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『外伝』
ヒカリ ノ
(2010/2/24)
 四方砦。
 クロスロード防衛の前線基地であるその場所は毎日賑わいに満ち溢れている。
 昼夜問わず探索者が訪れ、それぞれがその日割り当てられた巡回ルートに繰り出し、また帰還した者は報酬を受け取ってクロスロードに帰っていく。
 そのため砦には『怪物』の死骸を狙い待機する通称「葬儀屋」や、入れ替わり立ち代り訪れる彼らをターゲットにした店がひしめいている。多い時で千人を越える人がこの砦に集まるのだから雰囲気はちょっとした町となっていた。
 折角なので概要を説明しておこう。
 まず中央に管理組合預かりの施設がある。砦という名称にはそぐわない公民館的な建物で、防衛任務を受ける探索者向けの受付カウンターや商業地の割り振りを行っている。
 この施設の内部にはいくつか会議室もあり、ミーティングや『怪物』を討伐して持ち帰った死骸の値段交渉などに貸し出されている。
 裏の広場ではこれから出発する探索者たちが設えられた案内看板でルートを確認したり、荷物の点検を行ったりしている姿が昼夜問わずに見ることができる。
 植樹の壁を隔てて、施設の外には駐車場がある。と言っても車だけではない。馬車や竜の姿もあり、エンジン音や鳴き声で賑やかしい。
 さらに外縁に向かうと1つ道を挟んでいくつかの小屋が並んでいる。それらには医療施設や古参の武具屋、飲食店などが並び、砦を訪れる探索者にサービスを提供していた。
 それらの店舗を囲むように高さ10mの無骨な壁が円形に取り囲んでいる。その直径は約500m。荒野の真ん中にどんと鎮座する壁は防御の要である事を見る者に刻む。
 本来『砦』はここまでを指すのだが、商人の商魂とは本当にたくましい。各砦の外縁にはぐるり露店が立ち並んでいる。扱う品物の殆どは消耗品か食料品だ。砦の中にある店よりも出所が怪しい物も少なくないが、安価であるこれらを買い求める探索者も多い。
 ちなみにこれが西砦と東砦になると少々趣が異なる。
 というのもクロスロードの東西にはサンロードリバーの流れがある。東砦は川の南側、西砦は川の北側にあり、どちらも川からは500mほど離れている。これは正体不明の『海魔』を警戒してのことだ。
 だが、水の恵みを完全に放棄することもしていない。サンロードリバーから引かれた水路が砦を迂回するように流れており、水堀と運路の役目を担っている。池のように広く掘られた場所に船着場を設置しており、水路を使った運輸や、対岸への渡河を行っている。
 サンロードリバーと水路との境には水系の怪物の侵入を遮るための立派な水門が設置されている。
 この両砦の露店は防御壁と水路の間に広がる形で賑わいを見せていた。
 この四方の砦はクロスロード成立から一年半、静かに時を刻み続けている────いずれこの地から巣立ち広がるための基点として。

 故にこの四方砦を総じて「揺籠」と呼ぶ者も居る。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 ここ南砦はヘブンズゲートを真っ直ぐ南下した位置にあり、四方砦の中では一番の賑わいを見せる。
 施設の屋上からそんな賑わい───人が語り合い、行き交う光景をぼんやり眺める少女が居た。屋上の縁に腰掛けて長い髪を風に遊ばせている。
 彼女はこの場では少し特殊な存在だった。下で賑わう探索者は変な言い方をすれば「その日の気分で」ここに集まり防衛任務に赴くが、彼女に関してはこの南砦の専任であり、他の仕事をする事は滅多に無い。
 これは南砦に限った事でなく、各砦に彼女と同じ立場の人間が十名程度専属契約を結び常駐している。
 彼女らの共通点は広範囲攻撃のスキルを有している事。
 大型の怪物は単独や少数で行動する場合が殆どだが、ゴブリンやコボルト、オークなどの小型妖魔系や昆虫系の怪物は時に数百もの大軍となってクロスロードを目指し襲来する事がある。いくら1匹1匹が弱くとも、少人数のパーティでは飲み込まれてしまう事もままある。そんな相手を一掃するための邀撃要因が彼女である。
 女の子はウェーブを描く銀の髪に翠色の瞳。フリルとリボンがこれでもかと付けられた甘ロリの服に身を包み、まるで西洋人形のような無機物じみた美しさを風に遊ばせている。
 年の頃は10に達しているかどうか。童女と呼ぶに相応しい体躯である。
「あ、ティアさん」
 ひょっこり屋上の戸を開けて少女が顔を覗かせる。
 銀の娘を見止めてやってきたのも15かそこらの娘だ。ハニーブロンドの髪に青空を切り取ったかのような瞳。全体的にほっそりとした肢体を可愛らしい冬物で包んでいる。
「B班が出たから待機要請着てますよ?」
「知っておるよ。ここならよう見える」
 振り向かずに女の子は応じた。年相応のやや甲高い声だが老人のような落ち着き払った口調で応じる。無理に作ったような違和感は無い。これが彼女のデフォルトだ。
 と───不意に「ぽん」と乾いた音が空に響き、赤の煙が空に三つ花開く。
「要請じゃな」
「ですね。行きましょうか?」
 この多重交錯世界では大体100mを超えると通信の全てが届かない。故に狼煙や煙花火が普通に用いられている。
 それを見上げながら銀の少女は呟くように言葉を紡ぐ。
「そもそもなアリスや」
「はい?」
 ゆっくりと首を巡らし、深い知性を伺わせる瞳を髪の間から向けられて金髪の少女はきょとんと小首を傾げる。
「ぬしの方が遅いんじゃよ」
 言うなりとんと身を躍らせる。三階建てとは言え、握れば折れそうな手足の少女が無事で居られる高さではない。だが、彼女の体は重力のくびきをあっさりと断ち切り、ふわりと地面に着地する。そうしてそのまますたすたと駐車場の方へ歩いていってしまう。
 その光景をぽかんと見ていた金の少女ははっとして────
「あ! ま、待って下さいよっ!?」
 女の子の言う通り、結局自分の方が出遅れてしまった少女は「ずるいですよぉ」と泣き言を漏らしながら施設内を駆け抜けるのであった。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

「居ました」
 飛竜の上から目を凝らしていた少女───アリスは風に負けないように叫びながら竜に降下を指示する。
「ふむ。多いのぅ」
 ただでさえ髪や服で風の抵抗が大きい女の子───「ティア」ことティアロットは身を低くしたまま横目でその光景を確かめる。
 眼下では百を越える蟻の群れが土煙を上げて爆走している。蟻と言っても指先に乗るような可愛らしいサイズではない。体長2mその鋭利にして頑強な顎はあっさりと骨を砕いて断ち切り、吐き出される酸は皮膚も筋肉もどろどろに溶かしてしまう。
 掃除屋とも揶揄されるジャイアントアントが群れを成していた。
「まぁ、だから私たちの出番なんでしょうけどね。
 えーと、いつもどおりで良いですよね?」
「特別な事をするつもりも無いよ」
 そっけない解答にアリスは苦笑を漏らして竜を操り、逃走を続ける探索者の鼻先に着陸するように命じた。
 全長3mはあろう騎竜が翼を大きく羽ばたき垂直降下に移る。その光景を視界に捕らえた探索者の一団がこちらへと駆けつけてくる。
「ふむ」
 先んじてぴょんと飛び降りたティアがすぐさま処刑鎌に似た杖を地面に突き立てる。瞬間───魔法陣が広がり、続いてその切っ先というべき場所に光が集まり始めた。
「頼んだぜっ!」
 騎竜の横を駆け抜ける探索者が声を掛けていく。アリスはそれに笑みで応じながら自分の中の力に呼びかける。
「行きますっ!」
 ぞくりと体の中が奮え、そして『世界』が変貌する。
 彼女の足元を中心に広がるのは森。そして背後にあるのは城。蟻の集団は突如目の前に現れたそれらに驚き足を止めた所で自分達が取り囲まれている事に気付く。
 それは体がトランプで槍を構えた兵団。不思議の国のアリスに出てくるトランプの女王の兵士達だ。
「穿ちなさい」
 アリスの命令に従い、一斉に突き出される数多の槍。
 それは無慈悲に蟻を串刺しにしていく。もちろんただやられるほど甘くは無い彼らは咄嗟に避けようと、そして反撃しようとして悉く失敗する。
 槍を避けても衝撃が強靭な体躯を穿ち、反撃と繰り出された強靭な顎も、蟻酸も、トランプの兵をすり抜けてしまったのだ。
 そして『世界』は崩壊する。
 作り出された幻想世界。その裏に隠れて猛威を奮ったのは石の槍。それは兵士の奮ったそれとは全く違う方向からジャイアントアントの体を貫き、大地に縫い留めていた。
「ティアさん」
「うむ」
 槍に貫かれ、また足を穿たれて縫い付けられた蟻が天より舞い降りる雪を見る。
 黄金色の雪。再び起こる幻想風景に興味などないかのように、もがいて石のくびきから抜け出した蟻達は獲物への殺到を再開する。

 が、すでに全ては終わっている。

 ────《輝夜(カグヤ)》

 人形のような精緻な面持ち。小さな唇の放つ一言で黄金の全てが炎熱の使徒と化す。
 見る間に炎が広がり、容赦なくその体躯を焼き焦がしていく。石の槍に貫かれ、大怪我を負っている蟻にその炎熱を耐えるほどの体力は残されていない。
 次々と崩れ落ちる蟻の群れを伺い見ながら、銀髪の娘は満足するでもなくMPポーションを引き抜く。
「どうじゃ?」
「はい。全滅してますね」
 石と光を操る娘がその場から動く事無く全周を確認し、ほぅっと安堵の吐息を漏らす。
「やはり女王種がおるんかのぅ?」
 ようやく警戒を解いてティアが呟く。アリスはちょこんと小首をかしげ、
「どうでしょう? そういうのって巣に籠ってるんじゃないですか?」と応じる。周囲をきょろきょろと見回すが、特にそれといった敵は見当たらない。
「やもしれぬな。しかしジャイアントアントの巣となると生半可な迷宮よりも深そうじゃな」
「入る気ですか?」
「生態には興味があるのぅ。蟻はようできた生き物じゃからな」
 物好きだなぁとは口に出さずアリスは苦笑。ふと何かの本で見た幼虫を思い出してぶんぶんと記憶を振り払う。
「よぅ。お嬢ちゃんたち。助かったよ」
 騎竜の少し先でへたり込んでいるパーティから、リーダーらしき男がひらひらと手を振りそんな言葉を掛けてきた。全力疾走で逃げていたのだろう、誰も彼も随分と汗まみれである。 
「最初は数匹だったんだが、いきなりどばっと来てな」
「それは災難でしたね。……うう、ホントに巣でも作っちゃったのでしょうか?」
 振り払えない記憶が再燃して嫌そうな顔をするアリスに男は苦笑して
「まぁ、そんときは頼むわ」と気楽に肩を竦めた。
 ひと難去っての弛緩した空気。それを打ち砕くように彼方でぽぽんと音が響き、空に青と赤の煙が昇った。
 それを眺め見た二人の少女はお互い少しだけ眉根をひそめ
「最近多いのぅ」
「ですね」
 と言葉を漏らした。
「ん? あれはどういう意味なんだ?」
 信号の意味を知らない男が首を傾げる。
「別の班への出動指示ですね。別の場所でもMOBが出たんでしょう」
 MOBとは何時の間にやら使われ始めた言葉で「1匹1匹は弱いが集団で現れる怪物」という意味である。
 一人の腕利きも三人の敵を同時に相手にするのは難しい。これが十にも二十にも、それよりも更に多くなってくると始末に負えない。
 実際この男も数匹程度ならジャイアントアントと渡り合うだけの実力はあるのだろう。それが100ともなればいくらなんでも体力が続かない。
「戻りましょうか。この分だともう2回くらいは出動がありそうですし」
「……そうじゃな」
 やれやれと髪をかきあげ、ティアはゆっくりと騎竜の方に戻っていく。
「では、お気をつけて」
「ああ、そっちもな。ありがとよ」
 気の良い礼を受けてアリスは微笑みながら頭を下げた。
「リーダー、あの子達すげーっすね」
 男の仲間が翼をはためかせる騎竜を眺めながら呟く。
「まぁ、専門家だからな。でも、別に卑下する必要は無いぞ?」
「卑下なんて……」
 リーダーよりもかなり若い男は事実のままだという顔をするが
「彼女らはある意味特殊なんだ。何と言うかなぁ……」
 リーダーは頭を書き
「お前、水を飲むのに桶を使うか?」
「桶ですか? コップでなく?」
「つまりそういうことだ。俺達はコップ。水を飲むならそれで充分だろう?
 彼女らは桶なんだ。大量に水を汲む時には有効だが、ちょっと水を飲みたいだけの時には無駄な労力になる」
「はぁ……」
 なんとなく言いたい事はわかるけどなぁと若い男は曖昧な頷きを返す。
「ほら、銀髪のほうのお嬢ちゃんは直ぐにポーション引っこ抜いてただろ?」
「ええ」
「つまり1発で弾切れ。多分金髪の方が足止めしてたから呪文詠唱にも時間がかかるんだろ」
「色々制限があるってことですか?」
「そういうことだ。凄いのは純粋に凄い。だが、その凄さを勘違いするな」
 頭をぐりぐりとやられて若い探索者は嫌そうな顔をしながらも、その言葉を胸に受け止めた。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 わたし───アリスは無自覚な来訪者です。

 私がこの世界にやってきたのは折り悪く前歴2年の半ばのことでした。
 『ヴェールゴンドの大征』と呼ばれるある世界からの軍事侵攻に対し、永遠信教世界の天使も大挙し激突。『扉の園』は苛烈な戦火の真っ只中にありました。
 降り立った『扉の園』はそこらかしこに弔われぬ死体が転がる地獄であった事を今でも覚えています
 自分の居場所すらも理解できぬまま、まるで空襲の中を逃げ惑うように彷徨った私は、とあるコミュニティに拾われます。そこでようやく私は「この場所」を知る事になります。
 多重交錯世界ターミナル。信じられない事に全くの異世界に居ると言う事を。

 実は、私は元の世界に居る時から自身に関する記憶を有していませんでした。
 アリスという名前も恩人から頂いた物です。出自を辿る最中、気付けば私はここに居ました。
 『扉』の事を知らなかった私は混乱するままに彷徨い、帰り道である自分の世界への扉を見失ってしまったため帰るに帰れなくなってしまったのです。
 この時期、多くの来訪者は自らの世界に帰還しており、残っているのはヴェールゴンドと永遠信教が支配域とする場所に故郷への扉があるなどの理由で帰れなくなった人たちでした。
 彼らは身を守るためにいくつかのコミュニティを形成し、戦火を避けるように暮らしていました。
 行くべき場所、帰るべき場所の無くなった私は、そういったコミュニティの1つに拾われ、暮らす事となったのです。
 それから二ヶ月ほど過ぎた頃。起きるべくして事件は起きました。
 両軍の戦力は拮抗し、戦線は膠着。毎日小競り合い程度の戦闘が続く中、ヴェールゴンド軍の略奪行為が目に付くようになってきたのです。
 待機中の兵隊が戦場に居続けるというストレスと、長期間の大軍勢の維持への限界からか、目に見えて減った配給に暴走し始めたのでしょう。
 ヴェールゴンドは戦争に多くの傭兵を用いていたため、その被害は飛躍的に増大していったのです。
 その猛威が私が住むコミュニティにも訪れたのも早いか遅いかの違いだったのでしょう。
 数十人からなる獰猛な傭兵団に対し、基本的に非戦闘員の集まるコミュニティでは到底抗えるはずもありません。
 僅かに戦える人が抵抗したものの、一人、また一人と傷つき倒れていくだけでした。
 傭兵達にとってその殺戮はゲームでした。取り囲み、囃し立て、嬌声を挙げていたのです。

 私は、どうしようもない恐怖の中で胸の中からわきあがる衝動を覚えました。
 昨日まで笑っていた人が、優しくしてくれた人が無残に傷つけられ、倒れていく姿。心臓が十倍にも二十倍にも大きくなったかのように鼓動が体を震撼させました。
 正直、そこから先はあいまいにしか覚えていません。
 ただ私はその日、初めてこの世界で自分の力を使いました。
 現れたのは幻想の王国。従うのはトランプの兵団。
 何も持たない自分が唯一持っている力にして、実験体であるという咎。
 その全ては突然の変化に驚き戸惑う傭兵達を容赦なく串刺しにしていきました。
 逃げ惑おうと、泣いて慈悲を請おうとその時の私には何も理解できませんでした。ただ、大切な物を奪い笑う者を殺さねばならない。それがその時の私だった……ぼんやりとそう覚えています。
 ヴェールゴンドの傭兵達は全て磔刑に処されました。地面から突き上げた石の槍で貫かれ息絶えたのです。
 静まり返った惨状の真ん中で私は衝動に突き動かされ続けていました。
 もっと壊せともっと殺せと自分の中から呼びかける声に────

 大きすぎる悲しみに抑制を失った衝動の中、私は私を見るコミュニティの人たちの顔だけをしっかりと覚えています。
 それは圧倒的な暴力に対する純粋な恐怖。たった一人で命を蹂躙せしめた者への畏れが私を貫き、心を砕いたのです。
 すがる場所すら失って、ただ衝動だけが胸を激しく突き動かしていました。
 もっと壊せと。

「良いから正気に返れ」

 今思い返しても後頭部が痛くなるのですが……
 その女の子は誰もが遠巻きに見る中、無防備に私に歩み寄り、まったく躊躇せずに手に持った処刑鎌────に似た杖で私の頭を殴ったのです。
 頭が真っ白になった私はじんじんと響く痛みと、目の前の呆れ顔をしている女の子にわけが分からなくなり……

 ────だけど、私はかろうじて「私」であり続けることができたのだと。心の奥底で納得しました。

 それから早いものでもう2年の月日が流れました。
 解き明かせぬ謎はこの異郷で分かるはずも無く、しかし自分の力を厭う事無く生きています。
 力がある事を畏れるよりも、誇る事よりも。ただ自分が正しいと思う事に利用すれば良い。
 こんな事を言われ、そして目の前で実践されては返す言葉なんて見つかりませんでした。
 やがてガイアス軍の参入を経て『大襲撃』という難事を潜り抜けた私は、いつしか過去の自分を省みる事をやめていました。

 不思議の国のアリス。
 大事な人から貰った名前はこの不可思議な地に迷い込むきっかけだったのでしょうか。
 ───このアリスは不思議の国を自分の新しい世界として、生きています。 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 クロスロードの一角に古めかしくも荘厳な建物がある。
 軽く見ても50年は風雨を受け続けたような歴史を感じさせる建物には多くの蔦が絡みつき、苔むしていた。
 少々頭の回る人はふと疑問に思うだろう。少なくとも3年以上前には存在していないはずのこの街で、どうしてこんな古めかしい建物があるのかと。
 実のところクロスロード建設時、この場所には大きな公園が設立される予定だった。大襲撃よりこの街に居た人はこの場所に植樹がされていく様を思い出すことも出来るだろう。
 しかしある日のこと。この建物はさも当然のようにこの姿でこの場にあったのである。
 色々と推測が推測を呼んだものの、結果だけ言えばこの混沌の街クロスロードは不思議な建物は街の一部として受け入れた。ここはそういう場所だ。
 以来「どうせあるのだから」と学者や本好き、本にまつわる者が自然と集まり、そして本そのものも際限なく集まり始め、ここは名実共にクロスロードの知識箱となったのである。

 アリスは週に2度3度、ここを訪れる。と言っても目的は本を読むためではない。
 整備され不快な音を立てる事もない扉を押し開くとつんと図書独特の香りが彼女の鼻腔を突いた。
 足元には小豆色の絨毯。1つ目の扉の先にはもう1つ扉があって、外気を多く取り込まないようになっている。
 押し開くと少しだけ気温が下がった。やや薄暗い、空調設備で室温と湿度を管理された空間。ロビーをまっすぐ進めば受付カウンターがあり、司書が数名来客者と話をしているのが目に留まった。
 視線を転じて左手を見ると読書用のスペースがあり、そちらは窓や蛍光灯が設えられている。その他とのギャップが図書館ならではの雰囲気を強くしている。
「あ、すみません」
 アリスは傍らを歩く司書を呼び止める。
 この大図書館の司書は本好きのボランティアが担っている。その数もいつの間にか増え、『司書院』という一つの組織としてクロスロードでは認知されている。
 司書院には本の化身や本を読むことで生きながらえているような特殊な存在も居て、自分の本体がここにあったり、実質ここに住んでいる人も多いらしい。
「ティアロットさん、呼んでいただけますか?」
 呼び止めた女性は艶やかな黒髪の東洋人的な顔立ち────日本人形を思わせる大和美人だ。きっと和服を着せれば映えること間違いないがここでは統一された司書の制服を纏っている。
 ちなみに、普通はこのような呼び出しが受け付けられることはない。場所が場所なので館内放送をかけるというわけにも行かないからだ。
「ティアロットさん? ああ、はい」
 しかし彼女に関してはこれがまかり通る。と言うのも
「午前中は書庫整理の指導をされていましたけど、今どこかしら?」
 司書の方が小首を傾げて「ちょっと待ってくださいね」と微笑み、カウンターの人となにやら話を開始する。
 ティアは『司書院』のメンバーでは無いらしいのだが、そうと知らない司書さんは非常に多いらしい。それほどここに長く居座り、色々と関わっている人なのだ。
「多分下層の危険区域じゃないかということです」
 戻ってきた司書さんがなにやら図書館と言う場所に似合わない単語をさらりと口にする。
 以前聞いた説明によると
「魔法的なトラップや呪いがかかったもの、純粋に「私達」のなりかけ等の本が納められている書庫です」との事。
 ちなみにアリスにそう説明してくれたの文車妖妃という妖怪種だった。
「お呼びしたほうが良いですか?」
「できれば……」
 なにしろ歩いていると呪いの言葉が聞こえてきたり、手が伸びてきて引きずり込まれそうになったり、本から出てきた魔物や妖怪に襲われたりする。探索者としての戦闘能力を有していても正直足を踏み入れる勇気はない。
 ……もう図書館でも何でもないと思うんですが……いっそ魔宮とか迷宮とか言った方がしっくりくるような勢いです。
 気付かれない程度にため息を付き、アリスは視線を周囲に向けた。
 ちなみに地上部分は真っ当な図書館。ただし外観を遥かに越えた棚の量、そこに納められた蔵書の量は計り知れない。
 ともあれ、一度だけ突入したアリスは完全に懲りて以降はなるべく呼び出しをお願いするようにしているわけだ。
「分かりました。ではしばらくお待ちください」
「はい」
 アリスは頭を下げて、閲覧室の方へ向かう。
 ティアロットが出てくるまで十数分は必要のはずだ。それまで何かを軽く見ておこうとゆっくりと足を進めた。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 大図書館にはいくつかの俗称がある。
 そのうちの一つが「ラボ」じゃな。
 余り知られてはおらんが大図書館の下層、地下は3階まであり、1、2階にはいわくつきの本が納められておる。
 では第3階層はと言うと、そこには本来「閲覧室」として作られたフロアが存在しておった。
 地下にある本は様々な要因により安易に外に持ち出せないシロモノばかり。故に閲覧も地下で行うというのがそもそもの目的だったのじゃが、利用者はほぼ皆無じゃな。英知を求めて何人かの賢人が足を踏み入れる程度であったの。
 ここは酸欠や湿気が溜まるのを避けるべく空調は整備されておるんじゃが……何よりそこから「出てはいけない物」まで循環させないために、空気を含む全ての経路にこれでもかと結界が敷かれておる。当然の処置とも言えるがこれが利用者の居ない最たる理由になった。
 ただでさえ閉鎖された空間に封印が何重にも施された結果、この場はに訪れた五人に一人くらいの割合で過呼吸に陥ったりパニックになったりしたんじゃと。結局まっとうな連中が足を踏み入れる事はなくなったのは当然じゃな。
 だが世の中変な事を思いつく連中なぞいくらでもおるようで、この厳重な結界は核攻撃でも防ぎ切れると目をつけたまっとうでない学者達が乗り込んできおった。図書館側も「読まれる」事で満足する存在との折り合いや、どうせ未使用ならとこれを許容。若干の改修ののち、第三階層は「ラボ」と呼ばれる特殊な研究施設に変貌した。
 上にはまともな本も含め充実した資料が揃っている事もあり、ここでの研究を希望する学者は後を絶たないらしい。───まぁ、前述の通りの環境が改善されたわけではないからここに巣食うのはどういう連中かは推して知れる。
 結果、深刻なケミカルハザードやバイオハザード、マジックハザードを発生させる研究もされているという噂もあるが、真偽は定かではない。
 ちなみに地球世界におけるABC───つまり「アトミック」「バイオ」「ケミカル」の三大凶悪兵器にクロスロードでは「M」と「W」が追加されている。「マジック」と「ラース」、魔道兵器と怒り(天罰)で、ラースはカース(呪い)と読み替えてCかM(ひっくり返してW)が2つと言う事で「ABC2M」とも言われておる。
 ケイオスタウンの「果て」以上に凶悪にして厄介な場所かもしれぬな。
 わしにとって幸いと言える事柄と言えば貸し出し制だった閲覧室が占有できるようになった事かの。
 長テーブルにパイプ椅子、それからホワイトボード。ちょっとした会議室とも言える空間。そこでわしは長テーブルには数冊の厚い本を積みつつも、ページをめくり続けていた。
「ティアロット嬢、お客様が来ていますよ?」
 一人きりだったはずの部屋に2人目が佇んでいた。同じブロンドでもアリスとは違い、やや色は濃くふんわりとしたウェーブのかかったそれを首のあたりでひとつにまとめて背に流してる。
 メリハリのある肢体は解放的な服に着替えればさぞや見栄えがするじゃろうがの。
 サンドラ・リーブラリィ。この大図書館の司書長である女性は読み終わった本を手に取り、わしにそう声をかけた。
「ふむ? アリスかや?」
「ええ。約束でもなさっていましたか?」
「……いや、覚えは無いの」
 今日は非番のはずじゃし、余程の有事でも当番の者だけで対処できん事は無い。討ち漏らせばその被害は甚大になりかねんから常に余剰気味に配置をしておる。
 ……まぁ、その割には出動回数が増えておるのが気に掛かるが。
「では食事や買い物のお誘いでは?
 ……彼女は貴女に依存している節がありますから」
「ふむ」
 指摘されるまでも無くそういう傾向はとうに理解しておる。それ故になるべく非番の時には顔を合わせないようにしておるんじゃがな。
 付き合いはもう二年ほどにもなる。あれも世界が世界なら成人として認められても良い年なのじゃがな。
「でも、良いのではありませんか? 貴女は効率的過ぎますから」
 どこか責めるような物言いにわしは「ふん」と肩を竦める。
 こやつが言いたいのはまぁ、わしの生活のことじゃろ。買い物も食事も最低限じゃしな。
「その性格でどうしてそんな服が好みなのかが謎ですよね」
「別に構いやせんじゃろ」
 わしの普段着は大体フリルやリボンがふんだんに設えられた物。それは帽子やブーツにも同じじゃ。
 基本的に生まれのせいかあまり肌を露出する衣装は好まないのが理由の一つ。あとはなんとなしに着慣れておるだけじゃ。
「新しい洋服でも見てきたら良いじゃないですか」
「サンドラ。鏡を見て言えばどうじゃ?」
 着る者を選べば間違いなく見栄えする司書長に言葉を返すと「似合いませんから。絶対に笑われます。特に館長から」とざっぱり切り捨てた。
「老の軽口はさて置いて、似合わぬ事はなかろうて。
 ラボの連中がいろいろと噂しておろうに」
「自分の事を棚に上げないで下さい。……急がなくて良いのですか?」
「そうじゃな」
 わしは本を閉じて封印の呪を唱えると本が静かになった事を確認して席を立つ。
「……『本になった者の本』ですか。とんでもない物を読んでますね。二階層の物じゃないですか」
 確かに真っ当なシロモノではないのぅ。最後まで読んだ者を本に変える魔道書じゃし。
「要は体の中に蓄積、構成される魔術回路を逐一書き換えて無害な物に変えればよい。
 対処法さえ分かっていれば子供でも安易に読めるよ」
「……まぁ、子供の貴女が言うと反論し辛いですけどね。
 魔術論からすれば体内の魔術を認識、置換する事は魔術師にはそれほど難易度の高い行為ではないでしょうが……
 安易にできるなら百人以上の魔術師がその本のページになりはしませんよ?」
「昔から魔術の並行処理は得意での」
「子供でもできる簡単な事も、それを同時に3つやるのは意味が違います。
 ……貴女には今更の議論ですね。片付けはしておきますからどうぞ?」
「ふむ。悪いの」
 わしは呼吸を一つ整えて戸を開く。
 さて気を抜かぬように抜けんとな。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 ティアロットさんは「魔法使い」です。
 可愛らしいとか不思議だとか形容詞がいくら付いても主となる言葉は変わりません。
 これは彼女の行動、考え方の全てが彼女の称するところの「魔術理論」に基づいているからでしょう。
 彼女と出合って約二年。私は彼女が感情で動く所をあまり見た覚えがありません。
 私を止めたあの時の事も「敵味方の区別が付いておったし、逡巡しておるとも推測できた。ならば衝撃を与えて思考のベクトルを決めてやればよいじゃろ?」と何でもない様に話していました。
 一番良く見るのは思案顔。それから呆れ顔でしょうか。機械よりも機械的と揶揄された事もありましたが「それで最善が選べるのであれば是非も無い」とさらり返答してましたっけ。
「何用じゃ、アリス?」
 いつの間にか物思いに耽っていた私は声をかけられてびくりと体を震わせました。ふと画面の端を見ると長針が半回転しています。
「あ、いえ。良かったらお買い物に行かないかなって……」
「サンドラの言う通りじゃな」
 私の言葉にはこの苦笑が多い気がします。まるで手のかかる子供を見るようなそんな笑み。
 私の方が年上のはずなんですけど……
「ご迷惑でしたか?」
「……いや、構わんよ。さりとてわしには特に目的もないしの。ぬしに任せよう」
「はい」
 私の浮かべた笑みに苦笑が濃くなるのを気づかないふりして、大図書館を出る。
 新暦1年6の月ももう終わりで次第に暑さが厳しくなってくる。蝉の声の無い町をニュートラルロードへ向けて歩く。サンロードリバーの傍にティアさんが気に入りそうなお店を見つけたので、今日はそこに向かうつもりなのですが。
 それにしてもと幅広の帽子の影から太陽を見上げるティアさんを見る。
 私もあまり人のことは言えませんけど、それでもこの二年で少しは成長しています。ですが、ティアさんは二年前とほとんど容姿が変わっていないと改めて感じます。
「ティアさん。ちゃんとお食事していますか?」
「……しておるよ?」
 何食わぬ顔ですが若干含まれた「感じ」を聞き逃しません。
「またサプリメントとかじゃないですよね?」
 ついと視線を逸らす。ティアさんって嘘を吐くのは堂々とするのに、誤魔化す事は苦手なんですよね。どういう理屈かさっぱりですけど。
「栄養という面では問題ないじゃろ。前よりもよっぽどマシじゃよ?」
「栄養学も生理学も知識があるだけで実践しないならば意味がないですよ」
 ティアさんの出身世界はヴェールゴンドのような剣と魔法の世界で、魔法が発達していた分、科学方面に劣る世界だそうです。
 その頃は日にビスケット1、2枚とかそんな生活をしていたらしく……そんなに生活が困窮していたのかと尋ねれば「それ以上必要でなかった」と答えられて呆れたものです。
 サプリメントなんてシロモノを知ったら知ったでこの有様。せっかくうらやましいくらいに可愛らしいのにお肌とか心配になります。
 いつもふわふわのドレスを着て、ボリュームのある髪を従えているから分かりにくいけど、ティアさんの体はただ細いだけじゃありません。それは彼女が手にしている杖を見ても分かることですが。
 まるで死神が扱うような処刑鎌を思わせるそれは見た目どおりの重さを有しています。それを振るえるのだから基礎体力は私よりもあるのかもしれません。
「野菜や果物は時間を見らんと入手しづらいし、どうも、のぅ?」
 生鮮品は確かに時間を見て買い物をしなければ買いそびれてしまいます。食料自給率がほぼ0%のクロスロードでは一番の難点とも言える事柄でしょう。
「ですけど、飲食店とかあるじゃないですか」
「乾パンと水があれば事足りるしのぅ」
「……さっきと言ってる事違いませんか?
 ティアさんって一応人間種ですよね?」
 成長しない事も相俟って思わずこう問いかけたのは一度や二度ではありません。
 どちらかと言うと仙人ですよね、この子。
「果物なら食べるのでしょ?」
「別に好き嫌いは無いつもりじゃよ?」
「でも、前に行ったお店で気持ち悪そうにしてませんでした?」
 ふむ?と首を傾げ、それから
「ああ、あの菓子屋か」とぽんと手を打つ。
「甘い物は食べ慣れんのじゃよ。甘味と言えば果物くらいじゃからなぁ」
 まるで江戸時代の人みたいな事を言う。でも砂糖が貴重品ならそんな物なのかも。
「少し立ち寄った世界で色々試されたんじゃがなぁ。どうも味が派手な物はの」
 お年寄りのような事を言いながら……「試された?」と気になった言葉を復唱する。
「面白半分に食べさせられたと言うか……酷い目に遭ったのぉ。あれは」
 問い返すと彼女は少しだけ目を細め、「酷い目に合った」と言いながらも笑う。
「特にワサビとか言うのとカラシとか言うのは酷かったの」
「……え?」
 それって同じ名前の別物じゃないですよね?
「それって緑と黄色の……地球世界のものですよね?」
「うむ。しばらく、といっても数ヶ月程度じゃがな。そういう世界に居った事がある。
 ここへの扉もその世界からじゃ」
 異世界に行くのに必ずしもこの世界を通る必要は無いらしいです。この世界にその通路が多いだけであって他の世界間でも行き来する方法はあるのだそうで。
「ティアさんって地球世界の事……日本の事、知ってたんですね」
「ぬしの知るものと同じかは知らんがの」
 地球世界の中には極端にその歴史を異なる物も確かにあります。
 《ガイアス》のようにすでに世界が統一政府の元で管理されていたり、第二次世界大戦で日本が勝利していたり。
 極端な物になると宇宙人の襲撃があったり謎のウィルスで人類がほぼ死滅してたりなんて事も聞きます。
 ……私の世界もスタンダートかどうかはちょっと自信がなくなってきてますけどね。
「じゃあ日本に?」
「うむ。ぬしは欧米とかいう地域の人間の特徴に近いが?」
 確かにこの金髪碧眼の白人という容姿はそうなのですが。
「一応日本に在住していました」
「ほぅ」
 彼女は鋭いですから「一応」という漏れ出た言葉に気付いたのでしょう。
 地球世界を知っているのであれば私の力が「異能」と呼ばれる類の物と知っている事でしょうし。
「ティアさん和食好きそうですよね」
「うむ。ああ言うのは良いの」
 若干の笑みを浮かべるのを見て私は目を細めます。こうしてみると彼女も人なのだなぁと思えるのですが。
「じゃあお昼はそういうお店にしましょう。
 まずはお洋服です」
 私はティアさんの手を取り、ちょうどやってきた路面電車へと足を進めました。
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