「新しい報告書よ」
スー・レインがA4サイズの一枚紙を投げて遣す。青髪───イルフィナという名の青年は正確に飛来したそれを受け取り目を凝らす。
「世界の姿、か」
「『扉の破壊』の事例から鑑みて信憑性は高いわ」
かつてこのクロスロード成立前に発生した大襲撃。その際に『扉の園』にまで侵攻した怪物が扉を破壊したという事件があった。
来訪者の誰が何をしようと傷一つ付かない扉は怪物の攻撃で容易く破壊されたのである。
「そうすると、この世界は本来のその全てを奪われているということになるな」
「ええ。尤も、全ての怪物がそうであるとは言えないけれど」
報告書に記載されている文書。それはユエリアという女性の証言とそれを元に行った学者の検証だ。
要約すると「怪物は世界の何かが変貌した姿である」というものだ。
「衛星都市の元となる水源────オアシスはそこに居たミラージュドラゴンを討伐した事により発生した、か」
「正確にはオアシスが変貌した『怪物』がミラージュドラゴンだった」
スーの言葉に瞑目し、ややあって深く息を吐く。
「最短ルート上の怪物はロックゴーレムだったな」
「ええ。その関連性からすれば岩場や山である可能性があるわ」
「一例を以って全て同じと安易に決めるわけにも行かないが……」
何一つ無く荒野が広がる世界。探索地域に点在する未探索地域────何らかの理由で帰らぬ者が発生し続ける場所。
「ならもう一つ実例を挙げればいい」
「簡単に言うなよ。再アタックしてくれる探索者なんて早々────」
二人の表情がぴくりを震える。共にPBに流れる言葉は同じ。
「……必要になりそうね」
「皮肉にも程がある」
イルフィナは席を立って戸へ向い、スーも後に続く。
沈黙の舞い降りた部屋の中、報告書がふらり床に落ちた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
防護壁を完全に設置し終えた衛星都市はちょっとしたお祭りムードであった。
クロスロードと比べれば貧弱に過ぎるが高さ3mもある壁がぐるり町を取り囲めばその安堵感は大きい。
誰からとなく酒を飲み、それが伝播してちょっとした騒ぎになっても仕方の無い話なのだろう。
そんな中、その光景をうらやましく思いながらも仕事を放り出せず頬杖付く管理組合組員がいた。
「むくれ顔しないの」
同僚の女性が苦笑をにじませて苦言を呈する。
「だって非常コールの番なんて退屈ですよ」
諌めに口を尖らせて返答。この数週間、周囲に設置した探査機が反応を返した事など殆ど無いし、あっても大した問題では無かった。
「外は祭り騒ぎだって言うのに」
「そういう時の慢心が一番危険です」
一際澄んだ声音に二人の組員がびくりとして背筋を正す。
「お気持ちは分かりますがお仕事はきちんとお願いしますね」
「「は、はいっ!」」
声の主────メルキド・ラ・アースという名の女性はくすりと笑って空いている椅子に腰掛ける。
管理組合の中には一応階級のようなものがある。どちらかと言うと会社の役割のようなもので『主任』や『課長』といった肩書きだ。
彼女は東砦管理官という肩書きが主で、部長職よりももう一つ上の役職である。
見た目は若い女性だが、その実力は昼間に誰もが見たとおり。たった一人で防壁を作り上げるほどの土使いである。
「来週には補強建材も届きますから、そうすればひと段落です。よろしくお願いしますね?」
「はいっ!」
物腰穏やかなお嬢様に微笑まれては頑張らざるを得ない。そんな感じの朗らかさが広がりかけたとき、けたたましい音と赤い光が仮設事務所を一瞬で塗りつぶす。
「なっ!?」
「状況報告を!」
鋭い声に次々とスクロールする画面に目を走らせる。音に驚いて駆け込んできた他の組合員も状況を確認するために自分の席に着く。
「かっ! 怪物です。南方よりその数……計測不能っ!?」
「西方からも大群が接近しています。距離4000っ!」
「進軍速度から明朝には先鋒が衛星都市に到達しますっ!」
アースは次々と送られてくる言葉に顔色を変えつつも「伝令を飛ばしなさい!」と指示を飛ばす。
「緊急警報を発令。事態を知らせ、戦闘能力を持った人には協力要請を」
こういう時、強権を発行できないのが辛い。彼らは今すぐ尻尾を巻いて逃げ出す事も選択できるのだ。
一人でも逃げ出せばそれに続く者は一気に増える。警報を発した瞬間にそれが起こると分かっていても管理組合の立場として秘匿する事はできない。
次々と組合員が走りだし、報告は矢継ぎ早に繰り出されていく。
その全てを聞き分け、応じながら背中の冷や汗を気持ち悪く思う。
ここがクロスロードであればここまで焦りはしないだろう。信頼できる仲間も居るし強固な防衛線はあの悪夢を乗り切った実績を持つ。
「エンジェルウィングスに協力要請を。敵数の確認と空爆を行います!」
「飛行能力を持つ組員を終結させます」
遠くからざわめきが聞こえ始める。事態が知れ渡り始めて居るのだろう。
幸いとも言うべきは彼らが無力な一般人で無いことだ。混乱が小さいというだけでもありがたい。
「……」
一通りの指示を終えて彼女はゆっくりと立ち上がる。
自惚れるつもりは無いが自分はこの衛星都市でも上位の戦力を有するはずだ。ここで座しているわけには行かない。その上彼女の扱うゴーレムは損耗しても痛くない兵力である。
「防壁が出来た後でよかったと言うべきでしょうかね」
ぽつりと零して仮設事務所を出る。
月が変わらぬ夜だと言わんばかりに静かに輝く。それを見上げ、彼女は荒野へと赴く。