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『外伝』
間奏
(2010/3/2)
「よっと」
 猫のしなやかさを帯びて、少女が幼い姿態を闇に躍らせる。
 少女に追随するのは金の帯。二つに括られた髪が速度に靡き、月明かりを散らす。
 そして後に残るのは赤の霧。喉を引き裂かれた男は絶叫すら許されず喉を掻き毟って絶命する。
「た、助けてくれっ」
「だーめ☆」
 その光景を目の当たりにした粗末な衣服の青年が尻を磨るように後ずさる。腰が抜けてしまい立つ事さえできないようだ。
「君はここで死ぬ事けってーなの。
 だいじょーぶ、他の人を贔屓なんてしてないから」
「ひぃっ!」
 ナイフを何のためらいも無く眼球に叩き込み、脳まで破壊して少女は振り返る。強く握れば折れそうな細腕だがそれを問題としない壊し方が淀みなく繰り返されていく。
 激しいばかりの『動』から一転『静』へ。緩やかに流れる風に、降り注ぐ月明かりに、悠然と立つその姿は幻想的であった。画人が見れば絵に残さずには居られぬほどの優美。それを台無しにするように少女は急にぴょこりと肩を跳ねさせ、きょろきょろと周囲を見渡す。
「やーん♪」
 気が抜けすぎた黄色い声。そして不意に彼女に宿ったのは野生動物の敏捷性だ。ほんの僅かな音を残した次の瞬間、彼女は一人の男性に体当たりする勢いで抱きつく。相手は少女が小柄であることに加え鍛えられた足腰を持つため、揺るぎもせずそれを受け止めた。
「汚れるぞ」
「リヒトに抱きつくための障害にはならないもんっ」
 男は地味としか言いようの無いズボンとシャツの上下に不釣合いな長剣を携えていた。
 シャツには黒く変色し始めた赤が染み付いている。彼の背後にはその持ち主が横たわっているはずだ。
「そーれーにー。髪についちゃったからリヒトに洗って貰いたいし〜」
 血臭漂う路地にまるで似合わぬ猫撫で声に濃淡で構成されたような静かな騎士は困ったような笑みを漏らす。
「他は?」
「二人に任せちゃえばいいよ。どっさんは乱戦専用だし、ティアっちは殲滅戦得意だもん」
「まだ遣り合ってるのか?」
 数十メートル先の路地で青白い光が踊るのを見る。それは命を刈り取った光だ。
「ま、所詮は戦闘能力の無い相手だもん。万が一でもやられることはないってば」
 足音。少女はむぅと唇を尖らせ腰に巻いたベルトから太い針を抜く。
「あたしたちがやんなきゃいけないのは、この通りに逃げてきたのを」
 ひゅんと右手が空気を切る。
「皆殺しにするだけだから。のんびりしてればいいんだよ」
 ぎぃと引きつるような悲鳴。右肩と左足を穿たれた女が派手に路地を転がる。
「ぎ……ぃい! こ、この、悪魔めぎょ」
 「煩い」と本当に煩わしそうに呟いてもう一本の針を投擲。開いた口に飛び込み、喉をを穿つ。
 さらに抜こうともがくが、手や指はそこまで届かない。首に集まる神経が暴れる体で踊る針にいじくられ、地獄の苦しみが女の中を駆け巡っていた。
 そのダンスもすぐに臨界を超えて白目を剥き、失禁して果てた。
「ティアっち、掃討が甘いよっ」
『最終的に打ち漏らさねばよいのじゃろ?』
 インカムに不満げに言葉を漏らすと落ち着き払った少女の声が応じる。
「……わざとやってるでしょ?」
『土門はようやっておるよ?』
 上空で可憐な死神が振り下ろす。少女の周囲に千とある光の鏃が一つ舞い、子供の胸を貫く。またひゅんと振りぬくと、頭を打ちぬかれて路地を転がる。下あごだけの残る顔面からどろりと血が流れ出た。命を刈るように、処刑鎌にも似た杖を踊るように振り下ろしていく。
 その直下では一人の鬼神が刃に命を吸わせていた。
 纏う衣服は幕末志士を思い起こさせる。手にした刀は未だ曇りなく、己の手と刀が作る空間に踏み入る者へ等しく死を与えている。
 攻めても死、逃げても死の環境で唯一守りが薄い場所の先に二人が待ち構えて居る。
 効率よく大人数を処理するために恐怖を煽り、活路を匂わせて少しずつ逃がし、その全てを潰していく。
 ティアロットの打ち下ろす魔力の弾丸は数発に1つ致死に至らない。痛みを訴え悶える声に気を取られた者が容赦なく吹き飛ばされていく。
「どっさんはまじめだけが取り柄だもん。二人で処理できるならやっちゃってよ」
『できるだけやってみよう』
 抑揚の無い応答。「絶対その気ないなっ!」と怒鳴っても反応は無い。というか必死の形相で逃げてくる数が増えた。
「後で絶対いじめるっ!」
「それより、来るぞ」
 窮鼠猫を噛む。追い詰められた人間は何をするか分からない。死地に立たされた人間のポテンシャルは常時を軽く越える。
 だが────悲しいかな、窮鼠の必死も圧倒する力がそこにある。
 青年が剣の重さを全く感じさせぬ動きで肉薄。破れかぶれに振るわれたナイフを見切って胴を薙ぐ。対金属重鎧を前提とされた騎士剣には刃が無い。速度だけで腹を抉られ、背骨を砕かれた男は背後に続く子供に激突して転がる。ゴツと頭を壁に打ち付ける音が静寂に響いた。
 止まらない。逃げ道の無い路地で静かな騎士が綺麗な剣筋で一つ一つ命を打ち砕いていく。再び静寂を取り戻した路地で、青年の視線はぴくりとも動かない子供に注がれる。己の成した事に迷いは無くとも胸に去来する思いは消せない。
「……ティアっち。おねがい」
『……良かろ』
 明るさをかき消して囁く言葉。ヒミカという少女にとって万人の怨嗟の叫びよりも一人の騎士が負う悲しみの方が胸えぐられるのだ。
 魔弾が夜闇を引き裂き男を、女を、子供を砕いていく。
 頭を砕かれ、体を砕かれ、そして心を砕かれていく。
 心を砕かれ、逃げる方向の自由も失った者が刃風と化す侍に巻き込まれ命を刈られていく。
 余りにも一方的な虐殺。
 今宵、クロスロードの片隅で死は量産されていく。
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