「撤退しましょう……!」
彼女は血を吐く思いで訴える。
「今ならまだ退けます! このままじゃ!」
「だが、押し込める状況でもある。
それに────」
応じた男は岩陰から透かし見るように、視線を送る。
そこには『怪物』が居るはずだ。彼らが今まで出会った中で最も強大な『怪物』が。
だが男の視線の先にあるものはそんなバケモノではない。
「あいつを残して行く訳にもいかんだろ」
これまで共に戦ってきた仲間が倒れているはずだった。
「────っ!」
家族よりも深い生死を共にした仲間。だからこそ彼女は言葉を失う。
嘘でも「もう死んでいる」なんて言いたくなかった。
「もうこの中じゃお前の魔術だけが頼りだ。武器は傷ひとつ付けられやしないからな」
このターミナルでは元の世界の属性を引き継ぎつつも2つの属性形態に支配される。
おおよそどの世界でも聞かれる精霊属性。すなわち火水風土聖魔の6属性。
それとは別にもう一つの属性形態───即ち 物理、魔術、加護の3属性。
「まさか物理と加護の2属性を無効。かつ燃えているように見えて水属性が無効だなんてな」
軽口こそ叩いているがその表情には疲労の色が濃い。
「逃げ切れる可能性は……計算のしようがありませんね」
沈黙を守っていた学者風の男が呟く。手には猟銃があり、ゆっくりと弾を詰めている。
「何しろまっすぐ逃げてれるかどうかすら怪しいのですし」
ずんと地面が揺れた。
「さしずめ、ミラージュドラゴンとも言うべきでしょうか」
ゆらりと影がうごめく。1つではない3つ、4つとゆらめいては嘘のように消えてく。
「二人で本物を探す。そこにお前が特大のをブチ込む。シンプルだろ?」
「……」
無謀と言う言葉を飲み込む。無謀でもやらないと切り抜けられない。そんな分かりきった事を口にはできなかった。
「準備はいいか?」
「とっくに済んでいるさ。こっちから仕掛けられないとアウト。いこうか?」
ここでいつもなら「相変わらず気障ったらしい」と揶揄する言葉が挟まれる局面だが、それを口にする仲間は居ない。
微妙な、そして心臓をえぐる様な沈黙。
「わかったわ。行きましょう」
そうして彼らは動き出す。
即座に響く咆哮。そして爆音。
こちらの攻撃のことごとくは相手をすり抜けていく。
────その全ては蜃気楼。ただ一つの本物を見つけるために身を削りながらの攻撃が続く。
目の前に迫る牙も爪も真偽の付かぬまま、今まで培ってきた戦闘経験だけで致命傷を避け続ける。
命を削られるだけの時間。
彼女は自分がなすべき事のためだけに魔力を練り上げ続ける。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なんの集まりっすか?」
衛星都市。まだ名も決まらない町で環は人だかりに首を突っ込む。
結構な見物客だ。それを見慣れぬ制服を着た数人が「下がってください」やら「ここから前に出ないでください」やらと野次馬整理している。
「壁を作るんだとよ」
腕組みをして見守る偉丈夫が楽しげに教えてくれた。乱食い歯に額から突き出た角。鬼だろうかとちょっと顔を引きつらせつつ全員の視線が集まるところに目を向けた。
そこにあるのはクレーンでもなければ石材でもない。たった一人の女性だ。
「……壁?」
資材も無い作業に使う道具も見当たらない。担がれたのかと眉根を寄せた瞬間、彼女はゆっくりと手を上げ、何かを呟く。
その瞬間、彼女の周囲が突然隆起し始める。
1つや2つじゃない。大地が盛り上がり、軽く20を超える数の山になる。それはすぐさま余計な土を削ぎ落として人型になっていく。
「ゴーレムってやつか?」
今は社会人とは言え、学生を経験していればゲームの1つや2つは体験している。
その中でも比較的ポピュラーな土人形。ゴーレムが彼女を取り囲むように現れ、周囲に散っていく。
えっちらおっちらと歩く姿はその巨大さ、地響きさえなければかわいらしいと思えるかもしれない。そんな無味の感想を思い浮かべている間にゴーレム達は所定の位置についたのか今度は形を崩して鬼の言ったとおり『壁』へと変貌を始める。
ものの5分で壁の一角が完成してしまう。
「ブルドーザー要らずって言うか何というか。すごいねぇ魔法って」
速乾性コンクリートなるものの知識はあるが、流石に五分で完成とはいかないだろう。
「でも、なんで彼女一人でやってるんだ?」
「お前さん、魔法のない世界の人間か?
あんなの誰でもできる芸当じゃないんだ。流石は管理組合ってところだな」
鬼の補足説明に環は改めて女性を見る。『管理組合の人』なんてのはあの入市管理所のおねーさん以来だ。
「管理組合ってのはそんな連中ばっかりなのか?」
「どうだろうなぁ。俺もそんなに見たことあるわけじゃねえし。
ただあのねーちゃんは砦の管理官だって言うからそこそこの偉い人じゃねえのか?」
着たばっかりの環でも砦が何かは理解している。
だからなんだと言うわけでもない。彼は次のゴーレムがもこもことできているのを見ながら、今は単純に「すげーなぁ」と漏らすくらいだ。
ただ少しだけ気になる事がある。なんとなく思った程度の事なのだが……
「あれってわざと見世物になってるよなぁ……?」
環は誰に言うでもなく、ひとりごちる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「うーん?」
本を抱えたままセリナは呆然と地平線を眺める。
衛星都市の防衛任務。彼女が受けた任務はそれだが左手の遥か先に衛星都市がぽつりと見えるだけでその他に目立つ物一切見当たらない。
「クロスロードから出たのは初めてかい?」
彼女を即席のパーティに加えてくれた女性が苦笑交じりに問う。
彼女には「実地調査をしてみたい」という話はすでにしていた。ただその時も同じような顔をしていたのを思い出す。
「見ての通り。この世界は見渡す限りの荒野でね。
あの衛星都市の真ん中にあるオアシスはこの二年間で初めて見つかった『それ以外のもの』なんだよ」
バーバリアンと言うとちょっと失礼かもしれないが、褐色肌とポイントアーマーの女性は遠くを見ながら言う。
「『怪物』の分布とか、特徴は無いのですか?」
「サンロードリバー周辺には水系ヤツが出るとは聞いているけどね。
そもそもヤツらがどこから来てるのかすらさっぱりだからねぇ」
周囲100kmに何一つ無いのであれば『怪物』はそれ以上の距離を無補給で踏破して居るということになるのか?
少なくともセリナの知識ではゴブリンなどは食事を必要とするはずである。ただ別の世界までそうとは分からないので断言はできない。
「噂だともう一つ『扉の塔』があるんだってさ。
ヤツらはそこから出てきてクロスロードに向かってくる……らしいんだけど。どうなんだろうね。
一方向からやってくるわけじゃないし」
「じゃあ棲家とかも分からないんですね」
「最近出回ってる『巣』だか『フィールド』だかの話はあるんだけどね……
そのエリアに踏み入って帰ってきたやつはほとんど居ないって話だし」
衛星都市でも風の噂のように最短ルート構築失敗の報は知れ渡っている。
その攻略ポイントこそがその『巣』などの呼称を有する場所である。
「姐さん、豚が来やす」
探索者というより山賊の方が似合いそうな男が遠くを眺めながら報告してくる。
「ん? ああ、迎撃してやんないとね」
槍を握りなおしそちらの方を見て、眉をしかめる。
「どうしました?」
小首を傾げて問う。彼女の視力では未だぽつんと影が見える程度だ。
「豚が豚を追いかけてるんだけど」
「……は?」
探索者で言うところの「豚」とは一般的にオークを指す。ちなみに犬コロだとコボルトだ。
だがオークがオークを追いかけるとは何事だろうか。少なくとも怪物同士が争うなんて話は聞いた事がない。
新しい事例だろうかとそちらを見ると彼女の視力でもようやくその光景を捉えることができた。
「……えーっと?」
とっても見覚えがあった。
「どうします?」
「まぁ、まとめてやっちまえば良いだろ。あっちは食えそうだし」
「わー!? 待ってください?!」
十数匹のオークに思いっきり追い立てられている豚────イベリの事をどう説明したらいいものかと苦悩しつつ、とりあえず静止の声を挙げるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
振り返りざまに撃つ。
弾丸が銃身を震わせて宙を舞い、ゴブリンの頭蓋を打ち抜いていく。
「助かったぜ、ネエちゃん!」
「気にしないで」
応じて頭の中でカウント。残弾数は拳銃使いの生命線だ。次々と二挺と敵を見えない線で結んで弾を吐き出していく。
衛星都市の第一段階工事が終わる頃には「街道」と呼ばれ始めた道の上、ノエルは他の護衛と共に戦いの中に居た。
数こそ多いが全体としての切迫感は無い。今のだって仕留め損ねたところをフォローしただけに過ぎない。
ノエルは射撃武器という性質もあって中衛のポジションで周囲を俯瞰していた。弓使い等は後方の敵に狙いを集中しているが集弾率と速射性に優れた銃器は充分に前線の穴埋めを担っていた。
ふとした拍子に傷を負う者も居るが前衛を張る者の大半が盾を持つ重戦士型だ。死ぬ事はないだろう。
彼女は1人に4〜5匹が殺到することが無い様に銃弾を送り込んでいく。
ゴッっと音と光が舞う。護衛対象であるトラックの上から魔法使いが範囲魔法を放ったらしい。
「……」
ノエルは少しだけ眉根を寄せて後退し、近くの荷台に飛び乗る。そうして少し高い場所から敵の後ろを見た。
「敵の増援だ!」
予想通りの光景を弓手の1人が声に出して伝える。
「今度は何者だい!?」
「大分類ゴブリンライダー! 突撃してくるぞ!」
「進行方向の右に盾持ちが集まれ! 他は穴埋めだ!
射撃系は削って速度を緩めろ!」
そこそこ大きなパーティのリーダーが声を大にして指示を送る。もちろん指示系統など存在しないが理に適った意見には即従う。
目の前のゴブリンを切り倒し、弾き倒して場所を移す。長距離を狙える射手はイノシシや犬にのって突撃してくる新手の先頭に標準を合わせ始めていた。
ノエルは荷台から降りつつ移動で出来た隙を埋めるべく連射。もぐりこもうとしたゴブリンの頭を次々に粉砕する。
やがてドンと凄まじくも肉や骨が潰れる嫌な音が響いた。
これがもし軍馬に乗り鎧で固めた騎士の突撃ならあっさり突破されていただろうか。
しかしゴブリンの突撃ではそうはならない。しかも支援射撃により速度が乱された結果、盾に血肉をべっとり張り付かせて崩れおちるゴブリンが続出する。
「殲滅するぞ!」
誰かの声に至る所で雄たけびが上がる。
「……何とかなりそうね」
予定では到着まであと半日程度。彼女は再装填しつつ次のターゲットを探した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
酷く平和な日だ。
クロスロードの防衛任務について早5日。単に運が良かっただけなのかノアノは一度も戦闘することなく規定のルートを歩いていた。
暇という時間はいろいろと頭を加速させてしまう。
気になるのはもちろんあの女性のことだ。衰弱が激しく昨日の時点ではまだ目を覚ましていないらしい。
強制的に起こす手段はもちろんあるが、色々な意味で褒められた行為ではないし、彼女の心情を思えば強行するのも躊躇われた。
心配は心配だ。けれども色々考えるうちにふと脳裏を過ぎる思いもある。
「自分は本当にあの人を助けたんだろうか?」
監禁されていたわけでも病気だったわけでもない。あの人は何もすることなく、あそこで朽ちかけていただけだ。
その行為に「自殺」という呼称を与えても差し支えは無いだろう。とすれば、自分達がやったことは余計なお世話ということになるのか。
仲間の死───旅立ってそう間もない彼女にとっては実感の伴わない言葉だ。元より命がけの仕事なのだから誰かが死ぬのは起こりうる事態である。
「ずーっと沈んだ顔してますけど〜?」
エルフの少女がノアノの方をくいと覗き込む。他の者と違って武具の類はみられない。手にしたリュートを休憩時間に掻き鳴らすのにも、そろそろ皆慣れた。
「え、あ、うん。ごめんね。ちゃんとするから」
「あはは。ボクに言われてもこまっちゃいますよ!」
自他共に認めて一番まじめでないように見えるエルフ────エディンロヴンはけらけらと笑って帽子の位置を直す。
「あ、でもちゃんと敵が来たときにはびしーっとしますからご安心を!」
「う、うん」
エルフ族で、なおかつ武器を持っていない所を見れば魔法使いか、はたまた呪歌使いだろうとノアノは推測していた。自称は吟遊詩人だったし。
今は仕事に集中。そう思い直して正面に向き直るとまとめ役を買って出ていた男が立ち止り目を凝らしていた。
「馬か?」
彼の見ている方向はクロスロード側だ。『怪物』というわけではないらしい。良く見ると女性が一人背に跨り駆けているようだ。
「こっちに来てますね?」
知り合いか?という視線がばら撒かれるが、誰も当たりは無いらしい。
そうこうしているうちにその馬はぐんと近づくとぶつからんばかりの勢いから速度を落とし、彼女らの前で止まった。
「お前がノアノとかいうやつか!?」
「ふぇっ!?」
いきなり名指しされるとは思っていなかった。素っ頓狂な声を漏らし自分を指差す。
「どうなんだ!?」
馬上の女性───といってもまだかなり若い彼女は射殺さんばかりの視線でねめつけてくる。
「そ、そうですけど。どなたでしょうか?」
「ユエリア・エステロンドの居場所を教えろ!」
まるで親の敵を呼ぶような荒々しさに誰もが困惑するように二人を見ていた。
「ど、どうしてユエリアさんのことを探して居るんですか」
「決まっている! アイツさえ……アイツさえ情報を公開していたらあんな事にはならなかったんだ!」
主語の抜けた言葉を理解できる者はノアノを含めて居ない。だが、連想できる事柄はあった。
「あ、もしかして……フィールド討伐部隊の人?」
吟遊詩人だからか、はたまた偶然か。────あるいは単に興味本位でいろいろ聞いて回った結果なのか。
エドが思い至った答えをぽつりと口にする。周囲も「ああ」と彼女を見、それからどうしてノアノに詰め寄っているのか訝しそうに眺める。
「さぁ!教えろ!!」
「行ってどうするんですか! あの人は……っ!」
言葉が続かない。どうしようもない程の殺気に生半可な言葉でどうにもできないと理解してしまう。
逃げる事も考えたが彼女は馬上にあり、背には弓がある。背を見せたら容赦なく彼女が矢を射る事は容易に想像ができた。
「教えろっ!!」
血を吐くような叫びに誰一人介入しようとすらできない。いつ暴発して攻撃を仕掛けてきてもおかしくない上にクロスロードの場合、見た目なんて戦力の基準にならないからなおさらである。
「……アフロさんの所にいますっ!」
気まずい空気が流れた。
緊張のあまり妙な事を口走ってしまったとアウアウしつつ彼女が暴発する前にと慌てて訂正。
「あ、いえ、そのですねっ!
ああ、そうです。ピートリーさんです。確か」
「ピートリー……だな」
「はい、彼が連れて行きましたから!」
「……」
真贋を確かめるような鋭い視線を真っ向から受け止める。少なくとも嘘はついていない。
ピートリー本人の補足は難しいが、家を探すのであればPBに問えば答えてくれる。
予想通り彼女はピートリーの家を問い合わせたらしく、忌々しげな表情を隠さずに轡を返す。
これで多少は時間が稼げるはずだ。
「教えちゃってよかったの?」
エドの軽い問いかけに対し、ノアノは暫く無言。
ただどんなに言葉を濁しても誤魔化しても、彼女はユエリアの元に辿り着くだろう確信があった。あの瞳に宿る執念は狂気に近い。
失敗したかもという思いが徐々に湧き上がるのを感じつつ、彼女はさらに数秒迷いを重ねた上で結論を出す。
「急ですみません! 抜けてもいいですか!?」
顔を見合わせる面々。やがて誰とも無くフッと笑みをこぼし
「明日は来るんだろ?」
大柄な竜人種の男が軽く問いかける。
「え?」
「おいおい、任期は明日までだぜ?」
サボりを見逃してやる。その意図を含んだ言葉をを察してノアノは「ありがとうございます」と頭を下げる。
それから迷いを吹っ切るように一路クロスロードへ向けて走り始める。
「……って、あれ? エドとか言う嬢ちゃんはどこ行った?」
無駄に明るく騒がしい少女を見逃す道理はない。だが探索者たちがきょろきょろと見渡しても楽しそうにふらふらしていた少女の姿は無い。
「……」
短い付き合いとは言え、残された探索者の意見は一つだった。
面白そうな方に首を突っ込みに行ったな、と。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
彼女は目を覚ます。
ぼんやりとした頭が、まず自分が生きている事を察した。
続く感情は嘆きというより……諦観だった。嘆く事にも疲れてた心は事実だけを捉えて氷のような静謐を保つ。
なのに、きりきりとした痛みが絶えず心臓を貫いていた。
「お目覚めかな」
重低音の声。動かぬ体を自覚し、視線だけで追った先には白衣の偉丈夫が居る。
「ここは……?」
「診療所だ」
また「生かされた」のかとため息にも似た呟きを胸中に漏らす。
「君にとっては不本意かもしれないが、君の話を聞きたいという人がまだ居るようでな」
問い返しはしない。自分が話していない事には充分に心当たりがあった。その欠片に触れるだけでも体が震えるほどの。
心の氷に亀裂が入る。ベクトルの捻じ曲がった感情が全ての思考と動作を狂わせる。
「落ち着きたまえ」
医者を自称するには大きく硬過ぎる手が肩に触れた瞬間、淡い光が体を包む。
精神の安定を齎す魔法────強制的な沈静。けれども、この心には毒でしかない。
理性を取り戻せば現実が襲ってくる。原型をとどめないほどに踏み潰され血しぶきすらも土にまみれ消えていった仲間。
強大すぎる爪に盾も鎧も貫かれてなお私に敵の位置を叫ぶ仲間の姿。
「あぁああああああああああ!!!!」
泣き叫び、身を震わせ、そうして何もかも吐き出しても押し寄せる記憶の槍。枯れ果てた心をどうして蘇らそうなんてするのか!
狂いたい。狂ってしまいたい。何もかも分からなくしてほしい。思い出したくない。
私も死にたかった。あんな光景を見て、たった一人で生きいたくない。
有象無象が死のうと知った事じゃない。私は、私と一緒にいてくれた人たちの死なんて背負いきれない!
だから、私を殺してほしい。私の心を! 願いたくない。思い出したくない。今の私には美しい過去も、優しい思い出も、あの悔恨に繋がる毒だ。
自分が何をして居るのかすら分からなくなる。分からなくなりたい。だから─────
「いた……!」
狂乱し壊れようともがく心をなお冷たい狂気が刺し貫く。
私は動きを止め、そちらへと視線を転じる。頭で理解した行動ではない。たった一言に込められた凄まじいまでの思いが私をそうさせていた。
「ちょっと待ってくださいって!」
かすむ視線の中、声の主を抑えようとする人影を突き飛ばしこちらへと歩み寄る───女性。
「お前がユエリア・エステロンドだな」
「……」
私の名前を呼ぶその瞳に覚えがあった。
少し前の、狂いたいと願う自分の瞳と同じだ。深すぎる悲しみに耐え切れなくなる直前の自分。
「お前が……お前さえ……!」
「落ち着いてくださいってば!」
間に入った人影が軽く突き飛ばされていく。
「お前さえっ……話していれば!」
「話す……?」
ああ、この女性も私の悲しみを覗きに着たのか。忘れたくて、捨て去りたくて仕方ないあの瞬間を掘り出したくて着たのか。
「みんなは死なずに済んだのに!!」
「……え?」
興味を失いかけ、霧散しようとする心が凝結する。
「どうしてっ! どうして何も言わなかった! 知ってたんだろ! あのバケモノの事を!」
バケモノ。そう言われて思い出すのは一つしかない。
けれどもクロスロード成立時から探索者として活動していた自分には彼女の放つ言葉の意味が推測できてしまう。
『フィールド』
囁かれ噂された未知の能力。
強力な『怪物』が有する能力で、その圏内では実力が出せなくなってしまうと言われていた。
そして─────それは事実だった。
その動揺に機先を奪われた私達は削られるだけの防戦を強いられた。それでも相手の特性を読みきり、勝機を見出していった。
「お前さえ……お前さえ全部話してくれていたら……!」
今にも飛び掛らんとする女性と、それを何度も抑えようとして弾き飛ばされる人。
その光景の中で私はゆっくりと我を失っていた間に何が起きたかを悟る。
「私は……」
殺してしまったのか。この少女の大切な人を。
この未明の世界において「未知」ほど恐ろしい物は無い。それを充分に知っている私が……
「私は……」
「お前がみんなを殺したんだ!」
涙の伝う頬が、暴れに暴れてくしゃくしゃになった髪が。私の視界を埋める。
彼女も壊れたいのだと私は悟る。ただ、私という攻撃対象を強く認識してしまったがために目的としてしまったために壊れられずにここまで来てしまったのだと分かってしまう。
私のように、自分だけを責められれば楽だったのに。きっと狂ったように私を探し、ここまで来てしまったのだろう。
とうに枯れ果てた涙が頬を伝う。
胸が痛い。けれどもやせ衰えた腕は何一つの行動も許してはくれない。
視界の外、泣き崩れる声がする。彼女は私を恨んでいてもそれが間違いだと当の昔に気付いているのだろう。だから怒鳴り散らした後は何をしていいのかすら分からなくなって泣いている。
「……先生」
その光景をただ一人懺悔を聞く神官のような面持ちで沈黙する男がこちらを見る。
「伝えてください。私が見聞きした全てを」
「……応じよう」
彼はゆっくりと視線を転じる。「いてて」と殴られたらしい頬をさする奇妙な髪の男の方へ。
「だが、それは彼の仕事だ。彼に任せるとするが良いかね?」
結果が同じなら構わない。
私は去来する全ての感情に耐えながら言葉を紡ぎ始める。
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●主な登場人物●
・ヤーツェ:フィールド攻略組みの生き残り?
・ユエリア・エステロンド:衛星都市の元となる水源を発見したパーティの生き残り。
・メルキド・ラ・アース:管理組合の人。東砦管理官。衛星都市へ出張中
・先生:世界紹介SSでおなじみアリアエル先生。ギリシアの石造みたいなボディのお医者さん
●特殊用語
・フィールド
特殊な怪物が持つ空間制圧能力。
その中では侵入者が不利となる様々な制限をかけられてしまう事が報告されている。
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はい、総合GMの神衣舞です。
ここまでの話は難易度EASYなので特に人死もなく単調に進んでおりますな。
裏話をしておきますと、ここまでの皆さんのリアクションからフラグを計算しています。
例えば防衛任務なんてのをやっていると今後の展開で衛星都市の防御力が向上します。
ここまでの物語としては少し寂しい立ち位置だったかもしれませんが意味は充分に大きいです。
さて、次からは難易度HARDです☆
何の難易度かというと……サバイバリティかな(=ω=)
このすぐ後に1本幕間の話をUPします。
起承転結で言う『転』ですね。
がっつり行きますのでみなさんわくわくしながら覚悟を決めてください。
ではでは(=ω=)☆
PS.ピートリーの扱いはイベリと同レベルになりつつあるなぁ
PSその2.エディンロヴィン、ごめん(=ω=;) 2ページまであるのを見落としてたデス。