負担はぐっと減る。
 遥か北へと視線を転じ、彼女は寒空に白い吐息を放つ。
 未だに闇色に染まる空。そこに明星の白が染みこむ時、大地は何色に染まるのだろうか。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 クロスロードはいつしか静まり返っていた。
 援軍が出発して暫くは後片付けのために騒がしかった街はそれが幻だったかのような有様だ。本来ケイオスタウンでは今からが賑わう時間だが、今宵ばかりは人通りも少ない。いつもは酒を飲み交わす声もどこからか響いてくるのだが、流石にバカ騒ぎをするほど気楽な人は少ないらしい。
 ユキヤはとらいあんぐる・かーぺんたーずで椅子に座って外を眺めていた。ロウタウン側の家に帰るには一時間という時間はやや短い。邪魔するのも悪いので事務所に行くのも躊躇われた。
 庭からは作業の音が微かに聞こえる。向こう側の居間ではヤイナラハが治療を受けているはずだ。
 PBを眺め見て、視線を逸らす。あれから何分経過したか聞くのが怖かった。
 彼がどう決断してもヤイナラハは衛星都市に向かうだろう。自分が行けばそこまでは何とかなるとエルは断言し、そのための作業が続けられている。
 ユキヤに誰も何も言わなかった。彼の決断はヤイナラハの生死に関わるかもしれない。しかし例え辿り着いても衛星都市でかなり分の悪い戦いを強いられる。まるで遅いか早いかの違いだと言わんばかりだ。
「どうしてヤイナラハさんを止めないんだろう」
 特にルティアはもっと強固に反対すると思っていた。しかし現実は死にに行くような彼女に黙々と治療を施している。
 そういう自分だって彼女を止めず、そして悩んでいる。
 考えれば考えるほど「無理」という単語以外に見つからない。次いで自分が何故そんな事を悩んでいるのかと、胃がひっくり返りそうな不快感の中で悶々とする。
「僕は─────」
 何故悩んでいるのか。自分に問い直す。
 言い訳のように出てくるのはヤイナラハへの恩や、衛星都市に置き去りにしてしまったレイリーの事だ。でもそこに自分が命を賭けるだけの理由があるとは思えない。ヤイナラハは安全なところから死地に飛び込もうとしているし、レイリーは帰る手段があったのに自ら放棄した。
 言い訳だから決断に至らない。それは本当の理由じゃない。
 考え方を変える。プライド? それとも好奇心?
 見捨てるという事に忌避感を抱いているというのは確かにあると思う。その後悔が永遠に続くだろうという想像が容易に胸の中で暴れた。
 好奇心は……無い。やっぱり、見捨てるという行為とそれに続く後悔をただ恐れているだけだと思う。だからヤイナラハが行かなければ良い、レイリーが戻ってくれば良かったと思考が跳ぶ。
「ああ、もう……」
 頭を抱えて机に額をぶつけた。じんと響くような痛みがゆっくりと薄れていく。
 行くか行かないか。ここに着たばかりの自分なら絶対に迷わなかった。その自分と何が変わったのだと問う。
 何かを出来るようになったわけじゃない。PBの補助やエルが居るから何とかやってこれただけだ。戦争なんて知らない、戦いなんて怖い。喧嘩すらまともにやった覚えが無い。どうしようもない自分が行くべき場所じゃない。
 感情だけで問う。行きたいのか、と。
 残った彼女らに会いたいとは思えた。それ以上にどうしようもない震えに力ないごまかしのような笑みを浮かべる。
 背中を押してもらえたら行くのだろうか。
 けれどもヤイナラハすら何も言ってはくれない。そしてどんな選択をしても誰も何も言わない気がする。
 ああ、そうかと一人ごちる。
「決断が怖いんだ……」
 思い返す。自分は今まで何か決断した事があっただろうか、と。
 たった20年足らずの人生の中で自分が何かを決めた事を探して、何一つ思い当たる事はない。
 小さなことはあるかもしれない。けれども人生の節目と呼ばれる事に関して、必ずしも『誰か』の言葉があった。
 中学でも高校でも部活を選んだのは近くの席の誰かの言葉が原因だった。高校と大学を決めたのは周囲の話や教師の指示に従っただけだった。人を好きになった事があっても、人に好きと告げた事はなかった。
 バイトも親に進められたから何となしにやってたし、大学でも住む場所を決められずに変な場所を借りる事になり、サークルにも参加しにくくなって学校とを行き来する日々を過ごしていた。
 思い出せば思い出すほど情けないが、それが自分だった。
 決断する事に慣れていない。だから怖いのだ。そこに派生する責任が。
 それが、いきなり自分の生死すらも左右する選択を迫られている。
 ごりごりと額を押し付けた。
 誰も迫ってないからなお一層不恰好に困っている。
 決めるだけだ。
 でも決めれない。
 はぁと深いため息を吐く。
「どうしてレイリーさん戻ってこなかったんだろう」
 自分でもどうしようもないと思う愚痴に胃がむかむかとした。
 彼女は残る事を選んだ。どうしてそれを選べたのか。
 彼女との別れ際の、最後の一言が思い出される。
「まさか、なぁ」
 迎えに来るまで待ってるつもりというわけでもないだろうと思う───むしろ、願う。
 それじゃ自分が……
 少しだけ頭を持ち上げてごつと額をぶつける。
 彼女ならありえる気がした。
 それを理由にするのかと自身に問いかけ、首を振るようにぐりぐりと額をこねる。
 二択。
 自分は安全な場所に居て、なのに死地へと赴くかどうかという選択。
 ばかげている。ありえない。考えるまでも無い。────でも、考えているんだ。
 自分はヤイナラハをここまで連れて来た。危険だとわかって、実際危険な目に遭って、それでもここまで着た。
 今度は彼女を助けるためじゃない。ある意味殺すために自分の命を込みで運ぶ。
 がん
 静かな部屋に額を打ち付ける音が酷く響いた。
 なんとなく、理解してきた。だから小さくコツンともう一度額を机にぶつける。
「僕は、」
 体が震えた。怖くて仕方ない震えと、何か別の震えが入り混じっていると根拠もなしに思う。
「僕は、」
 行きたいんだ。口には出せずに吐露する。
 怖くて仕方ない、でも、
 背中を押す言葉が欲しい。誰かが欲しい、理由が欲しい。
 喉が酷く渇いた。手も足もがくがく震えて、気持ち悪い。
 死ぬかもしれない。そうならないための事をみんな準備してくれている。
 殺すかもしれない。けれどもそれは彼女の願いで、彼女は自分にその責任を求めはしないし、それこそ彼女を怒らせるだけだろう。
 大きく息を吸って、顔をあげると、ぎゅっと目を閉じた。

 がん

 目に星が走って、頭が真っ白になった。
「うっせーぞ」
 声がかけられた。
「リミットだ」
 弾かれるように立ち上がり、声の方向へと向く。
 ぶっきらぼうな声。顔を向ければ手にはあのボードがある。
「どうすんだ?」
「い……」
 喉の奥に言葉が詰まる。ぐるんと胃が回転してこみ上げる吐き気を飲み込んだ。
 そしてぐっと奥歯を噛み締めて
「行きます……!」
 ぞわりと背筋があわ立った。足ががくがくと震えた。それでも視線だけは彼女の冷ややかなそれから外さない。
「なっさけねぇな」
 ため息と共にヤイナラハはボードを壁に立てかける。
「ンな死にそうな顔のヤツに頼らなきゃなんねーのか」
 言われなくても、きっと自分が酷い顔をしているだろうことは分かっている。頭はじんじんと痺れるような鈍痛を響かせているし、手の先まで痺れが走って感覚が無い。
 ヤイナラハはずかずかと部屋を縦断してユキヤの前に立つとぐいと胸倉を掴みあげる。
「真っ青じゃねえか」
「わかって、ます」
「死ぬかもしれないんだぞ」
「それも……」
 縮みそうな声と心臓に力を入れる。
「分かってるつもりです」
 突き飛ばすように放し、ユキヤは椅子を巻き込んで床に転ぶ。
「てめえの頭の件はルティアから聞いた。あの猫女が言った言葉の意味もな」
 視線が彷徨い、すべてを怒りに集約させると決めたようにユキヤを睨みつける。
「言いたい事は山ほどある」
「……はい」
「みんな終わった後だ。場合によっちゃお前の記憶がトぶまで殴る」
 音がしそうなほど張り詰めた殺気を込めて「立て」と告げる。ユキヤは竦み上がるような恐怖に逆らって、それでも椅子を補助にして立ち上がる。
「俺の剣は無謀だ。自分で言うのも何だが、殺される前に殺せば良いとしか考えてねぇ。だからお前には絶対に不向きだ」
 今はまだアルカに封印されたままだからその剣技を思い出すことはできない。
「出来るとは思わない。けど一つだけ教えておく」
 ぐっと固めた右手が振りかぶられる。
「目を閉じるな」
「っ」
 閉じる暇も無かった。額に衝撃だけが走り、次には尻餅をついて、背中が酷く痛かった。
「目を閉じたらそのまま死ぬと知ってろ。だが目を開けてさえいりゃぁお前はまだ生きてる」
 目を閉じるのは反射だ。それをするななんて事が出来るはずがない。
「出来る出来ないじゃない。それをしてれば生きている。覚えておけ」
 背を向けて庭の方へと歩いていくのを慌てて追いかけていこうとして、思いっきり椅子を巻き込んで転んだ。脳みそを思いっきり揺さぶられて立てないらしい。
「……何か間違ったかなぁ」
 痛みは無い。むしろ自分でがつんがつんやった方がよっぽど痛かった。
 大きく深呼吸をする。
 自分は行くと言った。思い出してまた手足が痺れるような震えに包まれるが、間違いなくそう告げたのだと繰り返す。
 勢いで言ったわけじゃないと思う。胸には後悔だけは無かった。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「んじゃ、これね」
 まずアルカが差し出したのは二つの小剣。
「軽くて丈夫にしておいたから折れはしないと思うにゃよ」
「ありがとうございます」
 受け取ると確かに軽い。包丁ほどの重さも感じられないと逆に不安になるが、そこにあると感じるだけの重さが返っていいのかもしれないと今は思える。
「それからこれはお遣いの品物ね」
 次いで差し出されたのはタンポポ色の宝玉のついたペンダントだった。
「これ、アースちんに渡して」
「アースって……?」
「東砦の管理官だ。まだ衛星都市に居るのか?」
 ヤイナラハが壁を思い出してアルカに問い返すと「うん。防衛の指揮官やってるんだってさ」と軽く応じた。
「そんな人に会えるんですか?」
「うちからの発注品って言えば通してくれるにゃよ」
 そんなものなのかなと考えて、問い返しても仕方ないと頷いて受け取った。
「エルの事は道中に聞いてね。それからやっちゃん」
「……めんどくせえからいいけどよ。なんだ?」
「やっちゃんにもお駄賃。輸送の護衛料にゃよ」
 こちらは赤いペンダントだ。
「なんでこんなちゃらいモンを」
「お守りにゃよ。マジックアイテムなんだからちゃんと身に着けてなさいな」
 流石にそう言われては無下にできない。ただでさえ無茶な事をしに行くのだから加護の一つも得られるならそれに越した事はない。
「んじゃ、いってら。ちゃんと帰ってきてね?」
「はい、行ってきます」
 ユキヤは頭を下げ、ヤイナラハは応じず、エルはドライブの回転数を上げることで応じた。
『行くわよ』
「うん。お願い」
 新暦1年12の月、23日になる直前。
 一台のバイクがクロスロードを飛び出していく。
『ユキヤ、兵装の説明をするわ。ヤイナも聞こえてる?』
「ヤイナラハだ。……聞こえてる、続けろ」
 苛立ちの声にユキヤは苦笑しつつ。それがばれないように正面を向く。
『主兵装の名前は《ランサー》。端的に言うと突撃用兵装よ』
「突撃……?」
 物騒な名前に思わず怪訝な表情を浮かべる。
『そう。加速が無いと使えないのが欠点だけど、車体に魔法で擬似装甲を作り出して相手に突撃するの。
 槍の穂先見たいのが発生するから槍兵の突撃って事で《ランサー》ね。人間サイズくらいの敵なら砕きながら進めるわ』
「どれくらい持つの?」
『稼働時間はその時出してる速度にも寄るけど、大体5秒って所ね』
 時速150Kmを出していたとすれば200mの距離を突き抜ける事になる。これが短いのか長いのかは何とも判断がつかない。
「連続で使えるのか?」
『無理ね。一度使うとチャージが必要になるわ。1分もあれば良いんだけど遣いすぎるとユキヤがダウンするわ』
「僕が?」
『あたしはあなたの武器なの。兵装に関してはユキヤの許可がないと発動させられないし、そこにはユキヤの強い意思が必要よ」
「なんか、いきなりスーパーロボットみたいな設定になってない!?」
 ユキヤの突っ込みに『魔法なんて気合の産物だもの。当然じゃない』としたり顔(声?)で切り返されてしまった。
『次に副兵装。とは言えサイドカーを積んでるから目減りしてるわ。
 マイクロミサイルポッドには今回は煙幕弾頭と通常弾頭で合計24発。後部には対空ミサイルが4発。打ち尽くすまで転倒しないようにね』
「肝に銘じるよ」
『今更かもしれないけどサイドカーが付いている分、加速と旋回性能ががた落ちになってるわ。
 《ランサー》で強行突破を繰り返しながらヤバイ時にはミサイルで誤魔化すことになると思うからそのつもりでね』
 つもりと言われても実感が湧かない。
『ヤイナ。突き抜ける方向は貴女の指示でお願いね』
「……分かった。その方が良いだろうな」
 幾ら戦闘経験を分けてもらった状態でも借り物だ。即座の判断に迷いが生じれば命取りになる。
「お願いします」
「……」
 睨まれ、視線を外される。
『ユキヤは素直すぎるっていうか、腰が低すぎるのよね』
 呆れたような、笑みを滲ませた声が脳裏に響く。
『ユキヤ。謝れるのは美徳じゃないわ。貴方は貴方の役割を果たしたなら、後は任せればいいの』
 そうは言われてもと、メットの中で呟く。
 自分がここに居る意味はエルを動かすためのオマケみたいなものだ付け焼刃をいくつか用意してもそれでどうにかなるなんて自惚れは持てない。
『まぁ、貴方らしいけどね。ヤイナの立場も分かってあげなさい』
 ぼそりとヤイナラハが何かを言ったらしいが届かない。ただ楽しそうな笑い声だけが響き、ユキヤは更に首を傾げる。
「ったく……、おい、その《ランサー》ってヤツの距離を見せろ」
 何をいきなりと思い、そして気付く。何かの一団がこちらに向かってきている。
『早速ね。ユキヤ、いい?』
「……うん」
 心臓はバクバクと弾けるような音を立てているがもう逃げるなんて選択肢は取れない。
 その一瞬一瞬の間に怪物のシルエットは明確になって行く。様々なバケモノがひしめき合い、一直線に向かってくる。
「っ!?」
 反射的に手が逃げのコースを選ぼうとしてエルにがっちりブロックされる。もう怪物の群れは間近だ。ぶつかる!?
 真っ白になる頭に『ユキヤっ!!!』と鋭い声が一つ。
「ら、《ランサー》っ!!!」
 宣言と同時に周囲が青に包まれ、加速──────
「っ!!」
 青の光に触れた怪物が引きちぎられはじけ飛ぶ。速度に流されていくパーツが何なのかを考えないようにしてユキヤはただひたすら前だけを目指す。
 効果時間は5秒のはずだ。それを十倍にも引き伸ばしたような時間から開放された瞬間、涙が出てきた。
『我に貫けぬ物無しって感じね』
 上機嫌でそんな口上をするエルだが、ユキヤはそれどころじゃない。フラッシュバックするスプラッタな映像に吐き気を堪えるだけで精一杯だった。
「大体分かった。だがこの後1分ってのが辛いのと」
 首を上げていっぱいいっぱいの男を見る。
「俺が運転した方がいいんじゃねえのか?」
『ヤイナの場合、口に出すのがいいところよね』
 そんな言葉を交わしつつ、バイクは死の踊る場所へと向けて闇夜の荒野を疾走していく。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇  

「何かの冗談か」
 ある探索者が呟いた。
 出来合いの防壁の上で、彼は広がる光景を呆然と見つめる。
 大小さまざまなバケモノが迫ってくる。あらゆる現象が探索者により作られ怪物を屠っていくが、空いた穴がすぐさまより多くの怪物に埋められていく。
 遠雷のようであった機動部隊による削りの音はいつしか聞こえなくなり、防壁に設置された機銃や、射程を持つ魔術での攻撃にシフトしている。巻き起こる爆煙の中から怯みもしない怪物が続々と姿を現す。
「これでまだ先駆けらしいよ」
 弓を番えたホビットがオーガの脳天に見事な一撃をお見舞いしながら嘯く。
「ついでに言えば大襲撃より規模は小さいんだってさ」
「……」
 探索者の殆どは未だ攻撃に参加せずに準備や休息に時間を費やしている。
「おっさんは騎士? じゃあまだ休んでた方が良いんじゃない?」
 まだおっさん呼ばわりされるのは遺憾だが、確かに剣を扱う彼では怪物の姿は遠い。
「……できりゃ、おっさんの仕事がない方がありがたいんだけどね」
 次々と矢を放ちながらの言葉。騎士は頷く事も無くこの光景を焼き付けるように見渡す。
 彼が剣を取り戦うという事はこの防壁を乗り越えてくるという事と同意だ。
 自分のすべき事ではない。が、せめて矢弾を上に運ぶ事くらいは出来るはずだ。
 騎士は騎士としてのあり方よりもなお、皆が安全にこの事態を乗り越えられる事を思い、防壁を後にした。

 空に光の花が咲いた。
 予定よりも早く、機動部隊の撤収の合図が放たれた瞬間だった。
死の淵に至りて
(2010/10/25)
「あの一団に突っ込め!」
 ヤイナラハが指差す。その方向を見ればもぞもぞと蠢く何かの群れを視認してユキヤはメットの中で盛大に顔をしかめた。だが、自分の意見や感情を表に出して良い状況ではない。
 ハンドルを切り、彼はは破れかぶれに叫んだ。
「《ランサー》っっっ!!」
 自らが触れる物を貫く槍の穂先になって闇夜に青のラインを結ぶ。
「っかはっ」
 急加速から解き放たれた瞬間、ユキヤは肺から押し出すように息を吐いた。メットの中もライダースーツの中も、冷や汗と脂汗でぐっしょりだ。
『ヤイナ、もう連発するとまずいかも』
「気を張れ! ここで停まったら死ぬだけだぞ!」
 分かっている。けれどもすでに手足の感覚がおぼつかない。まるで2日くらい徹夜をした後のような、気を抜かなくても眠りに落ちそうな状態だ。
『衛星都市は見えてきたのにっ!』
 視界の遥か先に建物の影は確かに見えている。しかし怪物の量は加速度的に増え、迂回する事も出来なくなった一行は《ランサー》を多用せざるを得ない状況に陥っていた。
『ユキヤ、大丈夫?!』
「な、なんとか……」
 強がりに近いが緊張が意識を保たせている。まだ、大丈夫だ。いつまでかは保障できないけど。
「厄介だな」
 彼女が睨む先は衛星都市の門があるはずだ。しかし広範囲攻撃が雨霰と降り注ぎその姿を確認する事はできない。
「あの調子なら今閉めてもおかしくない」
『強引にでも行くしかないかしら』
 とは言え、《ランサー》の継続時間を考えれば途切れた瞬間に取り囲まれるのが目に見えている。
「し、信号弾は? 援護してもらえば……!」
『悪い考えじゃないけど……』
 どどどんと遠雷のような響きが木魂する。かなり派手な攻撃も混じり、こちらを見つけてもらえるかどうか。
「やらないよりマシだよ」
『それもそうね』
 マイクロミサイルのポットが開いてシュパという音。空に赤の煙が上がった。
「一気に近付くぞ。援護が届く範囲に出なければ意味が無い」
 周囲を見渡し指差す方向へとハンドルを切る。
「うぁ……」
 思わず絶句。5mはあろうかと言う巨人がぬっと正面を塞いでいるのだ。その足元にもわらわらと小型の怪物がひしめき、その巨人は気にする事無く踏み潰して進んでいる。
「おい、あの足を貫く事は可能なのか?」
『無茶言うわね。不可能じゃないけど間違いなく転倒するわよ。今はサイドカー積んでるから《ランサー》の威力が落ちてるから』
 車体を包み一定時間無敵になるようなこの技も限界がある。そして槍の穂先が広がった分、刃兼バリアの強度も落ちているのだ。
『足の間を抜けるのも辛いし、足を上げてる下を突っ切るのがベターかもね』
「スリルありすぎだよ」
 ぼやくが、二人が現実味のある方法を探してる事くらいそろそろ分かってきた。自分の体力という実感も伴って。
『っ!? 何か来るわよ!』
 いきなりの警告に身を竦めた瞬間、耳をつんざくような爆音が周囲で巻き起こる。それは情け容赦なく周囲の怪物をなぎ払い、血肉を周囲にぶちまける。
『支援砲撃ね。ユキヤ、チャンスよ!』
 でも、動くと不味いんじゃないの!?
 こういうとき思念での会話はありがたいが、そんな事を考える余裕も無い心の絶叫。レーダーがあるユキヤの世界ならまだしも、『100mの壁』を有するターミナルではこちらの位置をどれだけ正確に把握しているのか分かったものではない。
『多分大丈夫よ。特殊能力を介さない光学的な視覚は有効だもの。望遠レンズを使えば4kmくらい先までは目視可能だわ』
 確かに100mを越えて光学映像が変化するならば煙信号などは意味を無くす。
 妙なルールだよね、ほんとに!
『神様に文句言いなさい。それよりも、今しかないわよ!』
 ちらりと横を見れば耳を塞ぐヤイナラハの姿がある。視界を限定されるのを嫌ってメットを着けていない彼女だったが今だけは裏目に出た。
 巨人が戸惑うように千鳥足になっている。間違いなく難易度は跳ね上がっていた。ゲームならば気楽に見切りをつけるのにと無駄な考えが脳裏を過ぎり、差し迫るような緊迫感だけが心臓を締め付ける。
「あああああああああああっ!」
 ヤケクソとはこの事とばかりに自らハンドルを切って巨人へと直進する。見る見るその巨体が間近に迫ってくるとその威圧感だけでぺしゃんこになりそうだ。
 巨人がこちらを見た。ヒッと喉が引きつる音を漏らす。
 ガンとカウルを叩く音。ユキヤは我に返り────
「《ランサー》!!!!」
 喉から迸らせた叫びと共に青い光が車体を包み、加速。巨人の踵を抉って突き抜ける。
 背後で戸惑いを含んだ雄叫びと、続けてずしんと転倒した音が響き渡った。
『一気に行くわよ!』
 マイクロミサイルの一斉射。進路上に次々と着弾するそれが怪物を吹き飛ばし道を開ける。遠方からの第二撃が押し迫る怪物を薙ぎ払い、エルはさらに速度を上げる。
「真っ直ぐ行けっ!」
 ヤイナラハの声が耳朶に響く。見据えるのは大きな門。そして防壁の上からこちらを見守る視線だ。ノズルフラッシュが煌くたびに周囲の怪物が吹き飛び、豪快な雷撃が左方を薙ぎ払っていった。
 正面の空間をミサイルが薙ぎ払い、ガタガタになった地面を歯を食いしばりながら走り抜ける。
『っ!』
 単純な焦りの思念。右前方から何か熊サイズの物が高速で近付いてくるのを見てどっと冷や汗が溢れた。もう飛び道具は尽きているし、ここで《ランサー》を使えば到着する前に効果が切れる。そして右手側からの襲撃はヤイナラハではどうする事もできない。
 ぎゅっと巨体が小さくなる。それは間違いなく飛び掛る直前の行動。
「っ!!!」
 ハンドルを切ることすらできない。やっと空いた道を逸れれば怪物の海に沈むだけだ。

『ギャウッ!!!!』

 解き放たれようとした筋肉のばねが歪み、その怪物は無様な格好で転倒する。何が起きたのかはっきりわからなかったが、赤い血が飛び散ったのを微かに見た。
「こいつは……」
 ヤイナラハの声が微かに聞こえたが、それを問い直す余裕は無い。
『ラスト!』
 ユキヤの焦りにエルの思念が炸裂した。
『ユキヤ! 一気に行くわよ!』
「っ!! うん! 《ランサー》!!」
 光を纏った車体が最早慣れてしまった加速を繰り返す。門の隙間を走り抜けると向こう側に居た面々が慌てて道を空け、生まれたスペースにドリフトをしながら停車。それからすぐに「ずん」と門が閉ざされる音が響いた。
 壁の上からの歓声と戦闘を続行する音が盛大に背中を叩く。
「……はぁ」
 いつから息を殺していたのか。ユキヤから漏れたのは盛大な、そして心の底からの安堵のため息。その瞬間耐え難い疲れがずんと体に圧し掛かってきた。
『ちょっと、ユキヤ?!』
 なんとか到着したんだから少しくらい休ませて。
 唇を動かすのも億劫に、ユキヤの意識はずりずりと闇の中に落ちていった。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「ったく、仕方ないヤツだな」
 あっさり気を失ったユキヤを横目にヤイナラハが悪態を吐く。
『まぁ、ランサーを連発したっていう理由もあるし。大目に見て良い仕事はしたと思うけどね』
 ヤイナラハが乗っているからかエルは徐行運転でとりあえず邪魔にならない場所へと移動する。
『で、ヤイナはどうするの?』
「あいつらと合流する。まぁ合流の手間は掛からないが」
 そう言って見上げた場所に箒に跨る魔女が居た。相変わらずの無表情がそこにある。
「最後の氷、お前だろ」
「……ん」
 獣型の怪物の頭を穿った一矢。それが氷の矢であったことをヤイナラハの優れた動体視力は捕らえていた。
「トウコは?」
「医療テント」
 攻撃は主にイヌガミ任せのトウコには適任の場所だろう。
「こいつも運び込んだ方が良さそうだし行くか。案内してくれ」
 魔女はこくりと頷いて箒がエルの前を走る。
『物々しいわね』
 そりゃあそうだろうと肩を竦める。ここは謂わば篭城作戦中の城だ。声が飛び交い、人が走り、飛ぶ。怪我をした連中が道端で応急手当を受け、炊き出しや補給を受け持つ者の声が響く。
 全周から戦闘音が響き続けている。壁の向こう全てが怪物の海と化しているのだ。そう考えればさしものヤイナラハも薄ら寒い物を感じる。
「ここ」
 やがて到着したのは以前食事した巨大テントだ。その周囲では人々が慌しく動き回り、負傷者は傷の手当を受けている。
 ヤイナラハはバイクから降りると軽く体を解す。
「ヤイナラハさん!」
 トウコの声。目ざといヤツだなと嘆息吐きつつ、半歩左に逃げると「え?」と間抜けな声をあげて巫女服の娘が通り過ぎ、倒れた。
「な、何で避けるんですか!」
「鬱陶しいからだ。ったく。無駄に騒がしいヤツだな」
 起き上がりざまに怒鳴りつけるトウコにこれ見よがしのため息を暮れてやり、
「とりあえずコイツを運び込んでくれ。単なる疲労だから寝かして置けばいつかは起きる」
「え? あ、ユキヤさん?」
 バイクの上でぐったりしているユキヤにようやく目が行き、慌てて服の埃を払ったトウコは札を手にユキヤに駆け寄る。
「どんな無茶させたんですか。かなり衰弱してますよ……!」
「しゃーねぇだろうが。あのバケモノの海を突破してきたんだからよ」
 札を背に貼ると白いそれはみるみる赤に染まってぼろぼろと崩れていく。どうやら疲労回復の効能があるらしいのだが、余程の状態なのだろうユキヤはピクリともしない。
「とにかく寝かせて置くようにお願いしましょう。
 それはそうと……」
 トウコは改めてヤイナラハを見上げると、にこりと微笑んで
「無事でなによりです」
 悪態を返そうとした彼女だが、喉から中々言葉が出ずにそっぽを向く。
「で、状況はどうなってんだ?」
「こちらも状況が逐一入っているわけではありませんが……
 機動迎撃に出た方は基本的に総撤収。現在は中、遠距離攻撃を中心で応戦しています。接近戦専門の方は交代で砲撃戦をしている人のフォローと言うところでしょう」
 横を負傷者を乗せたタンカが走り抜けていく。怪物の中にも遠距離攻撃を有するモノは少なくない。負傷者はじわりじわりと増えているようだ。
「数時間もしないうちに乗り込んでくる」
 ルティがぽつりと言葉を漏らす。
「あんなに高い壁をですか?」
 衛星都市を囲む壁の高さはおおよそ10m。ビル4階分ほどもある。
「もう死体が積みあがりつつある」
 淡々と、おぞましい光景を魔女は口にする。
「小型の怪物は壁に何もできない。でもその死体が壁際で山になる」
 そんな馬鹿な、と言う言葉は飲み込まれた。敵の数は万を越えるのだ。
「密度も濃くなってる。それに……」

 一際大きな音が衛星都市を震わせる。

 誰もが顔を上げ、その方向を凝視しただろう。そしてそこにもうもうと上がる土煙を見た。
「あれ……は?」
「恐らく怪物の砲撃」
 内側から見る限りはヒビの一つもない。が、その衝撃がいかに凄まじかったかはその辺りの防壁の上に立っている者が居ない事が証明していた。あるいは何人か叩き落されたのかもしれない。
「単純に押し寄せる怪物も脅威。でも、魔法やブレスを吐く怪物も、居る」
「珍しく饒舌だな」
 ヤイナラハが挿した水を辿るように見上げ
「状況説明、必要だと」
 気を悪くした風も無く言われては彼女も「必要だ」と苦笑いをして首肯する。
「登られるか割られるかは割らねぇが、それまでは俺みたいなのは雑用ってことか」
「休んでおいた方が良い」
 魔女は告げる。
「最悪……日の出まで持たない」
 時刻は深夜3時を回ろうとしている。冬のこの時期日の出は6時前後と考えれば────
「最悪がそれなら、『良い』とどうだ」
 悪い空気を気にする事無くヤイナラハは問う。魔女は少しだけ動きを止め、それから「昼までは」と告げた。
「随分と違うな」
「怪物は組織的じゃない。運の要素が強い」
 確かに最後に襲い掛かってきた巨人は衛星都市を無視してクロスロード方面に歩いていた。衛星都市に固執しているならばもっとスムーズに近づく事は出来ただろう。無論都市に入ることは適わなかった可能性もあるが。
「怪物のヤツら、衛星都市を狙ってるわけじゃないのか?」
「わからない」
 率直な答えだが怒るわけには行かない。あの頭の中身がどうなってるかなんて誰にも分かっていないのだから。
「ただ、衛星都市の傍を通る怪物はこちらへ。通り過ぎるとクロスロードに向かっているように見える」
 結論から言うとそれは正しい見立てだった。
 結局怪物という濁流の中にぽつんと衛星都市が存在しているがため、ついでのようにこの町は襲われているのである。
「こっちに興味を持つ怪物の質と量次第か……」
 ヤイナラハはギャンブルが嫌いなタイプだ。もちろん運を天に任せる局面は山ほどあったがそこに祈りも願いも、そして結果に喜びも悲しみも覚えないようにしてきた。ただそこにある結論が全てだとして。
 ただこんな生殺しの未来にどんな感想を抱けば良いのか。
 感情の行き先を量りかねた彼女の視線は土煙の薄れつつある防壁を眺め見た。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「南西区画にて破損レベル2」
「南区画にて破損レベル3です」
 衛星都市司令部では次々と防壁の破損状況についての連絡が飛び込んできている。
「人的被害は?」
 凛とした問いに「死者2名、その他は順次治療を受けている模様です」と返答が入る。遠距離からの攻撃が運悪く直撃し、即死した場合にはどんな治癒魔法も届かない。
 このターミナルでは死者蘇生は不可能というのが一般常識だ。これは死んだ瞬間に『魂』と表すべき何かが故郷となる世界へと帰還するかららしい。
「物資はどうですか」
「目減りは激しいです。特にマジックポーション類が早々に枯渇しかねません」
「……撃てば当たる状況です。気にせず撃てるだけ撃つように指示を。
 どうせ近付かれればその手の魔術は使えなくなります。銃器系に付いても同じです」
 現在活躍しているそれらは射程や効果範囲が優れているが、いざ接近戦になれば使えない物と化す。それに遠距離攻撃はリスクが少ない。ならば可能なだけ削るに越した事はない。
「医療用の最低限は確保をしておきます」
 少女は頷いて戦況を示す大型のウィンドウを見上げる。
 逐一飛び込んで来る情報を元に更新を続けるそれの右隅。おおよそではあるが観測されている怪物の数が表示されている。
 ───15万。
 一方で衛星都市に集まった人数は援軍を含めて約3万。純粋な戦闘員は8割程度と考えればおおよそ6倍の数を相手にする事になる。
 いや、カウンタは恐ろしい速度でその数を増やしている。最終的にどこまで達するのか未だに掴めていない。
 あるいは────「達する」ことさえないかもしれない。
 大襲撃の際、更に莫大な数の怪物に襲われた扉の園はその最終局面で増援を観測したと残されている。
 これほどのバケモノが一体どこから湧いて出てくるのかを来訪者は知らないままなのだ。

 ────この衛星都市にクロスロードが本来保有する3割の戦力を集めてしまった。

 安全を期するならば、総撤退が最善だった。今更の悔やみを飲み込む。
 彼らはそれを是としない。踏み出した一歩を幻としないためにここに着たのだ。
 ならば自分は守りの要としてその任を全うしよう。
「ただの冒険者が随分な大任を得た物です」
 元の世界から共にある他の三人を思う。彼らは皆それぞれに特殊な立場を持っていた。自分だけがただの冒険者で、ただの魔術師だったはずなのに。
「防壁の破損段階が5に達した箇所を教えてください。修復を行います」
 自分以外にも精霊術師が巡回し、補修を行っているはずだが練成に特化した自分程の者は居ない。
 それは自負でもあり責任でもある。
 少女は表情に平静を、心に重圧を持ち直してスタッフの声に耳を傾けた。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 音が疲労の中から彼の意識を引きずり起こす。
 体が砂か何かになってしまったかのように重くて、思い通りに力が入らない。手足の感覚も薄く、薄く届いた光は夢の中かもしれないと思った。
 夢は───まずい。彼女の記憶を読んでしまうから。
 そう思い直したところで、意識は覚醒へと一気に向かった。

 『どん』という音が絶え間なく響く。
 駆け回る音が周囲に溢れかえっている。
 怒声が響き、焦りと緊張が空間を満たしている。
「ここは?」
 天幕。はっきりとしてきた意識の中、彼は自分がどんな状況に居るのかを取り戻す。
 体を起こそうとして、予想以上のだるさに一度断念。仕事中に数時間バイクを乗り回しているのに比べればたった3時間の運転だった。と考えるのは間違いか。あの《ランサー》とかいう機能が体験したこと無いほどの疲労を彼に与えていた。
「目が覚めました?」
 不意に覗き込んで来る顔。整った顔立ちと白い肌。零れ落ちる銀髪が薄明かりに綺麗で
「……レイリーさん?」
「はい、レイリーさんですよ。おはよーございます」
 にこりといつものほわほわ笑顔を見せる少女はネジが数本抜けた挨拶をする。
「えっと……」
 何を聞くべきか。そこから彼は迷って、やや視線を彷徨わせた後「ヤイナラハさんは?」と口にする。
「えー、まずその質問ですか? ほらほら、私に怪我はなかったですかとかあっても良いと思うんですけど?」
 ぷうと子供っぽく頬を膨らませる。断続的に大気を震わせる音がここが戦場だという事実を強く押し付けてくる。
「え、えっと。お元気そうでなによりです」
「んー。まぁ、良いですけどね。まだ戦闘らしい戦闘はしてませんし。するようになったらいよいよ末期ですしね」
 どういう意味だろうと重い頭で考える。衛星都市へ駆け込む時の光景を描き出し
「まだ、壁の上から戦ってるんですか」
「はい。まだ踏み込まれてはいませんね」
 レイリー達、接近戦を主体とする戦士の出番はまだ、ということと共に、そうなれば「末期」という意味も理解できた。
「怪物の中に射撃戦闘が可能な個体がいくつか混ざってまして、結構な被害は出始めてますが」
 言いながら彷徨わせる視線。鼻についた消毒液の香り。多少言うことを聞きそうだと感じて上半身を起こして目にした光景は、かつて何かの写真で見た野戦病院を思わせた。
「まだまだ被害は小さいですよ。死者もそんなに出てませんし。時間の問題ではあると思いますけどね」
 何でもない事のように淡々と述べる。脅かすわけでもなくただそれが決まった未来だと嫌でも理解してしまう。
「安心してください。私はユキヤくんの護衛ですから。ちゃんと守ちゃいます」
 満面の笑みを浮かべてそう宣言され、ユキヤはちょっとだけ情けなさというか、立場の無さを感じる。もちろん自分が彼女の足元にも及ばない事は良く分かって居る。
「レイリーさん、無理はしないでくださいね」
「うふふ、心配されるって良いですよね」
 少女は目を細めて笑い、視線を後ろへ。
 開けっ放しの天幕の入り口。そこから俄かに差し込むのは朝日だ。
「さて本番の始まりです。張り切っていきましょう」
 そんな明るい声では掻き消せない地獄がこの地を覆おうとしていた。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「はい、どうぞ」
 湯気を立てる椀を差し出され、ヤイナラハは自分が転寝をしていた事に気付く。別に咎められることじゃない。彼女と同じく剣や槍を友とする者はその時を待って休息をとっていた。
 つい数時間前まではそんな彼らも物資の移動や怪我人の搬送を手伝っていたのだが怪物の密度が増したために休息の指示が出たのだ。それを意味するところを察し、しかし眠れるのは流石戦士というところか。
「おう……」
 受け取った彼女の隣にトウコは腰掛けた。いつもは無駄に小奇麗な身なりもすす汚れ、自分の物ではないだろう血の染みも見て取れる。
「状況は?」
「流石に負傷者は増えつつありますが膠着を保ってます。ただ、壁の上からの光景は見たくないですね」
 ポタージュのようなスープを啜りながら、遠雷のようだった爆音がかなり近付いていることに気付く。
「出番は」
「考えたくないですけどお昼頃まで持つかどうかですね。一部の壁で亀裂が確認されて、補修に走り回ってるそうですから」
 一見堅牢な防壁もクロスロードのそれには遠く及ばない。成竜クラスの巨体が全力で突撃すればどうなるか知れたものではなかった。
「一応診療場所や貯蔵場所等は一箇所に集めてバリケードを作っています。私達はそちらの防衛に回りませんか?」
 外壁を乗り越えてくる怪物を潰し続ける仕事よりはよっぽど安全だろうが、そこが決壊すればなだれ込まれるということは子供でも理解できる。
「ルティのやつは?」
「今は休息中です。彼女超遠距離の術を持っていましたから最初の方から出ずっぱりだったもので」
 視線を投げた先にちょこんと座るイヌガミの姿を捉える。あそこに寝ているのだろう。
「ポーションなんかで精神力を回復しても脳の疲労は蓄積しますからね」
「あいつには礼を言わないとな」
 ず、とスープを啜り、それから目を丸くするトウコを睨む。
「なんだよ」
「いえ……何かありました?」
「うっせぇ」
 自分でも礼なんて言葉は似合わないとすぐに思い返したところだ。視線を逸らして具を掻き込む。
「恥ずかしがる事無いじゃないですか。良い事なんですから。
 ……恥ずかしがるような事でもあったのですか?」
「どういう意味だよ」
「どういうって……ほら、その」
 顔を赤らめて無意味に指を彷徨わす巫女をキモチワルイモノでも見るような目で睨む。
「そういうのでは?」
「意味がわからねえ」
 苛立った即断の一言にトウコはほっとしたやら残念やらわからない溜息を吐く。
「まぁ、ヤイナラハさんですものね」
「喧嘩売ってんのか、お前」
「正直、ユキヤさんの事、どう思ってるんですか?」
 視線に殺気を込め始めた瞬間に、巫女はずいと自分から顔を近づける。
「は?」
「ほら、危険な荒野を二人旅してきたわけですし……」
「二人じゃねえだろ」
「え?」
 エルの事を認知していないトウコは数秒ぽかんとし
「えええ?」
「ドコ見て驚いてるんだよ、お前は」
「い、いや、だって、ほら! そうだったら戦闘なんてもっての外ですよ!」
「そうって何だよ!!」
 目を白黒させて大声をあげるものだから、周囲が何事かと視線を向ける。しかしトウコはそれどころではなく
「いくらヤイナラハさんががさつでもそれはいけません!」
「……」
 ぐいと迫って失礼極まりない一言を放つトウコの頭を拳骨で打ち抜く。
「っ!?」
 かなり良い音がして、周囲の方が痛そうな顔をしているのをとりあえず無視。
「な、何するんですか! 私はただお腹の子供の事を心配して……」
「はぁ? なんだそれ!?」
「何だって……今そう言ったじゃないですか!」
「なんでガキなんか居るんだよ!」
「だって二人じゃないって!」
「あの乗り物だよ! 喋りやがるんだ」
 ……
 後頭部をさすりながらきょとんとする巫女。
 ヤイナラハは周囲の視線を散れ散れと手で追い散らし、柱に体重を預ける。
「妄想も大概にしておけよ」
「いや、だって、ほら。今の話の展開だと誰だってそう思いますよ」
「お前だけだ。ったく」
 何が悲しくてあんなヘタレのガキなんか孕まなきゃなんないんだ。
「……ま、まぁ。確かにヤイナラハさんから襲わない限りはありそうではないとは思いますが」
 とりあえずもう一度体を起こしたヤイナラハは全力でトウコの脳天に拳骨を振り下ろした。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「神よ、俺に─────」
 大よそ神なんて信じた事もなさそうな世紀末ファッションの男がそう呟いた。
「いや、俺達に種籾程度でもいいから加護を!」
 構えるのはガトリングガン。弾奏帯が冗談のように長く伸びている。
「悪魔でもかまわねえけどな!」
 別の同じファッションがRPGを肩に担いだ。
「いょーっし! お祈りは済んだか、野郎ども!!」

『YEAAAAAAAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 戦闘を繰り広げる壁上の面々が何事かとそちらへと視線を這わす。
 その先に十数人の世紀末ファッションに身を包んだ男達が重火器を手に雄叫びを上げていた。

「一発一発丁寧にブチ込んでやれ! 無駄弾なんて打ち込むなよ!?」
「リーダー! どこに撃っても大当たりだぜ!」
 確かに、眼下はすでに怪物でひしめいている。前面にさえ飛べば当たらないほうが奇跡という状況がそこにはあった。
「なんだ、そうかい。じゃあアレだ」
 リーダーと呼ばれた一際でかい体躯の男は両腕にロケットランチャーを担いでニィと笑った。
「ひぃひぃ言うまでブチ込んでやれ! 大盤振る舞いだ!」

『YEAAAAAAAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 鉛玉と爆炎の狂演が始まった。
 圧倒的な鉄量が怪物と大地を練り物にしていく。毎秒数十発という速度で吐き出される弾丸が一つでは食い足らず十数匹の肉をぶち抜いて血飛沫を撒き散らし、連続で放たれたロケットランチャーが華々しい爆音を立て続けに上げた。
 適当にばら撒かれた手榴弾からばら撒かれる破片という名の弾丸が纏めて命を薙ぎ払い、対空ミサイルが飛来する怪鳥を叩き落す。
 だがおぞましいのは彼らの戦力ではない。そうやって生まれた空隙がものの数秒で埋まっていく。
「何匹居やがるんだ」
 視界の端でへたり込んだ魔法使い風の男が居た。彼だけではない。この余りの光景に絶句し、立ち尽くす者は数多く居た。
「簡単な理屈を教えてやる!」
 撃ちつくしたランチャーを担ぎなおし、砲丸投げのように構えながらリーダーが叫ぶ。その声量たるや耳がバカになるほどの戦闘音すら凌駕した。
「全部倒せば俺達の勝ちだ」
 ぶんと投げられたそれが巨人の顔面にクリーンヒットし、血やら脳漿やらを撒き散らしながらぶっ倒れる。
「そうだろ? お前ら?」

『YEAAAAAAAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 より火勢を増した後も先も見ない乱射。それをぽかんと見ていた男は立ち上がり詠唱を再開する。
 絶望するためにここに来たわけではない。
 誰かが同じように声を荒げ武を示す。誰かが励ます声をあげて治癒の術を使う。
 口を開かず補給物資を運ぶ者も居る。
 夜明けの光景は地獄だった。だが、地獄の狩り手は未だその門をこじ開けるに至らない。
 新暦1年12の月24日。
 本格的な篭城戦がここより始まった。
*********
(2010/10/25)
「イヒ……キヒッ……」
 ガラスを引き掻くような耳障りな笑いが響く。
「キ……ヒッ」
 何がおかしいのか────それを憶測する事はできない。
 むしろ真っ当な精神を持っているならば、その音に含まれる圧倒的な狂気から意識を背けるだろう。
 狂っている。世界のあり方、存在そのものが捩れ狂うような、あらゆる世界から『狂気』という概念を抽出したような嗤い。
「ン……ン、ン、ンン?」
 ぎょろりと目玉が動き、虚空を見つめる。それからにちゃりと音を立て、半月状に口が割れた。
「……ホコロビ」
 まるで一言一言が脳をいじくり掻き回す火掻き棒のように、人だけではなく空間をもかき乱す。
「キ……ヒ」
 ぐるんと目玉が回り、捩れる嗤い声を響かせて
「ヒヒ……」
 それはただ、ただ嗤い続けた。その意味さえも狂わせて。
力無き者として
(2010/12/09)
 夜明けから2時間が経過した。
「クソっ! 無茶言うなよ!」
 管理組合からの通達に誰かが悪態をついた。
 この怪物の海を突っ切って救援部隊が衛星都市に来るらしい。その血路を開け────
「どんなクレイジーだよ! ったく!」
「とりあえず必要最低限の物資を持って突っ込んでくるらしいわ。残りは飛竜でピストン輸送だそうよ」
「誤射しない事を願いたいね!」
 会話する二人に余裕があるわけではない。撃てば当たり、当たっても減らないこの光景から精神を守るためにどんな下らないことでも無理やり口にしているのだ。
「輸送の飛竜には点滅するライトが付いているらしい」
 休憩から復帰した三人目が二人の間に割り込んで矢を番えた。
「へぇ、確かに怪物にはない知恵だわ」
「知恵か。アイロウス様の慈悲の欠片でもあれば頭の良い死に方もできたんだろうな!」
「誰だいそいつは?」
「知識の神様をそいつ呼ばわりは無いだろ?」
 少しむっとした言葉に三人目は片目を瞑り、
「そいつは失敬。うちの知識の神は誰だったかな。ンードメイ=ヌザ様だったか」
「こっちはプロメイ=ラ=テ=ア=イウス様よ。まぁ誰でも良いからあたし達に加護と勝利を!」
「違いない」
 故郷とする世界を別にする三人は強気な笑みを見せ、持てる限りの攻撃を盛大にぶちかました。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「この状況で門を開けるなんざ、気でも触れてるのかよ」
 ヤイナラハはそう言いながら剣を抜き放つ。
 自分達よりも早く着くはずだった補給隊がまだ到着していなかったと聞いたのは衛星都市北門の防衛依頼が出たのが切っ掛けだった。どうやら途中で怪物と数度となくやりあったために大きく足を鈍らせたらしい。
「でも補給物資は必要です。ポーション類は喉から手が出るほど欲しいですからね」
 トウコもイヌガミの背を撫でつつその場に居る。ルティだけは壁の上で既に攻撃を開始していた。ようやく明けきった空に万色が煌き、その先で死の破壊を振り撒いている。
「あのバカ女は?」
「補給所の防衛と言っていましたけどね」
 完全にシャットうアウトできる自信がある者など誰一人居まい。そうなれば少なくとも入り込んだ怪物を相手にする戦力も必要だ。仮にその一匹でも怪我人や住人が集まる補給所に飛び込めば大惨事になる。
「長期戦に向かないヤツだしな」
「そうなんです?」
 きょとんと聞き返す巫女。
「たりめーだろ。あんなでけぇの持ってどんだけやれると思ってるんだ?」
「……いえ、まあ。クロスロードの場合そういう人も結構いますし」
 そう返されるとやや口を噤んでしまう。ちょっとムッとしながらもヤイナラハは言葉を続ける事にする。
「……アイツの場合は別だ。見るからに疲労がでかいしな。多分お前でも腕相撲勝てるぞ」
「無理ですよ! あんな巨大な剣持ってる人とやりあえるはず無いじゃないですか!」
「……いや、腕相撲なら勝てるさ」
 その言い回しにトウコは眉根を潜める。
「あいつは体全体を使って剣をぶん回してるんだ。だから腕力だけならどうという事でもない。
 つーか、滅茶苦茶だぞ。少しでも間違えば腰やら腕やら自分で砕きかねないやり方だからな」
「……」
「なんだ?」
「いえ、ヤイナラハさんが他人を長々と語るのって初めてだと思いまして」
 そう突っ込まれると彼女は本当に嫌そうに眉間にしわを寄せ、
「どういう意味で言ってんのか知らねえけどな。目の前で武器振る相手の特性くらい見切ってて当たり前だろうに」
「……はぁ」
「何だよ、その溜息は」
「いえ。ほんとヤイナラハさんはヤイナラハさんですねぇと」
 物凄く失礼なボヤキを漏らすトウコを睨みつけ、何となく突っ込むと妙な話になると見切って視線を他所に投げる。
『開門するぞ!』
 増幅された声が響き渡る。構える面々の前で一拍置いた後にぎぃと音を響かせて門が上がる。
『斉射っ!』
 門周辺に火力が集中し、外部から猛烈な勢いで土ぼこりが吹き込んでくる。
「っぺっ! ヒデエな」
 腕で風除けを作りながら薄目で前を見る。ちりちりと焼けるような熱が頬を撫で、その先の破壊を如実に表わしていた。
 次いで響く駆動音。『轢かれないように注意しろ!』と声が響くと同時に誰かが風を操作したのだろう熱風や土ぼこりが吹き払われ、猛烈な勢いでトラックが走り抜けていく。それが5台、6台と続けば圧巻だ。速度を落とせば後続が停まらざるを得ない故、先にある広場まで一気に突っ切るのだ。
 扉の向こうでは爆音が続いている。道を確保するために火力を注ぎ込み、守り続けている。
『2匹!』
 それをかいくぐった怪物が輸送隊の安全のために攻撃できない領域に踏み込む。輸送護衛用の装甲車がバルカン砲で迎撃するが、速度と揺れのせいで仕留められたのは1匹のみ。四足獣型の怪物は素早く門へと肉薄するが、潜るかどうかの直前で下で待ち構えていた魔法使いから集中砲撃を浴びて吹き飛ばされた。
『あと4台だ! 門を閉めるまでの間、頼むぞ!』
 勝負はそこだ。周辺の怪物も門へ向けて移動を始める個体がどんどん増え、討ち漏らしが必然的に増加すると地上で待ち構える探索者の動きも慌しくなる。
「来やがったな」
 トウコは一歩下がり、ヤイナラハは体を前に傾げる。弾くような速度でゴブリンのようなそれに肉薄し、首を掻き斬る。薄く彫られた文様に血が走って背後に散る。
 勢いを殺さぬままに更に前へと飛び込み、ヘルハウンドの前足を薙ぎながら左に身を流し、横腹を派手に斬りつけた。
 突破してくるのは小型ですばしっこいヤツばかりで、彼女にとっては相性の良い敵だ。もはや慣れきった動きでイヌガミが着地。その口には噛み千切ったであろう肉がある。
『最後の一台だ!』
 運悪くトラックの前に飛び込んだ怪物がパンと弾かれ宙を踊る。直後に門が轟音を立てて落ちた。
 その間に入り込んだのは十数匹。孤立した怪物には魔法や矢が雨霰と降り注ぎ、突進してくるヤツラを接近戦を主とした者が迎え撃ち、討伐する。
『よし、作戦終了。引き続き外への攻撃を継続されたし!
 手の空いてる地上組みは荷卸を手伝ってくれ』
 その声にまずは安堵の吐息がちらほらと漏れ、しかし予断を与えない爆音に誰もが壁の向こうを透かし見た。
「ヤイナラハさん、お怪我は?」
「ねぇよ。見てただろうに」
 あれば要らないと言ってもまず治療をしようとする。それを当然のように思う自分に舌打ち一つ、イヌガミの頭を乱暴に撫でて街の中央方面へと歩く。
「どうするんですか?」
「街の外、見ただろう?」
 低い音にトウコは息を呑む。
 巻き起こる破壊の嵐よりも、その後ろで蠢く黒山の群れに誰もが一瞬の時間を奪われた。壁の上に居る者達はずっとその光景をにらみ続けて居るのだと今更ながらに知る。
「なりふり構ってられないさ。荷卸の手伝いくらいしてくる。お前は治療の方に戻れ」
「……この子、預かって置いてください」
 とっと石畳を踏む音と共にイヌガミが横に並ぶ。
「意味ねーだろ。こいつはお前の護衛だろうに」
「ダメです。ヤイナラハさんはこの子と戦うのにすっかり慣れたじゃないですか」
 元々彼女は背中を守る事もせず飛び込むタイプの戦士だが、その速度に付いていけるイヌガミのフォローを得て、なおその傾向が強くなっている。
 彼女とてそれは自覚しているため、チと舌打つ。
「それにテントまで押し込まれるような事態になればこの子が居ようとあまり変わりません」
「……わーったよ」
 言い返すのも面倒とばかりに肩を竦めてヤイナラハは歩き去る。
「ホントに変わりましたよね」
 トウコは二人の背中を暫く見つめ、自分がやるべきことのために一歩を踏み出した。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「って、今何時!?」
『8時23分です』
 PBからの回答に息を呑み、遠雷のような爆撃音に身を竦める。
 次いで周囲を見渡して更に絶句。少なくない数の人々が怪我に表情を歪め、治療を受けていた。消毒液や薬の臭いが鼻を突き、こんな中でよく眠ってられたと戦慄する。
「みんなは……?」
 残念ながらPBはコミュニケーションソフトではない。その問いには応じる事無く、沈黙を守った。だが問うまでの事でもない。それぞれが戦いを繰り広げているのだろう。
 立ち上がり、強烈な立ちくらみに蹲る。とにかく体がだるく、そのまま倒れ込みたいという欲求に必死に抗いながら天幕の出口を視界に入れる。少なくとも自分以外には動かせないエルは近くに居るはずだ。
 歩き出そうとして、ふと立ち止まる。
 ─────僕は今から何をすべきか?
 軽いはずの腰の小剣が急に重く感じる。餞別に武器を貰ったとは言え自分の本質はタダの大学生のままだ。血みどろの戦いの中に飛び込むだけの武勇など持ち合わせてはいない。
 せめて治療している人たちの手伝いでもすべきだろうか。周囲を見渡し、血みどろの腕を抱える男を見てしまい気が遠くなる。ドラマや映画以外で血みどろの人なんて見たのは初めてだった。
 ユキヤは目を逸らして逃げるように天幕の外へと出た。多少遮蔽されていた音がずんと耳と腹に響き、身を竦める。
 天幕の外も人の動きは慌しい。誰も彼もが不安と強い意志を表情に乗せてやは早足で動き回っている。
「そこどいて!」
 横合いからの声に慌てて身を引くとタンカでドワーフらしき人が天幕の中へと担ぎこまれていった。ちらりと見たが左足が無かった。
『何青い顔してるのよ』
 呆れ返った声。救いを求めるような目でそちらを向けば見慣れたバイクがそこにあった。
「エル……。みんなは?」
『レイリーはどこに行ったか知らないけどヤイナとトウコは門の方へ行ったわ。遅れてた輸送隊が今しがた入ってきたのよ』
 門と言われて視線を巡らせるがここからではその姿は確認できない。
『で、アンタはどうするの?』
「……どう、しようか?」
 困ったように返されてエルは苦笑じみた思念を飛ばす。
『ユキヤ、あんた一つ忘れてない?』
 忘れる? 疲れとショックに混乱気味の脳内がぎちぎちと動き始め
「あ、お遣い……」
『しっかりしなさい。エンジェルウィングスの社員なんでしょ?』
 苦言にユキヤは情けない顔をし、新調した輸送用BOXに触れた。
「アースさんに、だよね?」
『ええ。戦況が厳しくなれば忙しくなるでしょうし、早いうちに行くべきね』
 じっとしていても不安が増すだけだ。ユキヤは縋る思いでエルに触れた。
『体、大丈夫?』
「まだだるいけど平気だと思う。戦うわけでもないしね」
『……だと良いんだけどね』
 不穏な言葉にぐと息を詰まらせる。追い討ちをするように空を舞う怪鳥が砲撃で落とされ街のどこかに落ち、ずんと音を響かせた。もうここはいつ怪物が乗り込んでもおかしくない場所なのだ。
「あれ? 起きたんですか?」
 焦りが蓄積する中ですぐにでも出ようと決心しかけたタイミングでの緩い声。
「レイリーさん?」
 振り向けば手に湯気を立たせる椀を2つ持った少女が誰もが見蕩れるだろう整った顔立ちをぽやっとさせて微笑んでいた。
「もう動き回って平気なんですか?」
「ええ、おかげさまで」
「それは何よりです。折角朝ごはん貰ってきたんですけど、どこか行くんですか?」
「ええ、届け物です」
 そう言えばこの届け物についてはレイリーは知らないことを思い出す。
「じゃあエンジェルウィングスのお仕事じゃないですか。私を置いていくなんて酷いですよぉ!
 それに今更少々急いでも変わりませんよ? ちゃんとお腹の中に入れていきましょ?」
『……まぁ、レイリーの言う事も一理はあるわね』
 気勢を削がれたとばかりにエルも呻くように同意する。
 それが聞こえていないはずのレイリーはしたり顔になって
「戦場の空気に飲まれたら早死にしますよ?
 意気込むのは疲れるだけですからねー。リラックスですよ」
 ふにゃりと笑ってお椀を差し出してくる。
『抜けてるのか豪胆なのか、ホントにわかんない子よね』
 良い意味で両方なのだろう。そんな事を思いながらユキヤは暖かい椀を受け取った。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「アース様。エンジェルウィングスの者が届け物を持ってきたと」
「……私に届け物?」
 こんな非常事態にそんな悠長な事をしそうな知り合いはほぼ一人であるが、
「品物は?」
「とらいあんぐる・かーぺんたーずのアルカ氏からだそうで『渡してほしい』と頼まれたのでと」
 目まぐるしく動く作戦画面から目を離さないまま沈黙。予想は外れ。
 その店なら2つの意味で有名なのでもちろん知っている。が、自分個人に届け物……?
「分かりました。通してください」
「はっ」
 報告者は一度下がると、暫くして気の弱そうな青年を引き連れて戻ってくる。その後ろにはやたら大きな剣を背負った少女が続く。
「状況が状況ですのでこのままで失礼します。
 私に届け物、とは何でしょうか?」
「ええと、これです。発注品、だということで」
 そんな覚えは全く無い。そう思う前に差し出されたそれを思わず凝視する。
「これ────は」
 たんぽぽ色の小さな宝玉。それが付いただけのシンプルな首飾りでしかない。けれども唯一彼女だけはその玉の意味をいやと言うほど理解してしまった。
「これを、私に、ですか?」
 明らかに表情の変わった彼女を不思議そうに見ながらユキヤはおずおずと頷く。
「……」
 席を立ち、差し出されたそれをゆっくりと手に取る。
「っ!?」
 静電気でも走ったかのような反応にユキヤのほうがびくりとして、「すみません!」と謝った。
「あ、いえ。大丈夫ですから」
 落ち着きを取り戻せぬままに首を振る。
 冷静沈着を旨とする彼女がこんな反応をするのもめずらしいが、初めて会う彼には分かりえない事だった。
「とにかく、受け取りました。ありがとうございます」
「いえ、じゃあ僕はこれで」
 そそくさと立ち去る青年にはとてもこれの価値が分かっているようには見えない。本当にただの配送屋なのだろう。
「……」
 周囲を目まぐるしく駆け巡る声から意識を切り離して、アースはその小さな首飾りを凝視する。

 彼女の脳裏に描かれた言葉は2つ。
 それを誰にも漏らさぬままゆっくりと意識を現実へと引き上げた。
力の有無。意思の有無
(2011/04/04)
 戦闘開始から7時間が経過し、晴天の空は冬の空気と相俟って吸い込まれるほどに青い。
 そんな空を数多の魔法光が、ミサイルが、飛び交っては血潮を撒き散らしていた。

 『怪物』はこのとき完全に衛星都市を取り囲んでいた。積み重なる死体を足場に接近しては壁に張り付いて登ろうとしてくる。そんな味方をも巻き込んで砲撃能力を有する『怪物』が防壁へと攻撃を繰り返している。そうして更に死体は積みあがり、次なる怪物の足場となって脅威を近付ける。
「とにかく中型以上の怪物を近寄らせるな。それから対空砲撃部隊を死守しろ!」
 防壁を飛び越えて着弾する魔術や生体砲弾、弾丸が整い始めたばかりの町並みを打ち砕き、傍に居た人々を害していく。
 なんとか一時補給部隊を招き入れ、体力を維持した衛星都市だったが、止む事の許されない迎撃はその貴重な資源を容赦なく喰らい尽くしていく。
「ちぃ、倒れるまで魔術を使うな! 搬送する人手が勿体無い!」
「タンカ! 負傷兵3!」
 特に魔術戦力の消耗は著しかった。ポーションなどで精神力をある程度補填したとしても、肉体───特に脳の疲労は著しい。脱落する者も少なくなく、十分やそこら休んだところで回復するようなものではない。
「こっちだ、乗っけてくれ!」
「はい!」
『せわしないわね、ほんと』
 エルが愚痴るのも無理はない。アースに届け物をした後、ユキヤは即席の荷車を付けられて衛星都市中を走り回っていた。
「おっけーだよん」
 ベルトで負傷者を荷車に固定したレイリーがサイドカーに飛び乗る。いちいち背負ったり降ろしたりする暇が無いので愛用の剣はサイドカーの横に括りつけられたままだ。
「行きます」
 ユキヤが宣言して車体を走らせた瞬間『ずん』と腹に響く音がすぐ近くで響いた。何かしらの砲撃が着弾したのだろう。しかしユキヤは身をすくめるだけだ。
『随分と感覚が麻痺してきたわよね』
 どこか心配そうな声に彼はただただ苦笑いを浮かべる。
「……怖いよ。でも」
 視線をほんの少しだけ背後へ。
「みんな必死に戦ってるんだ。そんな中でじっとしてる方が怖いんじゃないかって思えてきたよ」 
「大丈夫ですよー。私が横に乗ってるんですから」
 のほほんと言う彼女は狭い助手席に収まって居るためにいざと言う時の行動など望めない。しかし自身の幸運をまるで疑っていないようなそんな言葉に笑みを零す。
「期待してます」
 言葉を交わせる人が居る。それだけでも心の支えとばかりにこわばった顔で笑みを作る。
 走り回る人も多く速度を出すわけにはいかない。徐行速度であることがもどかしいと思う日が来るとはと、その表情を苦々しくする。
 数分かけて大テントまで戻るとすぐに近くの治療班員が駆けつけて負傷者を降ろして運んでいく。
「青い旗の方へ、ポーションの運送をお願いします」
 すぐに別の人がやってきて荷台にダンボールを固定する。それ以外にも色々な荷物が積まれ、場所を示すマーカーを貼り付ける。必要になると踏んだ錬金術師がありあわせのものでマーカーシールを量産していたらしい。
「わかりました」
 ユキヤは箱に記されているペットボトルマークを確認して走行を開始。
「ポーションなんて瓶に入ってるイメージしかなかったよ」
「『ペコペコ』は割れにくいから良いですよね」
 ペットボトルのことだろう。レイリーがのんびり調子で返してくる。
「ただ、投げて回復させにくいのが難点です」
「……投げてって?」
「頭にがつーんと。あれって瓶の堅いところに頭が当たると割れなくてトドメになっちゃうんですよねー」
『……気にしないほうがいいわよ?』
 なーんとなく言わんとすることは分かるが、確かに考えないほうが良いかもしれない。コンピュータRPGなんかで戦闘中に他人へポーションを使うと言うことはそういうことかもしれないとだけはチラリ思う。
 そうこう言っているうちに青の旗が間近に迫る。設えられた即席の補給所に滑り込むと待ちわびたように人が集まってくる。
 甲冑を纏ったいかにも歴戦の将軍という風貌の男が指示を出し、段ボール箱が運び出されていくのを見ていると
「ユキヤさん!」
 嬉しそうに駆け寄ってくる巫女服に「トウコさん。ご無事でなによりです」と笑みを零す。
「もう動いて大丈夫なんですか?」
「はい。おかげさまで。……ここにはトウコさんだけですか?」
「ルティさんは休息中で、ヤイナラハさんはこの天幕の護衛でその辺りに居るはずですけど」
 ユキヤが来たと言うだけで呼び出せば不機嫌になるのは目に見えている。二人は互いに苦笑しあった。
「……」
 言葉が出ない。励ますのもおかしくて、状況を聞くのも違う気がする。
「大丈夫です」
 思考の袋小路に入りかけたユキヤにくすりと笑みが届く。
「なんとかなりますよ。だからできる限りの事をやっていきましょう」
「……はい」
 強いな、と純粋に思う。
「動けるやつは撤退しろっ!」
 決意を新たに────そんな思いを打ち砕く血を吐くような叫びがテントに響き渡った。
「防壁が崩れるぞ!!」
 まるでそれが静寂の魔法であるかのように、水を打ったように静まり返ったテントに次いで波紋のように広がるのは驚愕。
「なっ!」
「動けるヤツはとっとと走れ! 戦えるやつは戦線復帰! 急げっ!」
「医療班は動けないヤツのサポートを! ……何よりも、自分の身を守れ。お前らが1人欠ければ10人死ぬと思え!」
 指示の中に混じる残酷な言葉が耳に遠い。しかし更なる轟音が精神を絶望にまで突き落とした。
 瓦解の音。たった一人が作り上げたとは思えない堅牢な土壁が巨大な鉈でも上から叩き付けられたように裂け、割れ砕かれた音だ。
「と、トウコさん!?」
 巫女服の女性が身を翻してテントへ走る。
「危険ですっ!」
「動けない人が居るんです!!」
 無意識に体は追おうとするが、人が逃げ出てくるテントにバイクごと突っ込むわけには行かない。そしてエルは放置されたら自力で動けない。
「っく!」
「ボウズ、邪魔だ! 移動しろ!!」
 大柄な男の叫び。しかしその声に応じるのはトウコを見捨てるようにも思えて体が動かない。
「なにやってんだ、バカ」
「がっ!」
 そんなユキヤの頭が容赦ないゲンコツに揺れる。メットがあったから良かったものの、無ければ気絶してもおかしくないほどの勢いはメーターを強かに打ちつけるほどだった。
「なっ、ヤイナラハさん!?」
「なにしてんだよ。邪魔だって言われてるだろうが」
「トウコさんが中に!」
「アホ。てめぇが心配する必要はねぇし、てめぇの方が危険だ」
「まぁ、やっちゃんの言う通りですねー。わんわんさんも行ったみたいですし」
 よいしょとサイドカーから降りたレイリーが愛剣を手にする。
「とはいえ、ここは防衛線を敷かないと危険ですね」
「ったく、面倒だな」
 ヤイナラハも周囲に視線を這わせながら嫌々な口調で応じる。
「てめぇは離れてろ。あの突撃技を使うわけにはいかねーだろ」
『ミサイルも巻き込みかねないし、退避が済むまでは確かに邪魔ね』
 エルの同意まで聞いてユキヤは渋面を作りつつもバイクを壁から遠ざける。改めて停車させながら触れるのはアルカに貰った双剣。
『それはあくまで護身用よ?』
「解ってる。でも」
『これが全部終わったら彼女に頭下げて教えてもらったら?』
「……絶対拒否されるね」
『あら、どうかしらね』
 どんな言葉を重ねても彼女がうんと言うイメージは思い浮かばない。
『ともあれ、いざとなれば《ランサー》で切り開く必要もあるんだからね。
 戦況は把握していなさい』
「わかった」
 無理に何かをするよりも、戦いなれた彼女らの指示を信じるべきだ。
 そうは解っていても、胸の中が疼く自身に青年はほんの少し前の自分を思い出して苦笑いを浮かべた。

    ◆◇◆◇◆◇◆
 
「そーれっと」
 気の抜けるような掛け声の直後にぐぉんと大気をぶん殴る音。そこに共に数匹の怪物が悲鳴を添える。
 その戦い方はとても少女が大剣を操っているようには見えない。まるで大剣の方が動き、少女が振り回されているようである。
「こっちですかー?」
 慣性を殺さず、あくまで自身の体を軸と支点になることに終始する動き。敵を屠る時にはすでに次の敵の動きを予測して体を移動させるという普段ぽわぽわして頭に螺子が足りなさそうな少女に似合わない知の剣だ。
「とー」
 オーガの棍棒が地面を叩く。剣が生んだ慣性にぶん回された少女の体は回避という結果を得る。着地するなり「うんっ」と身を沈めて剣筋をほんの少しだけコントロール。地面をわずかに掠った大剣はオーガの首を後頭部ごと割砕く。
「その気の抜ける掛け声やめろ」
 まったくの正反対の剣を振るうヤイナラハが眉根を寄せる。彼女の剣は手足の延長。パンチに刃が宿り、ガードに刃が合わせられる。舞うように敵の懐に滑り込み、薄い所を切り裂いていく。
「えー?」
 非難の声っぽいのを挙げつつ数匹のゴブリンを巻き込んでなぎ払い、その死体が弾丸のように背後の怪物にブチ当たった。
「けっこーっと、大変ーんしょ、なんでーす、よっと!」
 相手の攻撃には剣の裏側に隠れるように動き、その衝撃をも利用して次の攻撃へと繋げる。
「うっぜぇ」
 そう言いながら互いが互いの動きを利用して動いている。そうでもしなければ次から次に沸いてくる怪物に背を取られかねないのだ。もちろん戦っているのは二人だけではない。多くの探索者が侵入を防ぐために奮戦をしているが、ぽつりぽつりと小さなミスで戦力を奪われている。
「ヤイナさん、左っ!」
 ユキヤの声。チと舌打ちして横に飛ぶと、連射された銃弾が地面を抉った。両手がガトリングガンになったロボットからの攻撃だ。近くに居た小型の怪物を容赦なく撃ち抜いても気にせずに弾丸をばら撒く。
「わわわわ」
 慌ててレイリーも自らの剣の影に隠れる。ガガガガと剣身を銃弾が叩くが肉厚のそれをへこますことすらできない。
「エル!」
『おっけ』
 マイクロポットミサイルが一発撃ち放たれる。怪物はすぐに反応して射線をミサイルに合わせ、迎撃。
「うざってぇんだよっ!」
 爆煙の中、ヤイナラハが一気に走りこみ足蹴にしてから顔面に相当する部分に双剣をねじ込む。そのまま背面に倒れるロボットを再び足蹴にして強引に剣を引き抜いた。
『ガトリングガンでも仕込んでもらえば良かったかしらね』
「今さらだし、撃ったら吹き飛ばないかい?」
『無反動銃くらいならユイは作れるって』
 確かにできそうだと納得しつつ車体をターンさせて怪物から距離を取る。もうまともな武装が残っていないし、やはり《ランサー》を使うのは狭すぎる。
『随分と落ち着いてきたじゃない』
「はは。現実感が無くなってるかも……」
 肝が据わったというよりも一線を越えて気が触れたというべきかもしれない。数々のトンデモ体験の経験と、ヤイナラハの経験がユキヤの過剰な恐怖心を抑えつけ、理性を保たせていた。
『それにしても……』
 ユキヤも周囲へと視線を這わせた。目に見えて敵の数が増えている。けが人は一通り逃がし終え、参戦する者も少しずつは増えてきているが元より援軍に回れるほど余裕のある場所などどこにもない。
『逃げる事を考えないといけないかもね』
「でも……!」
『分かってる。でも踏みつぶされても仕方ないわ』
 明らかにヤイナラハとレイリーはこの場に置いて主力級だ。二人が退けば敵がなだれ込んでくるのは目に見えていた。
「っ、そうだ! 壊された壁を沿うように《ランサー》を使えば……!」
『危険すぎるわ。障害物が多すぎるもの』
 荒野では《ランサー》解除後もそのまま走り抜ける事ができたが残骸や死骸が散見されるこの場所で全力走行するのは自殺行為である。
「ミサイルは!?」
『一斉射できるけど、焼け石に水ね』
 そう言っている間にも次々に怪物があふれ出し、戦う者達を取り囲もうとする。
『いざとなったら引き殺す勢いで助けに行くくらいだわ』
 それまで見ているしかない。紙一重の戦いを繰り広げる二人の少女を前にユキヤはぐっと下唇を噛む。
 左の手がハンドルから離れ、アルカに持たせてもらった剣に触れた。
「馬鹿な事考えるな。足手まとい!」
 背を向けたままの恫喝にびくりと体を震わす。
「てめぇが飛び込んできても邪魔なだけだってくらい分かれ!」
 エルを介した念話。強い意志を察したヤイナラハの言葉にユキヤは小さく「でも……」と零す。
 分かっている。分かっているが、
「その意気や良しですよ。ユキヤさん」
 横合いから柔らかい声。前に飛び出すのは獣の影。
「トウコさん!」
「怪我人の避難は大方済みました」
 疾風の速度で戦場に飛び込み、コボルトの腕を容赦なく齧り、捻り倒すのはイヌガミだ。ヤイナラハは即座に動きを変え、レイリーは「ぉぉっと?」とすっとぼけた声を挙げつつその動きに合わせる。
 三つの動きが即座に調和し、弱まりかけた殺戮の嵐がより一層の暴風となる。
「ハッ!」
 気合いと共にトウコから放たれるのは2枚のヒトガタ。紙を人間の形に切ったモノ。それが潜り込むように2人の少女に張りつくと、すぐに黒ずんだりいろんなところに切れ目を入れたりしてボロボロになり、地面に落ちる。
 カタシロ───対象の傷や疲労を似て非なる紙の人形へと移す回復術だ。
「助かりますよー」
 朗らかな笑顔に大粒の汗を垂らしていたレイリーがぐんと踏み込んでキメラの頭を打ち砕く。
「支援はお任せください」
 二コリと微笑んで周囲を見やる。2人と1匹はその仕事の範囲をやや広げ、トウコとユキヤを中心とした半円を形成。近づく者を次々と蹴散らしていく。
 何とかなりそうだ。心に浮かんだ安堵────
 それを打ち砕く轟音はその直後に響いた。
 崩された石壁が更に広く崩壊したのだ。そちらへと目を向けたユキヤは声を喉に詰まらせる。
『ジャイアント種……っ!』
 体長が10mはあろうかという一つ目の巨人が砕けた壁に手を掛け、ぬうと覗きこんでいた。
「あはー。ちょっときついですかね」
 レイリーのお気楽声にもあからさまな緊張があった。十分な広さも無く、また近接系の2人と1匹には荷が勝ちすぎる。
「っ! エル!」
『……それしかなさそうね』
 近寄るのも危うい巨人に唯一確実に有効打を与えうるのは《ランサー》のみだ。もちろん巨人に対して突っ込むということはその向こう側に居る有象無象の怪物たちに飛び込むということと等しい。しかし安全なルートを検索する余裕など最早ない。
「大丈夫」
 ぽつりと無感動な言葉。
「あれは私が討つ」
 キン と、空気が割れるような音が響いた。
「ルティさん!」
 魔女はトウコの声にほんの少しだけ頷きを返し、作り上げた氷槍を掲げた。
「回廊を往き、────貫け」
 与えられた速度は常軌を逸していた。

 ズン

 氷の槍はその鋭さと速度故に巨人の目玉に名刀の如く侵入し脳を穿って砕ける。
 実際は半瞬。しかし停止したかのような間延びした時間の果てに巨人はぐらりと体を後ろへと傾げ、背後にいたであろう数多の怪物を巻き込んで倒れた。
「回復、する」
 ぽすんとその場にうずくまり袖からポーションを取り出してちびちびと飲みだす。
 マイペースにも見えるその行動だが巨大モンスターの討伐に周囲は湧き立ち、怪物たちは明らかに浮足立っている。その余裕は十分に生み出されていた。
『ユキヤ。とりあえずマイクロミサイルを全部ぶっ放して補充に行きましょう。見てるだけなら邪魔だわ』
「……うん」
 落ち着くと改めて自分がとんでもない事をしようとしてたと自覚して軽く身を震わせる。
 それと同時に────
『全部終わったら改めて師事してみたら?』
「嫌だって言われそうだけどね」
 どうしようもない寂寥感。ただの一般人でしかない自分が血で血を洗うような戦いに身を投じるだなんて一昔前のアニメでしかない。それでも、無力感はそんな夢物語を強く願わせていた。
「行こう。僕ができる事をしに」
『OK』
 エンジンを静かに噴かせ、エルは盛大にマイクロミサイルをばら撒いた。
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