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『外伝』
裏側の世界
(2010/09/17)
 無法都市クロスロード。
 罪と罰の定義されていない混沌の都市と口さがない者は言う。
 道徳だけで都市は成立しないと、識者は当然のように言う。

 それでもこの街は続いている。僅か二年ばかりしか経過していないとは言え、種族を超えた人々がこの都市で日々を過ごしている。
 安寧にとは言うまい。平穏にとも言うまい。だが彼らはこの地でこの地の生活を確かに得ている。
 ならばそれを守るのも悪くは無い。
 例えそれが人に後ろ指さされる行為であろうとも、俺は信念を持って貫くのみだ。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 合流場所にはすでに人の姿があった。
 一人はティアロット。もう一人は背に翼を負った女性だ。慈母を思わせる穏やかな表情に刻まれた左頬の文様がどうしても目立つ。
「その子ですか?」
 事情は聞いているのだろう。痛ましいと思う気持ちが言葉に滲み、ぐったりとする少女にそっと触れる。
 やがて何かを堪えるように強く瞳を閉じると立ち上がり、「彼女をここへ」と左手に持つ杖でトンと床を叩いた。
 そこにぽっと光が点り、子供が寝て優に収まる円が生まれる。放たれるのは神気と呼ばれる物、聖別した場所を作り上げたのだろう。
「難しいか」
「……この子一人だけでもと思いたいです」
 ティアロットの言葉は自身の見立てを確認する物。少女を寝かせた円の中に複雑な文様が白の光で描かれ、すぐさまドーム状に包み込んだ。
「おぞましいですね」
 ぽつりと翼の女性は悲嘆を漏らす。
「まるで憎悪の塊です」
 染め上げるような白に影が浮かぶ。一つ、二つ……次の瞬間、地の底から這い出したような闇が純白のドームを禍々しく染めて叩き、暴れ回る。
「狂ってるにも程があるね。これ」
 平気な顔をして殺戮を繰り広げていたヒミカが顔を顰めるのであればその醜悪さもおして知れよう。
 闇は暴れる先を失って再び苗床としていた少女に襲い掛かるが、何かに弾かれたように触れることは叶わず怒り狂ったように結界を激しく叩いた。
「こんな物があの全員に仕込まれていたと言うのか」
 侍が押し殺せない感情を言葉の震えとして呟く。
「……ティアロットさん」
 翼の女性が緊張を滲ませた声を放つ。ゆっくりと頷いてティアロットは一同を見た。
「皆、外に出よ。少々荒い事をする」
「ルティアでも無理なの?」
 真っ先に状況を察したヒミカの問いに少女は首を横に振る。
「わからん。わしも術式の補助はするが」
 そのやり取りにアリスはいよいよ表情を硬くする。ティアが「わからない」と言うならば成功率は半ばかそれよりも悪いのだろう。
「ティアさん、危険な事は……!」
「アリスや。ぬしが連れて来た子じゃろ?」
 確かにそうだ。でもそれはティアロットを危険に曝してまで────
「土門、そやつを引っ張って部屋から出るんじゃ」
「承知した」
 ぐいと掴まれてアリスは思わず逆らおうとするが、ティアロットの静謐な視線に息を呑み、渋々と従う。
「ルティア殿が居る。失敗しても被害の拡大はさせんよ」
 低い銅鑼のような声が視線を固定するアリスへと向けられる。その厳つい顔には困惑も動揺もそして不安も無い。それを見たアリスは渋々と頷く。
 次の瞬間、ゴッと風でない何かが大気を奮わせ、衝撃のように背後へと突き抜けた。
「うあ、ちょっと洒落になってなくない?
 ラース級の神災だよこれ。初めて見たけど……」
 天罰、神の怒り。そう呼ばれる大規模な聖魔属性の厄災をクロスロードでは『ラース』と言う名で括っている。
 ちなみにA(アトミック)B(バイオ)C(ケミカル)M(マジック)W(ラース)で『ABC2W』(Mの逆さま)が大規模兵器、あるいは災害の通称となっている。
 直接その被害を受けていないはずなのに背筋が凍り、喉がどうしようもない渇きを強要する。ラース兵器の特徴の一つとしてそれを目撃した者に強い精神圧迫を加えるという物がある。つまり神の怒りに触れたという事実は広く喧伝されなければならない。それは強い衝撃と共に畏敬となって世界に広まるのである。
「あ、あのっ! 二人は……!」
「ティアっちがヤバイ事すると思う?」
 ヒミカが余裕ぶって笑みを作り、それからふと真顔に戻って少し沈黙。
「やるよね、あの子」
 即座に台無しにする。
「ヒミカ殿……」
 土門が沈痛な面持ちで呟き、傍らの騎士が無言で彼女の頭を上から押さえた。
「だーって、さくっと紙一重狙うじゃん。あの子」
 口を尖らせての反論も少々弱弱しい。彼女は良くも悪くも正直なのだ。
「でも死ぬような事はしないのは間違いないっしょ」
 彼女は自殺願望者ではない。生への執着は感じられないが、何も為せなくなることへの恐怖を抱いている事をアリスは感じていた。
 だから死ぬような事はしない。彼女には何か求める物がある。
 神も魔も居るはずのこの街でアリスはただ無事を祈った。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

「術式の相反はないかえ?」
「問題ありません。ティアロットさんの信仰は特別ですから上手く相互作用しているようです」
 中央の圧倒的な災厄。いっそ「C」の定義をカースやカラミティに変えたほうが良いのではないかと言うほどの負の思念が二人の展開する結界に阻まれ怨嗟の声を挙げ続ける。この声一つをとっても魔術耐性が無ければショック死を引き起こしかねない。
「それを使うか」
 少女の視線がルティアの持つ杖に注がれる。
「はい。流石に長引かせると土地が汚染される可能性もあります」
「ケイオスタウンの奥地でやればよかったかの」
 無論そこまで運ぶ余裕は無かった。結果論ではあるが、途中でこの中身が暴れだしていた可能性は充分にある。
「結界はお任せします。
 ……ティアロットさんで良かったです。貴方は私にとても似ている」
 ルティアは僅かに微笑んで顔つきを真剣な物にする。
「結界を解きます。10秒耐えてください」
 ティアロットが頷いた瞬間、中央で呪いを抑えていた結界が消失する。黒の思念はここぞと暴れ、外枠にティアロットが展開していた結界を打ち破ろうと体当たりを仕掛けてくる。結界の強度に圧倒的な差があるのだろう。黒の思念が結界に当たるたびに殺しきれない衝撃が家屋を揺らす。
「ぐ……」
 噛み締めた歯の隙間からうめきが漏れる。放てばこの辺り数百メートルの人が死に絶えるような憎悪の塊だ。普通なら一瞬でその闇に心も体も侵食され、自らも呪いに成り果てる。

 カツと、杖が床を叩く。

 黒の思念の一部が動きを止める。まるで何かに魅入るように行動を止めたそれらはまた不意に結界の一点───その先のルティアを目指して直進する。
「────」
 音にこそ意味のある真言。この世界が翻訳できない───しない言葉がルティアの唇から放たれた。

 オォオォオォォォオォオォオォオォ─────

 脳を蝕むような『声』をルティアは正面から受け止めた。

「貴方達は救われても良いのです」

 見る者を怯え、狂わせる壊れた感情。その闇へと彼女は偽り無い言葉を放つ。
 ────そして闇が喰われ始めた。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

「振動、収まったねぇ」
 座り込んでいたヒミカが勢いをつけて起き上がると同時に扉が開く。
「終わりました」
 やや憔悴したルティアがそれでも笑みを浮かべて扉の向こうへと道を開ける。
「あの子もティアさんも疲れきってしまったようです。休ませて上げてください」
 見れば呪いを背負っていた少女が静かに寝息を漏らしている傍らにティアロットが寝かされている。
「大丈夫なんですよね?」
 余波だけで家を揺らすほどの騒ぎに気が気でなかったアリスが詰め寄るように問う。
「ええ。問題ありません。呪いの侵食も気にしなくて良いかと」
 それを聞くとアリスは慌てるようにティアに駆け寄った。それを微笑ましく見送ってからルティアは一つ深呼吸。
「どちらかと言うと彼らの侵入した経路上の汚染が気になりますね」
 流石に立っているのも辛いのか、近くの椅子に腰掛けてルティアはヒミカに視線を向ける。
「そっちは多分大丈夫。適当な理由でっち上げて浄化作業の依頼出してあるから」
「そうですか」
「手間を掛けさせて済まない」
 騎士の礼に「いえ。構いません」と首を横に振る。
「『彼女』からの要請もありましたからね」
 それが指し示す相手はヒミカたちの上役に当たる一人の女性だ。
「それにこの街を守るお仕事に嫌も良いもありません」
「なんかこの人オーラがキラキラしてる……」
 ヒミカがまぶしくて見てられないと騎士の後ろに回るのは冗談なのか本気なのか。少なくともヒミカ自身は人間種のはずである。
「ともあれ、私は戻ります」
 小さく吐息を漏らし、それから背後を僅かに振り返り「……その子はどうするんですか?」と問う。
「多分『施設』……かな。流石にもとの世界に戻してもねえ」
 人間爆弾としてこの世界に投げ込まれたのだ。帰って真っ当な生き方が望めるはずもない。
 余り知られていないことだが、不定期開放型の扉に入ってしまったなどの理由で路頭に迷う生活能力を持たない人を集めている場所がある。それが通称『施設』だ。
 基本的な思想は再び扉が開き、帰れる時まで身柄を預かるための場所だ。しかし中には元居た世界が崩壊していたり、両親が死去して帰っても生きられない子供達も居る。
 彼らの多くは最終的にクロスロードで商売を営む住人に預けられ職を覚える。当初は学校のように勉学を教える案もあったらしいが「ではどの世界の知識を教えるのか」という問題がいつまでも付きまとったのだ。だったらその子の将来のためにも生きていくための技能を与えるべきだと言う結論に落ち着いた。
「そうですか。協力できる事があれば言ってください」
「感謝する」
 土門が頭を下げるとルティアは少しだけ悲しげに、しかし微笑を浮かべてその場を辞した。
「さーて、ティアっちもダウンしたし今日はお開きかな?」
「アリス殿の処遇は?」
「どーせお伺い立てなきゃいけないし、今の状況も知ってるみたいだから沙汰が下るんじゃないの?」
 侍は暫く沈黙をしていたが「そうだな」とだけ呟き家を出る。
「リヒト、あたしたちも帰ろ?」
「三人はどうするんだ?」
 心配そうに二人を見守るアリスの背中が見える。
「別に問題ないっしょ。ここだって普通の家の設備あるんだし」
 少しだけ拗ねたように言われて騎士はようやく硬い表情を崩す。それから「わかった」と頷いてその場を辞したのだった。

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 いつの間にか寝てしまったらしい。
 差し込む朝日にゆっくりと体を起こすと、ぱさりと毛布が落ちた。体が痛い。妙な寝方をしてしまったためだろう。
「……」
 ぼやける視界。目をぐしぐしとして、それから傍らで眠る少女を見止める。
 顔色は未だに悪くやせ細って今にも折れそうなのは変わらない。しかしあのおぞましい死の気配はそこには無かった。
 すべてを思い出して、深く安堵の吐息を漏らす。
「ティアさんは……?」
 疲れているのだろうか。安堵と共に再び襲い来る眠気をなんとか振り払ってもう一人の少女を探す。
 先に気付いたのは音。それから香り。
 私は立ち上がって固まった関節をいくらかほぐすと香りの元へと歩く。
「起きたかや」
 ふわりと浮いたままのティアがアリスの方へ振り返る。手にはお玉。味噌の香りがキッチンを濃く染め上げていた。
「娘っ子は?」
「まだ寝ていました。すみません。手伝います」
「良い、もう仕舞いじゃ。あの子の様子を見て無理がなさそうであれば起こしておいで」
「……はい」
 正直ティアロットの料理の手際は良い。和食はこの世界に来る前に立ち寄った世界で学んだらしく、アリスと食事をするときには作ってくれる事が多い。
 一方のアリスは姿見はブロンドの白人だが覚えている限り日本で生活しているので和食には抵抗がないどころか故郷の味という感覚だ。しかし料理の腕はというとかなり残念である。彼女を保護していた人物がカップめんや外食を好んでいたためにそういう技能が全く身につかなかったのである。
「今度、習おうかな」
 なんとなしに呟いて戻ると少女が半身を起こし、ぼんやりと壁を見つめていた。
 安堵の吐息を漏らす。同時に昨日のあのおぞましい闇を思い出し僅かに身震いをする。
「大丈夫ですか?」
 少女の体がびくりと、可哀想なくらいに震えた。それからアリスの姿を見止めると逃げるように距離を取る。
「え、あ……」
 思わず手を伸ばすと更に怯えたように壁まで這って逃げ、揺れる瞳でこちらを見る。
 まさかこんな反応をされるとは思わず途方に暮れるが、意を決してゆっくりと近付く。
「ヒィ……」
 引きつるような悲鳴。まるでアリスをバケモノのように─────
 アリスは瞼を閉じて、跳ねる心臓を落ち着かせる。ずきりずきりと痛む心臓は今は後回しだと自分に言い聞かせる。
「大丈夫よ。貴女は助かったの」
 言葉が通じていない事はないはずだ。歯の根が合わぬほどに震える少女を痛ましく思いながら、アリスは手を引っ込めると座りなおした。
 住宅街でもやや奥まった場所にあるせいか、それとも早朝故か、酷く静かな世界に小さな料理をする音だけが鼓膜を揺らす。
 少女はアリスの動きを凝視していた。その一挙が自分を酷く傷つけるのだと言うように。
 だから何もしない。ただ何もせず、少女の動きを見守る。
 知っている。人の動きは怖い。それがどんな風に自分を傷つけるのか怖くてたまらない。
 でも、同時に自分は知っている。暖かい手は本当に暖かいのだと。
 落ち着けるように浅く呼吸をする。
 少女は怯えたままこちらを伺い、しかし部屋から出ようとはしない。時間が流れる。緊張を続けるのには体力が要る。新たな刺激があればその時間も延長できるが、何も起こらなければ精神は息継ぎを求める。
 差し込まれるのは疑問。それはこちらへの興味だ。
 体を縮こまらせ、しかし瞳は伺い見るような物へと変化している。けれども反応する事無くアリスは昨日の事を思い起こす。
 ティアロットを含む昨日の4人は管理組合の何者かが治安維持のために集めたという認識で間違ってはいないと思う。管理組合の基本スタンスから逸脱する行為だが、在ると言う事に違和感は無い。むしろ在って然るべきと思える。
 管理組合は《賞金》システムの管理のみで治安維持行動を行っているように見えるが、そんなことが上手く行くなんて普通は考えない。もしそうなら律法の翼なんて組織が根気良く活動を続けてなんていられないだろう。
 相棒のはずの少女を含む4人は管理組合の暗部だ。そして───自分もそこに加われと言われた。
 ────正直、そんな仕事には慣れている。
 自分はこの世界に来る前にも殺す、殺されるの戦いをずっと続けてきた。防衛任務のように言葉も理解できない怪物相手じゃない。人間───あるいはそうであった者とだ。
 好んでいたとは言わない。それが悲しい事だと、そして受け入れてはならない事だとずっと心に刻んできた。
 ぎゅっと目を閉じて痛む心臓を押さえる。
 立場と、倫理観と、衝動が争って内臓をかき乱すようだった。
 ぐっと奥歯を噛み締め、やがてゆるゆると息を吐く。
 私は、と声に出さずに呟いて。そしてこちらをじっと見る少女を見つめ返す。
 浮かぶのはきっと弱々しい笑顔。困惑の表情がそれを如実に示していてアリスはそれを濃くした。
「私はアリス。あなたは?」
 問いに少女は身を引き、逃げ道を探すように瞳はきょろきょろとせわしなく動く。それを見つめながら暫く待つと少女は掠れた声でぽつりと呟いた。
「……るな……りあ」
「ルナリア……?」
 おずおずと頷くのを見て微笑む。
「そっちに行っていいですか?」
 やはり少しだけ身を引いて十数秒沈黙を続けた後で少女はおずおずと頷く。アリスは刺激しないように立ち上がると少女の隣に少し間を空けて座った。
 自分の右に座ったアリスを見て、少女は重心を左に傾けてアリスの横顔を見る。
 夏ももう終わりのこの時期、窓から差し込む光はこんな時間でも強くてまぶしい。昨日の雨は名残もなく、今日は快晴のようだ。日本だったらきっと蝉が煩く鳴き始めて居るのだろうとぼんやり考えた。
「……」
 少女の唇が震えるように動く。まだ残る恐れもあるが、現状に対する違和感が上手く言葉にならないのだろう。
「私はあなたを傷つけません。そしてこの街はあなたを受け入れてくれます」
 それはもしかすると自分への言葉なのかもしれない。
 姿形が同じでも、身に秘めた力故にバケモノと蔑まれた自分が居て、姿形が違っても楽しげに暮らす町がここにある。
 少女はその言葉を飲み込めないかのように視線をきょろきょろと動かし、救いを求めるようにアリスへと向けられる。
「……ホント、に?」
「はい」
 ゆっくりと驚かせないように少女の手を握る。
 びくりとこわばり、やはり体は逃げようとするが、
「う……」
 涙が溢れた。
 ぽろぽろと次から次に流れ出す涙を見て、アリスは少女の頭を優しく抱きしめた。
 ようやく泣けたのですね。
 それは少女が安堵を得られたと言う事。緊張に縛られた心が僅かにでもほぐされたという事。
 だから、今は泣くに任せてアリスは少女を抱きしめた。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇

「─────」
 戸に背を預け、ティアロットは天井を見上げていた。
 その向こうからはようやく収まりつつある少女の嗚咽がもれ聞こえている。
 手にはやや冷めてしまった食事。彼女はそれを見下ろしキッチンへと戻る。
「わしにはできぬことじゃな」
 ぽつりと呟く言葉に、苦々しい表情が付帯していた。
 小さな手を一度洗って塩を用意し、手際よく握り飯を作っていく。おかずをほぐして中に入れながら差し込む光をまぶしく見る。
 自らが感情を数字のように見てしまう事は承知していた。想像はできるが共感はできない。特にああいう子供の感情に合わせるような真似が一番苦手だった。
 数えで14。まだ共感できないと言った『子供』のカテゴリにありながら、それを余りにも遠い物と思う。
 子供のままである事を拒み、足掻き、走りぬけた結果、すべてを置き去りにしてしまった。
 子供に知識を教える事はできても、共に笑う姿はどうにも想像できない。どうしてもティアロットは彼女という『個』だった。

 アリスも仲間ではあるが、友であるのだろうか。

 それ以上に、自分はどうありたいのか。
 二度の失敗の記憶と、自身が何でもなくても良いという言葉が踊る。
 作り終えた握り飯を盆に載せて茶を入れつつ泣く声が失せている事を知る。泣き疲れたか落ち着いたか。
 果たしてどちらだろうかと答えを選ばぬまま彼女はアリスの居る部屋へと向かった。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇

「まー、そうなるとは思ったけどさ」
 大図書館を抱く公園は久々の晴れ間に緑がまぶしいほどだ。その中でベンチに腰掛けたヒミカはやや嫌そうな顔をしつつ耳に届く言葉に応じた。
「ティアっちの相棒どうすんのさ?」
「使えばいい」
「気楽に言うねぇ。甘チャンだよ、あの子」
「代わりにあなたとティアロットは充分に非情だから問題は無いわ。
 土門とリヒトも割り切れる人だからね」
「足を引っ張るって懸念はしてないの?」
「土門の攻撃を即座に反射させた判断力は彼女が不意打ちやそういう少人数戦闘に慣れている証拠よ。
 それに、ティアロットは意外とあの子に肩入れしているわ」
「ティアっちらしくないよね。理由は付けてたけど明らかに私情が入ってたし。自覚あるかどうか知らないけどさ」
「自覚はあるでしょうね。あの子は自分の心も割り切って考えるもの。あなたとは正反対────いえ」
「うっさい」
 続く言葉をずばっと断ち切ってヒミカは不機嫌そうに立ち上がる。
「で? 決行は?」
「明日、作戦成功の報告を受けて軍議が開かれるらしいわ」
「予想戦力は?」
「8ランク以上の戦力は居ないはずよ。呪いを仕込んだ張本人は療養中」
「死んでないんだ」
「恐ろしい事にね」
 あれだけの呪術を使えば自らを侵してもおかしくは無い。
「簡単な話よ。あの世界では今もそれだけの人間が死に続けている」
 死者の亡霊を取り付かせるには彷徨う亡霊を呼び出さなければならない。だが周囲に彷徨って居るならば負担もずっと少ない。
「それを生きてる人間に詰め込んで爆弾にする、かぁ。正気の沙汰じゃないよね」
「正気のままでは居られないんでしょ。あの世界は間もなく消滅するのだから」
 数多存在する世界。その中には既に滅んだ世界や滅びに瀕した世界も当然のようにある。
「それでもまだ百万以上の人が残って居るわ。そしてクロスロードはそれだけの人を受け入れられない」
 クロスロード単体での収容人数は約30万。その3倍以上の流民をクロスロードに居座らせるわけにはいかない。
「勝手に開拓村でも作ってろーってワケにはいかないもんねぇ」
 面倒そうに空を見上げる。
「本人達がそのつもりなら勝手にどうぞって言うんだけどね。でも例え最初はそうでもすぐに壁の中が羨ましくなるわ」
 そうなれば100万を越える人間がクロスロードの敵となる。怪物よりも狡猾な敵に、だ。
「本当に生き残りたいだけなら別の世界を紹介しても構わないのよ。でも握手よりも先に爆弾を投げ込むような相手に笑顔を見せる必要は無いわ」
「それが権力者の専横でも?」
「代表よ。良くも悪くもね」
 ひとりひとりにアンケートを採るまでする義理もない。
「でも、手を下すのはあたしたちだよね? 今回の場合は……ティアっちだよ?」
「丁度いいじゃない。地球世界の光使い。彼女も殲滅戦専用よ?」
 言うまでもないがヒミカは自分の幸せ最優先で、その障害や益を得るための行為に躊躇いはない。だが『彼女』の駒ではそれは自分だけが持つ感性だと自覚している。
「センタ君でも使えばいいじゃん」
 バスケットボールサイズの存在でも手に銃でも持たせて並べれば充分な殺傷能力を持つ。数が揃えば充分すぎる脅威である。
「何だかんだ言って優しいのね」
「うっさい」
 ふんと鼻を鳴らせて俯き、
「どっさんは元々そういう仕事だったしリヒトも騎士だから戦争って割り切れてる。
 ……まぁ、顔には出るけどね」
 靴先で小石を蹴っ飛ばし、ため息。
「でもティアっちって一番冷静なフリして一番いろいろごちゃごちゃ考えてるんだよね。もっといい方法はなかったのかって。
 割り切っているフリして結局割り切ってないんだよ」
「あの子が一番最初に壊れるって事?」
 ヒミカは首を横に振る。
「あの子は多分壊れない。壊れた方が楽なのにきっと壊れない。壊れないままずーっと痛みを感じ続けると思う」
 難儀な性格だよねと呟いて立ち上がる。
「今回はあの子を連れて行くよ。虐殺の現場で何を叫ぶのか興味が出てきた」
 姿無き女性は数秒の間を置くと
「結果さえ出してくれればいいわよ」
 と楽しげな風を隠そうともせず通話を終了させた。
「性格悪いよね」
 口にせず「お互いに」と呟いて、彼女はニュートラルロードに向けて歩き始めた。
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