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『外伝』
One’s

 朝が来る。
 そして目覚める度に俺は故郷ではありえない蛍光灯の付いた天井に深い疑問を抱く。
 どうして俺はここに居るのだろう。
 思い出すまでもない過去が何度も思い直した過去が飽き足らないと脳裏を過ぎる。
 全ては愚直すぎた自分が招いた災厄。己の正義だけを見て、只正しくあれば良いと考えていたその結末。
 愛する人を穢され、無二の友に刃を向けられたあの日。
 罪人として国を追われ、困惑の中で彷徨うしかなかったあの夜。
 正義を疑い、真実を求め、しかし真水の中でしか泳ぐ事を知らなかった自分はヘドロのような泥の中ではただ沈むだけだった。

 どうしてその自分はここに在るのか。
 ここに居ても良いのか。

 真実を求めないならば、せめて友の刃に討たれるべきではないのか。
 そうしなければ、巻き込まれ、穢されただけの彼女の魂は永遠に浮かばれる事は無いのではないか。

 戻りたいと願う。願い続けている。
 されどあの世界への扉は堅く閉ざされ未だに開く気配は無い。
 積層世界────そう呼ばれる故郷は天も地も異世界に等しい。翼を持っても空界への門を潜らねば舞う事は適わず、地面を深く掘ることすらもできない。
 故に、真なる異世界からあの世界へと戻るのは容易ではないと説明された。

 どうして此処に居るのか。
 心臓を抉るような問いを繰り返し、落胆の吐息を漏らす。
 この身は愚直な騎士。否、その立場すら失われた剣を持つ罪人。扉の事も世界の事も理解が及ばず戻る手立てすら掴めない。魔術とは生まれながらの才能と常識を超えた常識により成立すると聞く。騎士道とは立ち位置を虚にするそれに自分は表面を撫でることすら覚束ない有様だ。

 意識が明確になり、体が目覚めようとしている。
 その切っ掛けは気配。最大限に殺しても繰り返されたその接近を感知できぬ自分ではない。

 その好意を嬉しくは思う。
 けれども、罪を償えぬ自分に応じる資格は無い。

「ヒミカ」
 咎める声色に気配の動きがピクリとして止まり、しかしすぐに殺した気配を蘇らせて接近を再開する。
 ぽすんとベッドが沈み、腹の上に小さな頭の乗る感触。
 恩人でもある彼女は何一つ言わず、何一つ求めず、ただそうしたままじっとしている。
 彼女は賢い。自分よりも広く世界を見て、何より人の心を透かし見る。彼女の才の一欠片でもこの身にあれば、あの悲劇を招く事は無かっただろうと何度考えたか。
 彼女は知っている。この身の引き起こした惨劇を。この身に重く掛かる影を。それでもこうして自分を明るく慕い続ける。何故と問うた事もあるが、率直な好意だけが彼女の回答だった。
 改めて思う。応える度量も資格も我が身にはないと。
 重ねて思う。それは彼女達への背信に他ならないのではないか、と。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「武器の取引、ねぇ」
 ヒミカが詰まらなそうに手紙の内容を口に出す。
 新たな指令の内容は文明レベルの低い世界へ重火器を持ち込もうとしている商人の件が記されていた。そのような事例は実に少なくない。なにしろ鎧甲冑で身を固める世界ならば10人ばかりが銃器を手に乗り込めば1つの町くらいは簡単に制圧できる。それらを指導者に売り込み、地位を得る事も簡単だ。
 無論クロスロード、並びに管理組合にこの行為を咎める理由は無い。元より異世界からの文化流入は極当たり前に行われている事だ。
 例えば神話で語られる英雄の武具。その一部はこうして齎された異世界の武具であるという事が意外と多い。「かつて栄えた文明」という件もそういう異世界文化が流入し、それが何らかの理由で引き上げたがために再現できぬまま文明が衰退したというケースもいくつもあると言う。
 ───自分達はこれから生まれる伝説の、「何らかの理由」の一つなのだろう。
「個人的な動きだから大勢で行く必要もないか。ティアっちとアリスは迎撃のほーの仕事もあるし、あたしとリヒトで行く?」
 俺は首肯を返す。彼女が言うなら戦力的には恐らく俺一人で充分なのだろう。
「おっけ。ターゲットの補足は該当世界で行うことになるから潜入と追跡で。
 まぁ渡っちゃった武器は多少は仕方ないとするみたい」
 こういった名残がその世界で古代の遺産や伝説の武器扱いになるのだろう。
「ターゲットは今はクロスロードに滞在。恐らく明日の早朝にはあっちに行くみたいだからそのつもりでね」
「わかった」
 俺は立ち上がりPBの告げる時間を聞く。
「ん? どっか行くの?」
「表の仕事だ」
 端的に告げると彼女の顔が見る間に不機嫌になる。
「むー。もう辞めちゃえば? あんなの」
 俺が静かに被りを振ると頬を膨らましたままこちらを睨むだけに留める。裏の仕事にも関与しているため、強く言えない事は彼女が一番良く理解している。
「じゃあ行ってくる」
「残業禁止だからねっ!」
 せめてものという一言に頷きを返し、俺は律法の翼の拠点へと向かった。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 律法の翼。その始まりはクロスロード成立前に遡る。
 三世界によるターミナルの覇権を争う小競り合いの最中、武力を持たぬ者達を助けるために有志が集まり、避難誘導や食料の運搬を担った。時には無法を行う傭兵を迎撃する事もあった。
 武力を持って移動する彼らは一歩間違えれば三世界に討伐される可能性を秘めていたが、ガイアスやヴェールゴンドにとっては彼らは懲罰部隊の役割を担い、正義を信望する永遠信教からは良しとする行為だったがために見逃されていたらしい。
 その後に起きた大襲撃の結果、三世界が覇権争いから総撤退する事となった。主の候補を失ったこの世界で舵取りをするのは自分達だと思っていた矢先、ここぞと現れたのが『管理組合』という謎の組織だった。
 無論「自分達こそこの地の平穏を担う存在」という自負を持った彼らは、自分達を他所に作られた組織にどんな正当性があるかと批難した。
 しかし管理組合の持つ圧倒的な建築能力は彼らの口を噤ませる。ひと月の間に当時の来訪者全てが住める住居を整え、インフラの整備を成し遂げた。防壁となる巨大な壁と門を造り上げて人々に安心を齎したのは特に大きい。
 あらゆる種族の専門家を分け隔てなく招聘し、意見を取り入れた街づくりをその後も展開し続けるにも関わらず、律法権、司法権を一切主張しない『町を製作、維持する道具』を是とした組織にどんな言葉も八つ当たりでしかなかった。
 唯一、「他世界の干渉を受け付けないための組織」にしてはその異常な物資調達能力が違和感を覚えさせたが、今現在に至るまで特定の世界からの干渉は影も形も無い状態である。推測だけの批難など惨めな陰口でしなかった。
 律法の翼の前身組織は為すべき事を見失って解散も検討されたらしい。しかしそれを遮る事件が発生する。
 ────連続爆破事件。新暦1年2の月に発生し始めたそれに対し、管理組合は《賞金》を懸けるに留まり、何一つ対応をしなかった。管理組合は立法権も司法権も放棄しているのだからまさに額面通りの対応なのだが、殆どの者は管理組合を領主のような認識で見ていたために不満が膨らんだと言う。
 そこに積極的な介入を行ったのがルマデア・ナイトハウンドだった。どこかの世界の騎士だった彼は無法のままのクロスロードを普段から嘆き、爆破事件に対し丸投げのような対応の管理組合に強い怒りを示していた。
 彼に賛同した者は多く、彼の提案を元にその組織は『律法の翼』の名前を新たに背負い爆破事件へのアプローチを開始した。
 来訪者───特に住民は彼らの動きを評価し、事件も未遂に終わる事が増えた。テロを行っていた組織───世界も特定できた時点で

 管理組合は事件を解決とし、賞金の配給を行った。

 来訪者はこの報告を歓迎した。宣言の通りその後に爆破事件は起きなかったのだから歓迎しない理由は無い。
 だが面食らったのは律法の翼である。彼らは今から最後の詰めを行おうと準備していた矢先なのである。
 リーダーのウルテ・マリス、並びにルマデア・ナイトハウンドは自分達の功績を広く喧伝する動きを見せ、隊員もこれを自分達の働きの結果だと自負した。
 しかしその後、武力行使を辞さない治安活動の道を選んだルマデアは、他の来訪者に威圧感を与える事を是としないウルテに反発し独自の活動を開始。特にテロ事件で武勇を馳せたメンバーはルマデアに賛同しつき従う事になる。
 これが現在『律法の翼』が穏健派と過激派に分裂した始まりとされている。
 
「失礼します」
 ノックの後、「どうぞ」という幼い声を確認し、執務室へと足を踏み入れたリヒトは落ち着いた洋風の室内に余計な視線をやることもなく、こちらを見上げる小柄な少女へと近付いた。
 年の頃は10と少しばかりか。銀の髪を持つ穏やかな少女、彼女が『律法の翼』の創始者にして穏健派のリーダー、ウルテ・マリス嬢である。
「リヒトさん。お呼び立てして申し訳ありません」
「いえ」
 外見に不相応な落ち着いた言葉遣いもどこか神聖さを纏う彼女には似合っている。
「先日より入市管理局を通さず町へと入り込む来訪者の噂が持ち上がっています。
 この件にルマデアさんが動こうとしているという話を聞きました」
 リヒトは何も言わず、少女の瞳を見る。
「私達は何かした方が良いと思いますか?」
 騎士の立場はヒラの隊員である。律法の翼に措いて何の権限も無い彼には相談される謂れの無い話のはずだった。
 その上で彼に問うという意味を思い、騎士は一拍の間を置いた。
「必要は無いかと。所詮噂です」
「そうですか。ありがとうございます」
 少女は無理に笑みを作る。揺れる瞳は姿通りの年齢故に殺しきれない感情の表れだろう。
 ルマデアは猛将ではない。武を振るえば鬼のように例えられる彼は平時には知将として敬われている。彼が動くのであればそれなりにソースを持っていると推測するべきだ。しかしそれを「所詮噂」と切って捨て、それを彼女が納得するという光景を他者が見ればどう思うだろうか。
 すべての感情を無面目の裏に押し隠し騎士は思う。この娘は優しく、それゆえに皆に慕われている。だがその優しさは彼女を静かに蝕んでいるのだと。
「……それからもう一件」
 彼女は気分を打ち払うように言葉を発する。
「昇進の件、受けてはいただけないでしょうか?」
 その言葉を聞くのは初めてではない。彼女が申し出る理由も今のやり取りの中に明らかだ。
 そして自分が断る理由もそこにある。
「私の願いは、少しでも多くの来訪者がこの土地で健やかな生活ができる事。それだけなのです」
 騎士の言葉に先んじて少女は言葉を紡ぐ。
「貴方は腕が立ち、冷静な指揮官としての側面も持ちます。それだけでも十分なのです」
 それだけでも。言葉を脳裏で繰り返しリヒトは瞑目する。
「少し時間をいただけますか」
「良い回答を期待しています」
 リヒトは一礼し部屋を辞した。
 彼女と言い、何故ああも年若くして世界を広く見ることができるのだろうか。
 彼の胸に去来するのは己の不甲斐なさだった。

  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 土門という名の侍はいつも街の中を徘徊している。
 彼の職はあえて言うなら賞金稼ぎだ。管理組合の配信する《賞金》情報を眺め見て、探す。
 同じく賞金稼ぎを名乗る者の中では彼はちょっとした有名人だった。100mの壁に目と耳を塞がれたこの土地で彼がターゲットを見つけ、追い詰める技法は群を抜いている。
 それもそのはずだ。彼はこの世界に来る前からそういうやり方でやってきたのだから。
 彼の故郷もまた地球世界だ。しかしアリスとは時代を違え、その居姿の通り江戸時代末期、幕末の頃に江戸の町で治安維持を務めていた一人だった。江戸の町をその足で駆け、相手を追い詰めて斬り捨てる。たったそれだけの事を何十、何百と繰り返してきた。もし彼が不慮の事故でその世界から消えなければ歴史は彼のことを悪鬼羅刹と謳ってもてはやしたかもしれない。
「観念しろ」
 草鞋が不似合いな石畳を踏む。その先でマシンガンらしきものを手に振り返る男には明らかに余裕が無かった。
「ちぃ、鬱陶しい!」
 迷いすらもしない斉射。射撃音が街角に響くが幸いにして周囲に人影は無い。
「笑止」
 対して彼が採ったのは直進という暴挙。数十の弾丸へと自ら飛び込み、まるで地を這うかのように身を沈める。
 彼の進路は直進に見えてやや左。右手に銃を持つ男はその銃口を最初やや右に開いた方向へ向けている。吐き出される弾丸が侍をかすめ、しかし届かない。
「っ!」
 銃を持つ男の顔に焦りが膨らむ。常識外れの光景が目の前に展開されているのだから無理も無い。気付けば装弾数の30はあっさりと0になり、しかし焦りに支配された彼の感覚はそれに気付くまでにコンマ数秒。さらにリロードという行動に移るまでに一秒を無駄にした。
「御免」
 白刃が切り結ぶ。
 草鞋が啼くざっという音と光は同時。それから銃が右手首を引き連れて舞うのが数瞬後。
「え、あ?」
 理解できないだろう。銃器を扱う者の中には接近武器を甘く見る傾向が強い。リーチの長さが強さだと言うことは認めざるを得ないが、技量の差もまた強さである。
 銃口の向きと距離。その二つの把握に成功したのであれば着弾点はおのずと知れる。槍の一突きと原理は何一つ変わらない。
 ────もっとも、一度そう口にした所、リヒト殿以外には賛同が得られなかったが。
「観念せよ。尚抵抗するならば斬り捨てる」
「ひぃぃいい!?」
 そこにはもう戦意の欠片もない。ただ怯えるだけのしがない小物の姿がある。賞金額も大したことの無い悪党気取りならばこんなものだ。ただ隙を見せれば安易に牙を剥くという性質だけはどうにも好かない。今も怯えながらもしきりに隠し武器を取り出す隙を伺っている。
 そこに必殺の気概があるならまだ良し。だが、あくまで逃げるための極まった行いだ。場合によっては人質もとりかねない事がなお気に食わない。
「もう一度だけ言う。無様な抵抗をするならば、早々にその左腕も貰う」
 その一言でこわばった左手がだらりと下に落ちた。
 すぐにセンタ君が数体やってきて男に応急手当と魔法的な拘束具を仕掛ける。
 彼の処遇は今後2つだ。
 1つは《賞金》と同額を罰則金として支払い、釈放される。
 もう1つは入市禁止とされて元の世界に送り返されるか。だいたいこの町で小悪党じみた騒ぎを起こす連中は元の世界から逃げ出したような連中が多い。戻されればそちらの法にいずれ裁かれるだろう。
 無論、《賞金》を懸けられた時の被害については自己責任である。男が罰則金を払えば当然復讐の機会も存在するので賞金稼ぎは余程の事がない限りわざわざ生かして捕らえるような事はしない。
 彼とて別に活人を旨としているわけではない。ただ、たまたま無力化してしまった者にとどめを刺す気にならなかったに過ぎない。
「どっさんは充分お人よしだと思うけどね」
 何かが飛来するのを感知して咄嗟に左手で受け止める。少し潰してしまったそれは饅頭だった。
「ヒミカ殿か」
「センタ君が来る前にさっくり殺しちゃえばいいのに」
 センタ君に確保された時点で賞金は一時解除される。その後にターゲットを害すれば《賞金システム》に対する妨害としてそっちが《賞金》を懸けられる羽目になる。
「別に人殺しを好んではいない」
「そういう問題なの?」
 もくもくと袋に入った饅頭を食べながら少女が首を傾げる。
 侍は刃を鞘に納めて手の中の饅頭を見る。
 口にしようとした言葉ごと饅頭を食む。
「一人とは珍しいな」
「うー。だってリヒトが仕事に言っちゃったんだもん。
 あの偽善者のことなんかほっとけばいいのに」
 この娘は純粋だ。純粋に人を愛し、純粋に殺意を抱く。まるでスイッチのようにその途中を持っていない。
 人を手にかけた数だけで言えば自分達の中で一番少ないだろう。だが彼女にはその行為にわずかにも躊躇がなかった。
 敵だから殺す。邪魔だから殺す。
 倫理も道徳も無く、思いついたように殺人を為す。
 だが人斬りの自分にそれを窘める言葉は無い。道徳をどう謳えと言うのか。命の尊さなどどの舌が紡げようか。
 その躊躇いがいつも口を噤ませる。リヒト殿にしてもきっと同じだろう。
 そう、何より危ういのは彼女がそれを罪と認めたときかもしれない。
 この手で死を紡ぐ理由で───誤魔化しで心を固める方法を覚えた我々とは違うのだから。
「何? じろじろ見て」
「ん。いや。なんでもない」
 饅頭をひと呑みにして手を拭う。今の思いのせいか、初めて人を斬った後その手で食事をする事を畏れた昔が脳裏を掠めた。
「だめだよー。あたしがどんなに可愛いからってぜーんぶリヒトの物なんだから」
 そこらの娘と全く変わらぬままに楽しそうに笑う少女を改めて見て、侍はフと笑う。
「承知している」
「なら良し。どっさんはもう暇なの?」
 と言うより自分が暇で仕方ないのだろう。この時間であればティア殿もアリス殿も街の外だ。
「時間の都合は付くが」
「よし、じゃあ買い物手伝って。この前ティアに聞いたの試してみたいから」
 胸中の考えを捨てて、ただ友人としてその笑顔に応じる事にする。
 幾千の問いを重ねても、自分如きが倫理を語るはおこがましいか。

   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ぎゅっと小さな手がアリスのロングスカートを掴む。
 五時を過ぎたクロスロードは夏場ともあってまだまだ明るい。担当時間を終えて戻ってきた二人はルナリアを一度迎えに行き、夕飯を食べるために外に出ていた。
 二人とも自炊くらいは出来るが、特にティアロットは放っておくとビスケットを齧って終わりにしてしまうので仕事の後はアリスが引っ張りまわすのが常だった。
「……」
 おどおどと周囲を見回すルナリアにアリスは優しい苦笑を零してその髪をゆっくりと撫で梳いた。彼女の世界は人間種が基本だったのでこの町は仮装行列の群れに等しい事だろう。特に悪魔系や獣人系には酷く怯える素振りを見せる。
 しかし何よりも苦手とするのはどうやら人間の大人だった。彼女がどんな目に遭わされたのかは想像もしたくないが、真っ当なやり方で集められた人間があんな呪いを注ぎ込まれるとは思えない。
「時間が何とかするじゃろ」
 こちらを見ずにティアロットが言う。アリスは一つ頷いてルナリアの手を包むように握った。
「着きましたよ」
 そうして辿り着いたのは『純白の酒場』という食堂だった。色々な理由もあり二人が良く利用する店である。
 まだ早めの時間ではあるが店の客は随分と居る。これがあと2時間もすれば超満員になるのがこの店のいつもの光景だ。
「あ、いらっしゃいませー!」
 10歳くらいの女の子が可愛らしいウェイトレス服のスカートを翻して手を挙げる。一緒に腰まである黒髪もふわりと踊った。
「ヴィナちゃん、こんばんわ。3人だけど」
「空いてるところ、どこでもいいよー」
 見た目にしては舌足らずな言葉遣いで応じ、「ふぃるー、お客ついかー」と奥へと声をかけた。
「ハム君、これ、7番ね」
「きゅーーーい」
 甲高い鳴き声にルナリアがきょとんとする。そちらを見れば体長2m弱の鼠が頭の上に器用に盆を載せて走り回っている。テーブルの間隔は結構詰められているが気にする事無くすいすいと走り抜けて客のテーブルの前に到着する。
「……ありす、あれ、なに?」
「ハム君ですね。何と言われてもちょっと困りますけど」
 巨大なハムスターと言うのが適切な答えだが、喋れないので来訪者でなく使い魔なのだろうかと彼女も首を傾げる。
「はむくん?」
 ぎゅうと握った手を強くしつつ目を大きくしている。かなり興味を持ったみたいである。お昼時などやや空いている時間にハム君に抱きつかせてくださいとお願いする客も少なくないんだとか。
「とにかく座りましょう」
 手近なテーブルへと手を引き、ここに連れてきて正解ですねとアリスは小さく呟く。
 純白の酒場はとにかくメニューが多い。数百種はあろうかというメニューをたった1人(たまに2人)でこなす店長はある意味この町の有名人の一人だ。
「適当に頼んでいいですか?」
「構わんよ」
 食への拘りが無さ過ぎるティアロットにメニューを渡しても目に付いたどこの世界の物かも分からない料理を指差しかねないのでこれもいつものやり取りだ。
 ルナリアを見るが、彼女はきょとんとこちらを見上げている。どうもこういう『お店』自体が始めてらしい。
 アリスは元々の世界では外出すら滅多にしない立場だったのだが、彼女らに比べれば大分マシのようである。
「すみません、良いですか?」
「はーい♪」
 ヴィナの返事を聞きながら、アリスは注文する内容を脳裏に描いた。

   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ねえリヒト」
 あたしは知っている。とある国で穢れ無き騎士として勝利を重ねていた英雄を。
 あたしは知っている。余りにも真っ直ぐ過ぎて、人の悪意に無関心だった英雄を。
 人は怖い。
 あたしの世界には様々な種族が居た。中でも魔人と天人には地人───普通の人間ではその眷属ですらまともに対抗できる相手ではないものまでいたけど、それらをひっくるめても人間は怖い。
 そんなバケモノにも人は勝ち得るんだ。魔人に力を狩りて天人を殺め、天人の加護を得て魔人を討つ。地を這うだけの無才の種族は知恵と執念だけでやり遂げてしまう。
 でも彼は、真っ直ぐな騎士は悪意や嫉妬や恐怖に人が簡単に歪む事を考えもしなかった。
「明日仕事が終わったらさ、どこか食事に行こう?」
 瞳が揺れる。その意味だってあたしはちゃんと理解している。リヒトの頭には悔恨という重しを携えた彼女が巣食っている。

 詩人がそれらしく歌っていた。
 死者を思う者に生者の魅力は届かない。

 聞いた時には何の事だか理解できなかったその言葉も今では痛いくらいに良く分かってる。
「ダメ?」
「……そんなことは無い」
 あたしは満足げに笑みを作って食事を続ける彼を見る。心の中なんて欠片も表情には出さない。

 あたしは婚約者を殺され、しかもそれを自分の凶行と称し罪に問われた彼を拾った。
 彼は殺された────違う。本当は魔人の眷属に犯され、忌み子を無理やり孕まされ縛り付けられた婚約者を誰の目にも曝さないために屋敷に火を付けたのだ。そして彼は婚約者の兄であり、彼に並び立つ騎士であり、親友でもある男に己が殺したと証言したんだ。
 その上で真犯人を捕まえるべく国を逃げた彼をあたしが拾った。親友に殺されかけ、重傷を負った彼を。
「そう、じゃあ約束だよ?」
 リヒトはその事実を一度だけ零した。懺悔するように、血を吐くように。
 あたしはそれからずっと一緒に居る。こんな異なる世界にまで一緒に。
 その事実を聞いたのは一回きり。以来『彼女』の事を彼が口にした事は無い。世に知れた罪を背負い、罪人を称し続けている。
 あたしは彼女の姿を知らない。見た事も話したことも無い。人の口を渡った像しか知らない。
 それがあたしのライバルで、リヒトの心の闇だ。
「わかった」
 以来、彼は感情を殺し続けている。自分が生きてる事を罪と思うように。自分が笑顔で居られる事が罪であると言うように。
 影が走る笑み。自らに幸福を禁じながら、あたしに合わせて笑顔を作ろうとする。そうして出来上がる表情をあたしは気付かないフリを続ける。
 喜びを作ろうとしてその罪に戸惑いを見せる彼が『微笑んでくれた』と笑みを濃くする。

 あたし達は魔人を呼び、『彼女』を犯した男を追いかけた。世界を巡り、様々なことに巻き込まれながらも旅をした。
 あいつと出合ったのもその最中で、まぁそれはいいや。
 あたしの世界では空も地中も、魔界も天界も、森も海も異世界だ。定められた扉を通らないと目の前の海に触れることすらできない。この世界にちょっと親近感を覚えるようなそんな世界だった。そしてそんな世界特有の罠に掛かってここに居る。
 仇を追って潜った扉の先。そこはあたし達の知る別層の世界でなく、この多重交錯世界ターミナルだった。その上どうやってかは知らないけれどあたし達は戻る道を封じられた。
「じゃあ、明日の仕事もぱぱーっと片付けちゃおーね?」
 あたしは正直喜んだ。だってあの世界に帰れないなら────
 でも、リヒトも、ついでにあいつも元の世界に帰ることを諦めていない。あのままあちらの世界に居たら、世界の敵として認知されてしまったあたしたちはいずれ捕まっていたかもしれないのに。
「ああ」
 仇の男なんてどうでもいい。リヒトとずっとここで暮らせるならそれで構わない。
 でもその男を討たないと、彼の心はずっとあの女に縛られ続けるんだろう。
 あたしを見る目はいつも揺らぐ。あたしへの罪悪感と彼女への懺悔。旅立ちから3年も経とうとしているのに、あたしを真っ直ぐ見てくれない。
 たまに思う────あの男が羨ましい、って。
 リヒトはあの男を真っ直ぐ見つめている。それが憎悪であっても真っ直ぐな気持ちを突きつけられる事をあたしは望んでいる。
「約束だからね」
 笑顔で放つ言葉。そんな念押しをしなくてもリヒトは約束を違えない。
 それはあたしへの恩義? 罪悪感? 私の笑顔の裏を彼は覗かない。こんな思いの欠片も知らない。知ろうとしてくれない。
 そんな状況にあたしに与えられた力は何一つ解決策を与えてくれない。
 だけどまっすぐで綺麗なリヒトがあたしは大好きで─────まっすぐだから彼はあたしを見てくれない。
 その葛藤の全てを隠し、私は笑顔を作り続ける。
「約束、だからね?」
 拗ねたり怒ったり、ほんの少しの感情を大げさに表現し続ける。
 自分を追い込みすぎてボロボロのリヒトが本当に壊れてしまわないように。

 ────本当に?

 ────本当だよ。
 あたしは────

 ─────
  ─────
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